第一章 23 ―― 問いかけ ――
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どこにあるのかは把握していた。
けれど、いつ知ったのかと尋ねられれば逡巡してしまう。
なぜなら、目が覚めたとき、蓮の記憶の淵に深く刻まれていたのだから。
蓮が住む街の駅から一時間ほど離れると、そこは都会から遠ざかる片田舎となっており、駅を降りれば線路を挟み、田んぼと町並みが対峙する奇妙な土地になっていた。
町のふもとに深い森が隣接している。
夜ともなると森に街灯など一切なく、奥へと続く道は漆黒の闇が大きく口を開けて不気味さを増していた。
誰もが悪魔みたいな森を敬遠して、近づこうともしない場所に、蓮が突き進んでから二十分はすぎようとしていた。
街灯はなく、足元は覚束ない。
昼間の制服と違い、ジーンズにTシャツと動きやすかったけれど、暗闇のなかで枯れ葉や枝木を踏みつけるとピシッ、ピシッと悲鳴を上げるたびに背筋が冷えてしまった。
そのたびに力を入れて歩いた。夜空を見上げると、周りの木々が星や月を拒むように左右に深く枝を伸ばし、頼りの月灯りを嘲笑うように遮断する。
木々の隙間を駆ける風が先ほどから鳴り、枯れ葉を踏む音と重なり、まるで森全体が立ち入る者に対して警告しているように聞こえる。
だが、蓮は森が奏でる不協和音に臆することも、道に迷うこともなく突き進む。
彼は知っていた。
森に悪魔もいなければ、自分は拒まれていないことを。
しばらく歩いていると、それまで闇に覆われていた空間に一筋の光が奥に細く差し込んでくる。まるで雲の隙間から太陽の光が差し込むように。
光に導かれ、蓮は足早に歩む。
それまで閉ざされていた空間やがて一気に消え去り、大きな空間が目の前に染まる。これまでの闇は月明かりによって追い詰められ、眼前が明るくなる。
穏やかな風が水面に緩い波を生み揺れていた。奥の小島で伸びる大きな木は悠然と空に伸び、月灯りを浴びた姿は神秘さに満ちていた。
立ち止まった蓮は瞬きをするのも忘れ、だらしなく口を半開きにして眼前の光景に魅せられていた。
「――どうしてここに来たんだ?」
自然とこぼれる疑問が風に消される。
答えを見つけられずに呆然としていると、どこからか体に刺さる視線に気づいた。
すぐに一点に目が止まる。
昼間、蓮が描いた絵に違和感を抱いた場所に、まるで誰かがいるのを事前に分かっていたように。
蓮は目を見張る。
昼間、無意識に老人を描いた場所に、現実にも一人の老人が座っていたのである。
七十歳を越えていそうな男の老人。歳のせいなのか、全体的に細いのが目立っている。辺りが暗く、はっきりとした表情は読み取れないけれど、頭部に白髪を目立たせた五分刈りの頭。深いシワのせいか、彫りは深く、厳格そうに見えた。
池のそばの石に腰かけ、杖を地面に突いて夜の来訪者である蓮を不思議そうにまじまじと眺めていた。
黒のポロシャツを着ていた老人の容姿を一度確認して、痛い視線に耐えきれずに池に目線を逸らしてしまう。
それでも、依然として強い力を感じずにはいれなかった。
目蓋を閉じ、辺りの光景を遮断すると、唇を噛み締めて息を呑み込む。
「……いつもここにいるんですか?」
短く聞いて口ごもる。自分から話しかけたことは、蓮にしては、初対面の人物への反応としては珍しい。
しかも、こちらを眺める老人へと歩み寄っていた。
「ここで何をしているんです?」
そばに寄り尋ねると、老人は池へと顔を向け、
「ただ、眺めてるのさ」
厳格で近寄り難い雰囲気を漂わす表情に似合わず、老人は穏やかに言う。だが、意味が掴めず蓮は渋る。
「皮肉だな、人の時間とは」
「え? えっと、そうですか?」
「あぁ。本人が望んでいなくても動き出す者もいれば、再び時間の流れが動かない者もいるんだからな」
話の意図が読めず蓮は困惑する。
「お兄ちゃんはどうしてここへ来たんだい?」
突然の問いに蓮は逡巡してしまう。明確な返事をできず、蓮は池を眺める。
「分からないんです。どうしてここに来たのか。ただ、頭にここの風景が浮かんで」
「お兄ちゃんがここにいるということは、一度命を落としたんだね」
静かに告げられる言葉に蓮は黙って頷く。
「求めてるんじゃないかい、お兄ちゃん。ワシと同じように。お兄ちゃんはここにいる。それが答えであり、その理由も分かってるんじゃないのかい?」
まるで自分の心を見透かされたみたいに、老人は澄んだ目で見る。蓮には老人の言葉が胸に鋭く刺さり、動揺から鼓動が高鳴っていた。
それでも不敵に笑う老人に言葉を返せずにいた。
「ワシはいつもここにいる。叶わぬ夢だと知りつつも、きっと待っているんだろうな」
「僕は別に何も求めてなんか。ただここには――」
「目的なくここに来る者はいないさ。きっと何か不安を抱えてくる」
「だから僕は――」
「じゃぁ、お兄ちゃん。なぜ、泣いているんだい?」
老人の指摘で蓮はハッとする。それまでまったく気づかなかったのに、頬がこぼれていた。
悲しくもない。悔しくもない。
……はずなのに。
頬を伝う涙に息を詰まらせていく。感情に逆らい、留まらない涙に反抗して、目蓋を閉じる。
漆黒に浮かび上がる一筋の光。光は次第に形を成していき人影へと変わる。
立花弥生の姿に。
屈託なく笑う弥生の姿に蓮は奥歯を噛み締める。
「気にすることはないさ。誰だって、思いを寄せて来た者はそうなんだ。いつか分かる。分からなければいけないんだよ」




