第四四話:「……最悪、ですよ」
重々しく、仰々しくそびえ立っているその扉の向こう側に何があるかなど、今の話を聞いていれば誰にでもすぐに理解できるだろう。
それでも僕は膨れ上がる嫌な予感を押さえつけて、一縷の望みに期待しながら彼女に問う。
「あの中は……、一体何なんですか……?」
「人造魔人———合成獣の成れの果て、失敗作の収容所ですよ」
望みは、砕かれた。
彼女の襟首を掴んでいた僕の腕から力は抜け、するりと重力に従って垂れ下がる。
彼女は乱れた着衣を手際良く直すと、何事も無かったかのように扉の前に立つ。
「強制は致しません。いえ、強制というのなら最初からしてはおりませんが、今ならまだ引き返せます」
「……」
「ここまで連れて来ておいての言い草ではありませんが、今ならまだ頭のおかしい愚か者の戯言として聞き流す事も出来ます」
「…………」
「今ならまだ、貴女は間に合います。ですがこれ以上進めば、貴女はこちら側の者となります」
そこで彼女は僕を見る。
相変わらず彼女のその眼には、少しの感情も浮かんでいない。
「如何致しますか?」
驚くほど冷めたその言葉が、僕の鼓膜を強く叩く。
恐らく彼女の言う所の「引き返せなくなる」とは、単純に国家機密を知ってしまった、言わば共犯関係のような物だと予想する。
ならば、秘密は墓まで持っていけば良い。(まともな墓に入れるかどうかは疑問だけど)
万が一誰かに漏らしてしまった所で、罪人として国から追われる身となるだけだ。その程度、今の状況と大差無い。
何せ僕は、既に現在国王に喧嘩を売ってしまっているのだから。
後から思えば、僕はこの時大人しく引き下がっておくべきだったのだ。
あるいはもう少し心に余裕があれば。理性でもって冷静な判断を下せれば。
けれど、そんな考えなど僕には微塵も思い浮かばなかった。
だから僕は言った。
「……分かりました、付き合いますよ」
意志も力も籠っていない、弱くて弱気で弱々しいその声は、しかし彼女の耳にはきちんと届いたようだった。
「では、参りましょうか」
そう言って彼女は扉に手をかけ、ゆっくりとそれを押し開けた。
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扉の中は真っ暗で、殆ど何も見えなかった。
照明と呼べそうなのは申し訳程度に天井からぶら下がっている小さなランプくらいで、こちらとあちらを隔てる檻があるのがやっと分かるぐらいだ。
けれど、その奥に何かがいる事は感じ取れた。
眼を閉じて耳を澄ますと時折、荒い息遣いと獣の唸り声のような音が聞こえる。
とは言え眼を瞑ったのは聴覚に集中する為ではない。
視界を一時的に閉ざす事で、早めに暗闇に眼を慣らす為である。
しかして僕は、少しの間を置いて瞳を開いた。
最初は輪郭すらぼやけて見えたが、段々とその形がはっきりと捉えられるようになった。
これならば、見えない方が良かったと思える光景を。
母体はあくまで人。
ただしそれに付随しているモノは、亜人の自然なそれとは決定的に異なっている。
身体から尻尾や翼が生えている物などまだ序の口。
左右の腕の大きさが明らかに違う物や、身体の表面が鱗のような物で覆われている物、手足の本数が四本を超える数の物など、種類も数も多種多様。
果ては首から下は普通なのに、頭部だけが獣のそれになっている物までいる。
「あ、あぁ……」
それらを目の当たりにした僕の背筋には強烈な寒気が走り、それとは対照的に喉が奥まで一気に干上がる。
慌てて唾を飲み込むも、あまりそれが役立っているようには思えなかった。
「いかがですか? この光景を眼にしてのご感想は」
僕に背を向けたまま、メイドさんが問いかけてくる。
「……最悪、ですよ」
「そうですか」
やはり声には、感情がない。
「よろしければ明かりを付けて差し上げましょうか? そちらの方が、この後の説明もしやすいのですが」
「お好きにどうぞ」
「では、お言葉に甘えて」
そう言うと彼女はパチンと指を鳴らす。
と、その指に光の球が現れる。
光球は少しずつその大きさと明るさを増していく。
そして、ソフトボール大になった所で手を離れ、辺りを好き勝手に飛び始めた。
……というか今更だけど、メイドさんって魔術師だったんだ。
変な所で感心していると、メイドさんがこちらを振り向く。
「……驚かれないのですね」
「何がです?」
「いえ、光属性持ちはそれなりに希少なので、珍しがられる事が多いのです。とは言っても、強弱の差はあれど魔術の才を持つ者の一〇〇〇人に一人は持ち合わせておりますが」
