第四話 思考停止の三億円
「今回のお礼、いや報酬じゃ、このような無茶な頼み、無料で聞いてもらおうなどとは思うとらん。足りなければ倍にしてもいい。」
地味女の思考は停止した。三億円の小切手である。小切手というものを見ること自体初めてだし、しかもあの三億円事件の三億である。この金額のために日本中の警察が動き昭和の刑事が家族が崩壊するほど悩みそれでも犯人を逮捕できなかったという伝説の三億円事件の三億円である。
地味女子高生が地味女子大生になり地味主婦になったとしても一生無縁の産物だと思っていた。だからこそというべきなのか私はこの大金に対して大きな興味を持っていない。もちろん欲しいものはたくさんあるしお小遣いだって上げてほしいと毎週母にお願いしている。それでも三億円という大金は私の思考の外にあり簡単に受け取ってはいけないという常識の方が勝る。思考の範囲外だからこそ怪しい、信用できないのだ。
「結構です。残念です。」
気づけば私はそう答えていた。残念とはどういう意味だろう。信用仕掛けていた老人が大金をちらつかせたことで不信につながったせいだろうか。
「ま、待ってくれ!!断るというのならせめて理由を教えてくれ!!どんな不満にも対応してみせる!!」
私はフゥと一呼吸置き冷静に感情と論理を整理する。この2つを別々に整理するということが大事。混ざれば混ざるほど伝わらない。
「第一にあなたを完全に信用できません。お会いするのも二度目ですし、突然よく知らない相手から大金を渡されるというのも、不信感を煽ります。その上もし申し出を受ければあなたは自分の目指す美を追求するため私がこうしたいという意見は一切受け付けないですよね。究極の美を実現したいという夢は理解できます。美容外科医という職業柄常に美について考える、そんな状態が何十年も続けば思考がその一点に特化しその終着点に至ったのはごく自然です。
しかし他人の姿を好き放題弄る…その行為自体道義的、社会的に許されることではありません。そしてそれをお金で正当化しようというのも認められません。」
言い終えると老人の顔は真っ青だった。少し気の毒な気もするが流されてはいけない。ここまでは論理の話、私は続けて感情の話をする。
「きついことを言いましたが、私はあなたの考えにはある程度同調しています。あなたの美への熱意は素晴らしいと思うし、どれだけ本気なのかもわかっているつもりです。正直言うとお話を伺っている最中やってみてもいいかなと思ったこともあります。それでもお断りせざるをえない一番の理由は、整形して自分が今よりも目立つのが嫌だからです。
私は学校でも家でも地味な女で通っています。地味であることは目立たない、目立たないということは敵対者を作らない。私の求めるのは平穏です。だからそもそも美しさなんて欲しいと思っていないんです。」
老人は土下座していた床から高そうな真っ白いチェアに座り直し、残っていたコーヒーを一気に飲み干した。
「君は…とても頭のいい女性なんだね。」




