第四五話:「非常に気分が悪いですから」
流血系ではありませんが、人によっては不快になる表現が今回は含まれていますので、苦手な方はご注意下さい。
二、三度軽く刀を振って血を払い落とす。
それを無造作にひびの中に投げ入れて、僕は踵を返して立ち去ろうとした。
が。
「どこへ行かれるおつもりですか?」
メイドさんがそう声を掛けてくる。
まぁ当然と言えば当然なのだが、彼女の立場からすれば妙に事務的で義務的で業務的な言い方だった。
決まりきったルーチンワークをこなしているだけのような物言いだが、それはあくまで彼女の立場に則って言えば違和感を感じるだけの話だ。
彼女の性格を考慮すれば、実に自然だろう。気にするほどの事でもない。
「……別に、どこだっていいでしょう。あなたには関係の無い事です」
「えぇ、貴女のこれからの行動については、私に一切の関わりはないでしょう。ですが貴女が今犯した事については、責任を追及しなければなりません」
「それを言うなら、僕をここに連れて来たという点に置いて、あなたも責任を問われるべきですよね?」
「確かにその通りです。私の見込み違いだったとは思いたくはありませんが」
「どの口が言うんですか、予想通りだったくせに。いえ、いっそ期待通り、と言った方が正しいですか?」
彼女はその質問には答えず話を続ける。
「とにかく、事が発覚し次第、貴女はそれ相応の罰を受ける事になります」
「それは挑発ですか? それとも脅迫ですか? どちらにしろ、中途半端な事なら止めておいた方が良いですよ。僕は今、非常に気分が悪いですから」
「いいえ、ただの忠告です。どうかお気を付けて。あるいは気分が悪いようでしたら客間にご案内致しますが」
「遠慮しておきますよ。休んでる間に寝首でもかかれたらたまったモンじゃないですからね。あぁでも、代わりに何かしてくれるって言うんだったら、一つ教えてくれません?」
「私に答えられる事でしたら、何なりと」
「どこかこの近くに水辺とか無いですか?」
「水辺……ですか?」
「はい。出来れば人が余りいないような所で」
メイドさんは少し考える素振りをしてから、
「街の外でよろしければ、南に少し行った所に小川があります。稀に魔物の存在も確認されるので、少なくとも一般人が近寄る事はありません」
と答えた。
「ありがとうございます」
とお礼を言って立ち去ろうとした所で———。
視界が、グラリと揺れた。
全身から力が抜け、足の踏ん張りが利かない。
冷えた床が急速に近付いてくる。
……ヤバ。
そのまま僕の身体は床に倒れ込む———事は無かった。
何故なら、いつの間に接近して来ていたのか、メイドさんが僕の身体を支えていたからだ。
……まぁ、支え方が所謂お姫様だっこのような形になっていた事については見逃そう。
僕をゆっくりと抱え起こすと、そこが定位置であるかのように一歩下がる。
「……すいません」
「いえ、務めですので」
あくまで無感情に彼女は言う。
謙虚と冷静って万国共通の美徳だよね。
ここまで行き過ぎる冷静もどうかとは思うけど。
……なんて心の中で軽口を叩く事すら、今の僕の精神状態では中々辛い。
と言うか、これ以上ここに居続ける事自体がもう耐えられそうにない。
「じゃあ……、失礼します」
返事を待たずに、僕は『転移』を使って飛んだ。
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一瞬の浮遊感、なんて普段なら心地よくすらあるそれも、今の僕には永遠に続く地獄に匹敵する瞬間と言えた。
『転移』に限らず、神様から貰った能力の大半は健全な精神状態で行う事を前提として考えられている。通常ならば何の問題もなく行えるそれらも、最悪と言って差し支えない今なら軽く意識不明の重体くらいには陥れる。
平たく言えば死にそう。
そんな状態だから、地面に足が着いた時には既に膝から崩れ落ちて倒れ込んでいた。
さっきメイドさんに倒れそうになったのを助けてもらったのが全くの無意味になったなと、ろくに働いていない頭で思う。
うつぶせで顔を上げると、一五メートルほど先に水が流れているのがうっすらと見えた。
座標を正確に指定してはいなかったので到着した瞬間水没していたという可能性もあったと考えれば、この『転移』は成功の部類だろう。
とにかくこれで、一応の安心は出来た。
———と、気を緩めたのがいけなかった。
「———グ、ッ……オェッ……!!」
口を抑え付け喉元に力を込めるも一瞬遅く、潰れたカエルのような声を出して僕は派手に嘔吐した。
黄色く粘っこい液体と中途半端に消化された固形物が混ざり合って撒き散らされる。
胃酸で喉が灼けるように痛い。
同時に猛烈な勢いで僕の身体を襲ってきた頭痛やめまい、耳鳴り、過呼吸etc……。
当然の事ながらそんな物に人体が耐えられるはずも無く、案の定僕はあっさりとそれらに敗北して、自らの吐瀉物に顔を突っ込む事となった。
不幸中の幸いとして既にまともな感覚は失われているも同然だったので、それほど嫌悪感を感じる事は無かった。
朝昼とちゃんとした食事をとらなかったのも、ある意味では良い方向に働いただろう。
感じられるのは、吐いた時に漂うあの酸味と、薄黄色に染まった地面がぼんやりと認識できる程度。
遠くの方で、ゴロゴロと雷鳴の音が鳴り響いた気もした。
あるいはすぐ近くだったかもしれないが、どちらにしても大差ない事だろう。
そして雷鳴が鳴ればその後は自然の摂理として、僕の頬に一粒の水滴が落ちる。
それはあっという間に量と範囲を増して、辺り一帯に降り注ぎ出した。
弱り切った僕の身体に止めを刺すかのように容赦無く撃ち付ける無色透明の液体。
けれど僕は、それを不快には思わなかった。
僕は雨が好きだ。
何にも囚われる事無く、全てを洗い流してくれるから。
言うまでもなくそれはただの錯覚で、自己満足でしか無いけれど。
気のせいでも勘違いでも、僕の犯した罪が少しでも許されるように感じられるから。
だから僕は、雨が好きだ。
冷たいとか寒いとか、そういった感覚はとうに無くなっていて、むしろ心地良いと思えてしまった。
このまま、死んでも良いと思えるほどに。
本気で死んでも良いと、そう思った。
僕は死んでも良い。
でも、彼らは死んだ。
既に死んだ。
息絶えた。
心臓が止まった。
命を散らした。
儚く消えた。
僕が殺した。
この手で殺した。
この手で斬った。
肉を。骨を。神経を。血管を。
完膚なきまでに叩き斬った。
容赦も躊躇も慈悲も無く。
欠片も残さず、生を閉ざした。
彼らから、生を奪った。
命を奪い去った。
生命を奪い取った。
僕がこの手で、終わらせた。
もしかしたら、生きたかったかもしれない。
彼女はああ言っていたけれど、もしかしたら生きたかったかもしれない。
でも、それは無くなった。
失われた。
あそこにあるのは、ただの肉塊だけ。
死んだ。
殺した。
死んだ方が良い。
生きていない方が良い。
死ねば良い。
死ねば良い。死ねば良い。死ねば良い。死ねば良い。死ねば良い。死ねば良い。死ねば良い。死ねば良い。死ねば。死ねば。死ねば。死ねば。死ねば。死ねば。死ねば。死ねば。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね———。
———こんな奴なんか、死んでしまえ。
僕は、眼を閉じる。
※注 作者にこういう趣味はありませんので、あしからず。
本来ならもう少し描写する予定でしたが、作者にこういう趣味は無いので。大事な事なので二回(ry




