第六九話:「さようなら」
少年の姿が完全に見えなくなるまで頭を下げて見送ると、執事風の男は改めて向き直った。
そして徐に男は、一番近くに虫の息で倒れていた兵士に手を翳す。
すると彼の袖の中で、生物の心臓が脈打つように何かが動いた。
次の瞬間。
グシャリ、と。
袖から飛び出した蛸の触腕のような物が、鎧ごと兵士の左胸を貫いていた。
「ガフッ……!」
吐息と共に血が吐き出され一度ビクンと跳ねた後、倒れた兵士はそれきり動かなくなった。
男は無造作に触腕を引き抜くと、ゆっくりと歩を進める。
左右の袖から合計四本の触腕を蠢かせながら、すれ違い様に周囲の者達の左胸———心臓を正確に穿つ。
息のあるなしの区別無く、それだけが生死を結論付ける唯一の条件であるかのように機械的に動作を繰り返す。
「たっ、助け」
ドスッ。
「頼む、命だけは」
ドスッ。
「お願いだ、見逃し」
ドスッ。
殆どの者は恐怖で言葉を紡ぐ事すらままならず、辛うじて出せた者の必死の命乞いも聞き入れられる事は無かった。
否、彼は元々命乞いなど聞いてはいない。
彼にとっては、視界に映る邪魔な虫を駆除しているだけなのだ。
魔族にとって人族の命など、その程度でしかない。
と、男の視界の隅でチカリと光が瞬いた。
一瞬それに気を取られた所で、
「動かないで下さい」
両腕を抑えられ、ひんやりとした刃が首元に当てられる。
背後に意識を向ければ、口に短刀を銜えたメイド姿の女性が立っていた。
「聞くべき事は山のようにありますが、抵抗するならばこの場で殺します」
「お見事」
ややくぐもった声ながら、言葉はきちんと発せられる。
それに焦った様子も無く、男は平然と言葉を返した。
「腕を収めて膝を床に着きなさい」
言われた通りに男は触腕を戻して行く。
そして、四本全てが完全に袖の中に収まった所で、
「が、甘い」
ギロチンの刃にも似た棘が男の背から生え、彼女の腹部を刺し貫いた。
「……ッ!!」
痛みに身を捩るより先に、口に銜えた短刀を男の首元へ押し付ける。
しかし無情にも刃は、カキンという金属音を立てて弾かれた。
「な……っ!」
今度こそ、彼女に決定的な動揺が生まれる。
そしてそれは致命的な隙となった。
あっさりと両腕の拘束は振りほどかれ、逆に彼女の腕が捕らえられる。
そのままぐいと振り回されて、激しい衝突音とともに壁に叩き付けられた。
「あ……ッ、が……!」
「敗因は」
男の袖口から再び触腕が伸び、床に崩れ落ちる前に彼女の首にそれを巻き付け磔にする。
「捕らえたあの段階で素直に止めを刺しておかなかった事。その甘さを捨て切れないが故に、貴方方は何時までも劣等種と軽んじられるのだ」
更に一本が、彼女の胸の中心を突き立てた。
口から血が溢れ、身体が小刻みに震える。
しかし、それでも彼女は抵抗をやめない。
結果から言えば、それは抵抗にもならなかっただろう。
彼女は僅かな力を振り絞って腕を前に出すと、人差し指を男へ向ける。
その先にぼんやりとした光が灯るが、何度か明滅した後に跡形も無く消えた。
同じ事を幾度か繰り返すが、それ以上は何も起こらない。
否、起こせないのだ。
彼女にはそれだけの事をする魔力が———生命が、決定的に足りていなかった。
魔法が失敗に終わった事を確認すると、男は触腕の一本を彼女の腕に絡ませる。
その先端が肩の付け根の近くまで纏わり付いた所で。
ペキリ、と。
いくら女性の細腕とはいえ人一人の腕が、小枝のように易々とへし折られる。
更にボキボキボキと、不快な音が連続して響き渡った。
「……、……!!」
端正な顔が苦悶の表情に彩られ、最早悲鳴を上げる事さえ叶わない。
そしてやがてはそれも見られなくなり、だらりと彼女の全身から力が抜ける。
胸に突き立てた触腕を引き抜いても、一切の反応は返ってこなかった。
