第七二話:「厄介な事してくれたモンだぜ」
『偉大魔導師』の戦死から更に遡ること数時間。
日が傾き始めた夕暮れの道を、二〇人ほどの集団が進んでいた。
同じ状況を『偉大魔導師』が歩いていれば絵になったろうに、その集団は誰をとっても芸術とは程遠い格好をしている。
それぞれが思い思いの武器を手にし、装備に統一性など無い。
ただ全員が携える好戦的な目つきと剣呑な空気が、彼らを同じ集団として認識させていた。
彼らの名は『葬討武隊』。
世界で唯一、中央都市によって略奪を公に認められた、盗賊上がりの傭兵集団である。
そしてその先頭を行く、周囲より頭一つ大きい長身に反して全体的に痩せこけた印象の男。
手、どころか目に見える範囲に武器の類は持っておらず、代わりに腰に巻いた二本のベルトに幾つもの薬品や注射器、錠剤の入ったケースをぶら下げている。
けれど、その猛獣さながらのギラついた瞳ととびきり凶悪な笑みが、彼らの誰より危険である事を証明していた。
彼こそが傭兵集団葬討武隊隊長にして、世界に数えるほどしかいないSランク冒険者の一人。
その名を『虚毒士』と言った。
「日も落ちて来たしそろそろ休みましょうぜ、頭領。今日一日ずっと歩きっぱなしじゃないすか」
『虚毒士』のすぐ後ろを歩く男がそう声をかける。
「うるせぇな。休みたきゃテメェ一人で休んでそこらで野垂れ死んでろ」
「ちょ、そりゃ無いっすよ頭領!」
「だったら四の五の言わずに黙って歩け」
「うーっす……」
勿論本気で言っている訳ではないのは分かっているが、それでも長年の付き合いである彼らを凄ませる程の迫力が彼にはあった。
と、今度はその隣を行く男が口を開いた。
「でもホントにいるんすかね、『一二魔天将』ってのは」
「あん?」
「別に実在そのものを疑ってる訳じゃないし、攻めて来たってのは情報として知ってるっすけど、だったらそうホイホイと俺らの前に出て来ますかね? 仮にも当分侵攻はしないって約束してる訳ですし、少なくとも魔族領の奥の方ぐらいまで行かないと出会えないって可能性も、普通にあり得るんじゃないですか」
「…………」
「……頭領? どうかしたんすか?」
急に黙り込んだ『虚毒士』を不審に思い、彼は不用意に顔を覗き込む。
その顔に、容赦無く拳がめり込んだ。
「痛ってぇ! いきなり何すんですか頭領!」
「話が長えよ、もっと短く纏めろ。何言ってるか分かんねぇだろうが」
「えぇー……。要するにこんなトコに奴らがいるのかって話なんですけど……」
「いるに決まってんだろうが。俺の勘がそう告げてんだよ」
「勘っすか……」
「何だよ、何か文句あんのか?」
「いや、頭領の勘って当たる時は当たりますけど外れる時はとことん外れますからね。あんま信用出来ないっつーか……」
無言で二発目が跳んできた。
「うおっ、危ねっ!!」
今度はギリギリ反応するも、その拳の先が僅かに頬を掠める。
「いいから黙って付いて来い。もうすぐ会えるって予感がしてんだよ」
「同じ台詞昼にも聞きましたけどね。てか何なら昨日も言ってましたよねそれ」
直後、長身に比した長い脚のつま先が彼の鳩尾に綺麗に突き刺さった。
「ぐぉぉ……! 頭領……、マジで洒落んなんないっす……」
「うるせぇ。おい、誰かソイツ担いどけ」
「了解っと。お前もいい加減余計な事言うの止めとけって」
「……ほっとけ」
そんなやりとりに一段落がついた所で、会話がピタリと止んだ。
何故なら、彼らは気付いたからだ。
自分たちは、見られている。
否、より正確を期して言うならば。
「———狙われてますね」
「あぁ、随分と分かりやすい殺気だぜ。まるで野生の獣みたいじゃねぇか」
辺りの空気が一気に張り詰めていく。
「出て来いよ。コソコソしてねぇで、正々堂々殺り合おうぜ」