「そうですか。まぁどちらにしろ些細な事ですよ」
そう言って話をはぐらかす。
過去に散々見て来たので驚嘆するほどではないとはさすがに言えない。
「……話を戻しましょうか」
そう言われて、僕は改めてそれらを眺める。
どれもこれも、改造の程度には違いがあるがその結果にはほとんど違いは見られない。
焦点の合っていない虚ろな瞳。
規則的な呼吸を繰り返すだけの口。
歩き方を知らない赤子のようにもぞもぞと這うだけの手足。
その姿は、異様なまでに嫌悪感を掻き立てられた。
と。
観察していた所で、ある一体に目が留まる。
正確には、ある一体の額の部分。
それが比較的人の形を保っていたからだろう、見慣れていない僕でも分かりやすい位置に、何かの模様が見えた気がした。
近付いて目を凝らすと、それは確信に変わる。
「あれは何ですか?」
僕はその模様を指差してメイドさんに尋ねる。
彼女は一瞬首を傾げたが、すぐに僕の意図を理解したようで、
「あの模様の事ですか?」
と、確認をしてくる。
僕が頷くと、彼女は説明を始めた。
「あれは『傷跡』と言って、全ての合成獣に例外無く存在する物です。と言っても特に意味のある物ではないので、せいぜい合成獣の判別に使われる程度ですが」
「出来る理由とかは分かってるんですか?」
「いいえ。尤も今の所、解明する気はどなたにもないようですが」
まぁそうだろう。
無害な物に対してわざわざ薮を突つくような真似はしないだろうしね。
と考えていると、その合成獣と一瞬目が合った。
一瞬。ほんのそれだけだ。
それだけで僕は、踏み出した足を後ずさらせてしまう。
あの無機質な瞳が、どうしようもなく恐怖を煽ってくる。
そんな僕の状態を察したのか、彼女が声を掛けてくる。
「御安心下さい、彼らに何かしようという考えはありません。考えがない、と言うよりは、考えられない、と言った方が正しいかもしれませんが」
「どういう意味ですか?」
「そのままの意味です。ご覧の通り、彼らには意志も目的も何も無い、言ってしまえば人の魂の抜け殻です。あるのは『生きる』事のみ———、いえ、彼らにはその自覚すらも無いでしょう。それ故に彼らは酷く脆く、危うい」
彼女は滔々と語る。
「ただ生きて生きて生きて、死ぬだけです」
「生きて……、死ぬだけ……」
それは果たして、生きていると言えるのか?
生物的な話ではなくて。
精神的な話として。
幻想的な問題ではなくて。
現実的な問題として。
自覚も理由も存在意義も無く、ただ息をするだけの有機物を、果たして生きていると認めてしまっていいのか?
そんなの、死んでいるのと同義じゃないのか。
否、むしろ死んでいる方が価値があるんじゃないか?
何も生み出さない有より、命ある者の定めとして散る無の方が良いんじゃないか?
死んだ方が、良いんじゃないか?
あぁ、そうだ。
死んだ方が良いんだ。
でもどうやって?
ここにいる以上、恐らく寿命が来るまで死ぬ事は無いだろう。
じゃあどうする?
何か、もっと簡単で手っ取り早い方法は無いか。
何か、何か、何か、何か。
———あぁ、あるじゃないか。一番単純な方法が。
「僕が、殺せば良いんだ」
何も無い虚空を左手で叩く。
それによって出来たひび割れを砕き、中に手を突っ込む。
この場に別の誰かがいるとか、その人物が見ているとか、そういう考えは一切思い浮かばなかった。
「何を……、なさっているんですか?」
彼女が声に困惑を、感情を滲ませた、気がした。
けれど、それはもう僕の耳には届いていなかった。
無言で取り出したのは一本の、抜き身の日本刀。
ただし、その長さは有に二メートルを超える物だ。
刃の部分を掴んでいたので血が滴るが、不思議と痛みは感じなかった。
右手で柄を持つと水平に構える。
この時点で多分、彼女にはこれから僕が何をするか分かっていただろう。
それでも僕を止めなかったのは、まぁつまり、そういう事なんだろう。
そして僕は一瞬の間を置いて、
「ごめんね」
———真一文字に斬り裂いた。
檻ごと薙いだそれはしかし、殆ど音を立てずに事を終えた。
悲鳴は無かった。
代わりに、肉を断つ感触だけが残った。
血飛沫が壁に、床に、天井に、僕に飛び散る。
頬に付着した血は、僕と同じ真っ赤な色をしていた。
僕は拭い取ったそれを、冷めた眼で見つめていた。
話が微動だにしない……。
文字数は無駄に多いですけど、実質これ一〇分無いんじゃないですかね。