(……所詮は人族の身か。呆気ない)
男は心中でそう呟くと彼女を適当に放り捨て、その先にいる相手に狙いを定める。
『彼女』———第一王女は、この騒乱の渦中にあってなお恐怖を浮かべてはいなかった。
否、彼女には恐怖を含むあらゆる感情が抜け落ちていた。
男は特に何の感慨も抱く事無く、触腕の一本を第一王女に撃ち放つ。
この時、男は幾つかのミスを犯していた。
一つは、他の全員に行っていた『左胸を貫く』という行為を彼女には怠った事。
一つは、彼女を放り捨てる際にその場所を確認しなかった事。
そして何より重要な、最後の一つ。
多くの場合実を結ぶ事の無い、けれど極僅かな可能性を以て圧倒的な力に牙を向く―――、
『想い』の強さを、見誤っていた
触腕が第一王女の胸を貫く、その寸前。
ガシリと、手のひらが触腕の先を掴み取る。
男がその腕を目で追って行くと、メイド服の女性の姿があった。
同時に、一体どこからそんな力が湧いたのか、グチュリと音を立てて腕が握り潰される。
「……汚れた手で、御嬢様に触るな……、外道が———」
彼女は息も絶え絶えに、しかしこの世の憎悪をありったけかき集めたような視線を向けて言う。
「———殺すぞ」
言うが早いか、彼女はグイと触腕を力任せに引っ張る。
咄嗟に反応が遅れた男は体勢を崩し、あっという間に二人の距離は縮まる。
そこで男は自分の目を疑った。
触腕を持つ手とは逆―――完全にへし折れ動かせるはずの無い腕を彼女が構えたのだ。
何、と思う間もなく男の身体は彼女の拳の射程圏内に入る。
直後。
流麗に放たれた彼女の裏拳が、吸い込まれるように男の顔面へと激突した。
ミシリという骨の軋む音が鳴ったのは、彼女の拳か彼の顔か。
この一撃は、男からすれば大したダメージではないのかもしれない。
けれど、彼女にとってこの一撃は、一矢報いそして証明したものだった。
大切な人を守る為なら、人は限界など容易く超えるという事を。
「ハァッ……、ハァッ……」
まだ終わりではない。
彼女と彼女の大切な人を守りきるには、目の前の脅威を討ち滅ぼさねばならない。
だから、彼女は立つ。
一瞬でも力を抜けばすぐに床に崩れ落ちるだろう。
一瞬でも気を抜けばすぐに意識は途絶えるだろう。
それでも彼女は今この瞬間、そこに立っていた。
一方の男は早くも冷静さを取り戻していた。
あの状態から抵抗してきた事には確かに驚いたが、彼女が瀕死である事には変わりない。
勿論油断はしていない。その上で正面から叩き潰す自信が男にはあった。
吹き飛ばされ床を数度転がりながらも、その勢いを利用して跳ね起きた時には男はそこまで考えていた。
だから前を見据えた時に彼女が既に立ち上がっていた事も、男は予想の範疇だった。
しかし、その次に彼女がとった行動までは流石に予想外だった。
のろのろとしたと動作で再び男に指された指先に、煌々と光が灯っているのだ。
男がそれに気付いた時には、その光は彼女の全身を包んでいた。
(魔力は確実に尽きていたはず。ならば一体どういう———)
そこまで考えた所で、男は理解した。
「……死ぬ気、か」
「そうでもしなければ、倒せそうにないので」
そもそもにおいて魔力とは、生命力に等しいと言われている。
しかし、ならば生きている限り魔法を使い続けられるのかと言えばそうではない。
魔力の限界は決まっており、その底は生命力より僅かに浅い。
故に、魔力が底に達した時点で身体は無意識にセーブをかけ、魔法は一切発動しなくなる。
分かりやすく表すなら、HPが一定ラインを超えるとMPを消費する行動は出来なくなるといった所である。
———ただし。
先程も述べたように魔力と生命力は同一である。
逆に言えば魔力の限界を———底を踏み抜いてしまえば、残された生命を魔力として使う事が可能なのだ。
