第一章 22 ―― 老人 ――
22
描かれた風景をじっと眺める弥生。
連にしてみれば、かなり自信のある絵になってくれたので、喜んでほしかったのだけれど、しばらく絵を眺めて黙ってしまう。
「……夜なんだ」
しばらく眺めたあと、ふと呟いた。
自分のイメージ通りに描かれたのか、満足げにする弥生であったけれど、ふと絵に違和感を抱き指摘する。
「僕もその場所を知ってる。けど、どう考えても夜しか描けないんだ」
「――うん。いつも夜」
これだけは譲れず、静かでも強く言うと、弥生は意外にも否定はせず、蓮の指摘に同意した。
奇妙な共通点が生まれてしまい、二人は黙る。どれだけ思い描いても虹の畔は暗く、陽射しを忘れたように明るさは記憶になかった。
「大体、なんで〝虹の畔〟なんだろうね。夜に虹なんて見えないのに」
「さぁ? 僕に聞かれても」
「別に責めてないって」
困惑気味に鼻頭を指で摩る蓮に、弥生は苦笑する。
「――あれ? ねぇ、この人、誰?」
すると、絵を見ていた弥生は目を凝らし、長椅子に座る蓮を手招きする。呼ばれて蓮はベッドに座る弥生に身を屈め、彼女が手にするスケッチブックに目を配る。
「ほら…… 池のそばの石、岩かな? に座ってる、これってどう見ても人じゃない?」
スケッチブックを蓮に傾け指差す。
丁度、池と周りの木々の間に位置するところで、人影にも思える形が小さな膨らみに座っているシルエットになっていた。
「どう見ても…… じいさん、かな?」
石に腰かけ、池、もしくは小島の木を眺める形に座る人。不思議と老人の男であるように見えた。
蓮は長椅子にドンと勢いよく座って背中を預けると、腕を組んで悩んでしまう。
首を傾げ何度も唸る姿は、本人も意図的に描いたつもりはないようであった。
不思議ではあるけれど、自然と指が動いていて、指摘されるまで老人らしき人物の存在に気づいていなかった。
「でも、怖いな……」
頭を抱えていると、途切れそうなか細い声で呟く弥生の声に、顔を上げる。すると、弥生はうつむき唇を強く噛み締めていた。
「怖いって言っても、ただの絵だよ。ちょっと勝手に描いただけで――」
「違うの」
弥生はかぶりを振る。
そこで弥生はスケッチブックをベッドの脇に置き、体を逸らすと天井を見上げる。
「もしかしたらさ、こうして、このおじいさんは誰だろうって話してるのもさ、忘れてしまうのかなって」
弥生はこちらに顔を向けることなく弱々しく呟く。彼女は平静を装うとしていても、瞳の奥で込み上げる恐怖を必死に堪えているのは横顔でも伺えた。
「いや、ちょっと、目が覚めて混乱してただけだろ? ほら、靴紐を結ぼうとしてほんの一瞬、結び方を忘れてしまってるような。それと同じだよ。記憶が消えるなんて聞いたことないよ」
蓮はこちらを振り向こうとしない弥生に手振りで必死に弁解する。だが、ところどころ声を詰まらせ、上擦らせる様子に彼自身も動揺をしていた。
結局、そんな自分に嫌気が差して口を噤む。
「何ムキになってるのよ。それに変な例えよ、それ」
一人苛立つ蓮を見て、弥生は嘲笑う。彼女の笑い声に蓮の頬は次第に紅潮してしまい、顔を背ける。
「けど、ちょっと安心した、かも」
これまで不安から強張っていた弥生の声は和らげ、蓮は釣られてベッドの上に目線を移す。するとそこには屈託ない笑みを注いでくれる弥生の姿があった。




