第三十六話 前夜祭
ある日、先生が私を食事に誘ってくれた。
私が人生で入ったお店の中で間違いなく一番の高級店であろう。迎えに来たハイヤーに精一杯のオシャレをして乗り込んだ私は、まるでお城のようなホテルの、最上階にあるレストランへ案内された。
私が到着すると先生はすでに着席しシャンパンを傾けていた。
「先に頂いているよ。」
普段の白衣とは違うスマートなジャケットに身を包んだ先生を見て、以前ゆでダコのように真っ赤になって土下座をしていた事を思い出す。こちらのほうが本来の先生の姿なのだろう。仕草の一つ一つが様になっている。
「お待たせしてしまって…」
私が言い終わるより早く手で発言を制した先生は別の手で店員を呼び何事か申し付けている。すぐに料理が運ばれてくる。
大きなお皿に小さいが細やかで丁寧な前菜。フレンチというやつなのだろう、人生二度目だ。究極の美女を目指すためにテーブルマナーの指導は受けている。戸惑いつつもナイフとフォークを動かす。
「今日のところはかしこまる必要はないよ。今までの労いとお礼も兼ねてだからね。」
先生は微笑むとまたもシャンパンを傾けた。
「お酒なんて飲んでお身体大丈夫なんですか?」
「固いことを言わないでくれ。今日はお祝いなんだ。」
「お祝い…私はまだお返事していないはずですよ。」
「君は断らない…違うかい?」
確かにそのつもりではあった。
「どうしてそう思われるんですか?」
「君は頭がいいからね。あの二人を見て何かを感じてくれることはわかっていた。」
「その何かが手術の決意をさせると?」
「そこまでは言わないが今の君の顔を見ればね。」
なるほど。私はそんな顔をしていたのか。
「実際二人とあって何を感じた?」
「そうですね…まず、驚きました。お二人の人生、そして先生がそこに関わっていること。」
「あの二人のような事例は決して珍しいものではない。特にかなえさんのような女性は年々増え続け後を絶たない。整形を望む人の絶対数が増え続けているからね。今や男性の患者さんも少なくない。」
「かなえさんのことですが…先生でもあそこまでの状態になれば回復は不可能ですか?」
「悲しいが今の医学の限界と言えよう。だが私は彼女のおかげで君の手術ができるようになった。彼女の状態を診ることによって新たな術式を考えることができた。その分のお礼はしているつもりだ。」
かなえさんの存在はやはり私には衝撃だった。間違った整形を繰り返すことに寄って逆に美は遠のく。遠のくどころかあれはもはや病だ。誰より美を欲していたはずなのに…。今の姿で生きていることが彼女にとってどれだけの苦痛なのか想像もつかない…。
沢木さんだって決していいことばかりではなかったはずだ。美の力が強いとどうしても周りに影響を与える。その影響はいいものばかりではない。沢木さんにお会いした後、彼女のことをネットで調べた。彼女は元夫から暴力を受け、にもかかわらず子供の親権を奪われている。それは美の力とは関係ないのかもしれない。
けれどもし彼女が先生と出会っていなかったら芸能界は諦めたとしても幸せな結婚生活を送っていたような気もする、私の考えすぎだろうか?徐々に頭を美の力に支配されているような気がする。
「最後の手術はやはり難しいものなんですか?」
「そうだね…。作業工程が非常に多い。私の身体がもつかどうかだが…大丈夫。もたせてみせる。何も心配することはない。シミュレーションは数えきれないほどしているし一つ一つの工程はそれほど難しくはない。」
「手術が終わったら私はどうなってしまうんでしょうか?」
「予測はできる。だが所詮は予測だよ。未だ存在しない究極の美女が世界にどう受け止めらられるか誰にもわからない。」
窓の外を眺める。都心の町並みは眩しいくらいの光で埋め尽くされている。この高さだからこそわかる光。もうすぐ私は下を歩く人達とは別の視点に立つことにになる。
「先生の予測を教えて下さい。」
「……。」
先生が逡巡しているとメインディッシュが運ばれてきた。メニュー表には聞き慣れない料理名が書かれていたが、私の世界の言葉で言うならローストビーフらしい。
「いや、やはりやめておこう。私に想像できるものではないよ。」
「そんな事はありません。今までの先生の予測は全て当たっていました。」
「それは当然だよ。今までは私も見たことのある段階だからね。今の君と同じレベルの女性も何人かはいた。ハリウッド女優になった者もいるし、著名人と結婚したものもいる。」
「…先生は美と幸せは比例すると思いますか?」
「いいや、幸せは人それぞれ違う。直接的に関係はないよ。だが…幸せになれる確率は上がるだろう。」
二杯目のシャンパンが注がれる。私は未成年なのでアップルタイザーというなんだかおしゃれな飲み物で喉を潤す。
「私は元々普通の外科医を目指していたんだ。傷ついた人々の傷を癒やすことを何よりの目的とし痛みをなくし治療できるのであれば傷跡が残るとか美しくないだとかは全く気にしていなかった。」
「事故にあったというあの女性がいたから…。」
「うむ…。だが彼女だけではない。あの直後私はある患者の手術をした。若い女の子だったよ。完璧な手術だった。後遺症もなく完全に治療した。ただお腹に開腹時の傷が残ってね…。水着が着れないだとか彼氏に見せられないだとか騒いでいたが命に比べたらどうでもいいことだと思っていた。だが私は間違っていた。
彼女は自殺したよ。病棟から飛び降りてね。
その時気づいたんだ。女性にとって美とは命よりも大事なのだと。沢木さんは初対面でなんの信用もなかった私に美しくなれるならそれでいいと身体を預けてくれた。かなえさんはこんな姿で生きるくらいなら殺してくれと何度も私に言った。
女性を助けるには美を知らなくてはならない、そう思った私は美容外科の道を進んだのだ。
そしてその完成形が君だ。これからの君がどんな道を歩むか。それは誰にもわからない。けれどそれは誰もが同じだよ。皆が将来に不安を持ち同時に希望を持つ。困難があれば立ち向かえばいい。戦えばいい。究極の美女には戦い続ける力があると私は信じている。」




