これぞ、好機……
当館の娘・まさは今、恋をしている。
とはいえまだ、会話さえ、大して交わしていないのだが。……
(この殿方は……まことに)
為朝の盃に酒を満たしつつ、静かにその横顔を見つめていた。
父・正通から常日頃、当家の苦境を聞いている。つい先程は多くの若党を失った。今まさに、父と為朝様は目の前で、その話をしているのである。
以前から、父上より聞き及んでいた。曰く、
「近々、河内源氏の御曹司がここ尾道を通過されるだろう」
と。
「おまさ。お前はその、源氏の御曹司と結ばれよ。八郎為朝殿という殿御である。まだ元服したばかりだと聞くが、その知略、武勇共、当世一流だという。お前より歳下だが、身の丈は六尺もあるそうだ」
先祖代々守り継いできた、この地と館と郎党達を子孫に引き継ぐためには、それが最良の道である、と。
おまさに異存はない。知略、武勇共に当世一流であれば、むしろおまさの方から伏して頼もうというものである。
(荒々しい殿方でしたら、少々苦手ですけれども)
橘家はいわゆるにわか武家であり、おまさも粗野な男には苦手意識がある。当世一流の殿方とは、はたしてどのような御仁なのか。穏やかな殿方が好ましいところではあるが、どうだろう。
「まあそれも、御曹司がお前を気に入れば、の話ではあるがな。誠に残念ではあるが、お前の方が歳上だ」
そこだ、問題は。……
おまさは父母の血を受け継ぎ美麗に育ち、身体の方も健康であったが、どういうわけか初潮が遅かった。いざ婚期を迎えると、たまたま周囲に家格、年齢の釣り合う者が居なかった。
気が付けば行き遅れである。
「まあ、お前は儂の娘ながら、見目麗しう育った。まだ御曹司に見初められる芽は、ある。諦めず、上手く迫れ」
――この好機を逃すでない。
父に、励まされると共に厳命された。当家の苦境を救うてくれる御仁が居るとすれば、河内源氏の御曹司に他ならぬ、と。
父は、
「若い男の中には、歳上の見目麗しきおなごに迫られるのを好む者も、確かに存在する」
と言う。
或いは為朝様程の殿方であれば、未熟な若いおなごよりも、むしろそれなりに成熟したおなごを好む可能性もあるという。
(真でございましょうか)
疑いを抱きつつも、しばらく密かに乳母の薫陶を受け、若い男を魅了するナイショのワザを授かった。
(行き遅れの妾にとっても、良縁を掴む好機に違いありませぬ)
そう思いつつ、初めてその八郎為朝様にお目にかかったのが、昨日の事である。
実に不思議な一行が、当館に到着した。武家にもかかわらず為朝様の郎党の大半は鎧兜を着用しておらず、荷駄車という奇妙な乗り物を馬に曳かせつつ、館を訪れたのである。
おまさは父の傍らで、一行を出迎えた。
御大将とおぼしき、ひときわ大きな馬に乗られた並外れて大柄なお若い殿方が、件の御曹司だろう。
「なんと……」
言葉を失った。
長旅ゆえ赤く日焼けしているが、武家の殿方とは思えない程整った、優しげなお顔。そのお顔に釣り合わぬ、筋骨隆々たるお身体。
(これが、当世一流の殿方……)
ひと目で、恋に落ちた。
道中、汚れたのであろう。おまさの前を為朝様が通過した際、微かにではあるが汗臭いにおいが漂った。だがおまさにとっては、それさえも好ましく感じた。いやむしろ、どこかおなごの本能を疼かせるものがあった。
一行が入浴を済ませ、宴が始まった。おまさは為朝様の傍らにいて瓶子を持ち、盃に何度も酒を注いだ。注ぎつつ、為朝様を密かに眺める。
為朝様から汗臭さは消えていたが、それでも何やら、男の色気が漂う。おまさはその色気に当てられ、クラクラとした。頬が紅潮したまま、戻らない。
(武家の殿方と言えば大概、粗野だと思うておりましたが……)
為朝様にはその様子が無い。そのご表情は武家というより公家のように整っており、父との会話の受け答えも、元服したばかりとは思えぬ知性を匂わせる殿方。
完全に、惚れた。
(抱いて欲しい)
改めておなごの本能が疼いた。
その翌朝、つまり今朝。――
館の縁側から、遠目に為朝様のお姿を眺めた。
「ちょっと近いか……」
為朝様は三丈(一〇m)ほど、立ち位置を後方に下げ、目にも止まらぬ早さで大きな弓を射た。
「……!」
おまさの居る縁側まで心地よい風切音が響き、三本の矢が、的のど真ん中に刺さっていた。おまさは、その神業の如き腕前に驚愕した。
――知略、武勇共に当世一流。
と為朝様の噂を伝えたのは、郎党の牛打ち藤太殿である。
(多少の誇張はあるだろう)
おまさはそう思っていたが、おのれの思い込みが誤りであると悟った。……そして、現在に至る。
父は、聡い。武術は最低限でしかないが、学問は相当に積んでいる。その父と、為朝様はごくごく対等に会話されているのである。
受け答えは簡潔ながら、要点をおさえており、飲み込みも早い。むしろ父の方が、為朝様に感心なさっている。時折それを褒める父の顔に、お世辞を述べている色は無い。
「なるほど……。色々、理解しました。少し考えをまとめたい」
そう申される為朝様に、
「では、儂はそろそろ休みます。為朝殿はごゆるりと」
父は、あっさり退席する。
それに合せたかのように、当館の郎党達も、
「我らもそろそろ……」
と立ち上がる。
「河内源氏の皆様は、お気になさらずごゆるりと」
わたくしはそう言って為朝様に瓶子を差し出すと、
「いやいや、我らもそろそろ……」
何やら空気を読んだかのように、河内源氏の御方々もバタバタと退席。
「あれ?」
小さく呟く、為朝様。まだ、日が落ちたばかりの頃合いである。酒豪揃いの猛者達が就寝するには、少々早い。
「まあ、いい。オレはちょっと、考え事をしたい」
瓶子を数本残しておいてくれ、と為朝様は申され、海のよく見える縁側へと移動した。
「ありがとう。おまさ殿は、もう下がってくれ。……というか、まだメシも食っていないだろう?」
こちらに気を使ってくれた。おまさは、そのお心遣いにも心打たれた。
(これぞ、好機……)
一瞬で意を決する。
「いえいえ。折角でございますゆえ、とことん為朝様にお付き合い致します」
立ち上がると為朝様の傍らに膝を下ろした。




