第七一話:「……勿論だとも」
遡る事およそ十二時間前。
常人ならば恐れるであろう暗闇の中を、鼻歌でも歌い出しそうな調子で歩く一人の男がいた。
手に持つ漆黒の杖に、夜風にはためくマント。
男にしては長めと言える肩までかかる金髪に、女性受けしそうな整った顔立ち。
事実その肩書きと相まって、彼は特に女性に人気があった。
有り体に言えばモテていた。
そんな彼を、人々はありったけの尊敬と少しばかりの嫉妬を込めて、『偉大魔導師』と呼ぶ。
と、彼の行く手に一人の女性が現れた。
元は豪奢だっただろうボロボロのドレスを身に纏い閉じた日傘を脇に携え、力無い眼で虚空を見つめながら岩に腰掛けている。
「何をそんなに哀しそうな顔をしているんだい、お嬢さん」
一切迷う事なく声をかけるあたりに、彼の女性慣れしている様子が窺える。
「こんな夜道を女性の一人歩きは危険だ。良ければ近くの町まで送ろう」
「……あぁ、かたじけありませんわ。えっと……、魔法使い様、でよろしいのでしょうか?」
「その表現は正しいが適切では無いな。まぁ名前で恩を着せられたと思われても何だし、機会があれば名乗る事にしよう」
「そうですか。では引き続き、魔法使い様と呼ばせて頂きますわ」
そう言って女性は、彼が差し伸べた手を取る。
その手は長時間冷気を遮る物の無い屋外にいたからか、レースの手袋越しでも分かる程に冷えていた。
「それにしても、どうして君のようなうら若い女性がこんな時間にあんな所にいたんだい? 服装を見る限り、一人旅をするような格好でも家柄でもないだろう」
優しく手を引きながら先を歩く彼が訊ねる。
「それは……」
「あぁ、答えにくいのなら答えなくて良い。僕は女性の嫌がる事を強要する趣味は持ち合わせていないからね」
「……いえ、お話ししますわ」
躊躇う素振りを見せたものの、彼女は口を開いた。
「名は明かせませんが、わたくしはとある国の貴族の娘なのですわ。隣国に少々用事があり使用人達と向かっていたのですが、途中で盗賊達に襲われてしまって……。わたくしは命辛々逃げ仰せたのですが、他の者達は……」
そこまで話した所で、彼女は両手で顔を覆って泣き出してしまった。
それを見て、彼は徐にポケットから一枚のハンカチを取り出す。
「これで涙を拭いて。美しい物にはそれに相応しい姿がある。君に泣き顔は似合わないさ」
彼女は無言で受け取ると、それを目元に当てる。
「それにしても不届きな輩だな。そんな奴等は僕が後で退治してくるとしよう。ところでついでと言っては何だが、もう一つ聞いても良いかい?」
「わたくしに答えられる事でしたら、何なりと」
「なら遠慮なく」
グイッと、唇が触れ合うか触れ合わないかの距離まで顔を近付けて彼は言った。
「君は一体何者だい?」
「……え?」
彼女の表情が困惑に染まる。
「いや何、盗賊に襲われたにしては不可解な点があってね。どうして君は日傘を持っているんだ?」
「どうしてってそれは、普段から持ち合わせているのですから……」
「だとしても、一刻も早く逃げなければならない状況ならその日傘は捨ててくるべきだろう」
「こ、これは母上の形見で……」
「ふぅん、まぁいい。では二つ目、相手が盗賊なら目的が何であれ、まず間違いなく狙うのは君だ。逃げたと言っても当然執拗な追手はあっただろう。けれど、それにしては君自身に傷が少ない。着ているドレスはそんなにもボロボロだというのに」
「そ、それは……」
「三つ目。良家の娘だという事を差し引いても、君は歩き慣れ過ぎている。少なくとも、命辛々逃げ仰せてきた者の歩き方ではない。普通ならもっと疲労の色が見えるはずだ」
「…………」
「そして最後の一つ。自分で言うのも何だが、僕はそれなりの有名人でね。特に女性の間では、知らない者はいないと言っていい。にも関わらず、君は僕を知らないと言った」
既に彼女の顔から、涙や混乱は消えていた。
代わりに、新たな感情が浮かび上がる。
「さて、最初の質問に戻ろうか。君は一体何者だ?」
「……わたくしとした事が、読み違えておりましたわね」
笑顔。
彼女は、喜んでいた。
