第一章 21 ―― 虹の畔 ――
21
一時間ほどで弥生の病室に戻って来た。
意外にも鉛筆を売っている店を見つけられず、結局は文房具店まで足を伸ばしていた。ついでにA4サイズのスケッチブックも一緒に買い揃えておいた。
スケッチブックを膝の上に乗せ、気持ちを整える。弥生は、思いのほか大ごとになってしまったのを後悔しているのか、呆れてうなだれている。
「それで、描いてほしいってどんな絵?」
なかば一方的に蓮が聞くと、弥生も諦める。
しばらくうつむき、何かを思案したあと、顔を上げる。
「そこは深い、深い森のなかなの。大きな木が一杯あって。普通の山道を外れた場所から奥に進んで行く。暗くて足元も悪くて、木が行く手を邪魔するの。けれど、そんな悪い道を進むと突然、目の前が明るくなって」
息を整え話す弥生だったけれど、意図が掴めない内容に唇を噛んでしまう。
「それまで木が一杯だったのに、それが急に広がってポツンと開いた広場に出て。そこには大きな池があって、風が吹けば緩く波が起きて。でも普段は穏やかで静かな場所」
そこで弥生は一度止める。
話は続いたので、イメージを膨らませる。弥生の説明を元に、頭で光景を思い描き、手に伝える。
蓮が絵を描くときの特徴。彼は人から話を聞き、それを話した本人の想像通りに描けた。まるで、警察の似顔絵捜査官が目撃者の証言を元に、犯人などの顔を描いていくように。
弥生の言葉に迷わず、指を走らせる。
「それで、池の中心に小さな小島があって一本の大きな木が生えてる。人が上がれないほどだけど、木が乗っているような小さな島で、木は空に昇るように枝が無数に広がっている。違うか?」
思わず鉛筆を置くと、蓮が代わって説明する。すると一瞬、躊躇するが弥生は頷く。
「それに、なぜかそこにいるのは夜だけ。ポッカリと開いた空間を夜空に光る月が池を照らしてる。どれだけ曇っていても、そこだけは明るくて、水面に月が反射した幻想的で綺麗な場所」
すべてを話し終えると、弥生は満足げに息を吐く。
「やっぱり、知ってるんだね」
思いのほか動揺せずに、穏やかに問う弥生に対して、渋い顔で頷く。
「――虹の畔、だろ。蘇ったのち、それまで一度も行ったこともなかったのにはっきりと覚えている場所。あの〝勿忘草〟と一緒に頭に刻まれていた記憶」
「そう、だよね……」
「そっか、弥生も知ってたんだな、やっぱり」
そこははっきりと思い描けた。
別に弥生とデートに訪れた場所でもないのに。
誰かに教えられたわけでもない。気づいたときにはすでに脳裏に潜んでいる場所。思い当たる節はないのに、奇妙な確信は抱いていた。
蘇った者にだけにある記憶――
「でも、よかった。私だけじゃなかったんだね」
蓮が同調する様子に、弥生はベッドの上で本当に心から胸を撫で下ろしていた。
そばで安堵する弥生を横目に、蓮は流暢にスケッチブックの上で鉛筆を走らせる。手の動きが一度も迷わず動き続けたのち、不意に止まる。
「――よし、終わり」
指が止まるのと同時に蓮は静かに告げる。
スケッチブックに広がる光景。紙の両脇に木々が生い茂り、どこかの山道を抜ける直前の時間。目の前に大きな池があり、中心に小島、太い木が一本、空へと育ち無数に伸びた枝が空に手を伸ばす。穏やかな水面には夜と思える満月の姿が揺れていた。