男は挑発するような物言いで視線の主にそう告げる。
それに乗ったのかは定かではないがガサガサと茂みが揺れ、それは現れた。
「……えーっと。一応確認しときますけど、熊って一二魔天将のメンバーにいましたっけ?」
「俺の記憶じゃそんな報告は上がってねぇな」
「てかあれっすよね。みたいっつーか野生の獣そのものっすよね」
大きさこそ人族としては高めの男より更に頭一つ抜ける程度であるが、体重は恐らく倍はあるだろう。
人と比べて、なんて言葉は気休めにもならない。
加えて、至る所に真新しい傷が付いている。
彼らのような職業を生業としている者であればよく知られている事実。
「空腹と手負いの獣には近付いてはいけない」。
「どこの馬鹿か知らねぇが、厄介な事してくれたモンだぜ」
言葉とは裏腹に、男の声は喜びに満ちていた。
彼は徐にベルトに手を伸ばすと、錠剤の入ったケースを手に取る。
が、中身を口に含んだ所で異変は起きた。
熊はフラリと身体が揺れたかと思うと、そのままうつ伏せにバタリと倒れる。
そしてその後ろに、一人の男が立っていた。
やさぐれた瞳と、頬の大きな傷が特徴的な青年。
彼は周囲に大勢の男達の姿を認めると、不機嫌そうな声を出す。
「誰だ、お前ら?」
「んーまぁ、誰ってほどの者でもねぇが……。つか、それはお前がやったのか?」
言いながら、男は倒れた熊を顎で示した。
「だったら何だよ。文句でもあんのか?」
「いやいやまさか。言う事があるとすれば、それはお前じゃなくてコイツらに対してだな」
背後に控える男達を親指で指す。
そしてその親指を下に向けて一言、こう言った。
「奪え」
同時、青年の背後左右から二人の男が長剣を構えて斬り掛かる。
タイミングは完璧だった。
突発的な事態に多少混乱したものの、そこは歴戦の猛者達。
ギリギリまで殺気を隠し、青年が気付いた時には既に反応できる瞬間ではなかった。
だから彼らは遠慮なく、手の中の長剣を横一閃に振り抜く。
首と胴体。どちらを切断しようが即死ないしは致命傷に変わりない。
けれど、その途中で彼らは目にした。否、見失った。
ほんの刹那の刹那、目を離すどころか瞬きすら間に合わないその一瞬に。
彼ら二人の眼前から、忽然と青年の姿が消え去る。
そして一瞬後。彼らが疑問符を浮かべる暇すらなく。
硬い地面に、小さなクレーターが二つ出来る。
青年が二人の頭を鷲掴みにし、叩き付けたからだ。
グシャリと、嫌な音が響く。
更にもう一瞬の間を置いて、ゴッと。
『虚毒士』の脚が青年に炸裂した。
「……いきなり何しやがる」
青年が、平然と言葉を発する。
見れば青年は、片手で軽々と男の蹴りを受け止めていた。
「……今、何回蹴った?」
まるで関係のない質問で返され、訝しみながらも青年は数字を口にする。
「五回だろ」
「六回だ」
一瞬遅れてゴドンと鈍い音が響き、青年の身体がくの字に折れた。
そのままガクリと膝をつき、口から一筋の血が流れる。
俯くその表情には影が落ち、男の側からは窺えない。
「そうか。———なら、同じだな」
「……?」
青年の言葉に男が眉を顰めたその瞬間。
その身体を六度、衝撃が襲った。
「ガ……、ッ……!!」
青年が吐いた分より明らかに多量の血が男の口元から溢れる。
「やられた分より多く返してやろうと思ったんだが……。何だ、案外やんじゃねぇか」
「……上等だ、完膚なきまでにぶち殺してやるよ」
言うと、男は一際大きく声を張り上げる。
「お前ら全員離れてろ。巻き添え喰らいたくなきゃあな」
「……っ、でも頭領———!」
「うるせぇ。ガタガタ抜かすな鬱陶しい」
言いかけられた言葉を遮るが、それは既に男には届いていなかった。
男は実に楽しそうな声音で言う。