「仮にもあの『偉大魔導師』を相手にするのですから、もう少し慎重に策を練るべきでしたわ」
「何だ、知っていたのか」
「えぇ。お陰で余計な演技をする羽目になり、そのせいで嘘が露見してしまいましたが」
笑いながら、彼女はスクッと立ち上がった。
同時に、手にしていた日傘を下から上へ振り上げる。
が、彼はそれを同じく手に持つ漆黒の杖で受け止めた。
一瞬の間を置いて互いに武器を弾くと、後ろへ下がって距離を取る。
「名乗る機会が出来てしまったな。僕は『偉大魔導師』という。以後はないが、覚えておくといい」
「一二魔天将が一柱、序列一〇位、『隷嬢』と申しますわ。以後がなくとも、お見知りおきを」
言い合うと、男は漆黒の杖を軽く掲げる。
その動作だけで、彼の周りに火の玉が出現した。
否、それは火の玉と呼べる大きさではない。
小規模な太陽とでも言うべき、直径一〇メートルはある火球。
が、一〇個。
彼はそれらを、躱しづらいよう僅かに位置とタイミングをずらして射出する。
しかし、そんな小細工を労する必要は無かったと言える。
そもそも、彼女は避けようとすらしなかった。
楽しそうな笑顔のまま正面からそれを受け———、
全弾が彼女とその周囲を爆風と爆音で埋め尽くした。
「———僕は美しい物が好きでね」
立ちこめる土煙の中へ、届いているかも分からない相手に彼は語りかける。
「神の創りし自然物、花、大地、海、天空、輝く月や星々はもとより、宝石や鏡、絵画、書物、彫刻のような人が磨き上げた叡智の結晶まで。最も美しいのが僕である事は言うまでもないが、だがしかしどんな物でも一様に美しく輝く瞬間がある」
声のトーンが上がる。
「それは死の瞬間だ。積み上げてきた物が破壊される、築き上げてきた物が崩壊する、その最期の瞬間が劇的であればあるほど美しい。その美に上限は無く、頂点は無く、ただ純粋な賛美だけが与えられる!」
彼のテンションが最高潮に達する。
その眼は、神に心酔する狂信者に等しかった。
「さぁ、君の死がどれだけ美しいか、僕に見せてくれ!」
と、何の前触れも無く突風が巻き起こった。
それは彼女のいるであろう位置を中心に、竜巻のように煙を舞い上げる。
その中から、女性の声がした。
「『死の瞬間こそが美しい』。えぇ、非常に共感しますわ。これは万人に共通する価値観なのでしょう。ただ一つ付け加えるなら———」
風が収まると、そこには変わらぬ笑顔の彼女が立っていた。
「命を失くした亡骸も、美しいとは思いませんこと?」
直後。
幾つもの巨大な岩が、彼の頭上に降り注ぐ。
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意識を失っていたのは数秒に満たない時間だった。
彼は目を覚ますと、すぐに現状を確認する。
(……さっきの竜巻を起こした時に一緒に巻き込んだのか。直撃した左腕は恐らく動かないだろうが、大して問題は無い。問題なのは———)
大岩の下敷きになりながらも、彼は向かってくる彼女を見上げる。
(どうして彼女は無傷でいるのか、という事か)
そう、無傷。
日傘を手放しており多少土に汚れてはいるが、とてもあれだけの攻撃を喰らった後とは思えない。
「降参は、いたしませんか?」
「……?」
近くまで寄ってくると、足を屈め視線を合わせて彼女は言う。
「降参して頂けるなら、命までは奪いませんわ」
「言っている事とやっている事が違うようだが?」
「それはそうなのですが……」
自分でも行動がちぐはぐなのが分かっているのか、苦笑しながら彼女は続ける。
「貴方様がとても美味しそうなものですから、つい」
「……ッ!」
ゾワリと、全身を悪寒が駆け巡る。
そんな心情を知ってか知らずか、彼女は両手を伸ばして彼の顎に添える。
そしてそのままゆっくりと、口づけでもするかのように顔を近付けて来た。
普段の彼ならば(立場は逆であれど)歓迎する所なのだが、今は相手が相手だ。
抵抗するべきなのだがしかし、身体は動かす事が出来ない。
成す術も無く唇は重ね合わされ、そして———、
(———これは……、マズ———ッ!)
