第二章 5 ―― 遭遇 ――
5
泣いた。泣いた。思いっきり泣いた。
病院を出て、自宅のアパートに籠ると、周りの住民を気にせず泣いた。
これまで堪えていた反動もあり、涙を流し切っていた。
不安といった感情も、涙として流し切ったのか、不思議と翌日の朝は思いのほか気持ちは吹っ切れていた。
ワンルームの部屋のベッドの脇に凭れ、写真立てを眺めた。恋人の生前、遊園地に遊びに行った際に沙紀がせがんで撮っていた。満面の笑みを浮かべる沙紀に、照れ臭そうに笑う恋人。
懐かしくなり手に力が籠る。
写真立てをテーブルに戻すと、早々に支度を済ませ、部屋を飛び出した。
(あの子なら、圭太を探す手がかりを知ってるかもしれない)
前日、偶然話した高校生が頭をよぎるが、部屋を出た瞬間、後悔に苛まれ頭を抱えた。
沙紀は彼の名前を聞いていなかった。
(確か、どこかの私立だと思うんだけど)
手がかりは彼の着ていた制服。だが、学校を当たるよりも、体は病院へと進む。
(大丈夫。あれだけ悩んでた感じだったから、きっと今日も病院にいるはず)
病棟に着いたとき、壁に設置された時計が午後二時を回っている。秒針を見ながら、己の浅はかさに沙紀は愕然とし、一気に疲れが噴き出た。
大きな溜め息が一度こぼれる。
普通に考えれば、彼は学校で授業を受けているのを忘れていた。
自分のようにフリーターならまだしも、授業をさぼるような雰囲気ではなかった。
唇を尖らせ、苛立ちを誤魔化そうと、つい頭を掻き毟ってしまう。乱れた髪で視界が遮断されるが休憩所へと向かう。椅子に座り体を休めたかった。
「何、苛々してんの?」
聞き慣れないイントネーションと声。どこか関西弁に聞こえた。
乱れた前髪を整えて見ると、目の前の休憩所の奥、窓側の椅子に座り、テーブルに頬杖を突いた男が不思議そうに眺めていた。
「あんた」
突如話しかけてきたのは昨日、沙紀が間違えて声をかけた男だ。
昨日に続いてまた情けない格好を見せてしまったと、沙紀は頬をひそめる。
「えっと、その、昨日はごめん」
体裁悪く、言葉が続かず詰まってしまう。
「座ったら?」
立ち竦む沙紀に男は椅子を促す。逡巡した揚句、高校生の少年を待つ意味もあって、男とテーブルを挟んで座る。
椅子に座ると、耳にかかる髪を手で摩り、乱れていたのを整えた。背凭れに凭れると、冷房の気持ちよさに、自分が走って来て体が火照っていたのを改めて気づかされる。
ふと嵌め殺しの窓を眺めれば、澄み渡った空から容赦なく太陽が照らしており、席を間違ったとげんなりする。
「あ、清水さん、ちょ、悪いけどお茶二つ買うて来て。あ、別にコーヒーでもえぇでぇ」
(やっぱり、関西弁?)
目の前に座った男が唐突に廊下に向って大声を上げる。見れば、一人の看護師が休憩所の前を通っていた。
「何、言ってるのよっ。そんなの無理でしょっ」
突拍子のないことを言われ、看護師は声を荒げる。目尻が吊り上がっているのを見て、沙紀は笑いそうになる。
「欲しいなら、名前を思い出しなさいっ」
看護師の立場を忘れてかはっきりとした返事に沙紀は逆に好感を抱き、口元を押さえながらも笑ってしまう。
「ねぇ、あんた、関西の人?」
「――ん、ううん」
看護師に軽くあしらわれて苦笑する男に、喋り方が気になって聞くと、男は気さくに否定する。
「じゃ、知り合いに関西人とかいるの?」
思い浮かぶ可能性を言うと、男はどれもかぶりを振る。そしてテーブルの上に掌を重ねて視線を彷徨わせる。
これまでふざけた素振りを見せていたのに、急に感情が消えて人形みたいに冷たく見えた。
「自分、誰か捜してるん?」
男を眺めていた沙紀には、やんわりとした口調であっても、つい驚き瞬きをする。
「それとも、誰か待っとるん?」
「――両方、かな」
首を傾げて答えた。それ以上は踏み込まれたくない警戒心から、話さずにいた。
どこか気の抜けた、とぼけた顔をしている男から顔を逸らして辺りを見渡した。すると、休憩所に二人以外誰もいなかった。
これまで切羽詰まって周りを見る余裕がなかったのもあるが、改めて病棟で患者らしき人を見かけたことがないのに気づく。
「やけに静かなのね」
「あぁ。ま、ここの人らは、あんま外に出んの好きちゃうみたいやし」
「あんたは違うの?」
「ま、病室に閉じ籠るんも好きちゃうし」
「誰かに連絡とかはしないの?」
面識のない人物に聞いてしまっている自分に、戸惑いながらも口が動いた。
すぐに軽い口調で返事がくると思っていると、男は黙ってしまう。またしても頬杖を突き、窓の外を仰ぐ。
「それが、知り合いがいたか覚えてへんねん」