「久々に楽しめそうなんだ。邪魔すんじゃねぇよ」
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一帯から人の気配が消えたのを感じ取ると、男は口を開く。
「一応、名を聞いといてやるよ」
「答える義理はねぇな」
「そうかよ。つまんねぇ奴だ」
吐き棄てるように言うと、男は先程とは別のケースを取り出す。
「……何だそりゃ? 持病でも抱えてんのか?」
「似たようなモンだ」
答えながら男はケースの蓋を開け、それを引っくり返すとおよそ一〇粒程の錠剤を全て口に流し込んだ。
水も無しにそれを飲み下すと、空になったケースは放り捨てる。
「さて……、後悔しても知らねぇぞ」
バギンと、男がそれまでいた場所の地面が割れ、その姿が青年の視界から消える。
しかしその時には、青年はもうそこを見てはいなかった。
目だけを左右に動かし、あっさりと自分に迫る男を補足する。
確かに先刻より速度は格段に上がったが、反応出来ないレベルではない。
男が放つであろう蹴りの軌道上に手をやり、同じように受け止める構えを見せる。
と、蹴りを放っている脚が複数にブレているのが分かった。
恐らく先程のような連撃を放とうとしているのだろうが、全て捌き切れば良いだけの事だ。
青年がそこまで考えた所で、男の蹴りが青年に到達する。
何の気無しに青年はそれに触れ———、
その手が、爆ぜた。
「ッ……、ぁぁぁぁあぁぁああああああぁぁあぁああぁぁぁぁあぁぁぁあああぁぁぁあぁぁぁああぁああああぁぁあああぁぁ———!!!!」
絶叫し、青年は反射的にその場から跳び退った。
しかし爆発は止まる事なく連鎖し、手のひらから肩の付け根までを駆け巡る。
否、そうではない。
魔法も火器も使っていないのに肉体が爆発するはずがない。
ならばどういう事か。
暴れ回る痛みから意識を遠ざけつつ腕を見やる。
その腕は、どす黒い血で染まっていた。
皮は突き破られ、肉は喰い千切られ、骨は砕け散り、その奥の神経まで引き裂かれている。
種を明かしてみれば何の事はない。
瞬間的にして圧倒的な激痛が許容量を超え、副次的な要素として熱を感じさせた。
結果としてそれが『腕が爆発した』と錯覚してしまったという、ただそれだけの事である。
———ただそれだけの事?
(……ふざけんな。そこに至るまでに、どんだけの過程を積み重ねると思ってやがる)
直撃を受けた腕は下手に触れるどころか指一本曲げるだけでも激痛が走り、動かす事すら侭ならない。
どころか、神経が断絶しているため動かせるかすら怪しい程である。
「ハッ、どうしたよ! 随分と辛そうにしてんじゃねぇか!」
「……何なんだよテメェ……、その脚力……。いや、その薬か……?」
「大正解。まぁつっても、物自体はちょっと潜れば手に入るモンだがな。それを俺用に調整したのがコイツらって訳だよ」
「とんだドーピング狂もいたモンだぜ……、クソッタレが……」
額に玉のような汗を浮かべ悪態をつく青年。
「で、どうする? まだやんのか?」
「当然だろ……。この程度、丁度良いハンデだ。……腕の一本ぐらい、くれてやるよ」
「そう来なくちゃな」
そう言って、男は楽しそうに嗤う。
瞬間、男の姿が再び消え地面が砕けた。
(姿は捉えられる、反応も出来た。なら後は行動を誤るな。本気で防御すりゃ多少はダメージを抑えられるだろうが……。結局はジリ貧になるのがオチだ)
躱す、という選択肢は無い。
あれほどの速度なら非常にシビアなタイミングが要求される。
遅ければ言うまでもなく直撃し、早ければそこから軌道を修正されるだけ。
無論そのタイミングが計れるという自信が無い訳ではないが———。
(……んな事すりゃあ逃げたも同然だ。テメェは、正面から叩き潰す!)