反射的に手探りで杖を掴み取ると、即座にその杖の先を地面に叩き付ける。
刹那、あちこちの地面が盛り上がったかと思うと次々に破裂した。
「!」
「グ……ッ!」
直接彼女を狙った訳ではないが、まともに喰らえばそれなりのダメージは発生する。
なので咄嗟に彼女は後ろへ跳んでそれを避けるが、当然身動きの取れない彼は余波を浴びる事になる。
が、あくまでそれは彼の予想の範囲内、そして狙い通りだ。
余波は彼を岩ごと吹き飛ばし、その衝撃で彼は拘束から脱する。
「そんな乱暴な手で抜けられるとは、わたくし思いもよりませんでしたわ」
「失望したかい?」
「まさか。むしろますます惹かれてしまいますわ。ただ、それだけに残念でなりませんわね。わたくしには、既に心に決めた方がおりますので」
「へぇ、それはそれは。紳士たる僕としては女性の恋路を邪魔したくはないが、生憎そうもいかないようだね。何、そう悲観する事はない。たかが今生の別れになるだけだ」
彼は漆黒の杖を水平に構える。
するとその両端に平坦な、薄い水の膜が渦を巻いて現れた。
徐々に大きくなるそれは渦の速度を増し、チュイィンというチェーンソーにも似た音が聞こえ始める。
「あぁそれとも、その心に決めた方というのは君達の信奉する魔王とやらかい? なら安心するといいよ。すぐに僕が、同じ所へ送ってあげるさ」
「あらあら、それは何とも魅力的な提案ですわね。出来る事なら、是非とも叶えて頂きたいですわ」
「出来ないと、そう言っているように聞こえるが?」
「それ以外の意味に聞こえまして?」
「……語るね。魔族風情が」
言うと彼は二つの渦の内、杖の先端の方を振るって飛ばす。
放たれたそれは弧を描きながら、彼女の華奢な身体を斬り裂かんと迫って行った。
対して彼女は、渦と自分との間にスッと手を翳す。
無防備、どころか無謀とさえ取れるその行動。
渦はそんな彼女の手に容赦なく触れ、その指を切り落とす———事は無かった。
代わりに、渦は触れた瞬間彼女の手に呑み込まれるかのようにして消え去る。
その光景を目にして、彼は得心が行ったという表情をする。
「……魔法を吸収。なるほど、やはりそれが君の能力か」
「あら、お気付きになられましたの」
「白々しいな。一度目はともかく、今のを見て気付かない奴がいると思うかい」
もっとも、僕は最初で気付いたけどね、と。
そんな風に彼は付け足す。
「口の減らないお方。ですが、これで優劣はついてしまいましたわね。どうなさいますか? 今からでも投降は遅くありませんわよ」
「確かに、僕と君の相性は最悪だ。さっきのキスで魔力もごっそり持って行かれた。だけど、どうしてそれが僕が負ける事に繋がるんだ? 決着には、まだ早いだろう」
言葉と同時、バキバキと木を薙ぎ倒しながら彼女の背後に二つ目の渦が飛び出した。
(……一つ目の渦に気を取られている隙に、二つ目を迂回させておいた訳ですか。ですが……)
「甘いですわよ!」
見た目にそぐわぬ素早さで身体を反転させ、強引な挙動で渦を掴み取る。
瞬間、渦は先程と同じように彼女の手の中に呑み込まれた。
が。
「甘いのはそちらだ」
真後ろから声がした。
彼女が首だけ回して声の方向を見てみれば、杖を槍のように構えて突進して来る彼の姿があった。
決して速くはない速度。
けれど、無理に体勢を動かし後ろを向いている彼女では迎撃は難しい。
よしんば間に合ったとしても、何も持たない彼女には彼を攻撃する手段が無い。
だから彼は間合いを一気に詰め、杖を繰り出す。
それで彼女を仕留めるはずだった。
けれど。なのに。
鮮血を散らして倒れたのは、彼の方だった。
「———魔法使いが接近戦を挑むなど愚の骨頂。そう定義したのは、貴方方人族では無かったですの?」
そう問う彼女は、心から楽しげな表情を浮かべている。
その手には、チェーンソーのような音を立て高速回転する渦があった。
「……ひ、人の魔法を使っておいて……、とんだ言い草じゃないか……。盗人猛々しいとは……ゴホッ、……こういう事を、言うんだろうな……」
「……それだけの重傷を負っておいてまだ喋れるとは、つくづく素晴らしいお方ですわ。けれどこれで、決着もつきました。そろそろ諦めませんこと?」
「……忠告ありがとう。だけど……、それには、及ばないよ……」
杖に体重を預け、フラフラと危なっかしい動きで立ち上がる。
