第二話 マルボウ老人
翌日私は驚愕した。校門前にまたもあの老人がいたのだ。明らかに誰かを探している。
それが私である可能性は大いにある。私は踵を返し裏門を目指す。
「あ、さなー、一緒に帰ろうよ」
地味友の和子が声をかけてくる。視線を感じる。老人は私の名前を知らないはずだが声をした方を見てしまうのは人の性だ。おそらく老人はこちらを向いている…。老人と違い禿げ上がっていない後頭部に視線を感じる。
「君を…探していたんだ。」
怖すぎる。恐怖の向こう側である。見知らぬ老人が校門前で待ち伏せしている。危険を避け続けてきた私は結果的に耐性が低くメンタルが弱い。
「だれ?さなの知り合い?」
こういう時に運が無いのは私の徳が足りないのかもしれない…。だが私も対応策を考えなかったわけではない。どんな時も最悪の事態を想定して思考すれば平穏に近づくとは父の言葉だ。なぜそれを結婚前に考えられなかったかはまさに愛ゆえにというやつかもしれない。
「あの…申し訳ないですが私ではお力になれないと思います。どうかお引取りくださ…」
「君にしか頼めないことなんだ!!」
今日も熱い…どうやら熱いお年寄りらしい。こうなった以上何を言われても丁寧に伝えお帰りいただく他ない。それが春宮式クレーム対応マニュアルだ。
「とにかく…話を聞いてほしい。」
聞きたくない…見知らぬお年寄りの頼み事…それはささやかなものなのかもしれない。微笑ましいものなのかもしれない…。でも…嫌な予感がする。思い過ごしかもしれないけれど最悪の事態を考えれば何が起きてもおかしくない。
「あれこの人って…マルボウさんだよね?」
突然の地味友和子からの横槍、丸田坊市…マルボウ?聞くところによるとご老人はCMにも出ている有名美容外科医らしい。
「すごい!!さなちゃんマルボウさんと知り合いなの?」
知り合いとは名前をお互い知り合っているという意味だ。彼は私の名前を知らないはずなので知り合いではない。
「私が一方的にお願いしている立場なんです。どうか話だけでも聞いてもらえませんか?」
「………。」
そこまで丁寧にお願いされてしまうと断ることもできない。それも私の一つの個性なのだと思う。決して有名人と聞いて浮わついているわけではない。私に何かしたらすぐに週刊誌に追われマスコミに叩かれる存在と知って安心したのだ。丸田氏はタクシーを止めると私に乗るよう促した。なんならお友達と一緒でも構わないとの申し出だったが、お断りし一人でタクシーに乗ることにした。もちろん不安はあったが見知らぬ老人から著名な老人に認識が改まったことで警戒心が薄れたのは確かだ。
タクシーは真っ直ぐ郊外に向かい、あっという間に喫茶店やファーストフード店の並ぶ若者達の楽園を通り過ぎ畑とビニールハウスの並ぶお年寄りの楽園に出た。
我らが花街市は駅前はそれなりだが少し外れればよく言えば自然、悪く言えば田舎というありふれた中堅都市だ。そういえば社会の授業で人口が100万人以上の大きい都市を政令指定都市、そこまでじゃない人口20万人以上の都市を中核市というと教わった。私はへぇ~と思ったが私以外にこの件に興味を示した人はいないようだった。地味な女が地味な知識に地味に興味を持ったことは私だけの秘密だ。
お年寄りの楽園の中に不自然に聳え立つ白い建物。そこだけが異空間だった。見るからに有名建築家が建てたであろう流線型のデザイン、おしゃれクリニックである。白で統一されつつも光の差し込みや柱の感覚で影を生かした自然の色彩を取り込んでいる。
私のような地味女子高生でもわかるイケイケ建築だ。丸田氏は車を止めると私を診察室へと促した。もちろんイケイケ診察室である。期待を裏切らない真っ白な壁と絶妙なカーブがかかった机にPCと本が並んでいる。何もかもが白い。少しの汚れでも目立ちそうなものだがそれすら見当たらないのはおしゃれ清掃員が毎日おしゃれ清掃用具で掃除しているからなのだろう。
車を駐車し終えたのか丸田氏が入ってきた。手にはカップに入ったコーヒーを持っている。ここは白の牛乳やろ!!と関西人なら突っ込んでいるところだが私の地味はたとえ関西生まれだったとしても変わることはないだろう。
「待たせてすまなかったね。」
老人の口調は先ほどとは違い落ち着いている。カップに添えられたミルクと砂糖まで真っ白で主張しない。
「白がお好きなんですか?」
思わず聞いてしまった。咄嗟に出た言葉だったが丸田氏はなにか思うところがあったようだ。
「色彩というのは美しいが奥が深すぎる。究極の美とはシンプルなものなのだよ。」
世間話をしたつもりだったがなにやら深そうな答えが返ってきた。やはり美容外科をしているだけあって美にはこだわりがあるらしい。
「この建物を見てどう思ったかね?」
「お、お金かかってそうだなと。」
我ながらダサい返答をしてしまったものだ。地味なのは仕方ないが卑しいとは思われたくない。しかし老人が気分を害した様子はなく自分のコーヒーをズズズとすすると口を開いた。
「君くらいの歳の子から見ればそうかも知れないね。美容外科というのは儲かるんだよ。」
「そうなんですか?」
「例えばホクロを取る治療がある。小さいものなら1つ3分で取れる、1つ取るのに1万円、そういう人が一日100人は来るからね。」
「さ、3分で1万円!?」
地味女にあるまじき大声が出た。3分で1万円なら1時間で時給20万円、1日100人なら日給100万円、恐ろしい世界があるものだ。私が工場でツナマヨを搾り続けた日々はなんだったのだろう。地味なりに美味しくなぁれと願いを込めたが給料には反映されていなかった。確か時給は千円、まさかの200分の一、なぜだろう突然目の前のジジィが憎くなってきた。
「もちろんホクロだけじゃない。シミを取ったり脂肪を取ったりもあれば鼻を高くしたり目を二重にといったこともする。女性は美に貪欲だ。いくらお金がかかろうと行動する。」
「あの…本題に入ってください。私に一体どんな御用なんですか?」
老人の話に興味が湧かないわけではなかったがあまり深入りするのも危険だ。私は頭を警戒モードに切り替える。
「すまないすまない、わかりづらかったね。けれどもう本題には入っているんだよ。」
老人が笑う。その笑顔が思っていたよりも優しくて引き込まれる。
「女性は美に貪欲だ。しかし私はそれ以上に貪欲なのだよ。」
老人の目が怪しく輝いたのを私は見逃さなかった。