攻撃は正面から、違わず顔面を狙って来た。
その脚に、動く方の腕を重ねて添える。
そして、蹴りが自分に当たる寸前で腕を振り上げ———、
「っ、おぉ……っ!」
———軌道を逸らす。
(奴が飲んだ薬は恐らく下半身を強化する類の物。さっきから蹴りでしか攻撃してこないのが良い証拠だ。なら重心は下半身に集中し、対照的に上半身は疎かになる。それを崩してやれば……!)
男の体勢が突風に煽られでもしたかのように大きく揺らぐ。
その隙をつき、がら空きの上半身———その喉元を抉りにかかる。
「チッ!」
ギリギリで反応した男は首を反らし、青年の手刀は喉仏を僅かに裂くに止まった。
(クソッ、外したか!)
外れたなら、次は反撃が来る。
だが。
(その不安定な姿勢なら、いくら強化されてるっつっても大した威力は出ねぇはずだ。それなら通常状態の俺でも———)
ガツッと、互いの脚が交差しぶつかる。
「———真正面から、打ち合える」
「普通は出来る訳ねぇんだがな。ますますテメェが何者か興味が湧いたぜ」
「俺に勝てたら教えてやるよ」
言い合うと、後ろに跳んで二人は距離を取る。
「しょうがねぇな。まぁダラダラやるのも何だし、とっておきを見せてやるよ」
そう言うと、男はベルトをスライドさせ一本の注射器を手に取る。
中には、血を濾したような赤色透明の液体。
男はそれを躊躇無く首筋に突き立てる。
途端、男の身体に異変が起こった。
腕や顔などの肌に魚の鱗のような物が現れ、皮膚が青白く変色し始める。
身長はそのままに体格が二回りほど膨らみ、トカゲのような造形を成す。
極めつけは、鰐のそれにも似た太く長い尾と一本一本が鋭利な刃と化した歯。
それは最早、人の姿とはあまりにもかけ離れていた。
「何だよ、その姿……」
「そう引くなよ。気味悪いって自覚はあんだから」
巨大な爬虫類の外見で人の言葉を話すギャップに目眩がする。
とは言え、いつまでも固まっている訳にはいかない。
幸いにも今の姿は速さを求めた結果では無いだろうし、そうでなくとも向こうから動く気は無さそうだ。
ならばやる事は一つ。
(先手必勝!)
青年は勢いよく踏み込むと、一瞬で男の背後に回り込む。
動体視力の良さに身体が追いつかないというのはよく聞く話だが、彼にはそれは当てはまらない。
防御こそ破られたとはいえ、脚力を強化した状態の男の挙動に付いてこられた。
それは即ち、少なくとも男と同程度以上の速度は出せるという事である。
そして予想通り、今の状態の男は青年の動きに付いてこられていない。
長い尾を踏みつけ逃げられないようにし、手刀を構える。
先程は紙一重で躱されてしまったが、この位置ならまず外さない。
フッと息を吐くと、無警戒の背目掛けて貫手を繰り出す。
下手な刀剣より切れ味のあるその手刀は見事に男を貫く———事は無かった。
青年の一撃は、鱗一枚削げずに弾かれる。
「なっ……!?」
「どうしたよ。何かしたか?」
驚きを隠せない青年の耳に、男の声が響いた。
今度こそ動きの止まった青年の脇腹に拳が打ち込まれる。
ビキリと、骨の砕ける音がした。
「ッ……、ガ……ッ!!」
重く強い一発に、青年の身体が僅かに宙に浮く。
すかさず男はその胸の中央に尾を叩き込んだ。
