覚醒
ご都合主義
ルルに銀熊の相手を任せた後、緊張の糸を紡ぎ直したフィンはリリの元へ駆け寄り、手を貸して起き上がらせて戦いの場
から距離をとった。
「大丈夫かい、リリ」
「う、うん……ありがと」
未だ頭が霞みがかったような反応を見せるリリ。
「フィンちゃん……さ、さっき、おにーちゃんの頭が……」
「今は他にやるべきことがある。 気にしないほうが良いよ」
リリの言葉をひとまず封殺したフィンは、現状打破の手段を見つけるべく思考に没頭し始めた。
(何がある? 今の僕らに何ができる……?)
全く思考が纏まらず、焦りばかりが大きくなる。
銀熊の狙いがこちらに向かないとは限らないし、ルルがいつまでも無事であるとも限らないのだ。
(……だめだ、ひとつずつ考えよう)
まずフィンが考えたのは、己がとれる銀熊打倒の手段。
そもそもフィンの『特異能』は有効な攻撃手段となりうるものではない。
形状を操作し、槍のようなものを突き出すことができるのなら強力な攻撃手段となったであろうが、どれほど努力を積み重ねようと工夫を凝らそうと、結局『壁』以外のものを作り出すことは叶わなかった。
ここがもし高い崖の上であったならば、銀熊の足元に土壁を形成して姿勢を崩し、谷底へ突き落とすといった方法が取れるかもしれないが、ここは平地だ。
泉に突き落とすことでも代用可能だろうが、銀熊に水泳能力があれば無駄に終わるであろうし、なによりこの泉は遠浅であるため、そこまで誘導することがまず困難である。
ならば先ほどしたように、土壁をあえて土に還して銀熊を埋めてしまい、窒息死を狙うのはどうか。
結論から言うと不可能だった。
というのも、銀熊はただでさえ身体が大きいゆえ、埋めるきるのには大量の土を必要とする。
力の強さも加味すれば、銀熊を埋め、身動きが取れないようにして窒息に至らしめるのに必要な土は莫大な量となるの自明だった。
フィンにはそれほどの土を生成できる程の土壁を作ることは出来なかったのだ。
土壁の規格は、己の練度次第で拡大可能であるとフィンは仮定していた。
事実、初めてフィンが己の『特異能』を使用したとき作ることが出きたのは、土壁というよりも、土の板と表現するのが正確な代物だったのだ。
それが今や二メルほどの土壁を瞬時に形成できるまでになっている。
フィンには、仮定はほぼ現実のものだという確信があった。
しかし森の浅部での活動において、二メルを越す土壁が必要な事態など皆無だったこともあり、それ以上の訓練は積んでいなかったのだ。
ゆえにフィンは窒息死という手段も諦めざるを得なかった。
となるとフィンが取れる銀熊討伐の手段は皆無と言ってよかった。
(情けないけど、リリに賭けるしかない……)
リリでも駄目なら撤退の方向で考えようと心に決めたフィンは、座り込むリリに目線の高さを合わせて問うた。
「リリ、君には何ができる?」
「え……?」
「僕には銀熊を倒すだけの力はない。 ルルも……グラトニアスもお腹いっぱいみたいでどうにもできない」
小首を傾げるリリに、フィンはつとめて優しげに話しかけた。
自慢の技を打ち砕かれ、更には兄が死んだと思ったら生きていたなどという訳のわからない状況に呆然としていたリリに対する気遣いの意味もあったし、あえてゆっくりと話すことで焦る己の気持ちを宥め、押し殺す意図もあってのことだった。
「あとは君だけなんだ。 君にもなにも手立てがないのなら、逃げることにする。 ルルもそう考えてる」
現状を理解したリリは、ほんの少し震える声で語りだした。
「あ、あたしができるのは、風を集めて打ち出すことと、渦を作って刃を作ること、それと風を掌から思いっきりだして飛ぶことかな……? そ、それくらいしたしたことないよ……」
申し訳なさそうな表情のリリに、構わないというふうに微笑んでから、フィンは再度思考し始めた。
(風の刃は通用してなかった。 目とか口に直接叩き込めば流石に効くだろうけど、それじゃリリの身が危険過ぎる)
風の刃は使えないと結論づけたフィンは、風のより基本的な使い方について考えることにした。
(風を集めて打ち出すことと、掌から風を思い切り噴き出して飛ぶことは、本質的には同じものだ。 飛ぶ……飛ばせる?)
