第3話 “ロゼ”とハサミはなんとやら
アッシュが呆れ果てた顔でぬっと姿を現した。鋭い琥珀色の瞳は冷ややかだが、そこには長年つるんできた友人を見る、諦めにも似た憐憫が混ざっている。
「おいおい、相変わらず派手にやらかしてんな、脳筋お嬢様」
「あ、アッシュぅ!!」
ロゼは、アッシュの元へ駆け寄ろうとする。そのたびに石畳がミシミシと悲鳴を上げ、倉庫の隅に積まれた羊皮紙の塔が崩れ落ちた。アッシュはロゼの泣き言などいつものことだと受け流し、まるで壊れた自動人形を眺めるような手慣れた動作で会話を続ける。
「お前の実力なら、上級魔物以外なら『無傷』なんて朝飯前なのは分かってんだ。今回もかすり傷一つ負ってないんだろ?」
「うん!あんな熊さんの攻撃なんて、私には全然当たらないよぉ」
ロゼは誇らしげに胸をドンと叩いた。
「…だがな、問題はそのイカれたパワーだよ」
アッシュは深いため息をつき、カブトを見た。
「…そういえば、昔聞いた『ノーダメージボーナス』みたいな都市伝説、あれって実在するのか?」
カブトはその言葉にピクリと反応した。彼の脳内の計算盤が、獲物を見つけた猛禽類のように鋭く動き始める。カブトは薄汚れた事務机に肘を突き、指先を組んで口元を隠した。その表情は、先ほどまでの『しがない事務員』のものとは別人の、狡猾な策士の顔だ。
「あぁ、『損害回避功労特別報奨金』のこと? 制度自体は生きてるよ。…でも、それはあくまでお飾りさ。推進院指定の階層ボスを討伐したとき限定の、幻の制度だよ」
「どういうことだ?」
「推進院指定の魔物に限り、戦闘中の『周囲損壊』及び『身体損傷ゼロ』を達成すれば、討伐報酬の十パーセントが上乗せされる制度だよ。でも、階層ボスクラスの相手を前に、周囲の環境を一切破壊せず、かつ自分も無傷で帰ってくるなんて、常人には不可能だろ?」
「なるほど、だから都市伝説になっちまったわけか」
アッシュは冷徹に納得の声を漏らした。
「まぁ、確かにな。というか、細かい制度まで把握してるあたり、お前、腐っても推進院の文官様なんだな」
「うるせぇ。ただの採用試験対策の記憶だ」
冷たく言い放つカブトをよそに、ロゼがキョトンと首を傾げた。
「ねぇ、その制度ぉ?があると、私に何かいいことあるのぉ?」
カブトはロゼに、獲物を絡め取る蜘蛛のような、甘く胡散臭い笑みを向けた。
「…ロゼ、いいか。ここに『自分は常に無傷なのに、周囲を消し炭にして特別報奨金をドブに捨て続けている化け物』がいるってことさ。例えば、ロゼが消し炭にした『アーマードベア』は迷宮二層だろ?三層の『ジャイアントブル』からは推進院指定の討伐対象になるよ」
「 知らなかったぁ!」
ロゼの目が、一瞬で硬貨のように輝きを放った。空腹から解放される希望を見出し、彼女の顔から先ほどの悲壮感が霧散する。
「知っててもお前には逆立ちしたって無理だろ」
アッシュが冷たく水を差す。
「お前が剣を一振りすれば、素材はパァ、壁は崩落、床は陥没。特別報奨金どころか、毎回修繕費で赤字だ。…火力全振り、知力ゼロ。お前のそのバランスの悪さが、『最大の障害』なんだよ」
「う、うぐぐ…。だって、あいつら硬いんだよぉ…?」
ロゼが悔しそうに拳を握りしめる姿を、カブトは冷徹な眼差しで観察していた。この破壊の権化を、どのように活かすか。彼の脳内では、すでに数通りの『勝利の方程式』が完成しつつある。
カブトは楽しそうに、本当に楽しそうに目を細めてアッシュを見た。
「…なぁ、アッシュ。もし、大圧倒的なポテンシャルを持つ『ジャジャ馬』を現場判断で完璧にコントロールできる『凄腕のジョッキー』がいたらどうなると思う?」
「そりゃ競馬でも勝ち確だが…って、お前、まさか」
アッシュの精悍な顔立ちに、狩人のような鋭い光が宿る。彼は瞬時にカブトの言わんとしていることを悟った。
カブトの顔が、ランプの光に照らされて、最高に邪悪な『悪徳文官』の笑みに染まった。地下倉庫の湿った空気の中に、『新プロジェクト』の熱気が立ち込める。
「…アッシュ、お前がジョッキーやってよ。ロゼというポテンシャルしかないジャジャ馬を完璧に乗りこなして、これまで誰も受け取れなかった『お飾りの報奨金』を掠め取るんだ。ロゼが大の苦手な素材回収も、アッシュとなら手際よくこなせるだろ?」
それは、カブトが『不労所得』へと近づくための第一歩だった。
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