当然、青年は踏ん張りの利かない空中にいるが故に吹き飛ばされる。
そして何度か地面を跳ね転がった後、五〇メートルほど離れた場所にようやく停止した。
「ハハッ、ハハハハハハハハハハハハハハハハッ! 何だ何だ、随分軽いじゃねぇか。もっと本気で来いよ!!」
「……一々、うっせぇな……」
そう言って咳き込む青年の口から血が溢れる。
動かせる四肢を使い立ち上がろうとするが、上手くいかず何度も倒れる。
そんな青年に、男は余裕ぶった足取りで近付いて行く。
「さて。散々逃げ回った末に死ぬか、正面からかち合って死ぬか。好きな方を選びな」
「……言わせておけば、好き放題騒ぎやがって。後悔すんのは……、テメェの方だ!」
青年は腕を振り上げると、思い切り地面を殴りつける。
その一撃で、青年を中心に放射状に亀裂が入った。
それに構わず彼はひたすら大地を殴り、その度に地震が起きたかのように大きく揺れる。
次第に辺りに砂埃が立ちこめ始め、その中に青年の姿が紛れて行った。
「何だよこりゃ。目眩ましのつもりか?」
問い掛けるも答えは返ってこない。
代わりに、砂埃の中から拳が来た。
それが男の頬に直撃するが、その程度では微動だにしない。
一方の青年は再び煙の中に消える。
直後、今度は背中に衝撃が走った。
ダメージこそ無いものの、それは確実に男を苛立たせる。
すかさず渾身の力で腕を振るうが、速度で劣る今の男には青年を捉え切れない。
その事が余計に男の神経を逆撫でした。
「ヒットアンドアウェイ……。選択肢としちゃ悪くねぇが、肝心の威力が弱すぎるぜ。そんなんじゃ毛程も効きゃしねぇよ!」
やはり返事は無い。
ただ幾度も同じ光景が繰り返される。
頭蓋に。肩に。脛に。鳩尾に。首に。脇腹に。腕に。顎に。腰に。腿に。胸に。尾に。
しかしそれでも男は動じない。
単調な攻撃の繰り返しに、苛立ちと呆れが募るだけだ。
これだけ喰らえばさすがに鱗の数枚に傷くらいは出来るが、恐らくそれ以上に青年の手足は傷ついているだろう。
どちらが諦めるかの根気比べになれば終わりは見える。
その時にどちらが立っているかなど明白だ。
性格的には気の短い男が付き合ってやろうと思い直し始めた所で、それは来た。
真正面から堂々と、何の牽制も衒いも無く、今の彼でも反応出来る程の鈍さで。
赤黒く染まった歪な形の腕が、拳を握り顔面を狙って来た。
その奥に青年の影を見て男は思った。
……あぁ、もう切れたのか、と。
神経まで完全に破壊したはずの腕を動かして来た事には多少———いや、かなりの驚きを覚えたが、所詮はその程度。思考が停止するまでには至らない。
逆に言えば、男が評価したのはそれだけだ。
(もう終いかよ。案外呆気無かったな)
腕を掴んで、引き込んで、その身体に一撃喰らわせてやれば倒れる。
倒れなければ倒れるまで続けるだけ。
それで勝敗は決定する。
そう考えながら迫って来る腕を掴んだ所で———、違和感を感じた。
腕が、軽過ぎる。
速度に乗る乗らない以前の問題だ。
まるで腕だけが飛んで来たかのような———、否、そうではない。
まさしくそのもの腕だけが来たのだ。
掴んだ腕を引いてみれば、それには肩から先が見当たらなかった。
(……ッ! コイツ、自分の腕を……!?)