思考のとりかかりを変えたことで光明が見えた気がしたフィンは、その案についてリリに提案した。
「リリ、下から風を吹き上げるなりして銀熊を宙に浮き上がらせられないかな?」
リリは渋い表情で答えた。
「むりだと思うな……。 あたし以外のものは、布とか薄い板とかしか浮き上がらせられないんだ。 なんていうか……ちゃんと風を受け止めてくれないっていうか」
そう言われてフィンは少し昔のことを思い出した。
リリが(ある程度)空を飛べると知ったルルが、自分も飛びたいと言い出したときのことだ。
当時は、リリが作り出したまさに突風という程の勢いの風に下から噴きつけられ、空を飛ぶどころか物凄い勢いで前に回転し、ルルが地面に顔をぶつけて終わったのだった。
その時、舞い散る木の葉によっておおまかな風の流れが見えていたフィンは、下から噴きつける風がルルの脚にぶつかった瞬間に分岐し、身体に沿って動くことでうねりを帯びて渦を作り、後ろからルルの頭を押したのを見た。
そういったことを思い出したので、風の力で銀熊を浮かすことは難しいということには納得できた。
(リリにも打つ手なしか……困ったな。 あと僕に残されてるのは、マインゴーシュと、毒を塗ってある吹き矢で――ん?)
フィンの思考が引っ掛かった。
毒を塗っていようが、吹き矢では銀熊の体毛に阻まれることが容易に予想できたので、現状打破の手段としては端から勘定に入れていなかったために思考の片隅にも浮かんではいなかったが、ここでフィンは初めて吹き矢の存在を思い出した。
それと同時に、この吹き矢を自分で作った日のことも。
フィンの吹き矢は至極簡単な構造だ。
とある本に書かれていた吹き矢という武器を実際に作ってみようと思いたったのは、およそ一年ほど前のことである。
その本には吹き矢の作り方などは書いていなかったので、使用時の描写から考察して作り上げるしかなかったが、フィンはそれをやり遂げた。
吹き矢自体を作ることは割りかし容易にできた。
直径三、四セントメル程の太めでなおかつ真っ直ぐな棒を縦に半分に割り、それらの断面に半円状の溝を彫り込む。
吹いたときに空気を漏らさないようにするのには少し頭をひねったが、漆を塗ることで解決し、さらにその上から縄を巻いて補強した。
問題は矢だった。
矢尻の部分は縫い針を使えば充分だったが、吹息を受け止めて推進力へと変換する『風受け』の部分を作りあげることに難儀したのだ。
風受けが吹き矢の空洞部分よりも小さければ息吹が吹き抜けてしまい矢が飛ばず、反対に大き過ぎれば矢が吹き矢の内部で詰まってしまう。
実際に加減を間違えて風受けを大きく作りすぎてしまい、吹き矢の中に詰まってしまったことがあった。
今、フィンが思い出したのはまさにその時のことだ。
なんとか矢を取り出そうと、顔を真っ赤にして吹き矢に息吹を送るフィン。
その努力が功を奏し、最後には無事に矢を射出し取り出すことができた。
そのときの吹き矢の威力といえば凄まじいものだった。
何十メルも先の家屋の壁に突き刺さるほどだったのだ。
当時のフィンは、ただ失敗したと気を落としただけであったが、その経験が今のフィンに閃きをもたらしたのだった。
(そうだ……。 風を集めて、集めて留める。 それを解放すれば、とてつもない威力の風の槌を放てるんじゃないか。 風受けを大きく作り過ぎた吹き矢みたいに)
一度閃くと、そこからのフィンの思考は速かった。
(斬撃はいまひとつでも、打撃なら効果はあるはずだ。 実際リリに蹴飛ばされた銀熊は怯んだし、銀熊に殴られたルルも鉄の頑丈さを〈付与〉していたろうに、ふらついてたってリリが言ってたし)
なるべく被る危険性が少なくて済む策は、他には思い浮かばなかった。
