予兆
調子良く戦っていた割に思った以上に精神が摩耗したフィンや、今までになかった『力』の使い方をしたことが負担となったらしいリリ、それにリリの『光の槍』の余波で吹き飛ばされたルルは決着がついた後、しばらく動くことができなかった。
なにをしに泉まで来たのかも忘れたかのように、身体を休め心を落ち着かせて数十分程後、三人はのそのそと動き出し、ようやく本来の目的を果たした。
持参した水筒すべてに清水を汲みおわってひと心地ついた後、ルルは周りの惨状に気が付き、腹の底から息を吐くようにして言った。
「はぁー……ひどいなこれ」
その言葉につられて周りを見渡したフィンは苦笑を漏らして同意した。
「たしかにね……。 地面とかすごい掘り返しちゃったし」
下に向けたルルの視線には、砂が積もって山になったり、壁として集められたせいで穴が出来ていたりする地面が写っていた。
たしかにひどい状況ではあったが、このときルルが指していたのは地面ではなく、森の一部分のことだった。
「そっちもだけどさ。 みろよ」
そういって、くいと首を捻って森のある一点を指したルルの顎の先を目で辿ったフィンは納得したように大きく頷いた。
「あぁ、あれね……。 なにがどうなってあぁなったのかな……」
高温の紫光球の直撃を受けておきながら熱に犯され燃え上がる気配がまるでない木々に疑問を覚えるフィンだったが、それはリリがあの紫光球の影響を受けていなかったことと同じだろうと納得した。
その後に考えたのは、もっと根本的なことだ。
押し固めろと言っただけなのに、何故あのようなことになったのか。
「でも、まさかあぁなるとはね……」
「……やっぱお前がなにか入れ知恵したのか?」
訳知り顔のフィンに、ルルは眉を八の字にして呆れたようにいった。
このフィンという少年は、その賢さゆえにときおりとんでもないことをしでかすのだ。
ルルは今回もその類だろうと考えたが、それに関してはフィンも頷くことはなかった。
「僕はただ、もっと威力の高い『風の槌』が打てないかと思ってリリに助言してみただけだよ」
「……そうか」
それは結局、リリに入れ知恵したということだろう、と思うルルだった。
二人の会話のやり玉に上がっていたリリは、二人から離れて森豚の死体の側にいた。
リリはその近くに置いていた、自分が持ってきていた鞄の中身を漁り、ダナ村近辺に自生している薬草などを原料として作った簡単な傷薬と清潔な包帯を取り出した。
割合かさばるそれを胸と両腕で抱えたリリは、ルルの元へと駆けていった。
兄の右腕の怪我が気が気でなかったのだ。
「おにーちゃんっ! 右腕だして!」
リリはなにやら会話をしていた二人の間に割り込み、さきほど満杯にしたばかりの水筒を引っ掴んで、手に持った包帯に清水を含ませながらルルに言った。
リリに会話を遮られたフィンは、彼女の言葉につられて乾いた血がこびりついたルルの右腕を見、顔を引き攣らせた。
「うわっ、凄いことになってるけど、ルルの右腕」
「え? あぁ、そうなんだよ。 〈鉄の頑丈さ〉を〈付与〉しててこれだぜ」
二人に指摘されて思い出したというふうに顔を顰めたルルだった。
実際、今の今まで痛みは忘れていたのだ。
「じっとしててよ!」
そういってリリは小さな指で傷薬をすくって傷口に塗りたくり、慣れた手つきで包帯を巻き始めた。
痛みに顔を顰めたルルのことは黙殺し、肘のあたりにまで及んでいた銀熊の爪痕を、肘の動きを邪魔しないような丁寧な巻き方で覆っていく。
戦う力もないのに無茶をして、日課かなにかのように傷を作っていた頃の兄を心配し、今よりも幼い時期に身につけた応急処置術だった。
リリの手際に舌を巻きながらも、フィンは再びルルと話し始めた。
「前は鉄に傷も付けられなかったっていってなかったっけ」
それに答えたのはルルではなく、今まで黙りこくっていたグラトニアスだった。
『ありゃあオスで、ツガイだ』
「お、起きてたのか」
『たりめーだタコスケ』
暇が嫌いなグラトニアスにしては珍しく、長く黙っていたことを茶化したルルに噛み付くグラトニアス。
グラトニアスの簡素な二言を己の問に対する答えとしてきちんと理解したフィンはくすりと笑った後、じゃれ合う主従(?)を置いて銀熊の元へと歩き始めた。
♢♢♢
フィンの足元に横たわる銀熊の巨体は、およそ四メル半ばは有ろうかというほどのものだ。
前回ルルが仕留めた銀熊の解体作業を見学していたフィンには、二匹の体躯の差がはっきりと見て取れていた。
(なるほど、確かにこれオスだよね。 とするとはじめに僕達を無視してルルを狙ったのも当然か)
恋人の革で作られた鎧を纏った人間を見れば怒り狂うことは必然だ。
たまたま銀熊の革でつくった革鎧を着用していたために真っ先に狙われ、結果右腕を負傷することとなったルルの運のなさに苦笑したあと、フィンは改めて銀熊の死体をみた。
フィンが見たかったのは銀熊の傷口だった。
銀熊の左胸、心臓部には直径五十セントメルほどの穴が開いていて、その周りは焼け焦げて血が一滴たりとも流れてはいなかった。