戦闘が始まって初めて、男の精神が揺らいだ。
その隙を逃す程、青年は愚かではない。
青年は粉塵から飛び出すと男の肩に喰らい付き、その鱗ごと噛み砕いた。
それは明確な変化。
今までダメージらしきダメージを与えてこられなかった青年が、ようやく成し遂げた事。
あるいはそれは、反撃の狼煙となり得るかもしれない。
砂煙が晴れ、青年の姿が露になる。
その姿は、粉塵に紛れる前と大きく異なっていた。
人の形を無理矢理四足歩行に当てはめたような不自然な、それでいて自然な体勢。
肉食獣のような尖った犬歯に、猫科特有の細長い尾。
射抜くような眼光と相まって、そのフォルムは豹を連想させる。
だが、真に驚くべきはそこではない。
「何だ……、その姿……? いや……」
四足歩行。つまり———、
「何で、腕が再生してやがる……」
「……言ったろ? 腕の一本程度、くれてやるってよ」
ベッと口から鱗を吐き出すと、再生した腕(前足?)で血を拭う。
「『獣半形態』。それがテメェのとっておきなら、これが俺の奥の手だ」
「そうか……。お前、魔族か」
「今頃かよ。それでどうする? 尻尾巻いて逃げ出すか?」
「ほざけ」
男は即答する。
「塵も残さず皆殺す。人族と魔族は、一〇〇〇年前からそういう風に決まってんだよ」
「同感だ」
獰猛に笑って青年は駆けた。
と言っても、やる事は変わらない。
攻撃即離脱。
スピードで翻弄し、すれ違い様に爪と牙を喰らわせて行く。
頭蓋に。肩に。脛に。鳩尾に。首に。脇腹に。腕に。顎に。腰に。腿に。胸に。尾に。
違うのは、その一つ一つが着実にダメージを積み重ねている事。
一発一発が確かな痛みとして男に伝わる。
対する男は何も出来ずにいた。
啖呵を切ったは良いものの、あまりに打つ手が無い。
そもそもにおいて、今の状態では相性が悪過ぎた。
されるがままに、嬲り殺しにされる未来しか見えない。
かと言って、今さら薬を変更するのも愚策だ。
既に鱗はかなりの数が剥がされ、その下の肉が覗いている。
今の男にとっての鱗は、人でいう皮膚と同じ役割。
下手に姿を戻せばあっという間に血が足りなくなるだろう。
そうでなくとも、別の薬を飲む前に喉笛を喰い千切られて終わりだ。
だから耐える。耐えて待つ。
腕が再生したとはいえ、それまでの戦闘で重なったダメージまで消えた訳ではない。証拠に、動きが鈍り始めている。
それに、この表鱗の強度はかなりのものだ。
いくらそれを破れるとはいえ、攻撃する際に無傷とはいかないだろう。
青年の爪と牙が折れるのが先か。
打った薬の効果が切れるのが先か。
あるいは……。
そしてその刻は、案外速く訪れた。
ズブリと、青白い肌の腹に深く腕が喰い込む。
「ガハッ……」
男は盛大に吐血する。
その血が青年にかかり、彼は不快そうに顔を背けた。
同時に、男の身体が元の痩せこけた姿に戻り始める。
「……人族にしちゃよく頑張った方だぜ、お前は。マトモな相手にもならなかったそこに転がってる雑魚に比べりゃ、良い線いってたよ。だがまぁ所詮は———」
言いかけた言葉が途中で止まる。
その目は、喰い込ませた自分の腕を見ていた。
否、正確には、それを掴んでいる男の腕を。
「———何の真似だ?」
「……あぁいや、随分と勝ち誇ってるみたいだからよ……。邪魔してやろうとな……」
答える男の口は歪んでいる。
この状況下でまだ笑える余裕が、彼にはあった。
「さて……、ここで一つ、お前にイイコトを教えてやろう……」
「興味無えな」
「まぁそう言わずに……、聞いてけよ。確かに俺は、さっきの薬がとっておきだとは言ったが……、———とっておきがあれ一つだとは、言った覚えはねぇぜ?」
「……ッ!?」
言うが早いか、男はベルトから一本の小瓶を抜き取る。
黒みがかった紫色の、毒々しく禍々しい液体。
