為朝殿に教えられましたぞ
「地図、でござるか!?」
長身の、若き源氏の御曹司に声をかけられ、館の主である正通は首を傾げた。
「そうです。いずれまた、清盛の配下の者達が攻めて来るのでしょう? であれば、今のうちにこの周辺の地形を知っておきたいのです」
昨晩おまさ殿に色々と聞いた、と御曹司・八郎為朝殿は言う。
「なるほど」
正通は手を打って、藤太、藤太、と呼び、
「地図を持て来よ」
と命じた。
自室へと為朝殿をいざない、地図を手に入ってきた牛打ちの藤太と三人で、地図を囲む。
「粗い地図ですな」
為朝殿は、ひと目見るなりそう呟く。
子供の落書きに等しいレベルである。情報量が少ない。
「はあ……。しかし、これしかござらぬ」
「まあそうでしょうね。ですが何事も、分析をするには詳細な情報がある方が有利なのです」
それはそうだ。為朝殿の申す通りであろう。
「前回の敵は、どこの勢力ですか? どこを通って進軍してきましたか?」
為朝殿に促されるまま、正通は地図上を指差しつつ説明する。
「うーむ……」
地図上を眺めていた為朝殿は、考え込んだ。
「正通殿の軍は、どこに布陣を?」
根堀り葉掘り問われた。両軍の数、行軍速度……。
(御曹司は、まことに齢一二か?)
舌を巻いた。まだ実戦経験など無い筈の若い男が、なぜ、ここまで次々と鋭い問いを重ねる!?
(まるで百戦錬磨の、いくさの達人ではないか)
血か。血筋が原因なのか。これぞ“武家の血”の為せる業なのか。
正通は思わず、彼にそう問うた。
「いや、違います。兵法を学んだだけです」
「は?」
「何事もそうでしょうけど、学べばある程度の事は解ります」
為朝殿は手を打って郎党を呼び寄せると、オレの文箱を持って来い、と命じた。程なく大き目の文書箱が届けられ、為朝殿はそれを開ける。
丁寧に油紙に包まれた塊を解くと、中から二〇冊ばかしの書物があらわれた。
「それは……」
「“孫子”と“六韜”。古い、大陸の兵法書です」
「何と……!!」
正通も、書名くらいは聞いた事がある。
彼の許可を得て、それらをパラパラとめくってみた。
「漢籍ではござらぬか……。為朝殿は、漢籍が読めるので?」
「いやいや読めません。字面を眺めれば多少、察しが付く程度ですな。幸い良い師を得たので、何ヶ月か講義を受けました」
「その、師と申される御方は?」
「たまたま知り合った坊さんです。四書五経の大雑把な講義を受けた後、『それがしは門外漢でござるが』と言いながらも孫子の講義を施してくれました。あいにく急に、京を離れねばならなくなり、講義は中途半端ですが」
「それはそれは……」
「何事も、学べば少なからず得るものがあります。勘所を識るだけでも、何かと有利に働きます。無知で人生経験の浅いそれがしが、郎党を引き連れ彼らの人生を担うともなれば、出来る事は何でもやります」
「……!!」
正通は、為朝殿の言葉に強い衝撃を受けた。
傍らで、藤太も何やら感銘を受けているようである。
そうか、と悟った。儂にはその覚悟が足りていない、と。……
正通の家は、元々下級公家である。武家ではない。
ゆえに、武を敬遠していた。幸い当地はこれまで大した争乱もなく、平穏無事に時が流れていた。在地の取りまとめ役として、国司に代わって無難に行政をこなしてきた。
だが時代が変わった。
国司はほとんど地方に赴任せず、地方は総じて放置状態。気候の変化や時折起こる災害が、地方の治安をさらに悪化させた。
正通らの肩に、ますます責任がのし掛かる。
そういった地方の状況には、武家の方が上手く対処出来る。正通は行政の実務にこそ明るいが、揉め事への対処は全て、郎党達にまかせっ放しである。儂の役目ではない、と。
(覚悟……か)
先の、安芸平氏勢との戦いが悔やまれる。
あの戦いで嫡男を失い、多くの郎党を失った。
(儂はあの時、覚悟が足りていたか? 一族郎党を守るため、打てる手を打ち尽くしたか?)
いや、単に、時代の変化を嘆いていたに過ぎない。平清盛の威光を笠に着て調子づく近隣勢力に、ただただ屈した。それが、長男や郎党の命を失わせしめた。
そして今また、名高き源氏の御曹司をどうにか娘婿にし、御曹司の手腕に頼ることだけを考えていた。
(そうか……)
出来る事は何でもやる。覚悟ある者だからこそ、さらりとそう言えるのだ。
儂に出来る事とは?
(知らぬ事は、学べばよい。苦手な事もまた、学べばよい。おのれに出来ぬ事は、出来る奴を探すなり鍛えるなりすればよい)
そうだ。まだまだ打てる手は幾らでもある。……
そう気付くと、自然に笑みがこぼれた。
御曹司も藤太も、儂の表情を見て怪訝な顔をしている。
「あるじよ。どうなされた?」
藤太が尋ねる。
「いや……。わはははは、為朝殿に教えられましたぞ。なるほど、出来る事は何でもやる、でござるか」
「はあ」
「為朝殿。兵法を教えて下され。儂は武芸こそダメだが、漢籍を読める。学べば、策の立案や指揮はとれる筈。将たる人材は、息子や郎党達を育てて任せれば良い!」
「まあ、そうですな」
「業を興し商いを盛んにする。兵を育てる。儂に出来る事、やるべき事は幾らでもある」
「その通りです」
「為朝殿、知恵をお貸し願いたい。この地を安芸以上に富ませ、強くし、孫児のために守り抜く。……なるほど、儂にはその覚悟が足りておらなんだ。打てる手を打ち尽くし、それでもどうにもならぬ時、初めて嘆くべきでござった」
わははは、と笑い出す。展望が見えたのだ。
「まずは何をやるべきか……。そうだ! 藤太よ、郎党達を集めろ。手分けして安芸方面を調査し、もっと詳しい地図を作れ」
「はっ、承知っ」
「正通殿。前回の戦場には、それがしも参ります」
「お頼み申す。儂も同行しましょう」
そうだ。かつての戦場は、今後も戦場となる可能性がある。改めて確認すべきではないか。
儂はそれすら怠っていた。今、手を打たねば、また敗けるではないか。今度こそ、一族郎党揃って命を落としかねない。
(今、打てる手がある。打つべき手がある)
今更ながら、そう気付かされた。
(これから忙しくなるぞ……)
ふと気付けば、立ち上がっていた。
自然と笑みがこぼれた。為朝殿は、そんな儂の顔を、怪訝な顔で眺めている。