血抜きをしていない肉の焼ける臭いがあたりにたちこめていた。
仰向けに倒れた銀熊の頭の先に広がる、上部が不自然にえぐられた森にも目を向ける。
その空白の部分の下に広がる森床には古い枝葉が敷き詰められているのみだ。
(銀熊の肉や木々を一瞬で消滅させるほどの威力だったってことだよね……)
そう結論づけたフィンは背筋をぶるりと震わせ、リリにあまり使わないように言っておこうと決心するのだった。
存分に銀熊の死体を調べたあと、フィンはふと顔をあげた。
空を覆う雲は自分たちが森に入ったときと比べて色を濃くし、時間の流れを感じさせた。
(結構時間が経ってるね。 今日は調査は無理かな)
自分がが森に入った目的は、今日のところは果たせそうにないと悟り、フィンは暗くならないうちに帰るべく、ルルたちのもとへ戻っていった。
♢♢♢
村の東口に立っていた一人の女性――アルミーヌはそわそわとしていた。
昼前に用事を頼んだ少年が、日が暮れかけたころになっても戻らなかったからだ。
少年は、戦闘においては頼りになる少女とともに森に入ったはずなので最悪の場合を考えることはなかったが、それでも鉛色の不安に胸を押しつぶされそうな心持ちだった。
そういうわけで、不安を誤魔化すように身体を揺すりながら待っていると、村の東口に面した森の奥に続く小道の先から賑やかな話し声が聞こえてきた。
その声に聞き覚えのあったアルミーヌはほっと安堵の溜息をつき、顔をあげた。
微笑みを浮かべたアルミーヌが見たものは先頭を歩くルルとフィン、そして彼らの後に続く空中に浮かぶ大きな銀熊とその上に乗った森豚の死体だった。
「んなぁ!?」
予想外過ぎる光景に素っ頓狂な声を上げたアルミーヌにつられて村人達が集まり、同様に驚きの声をあげてざわめいた。
その騒ぎに気付いたルル達は会話を止め、少しバツが悪そうな笑みを浮かべた。
昼過ぎに出発したということを考えればルル達の帰還は遅すぎるほどで、それに対する負い目があり、それが銀熊を見て驚く村人達の顔を見た愉悦と重なったのだ。
「な、なななんだいこれ! 銀熊!? またかい!? ていうか浮いてる!?」
「えへへー、あたしが浮かしてるのよー」
傍から見ると気の毒なほどに取り乱していたアルミーヌの言葉に答えたのは、浮かぶ銀熊の死体が死角を作り、その姿が見えなかったリリだった。
「ええっ、これって風なのか?」
「どんだけ強い風ならこんなでかいものを……」
リリの返答にアルミーヌの周りにした村人達がざわめいた。
村人達のその疑問は正しく、実際に今までのリリがおこす風ならば、銀熊の巨体を持ち上げて運ぶなどという芸当はとてもではないができなかった。
だが今のリリは前までのリリではなかったのだ。
風を固めるという『特異能』の新たな用途を確立したこと、そして自分の『特異能』を限界まで使用したことでリリの『特異能』は成長し、より一層強力なものとなっていた。
十歳の少女らしい拙い言葉を用いて胸を張ってそのように説明するリリと、感心したように仕切りに感嘆の声をあげる村人達の横で、ルルとフィンはアルミーヌ、そして騒ぎを聞きつけてやってきた村長ダグザにことの次第を説明していた。
「うぅ、ごめんよぉ……私が横着しようとしたばっかりに!」
フィンの説明が終わった後、一歩間違えば誰かの命が失われていたといっても過言ではないような状況だったと理解したアルミーヌは、顔を涙で濡らしながら謝罪した。
さめざめと泣く彼女の背中を、しばらくの間慰めるように擦っていたダグザがルルとフィンに向き直って口を開いた。
「わかった、ご苦労だったなお前たち。 アルミーヌよ、いつまでも泣いていないでルルの手当をしてやりなさい」
「……あら、凄い怪我じゃないの!」
ダグザにそう言われ、血が滲んだ包帯を巻かれたルルの右腕に気付いたアルミーヌは涙をハンカチで拭き取って、グラトニアスが発現しているルルの左腕を掴んで工房へと引き摺っていった。
「うわわっ! ちょ、一人で歩けるから!」
『オレサマにダきツくなバーサン!』
汚名返上に気を滾らせるアルミーヌは、ルルとグラトニアスの抗議は聞こえなかったようだった。
「お前もご苦労だった。 リリの力については、エウリスやキアヌに任せておけばよかろう。 力に溺れるようなことにはなるまい。 今日はもう家に帰りなさい」
治療に向かうルルの背中を見送ったあと、ダグザはフィンに向き直ってそういった。
そこには、フィンの報告の随所に現れていたリリの力への懸念については確かに承知したという意味が込められていた。
胸に広がってた不安を頼れる村長に話し、そしてそれに対する「対処はこちらでする」というような村長の返答を聞いて安心したフィンは、ダグザの言葉に甘えて家に帰ってすこし休むことにした。
いつになく真剣な、それでいてどこか暗さをたたえたダグザの表情には、誰も気が付かなかった。
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