だがその見た目以上に生物としての本能が、あれを使わせてはいけないと警告していた。
悪寒に従い、青年は即座にその小瓶を叩き割る。
中の液体が飛び散り、数滴が腕や頬に付着した。
残りは、地面に落ちる前に風に溶けるように消えて行く。
男を見上げれば驚いたような顔をしているのがスローモーションで目に映り、———胸に灼けるような痛みが走った。
「っ、ガ……ッ!?」
あっという間に痛みは全身に周り、青年は膝から崩れ落ちる。
液体に直接触れた部位などは、痛覚を直に痛めつけているかのようだ。
同じように、男もガクリと膝をつく。
図らずも支えとなってしまった、男の腹に突き刺したままの片腕が酷く滑稽に映った。
「……あぁ、説明が足りなかったな……。悪い悪い……、ソイツは服用して使うタイプのモンじゃねぇんだよ……。つかまぁ……、もっと言やあ、薬ですらねえんだけどな……」
「……毒、か……ッ!!」
「その通り……。空気に触れると混ざり合って……、吸い込んじまったが最後、死ぬ程辛い激痛が全身を駆け巡る……。ましてやお前は、その原液に触れたんだ……、どうなるか何ざ火を見るより明らかだろ」
この世のありとあらゆる痛みを纏めて受けたかのような錯覚を覚えながら、青年は何とか口を開く。
「……なら、テメェも同じ条件だろうが……。それとも何か……、テメェは抗体を持ってるから大丈夫だってか?」
「……いいや。残念ながら、そんな都合の良いモンは出来てねぇのが……、欠点だ。後はまぁ、空気中に留まってられる時間が異常に短いってのが……、そうと言えばそうだな。だからこんな風に……、零距離でしか使えねぇ……」
「だったら、どうする気だよ……。この有様じゃ……、ろくに動けやしねぇだろ……」
「動けるさ……。もっとも……、やんのは俺じゃねぇがな。……なぁ、お前ら」
その言葉を合図にしたかのように。
いつの間にか現れた総勢二〇人程の葬討武隊のメンバーが、てんでばらばらな武器を手に青年に襲い掛かった。
「一対一とは……、言ってたっけか? まぁどっちにしろ……、悪く思うなよ。……俺らは盗賊、卑怯な手なんざ使って当然だろ」
「……そうか」
青年は小さく呟く。
「じゃあ俺も一つ……、イイコトを教えといてやるよ」
直後、彼の全身に多数の武器が殺到し———、
「……言ったろ。そこらに転がってる雑魚じゃ、相手にもならねぇってよ」
———切り傷一つ、ついてはいなかった。
「……っ、お前ら離れ———」
ヒュンと、風切り音が鳴る。
それを耳にして。
青年の尾が血に染まっているのを見て。
彼を取り囲んでいた男達が倒れて行くのを目にして。
ようやく男は、何が起こったのかを理解した。
だからこそ、疑問が素直に口をつく。
「お前……、何で動いて……」
「……簡単な話だ。死ぬ程辛い痛みだろうが……、死なねぇんなら耐えられる……。それだけだ……」
「……ハッ。最後の最後で……、根性論かよ……。くだらねぇ……」
「何とでも……」
今度こそ腕を引き抜くと、青年は男に背を向けて歩き出す。
が、数歩進んだ所で立ち止まると、思い出したように言葉を発した。
「……一応、名を聞いといてやるよ」
「……葬討武隊、隊長……、『虚毒士』だ……」
「そうか……」
つまらなそうに、青年は続ける。
「……一二魔天将序列八位、『壊王』だ。覚えたきゃ覚えてろ」
「……カッ、なるほどなぁ……」
男は楽しそうな悔しそうな、様々な感情が入り混じった表情を見せた。
その胸に、一筋の赤い線が走る。
「じゃあ俺は……、首を一つ、取り損なったって訳だ……」
「……」
青年は、何も言わずに歩みを再開する。
それを見送る男の視界は、噴き出した緋色に塗り潰された。
一万……だと……。
書き上げた時思わず二度見しましたよ←
あと、そのせいとは言いませんが丸々一ヶ月以上空いてしまい本当にすいませんでした。