(これで駄目なら逃げよう。 先頭は僕、殿はルルだ)
策が通じない場合のことも考えつつ、フィンはリリに話しかけた。
「いいかいリリ。 僕の言うことをよく聞いてくれ」
「う、うん。 なに?」
心配そうな目ではらはらとしながら、戦うルルを見つめていたリリは、話しかけてきたフィンに顔を向けて小首を傾げた。
「風を集めて、集めて、限界まで集めて、固める。 できるかな?」
「どういうこと……?」
固めるなどという言葉は抽象的過ぎたかと唇を噛んだフィンではあったが、彼もそれ以外の表現は持ち合わせていなかった。
抽象的であろうとも、理解してもらわなければならない。
フィンではこれ以上の策を思い付くことはできなかったからだ。
「風を集めて、一か所に留めて、それを固めて放つんだ」
「……わかった、やってみる」
多少表現を変えることしかできない自分を内心で自嘲したフィンだったが、幼い頃から風に慣れ親しんできたリリには、ぼんやりとではあろうが頭ではなく心で理解できたようだった。
「できそうになかったらすぐに言ってね。 そのときは逃げる方向でいくから」
「うんっ、任せて!」
ふんと気合を込めて立ち上がり、微妙に返答としてはおかしなことを言い出したリリ。
されどその顔は戦士として凛々しく引き締められ、気迫が全身に満ち溢れていた。
(風の刃が通じなかったのが悔しかったんだね)
長年の付き合いからか、そんなわかったようなことを考えるフィンを尻目に、リリは集中し始めた。
♢♢♢
リリという少女は強かった。
より正確を期すならば、リリという少女が持つ『特異能』は凄まじく強力なものだった。
ときには大人の戦士を凌ぐほどの戦闘力を誇った。
だからこそ、リリは強者を目指して力を求め、厳しい戦闘訓練に励む必要は無かったし、戦い方に工夫を凝らすこともなかった。
風を自由自在に操るリリは、まさに風に愛された風の申し子だった。
両の掌から噴き出す風にのって駆ければ動物たちを追い抜き、風の槌で打てば容易く相手を昏倒させ、渦巻く風の刃は阻むものを容易に切り裂いた。
今までは、それだけで充分に事足りたのだ。
だが今このとき、リリは己の無力を嘆き力を欲していた。
そして意図していなかったこととはいえ、フィンが彼女の力に可能性を示した。
己の道を照らされたリリは、その小さな体躯に逆巻く悲嘆を活力に変えてその道を突き進む。
今までの停滞を取り返すように、ただがむしゃらに。
それゆえそれは、フィンすら想像もしていなかった領域に達したのだった。
怪物が覚醒した。
♢♢♢
その場の誰よりも、何よりも早く異変に気付いたのはすぐそばにいたフィンだった。
リリが集中し始めて、幾分か経ったときのことである。
森の木々がざわめき、泉の水面がさざなみを起こす。
八方から吹きすさぶ風がフィンから少し離れた場所に立つリリの元――胸の前で大きな球体を形作るように置かれた小さな手に集まっていた。
ごうごう、ぎゅるぎゅると風が、大気が悲鳴をあげる。
フィンの、男としては長めの髪の毛や服の裾がさわさわと舞い、次いで突風にあおがれ踊り狂った。
あまりの強風に立つこともままらなくなったフィンはすぐさま前方以外を囲むように土壁を作り出し、そうしてようやく落ち着くことができた。
とはいえ、それでも土壁がきしんでいる気さえさせるような烈風に、渦中のリリはどうなっているのかとフィンは視線を向けた。
リリは器用にも己の身体には影響が出ないように風を操っているらしかった。
リリの体表面を風が滑り、リリの服が捻れてしまっていた。
激しく捻れるリリの服に、場違いな笑みが心に浮かんだが、そんな思いも束の間、フィンはまたもや異変を捉えた。
(なんだ……? あたたかい……?)