規模も威力も加減の全く効かない、魔法の暴走という形で。
無論言うまでもなく、使い切った後は新たに魔力を補給しない限り死を待つのみである。
そしてこの状況下で回復など、望むべくも無い。
「良いのか? 大切な御嬢様とやらも巻き込む事になるぞ」
「こんな状況に陥った時点で後は早いか遅いか、誰に殺されるかの違いでしかありません。ならばせめて敵ではなく、私自身の手で幕を下ろした方が救いがある」
「それが思い上がりだとは?」
「承知の上」
それを聞いて、男は笑った。
殺戮すべき対象ではなく対等な敵として、男は彼女を認めたのだ。
(———御嬢様、約束を果たせず申し訳ありません。貴女に背を向けて死ぬ事をお許し下さい)
彼女の全身を包む輝きが一層増す。
それに呼応するように、男も同じように腕を伸ばして指を差す。
この時点で、彼らの間にはそれなりの距離が開いていた。
例え男が今から何かをしようと、それが自分に達する前に最後の一撃を発動できると彼女は踏んでいた。
朧げな頭で考えたそれは、ある意味では正しかった。
ただ、彼女は思い違えていた。
彼女の身体は、本人が思う以上に限界を迎えていた。
だから彼女は気付けなかった。否、気付けたとしても恐らく反応できなかっただろう。
男が、彼女に向けていた指を挑発するかのようにクイと曲げる。
それに乗った訳ではないだろうがタイミングを前後して、彼女の最後の鍵が外れ瞬間的に破壊が辺り一帯を覆い尽くす。
その直前。
背後からズブリと、彼女の左胸を何かが貫いた。
「……ん、あっ……?」
文字通り死ぬ思いで掻き集めた魔力は雲散霧消する。
千載一遇の反撃の機を逃した。
理解が追いつかないまま恐る恐る彼女が視線を胸元に落としてみれば、そこにあったのは———、
(———潰した触腕の、先……っ!)
今度こそ、決定的な何かが彼女から失われる。
———『想い』の力は、時に圧倒的戦力差をも凌駕する。
けれど、それは極僅かな可能性でしかない。
大抵の場合、それは実を結ばずに終わって行く。
今回は他の数多の想いと同様に報われる事無く潰えたという、ただそれだけの話である。
男が腕を下ろすのと彼女が床に倒れるのは、ほぼ同時だった。
「お見事。今度は手放しで賞賛させて頂きます。主を想うその気持ち、同じく仕える者として感服致しました」
パチパチと乾いた拍手が響くも、それに応える者はいない。
仰向けで倒れる彼女には、どんな音も届いては来なかった。
彼女の見上げる先には、変わらず佇む第一王女の姿。
二人きりの時間。
二人だけの世界。
何人も、不用意にそこに立ち入る事は躊躇われた。
王女に触れようと手を伸ばすも、それは空しく空を切る。
そして彼女はそれで良いと思った。
汚れ無き王女に、血で染まった自分が触れては傷物になる。
昔の、王女に意思があった頃ならば、そんな事は無いと否定しただろう。
むしろ、自ら進んで彼女の手を取ったかもしれない。
第一王女とは、そういう人だった。
(———だから私は貴女に全てを捧げると、あの日、そう誓ったのです)
彼女にとって、それは走馬燈ではなく。
至極平凡で何より大切な、記憶の一つだった。
(……私は、貴女に出会えて、幸せでした。貴女は……、どうでしたか?)
意識が遠のいて行く中で見たそれは、恐らく気のせいだっただろう。
血と涙でぼやけた視界がそう捉えたのか、虚ろな脳が幻覚を映したのか。
けれど彼女の眼には、確かに見えていた。
在りし日のような、天真爛漫な笑顔の王女が。
男は言う。
彼女は思う。
「さようなら。美しき弱者よ」
(さようなら。愛しき人)
別れは、存外静かに訪れた。
今度こそ本当に終わり(多分)です。
それにしても、完結設定にしただけで最高アクセス数更新するとか何なんですかねえ(困惑)