「だが、僕に限界が近いのも……、また事実だ。……だから次で、終わりにしようと思う」
止めどなく溢れ出る血を抑えようともせず、立ち上がった彼は杖を天に掲げた。
「……僕の残りの魔力を全て注ぎ込む、正真正銘最後の一撃だ……。これが通じなければ……、僕は大人しく、負けを認めるしかない」
「勝算があるとお思いで?」
「無ければ、こんな事はしないさ……」
あれだけの魔法を放ち、彼女に根こそぎ魔力を持って行かれ、それでもなお莫大と言えるほどの量の魔力が彼の身体から杖を通し天に昇って行く。
彼らの頭上には黒雲が集まり、ゴロゴロと雷鳴が轟き始めていた。
「……君の能力は、魔法の吸収と、吸収した魔法の行使……。魔法でさえあれば……、どの属性のどんな攻撃でも、君は吸収できるんだろう……。……だが、それにも限界はあるはずだ」
「……」
「個人差はあれど……、生物が内包し得る魔力の総量には、下限もあれば上限もある……。一度に吸収し切れないほどの魔力を……撃ち込めば、……後は勝手に……、崩壊してくれる……」
「では、お試しなさいます?」
「……勿論だとも」
一段と大きな魔力の塊が雷雲を衝く。
「———天に滅されろ」
閃光が、迸った。
稲妻が地を抉る。
轟音が鼓膜を劈く。
雷の直撃。
通常ならば、どう控えめに考えても即死。
ただし、彼が相手にしているのは『通常ならば』という範疇には到底収められない怪物。
元より、感電死のようなありきたりな死因など望むべくも無い。
二発、三発と、間断なく撃ち込まれる。
そして数を数えるのも億劫になって来た頃、ようやく雷光はその暴虐を停止させた。
「ハァッ、ハァッ、ハァッ……!」
ガクリと膝を折り杖に縋るようにもたれ掛かるが、それもすぐに支え切れなくなり地面に倒れ込む。
けれどその眼光は衰える事無く、目前の粉塵を注視する。
と、その時。
「———わたくし、心底感嘆いたしましたわ」
そんな風に、声が響いて来た。
「これほどまでに死の実感を味わう事が出来たのは、本当に久しぶりです。貴方様には、どれだけ感謝してもし足りませんわ」
「……それは、どうも」
答える彼に、驚きは無かった。
どころかむしろその声音には、予想していたかのような印象さえある。
ゆっくりと晴れた粉塵の中にいた彼女は、感電したのか身体の周囲に小さな火花を散らせていた。
「優劣も決着も、勝敗もつきました。では今度こそ、終わりでよろしいですわね?」
「……あぁ。……好きに、殺すといい……。にしても君は……、———あぁ、そうか、そういう事か」
彼は何かに思い至った表情をする。
それを気に留めたのか、彼女は諭すような口調で言った。
「何か言い遺す事があれば、お聞きいたしますわよ」
「……そうかい? ならまぁ、そういえば……、君の質問に一つ、答えるのを忘れていたね……」
ゴフッと、咳とともに血を吐き出した後再び口を開く。
「僕は、死骸を美しいとは思わないね……。どころか、嫌悪すらする……。何故なら、死してしまえばそれ以上、何かが宿る事は無くなるからだ……。『死』という……絶対的な支配が完成している物に、創造の入り込む余地はない……。……死体性愛の趣味でもあれば、また違ったんだろうが……、……残念ながら僕は、生きている女性にしか興味が無くてね……」
そこで一旦間を置くと、彼は彼女を正面から見据える。
「———だから、僕は君が嫌いだよ」
「……乙女の秘密は、黙って心に留めるものですわよ」
明確な拒絶の言葉に彼女は怒るでも悲しむでも無く、ただその笑顔の中に僅かな陰りを見せる。
彼女がパチンと指を鳴らすと、彼の頭上に火球が出現した。
目測でも、最初に彼が作り出した火球の倍の大きさはある。
加えてそれは、バチバチと音を鳴らす電撃を纏っていた。
「……最後に一つ。もしわたくしが今のわたくしでなければ、貴方様とわたくしは良い関係を築けたでしょうか?」
「……考えておこう」
「お気遣い痛み入りますわ。魔法使い様」
彼女は、オーケストラの指揮者のように腕を軽く振る。
それに合わせるように小さな太陽は落下し、彼の身体を圧し潰した。
書いてる内に長くなるのはどうしてでしょうね。初期はそうでもなかったのに。
けど今回(と次回(予定))は、どれだけ長くなっても分割はしません。何故ならそう決めたから←