周囲の気温が上昇し始めていたのだ。
フィンは訳がわからなかったが、いまこの瞬間に起きたのだから原因はリリだろうとあたりをつけ、彼女を観察し始めた。
そして気付いた。
球を描くように開かれたリリの指、向かい合わされた掌。
その虚空の中心で、紫の光が怪しく揺らいでいることに。
(え……? なにあれ)
紫ばかりではなかった。
白、赤、青といった色の光が、まるで立ち昇る煙のようにゆらゆらと揺れ動き、紫電のような光が放射線状に迸っていた。
リリから吹き込んでくる風は、もはやあたたかいで済まされる程ではなかった。
皮膚を炙るような熱波に、フィンは左腰に指していた本を取り出してそれで口元、目の下までを覆った。
フィンがいま晒されている熱風はかなり弱められていたものらしく、それを指し示すようにリリの足元の泉の水で湿った土がしゅうしゅうと白煙をあげていた。
(リリは大丈夫なのか!?)
思わず止めさせるべきかと一瞬迷ったフィンであったが、リリの様子をみて思い直した。
服や二本にまとめられた長い髪の毛は依然として風に煽られはためいているものの、それ以外の影響を受けているようには見えなかったのだ。
事実、リリは目を瞑って涼しげな顔で集中を続けていた。
おそらく、あたためられる周囲の空気を、それ以上の速さで逃がすことで熱の影響を遠ざけているのだろう。
(こ、これは……)
リリの可愛らしい手が形作る球体はどんどんと大きくなっていき、それにつられるように紫電の妖光も膨らんでいく。
(どうしてこうなった……?)
夢であると言われたほうがいっそ現実的だと思えるような光景に、フィンがリリに余計な入れ知恵をしたことを後悔していたとき。
「おにーちゃんっ! どいてっ!!」
閉じていた垂れ目を大きく見開き、いななく風の音に負けないほどの大声でリリが叫んだ。
♢♢♢
ルルが異変に気付いたのは、相対する銀熊の様子を怪訝に思ったときだった。
銀熊を翻弄するため目まぐるしく動き回っていたルルは、突如攻撃の手を緩め、そして止めてしまった銀熊に驚き、戦闘中にも関わらずその表情をまじまじと見た。
最憎の仇に怒りを込めた一撃を叩き込めないことへの苛立ちや、大した痛みは感じずともその憎い相手が一方的に攻撃をくわえてくる屈辱にまみれていたはずの銀熊の表情は呆然としたものに変わり、ルルの後方に視線を注いでいたのだ。
次いでルルが感じたのは自らの背に向かって吹き抜けていく荒々しい風。
さらに背後からたちこめる、並々ならぬ熱気だった。
「 おにーちゃんっ! どいてっ!! 」
妹の声を聞き終わらないうちに、ルルの全身に悪寒が走った。
それはグラトニアスもそうだったらしい。
『そんなバカな……』
と、ルルでさえ聞き取れない声量で呟いた後、一瞬の間をはさんで
『ニげろぉ! シぬキでニげろクソガキぃぃぃ!!』
と絶叫した。
いつも飄々とし、感情は豊かであっても取り乱すようなことは全くなかったグラトニアスの、普段の調子の程が全く伺えない叫びにルルは仰天しつつもそれに従った。
戦闘中にあるまじきことではあったが、銀熊に背を向けて全力で駆けたルルを、銀熊は追ってこなかった。
きゅいんっと空間を穿つような鋭い音の後に放たれる熱波、そして轟音。
思わず振り向いたルルが見たものは、彼が生まれる前ずっと前に隠れてしまったという太陽の煌めきを写し取ったかのような閃光と、それに胸を大きく抉り穿たれる銀熊の姿だった。
振り向いたことで歪んだ姿勢が熱波に煽られ、容易く崩れて吹き飛ばされたルル。
ごろごろと転がり、ようやく仰向けに止まった彼は、銀熊を貫いた光輝がそのまま森の木々を吹き飛ばして空へと登っていった光の筋を見てこう言った。
「光の槍……か……」
『〈光の槍〉ねぇ……とんでもねぇことしやがるなあのチビガキは。 いや、だからこそか……』
ルルのつぶやきにご丁寧にも反応を示したグラトニアスは、なにやら訳のわからないことを言い出したのだった。
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