第一章 19 ―― 情けない ――
19
弥生に病室を追い出されてから、すでに三日が経っていた。あれ以降、蓮は弥生とは会っていない。
もちろん、メッセージを何度も送ろうとしていた。
しかし、スマホをじっと眺めていても、何を送ればいいのか言葉は浮かんではくれなかった。
無理矢理浮かべてはみるけれど、そのときは「ごめん」といった謝罪の言葉しか浮かんでくれず、いつも躊躇していた。
そして、結局は何も送れず、スマホを置いてしまう。を繰り返してばかりで、時間だけがすぎていた。
それでも、病院には毎日通っていた。
ただ、エレベーターを降りて二、三歩進んだところでいつも蓮の足は止まってしまい、しばらく立ち竦んだあと、きびすを返していた。
時折、ほかの患者や看護師と目が合うと気味悪がられたり、煙たがられたりもした。
今日は藤崎恵理という看護師だけは、戸惑わられながらも先導してくれたけれど、蓮は断った。
結局、今日も引き返した。
エレベーターに乗らずにふと横の階段を上がっていた。学校で最後に弥生と話したのが屋上であり、そのときの記憶が蓮を誘ったのかもしれない。
屋上に出ると、閑散とした空間が広がり、奥に進んで鉄柵に肘をかけると、街を見下ろした。
学校の屋上と違って遠くまで見渡せ、頬に触れる風も気持ちよく感じられた。
立花の奴、学校辞めたらしいぜ ――
昨日、HRの始まる直前、ざわめく教室内で前席に座った正樹は神妙な表情で話し、一時、教室のざわめきが消え、正樹の声だけが鮮明に残っていた。
詳しく聞こうとするとチャイムが鳴り、そのあとも休み時間に聞いてみたけれど、正樹いわく、女子の間でそんな噂が流れていた、としか分からなかった。
蓮自身は女子に聞こうとせず、結局真相は分からないままになっていた。
今日こそ弥生と向き合い、本人から聞こうとしていたのだけれど、彼女とではなく、遠くの景色と向き合うしかできない。
病院に面した国道を走る車を目で追っていた。耳に届く雑音をじっくりと聴き入っていたとき、自然と蓮の口が開く。
雑音に混じり流れていく音。蓮は自分でも気づかない間に、〝勿忘草〟を口ずさんでしまう。
懐かしさに駆られる歌、弥生が歌っていた歌を。
明確な歌詞もない歌を奏でていたとき、突発的に蓮は体を逸らして口を噤む。背中から突然聞こえた空気を震撼する音。
鈴の音に。
儚くも聞こえる鈴の音に、蓮はゆっくりと体を反転させる。
「人に歌うなって怒っといて、自分は歌ってるんだ」
振り返る寸前、蓮の体に声がぶつかる。聞き慣れた弥生の声が。
突然現れた弥生は釈然としない様子で機嫌が悪そうに見えた。彼女の出現に途方に暮れている蓮を尻目に、弥生は蓮に歩み寄る。
「久しぶり、なんだよね」
「ついこの前、会ったじゃん」
ようやく会えた弥生なのに、上手く話せず変なことを言ってしまう。本当は、ようやく会えたことに対して、嬉しいはずなのに、感情をどう出していいのか分からず、呆然としてしまった。
何も話せないでいる蓮に対し、弥生は困り果てた様子を浮かべ、鉄柵に肘をかけると、空を見上げる。
「藤崎さんに聞いた。病棟まで来てたんだって? どうして病室まで来なかったのよ」
「お前がもう来るなって言ったんだろう」
空で流れる雲を見ながらぞんざいに突き放す。
しばらく返事がなく、弥生の様子を伺おうとすると、彼女は無言でじっと睨んでいた。どこか蓮を責めるような冷たさで、目が合うと咄嗟に顔を背ける。
「……情けない」
冷ややかな罵倒に、瞬きをするときにはもう、弥生は蓮に背中を向けていた。だが、以前みたいに蓮を拒み、追い返す素振りを見せはしなかった。
そっぽを向ける弥生に蓮は頬を顰め、困り果てると執拗に頭を掻き毟って。
「……昨日、学校を辞めるって噂、聞いたけど、ほんと?」
蓮自身受け入れたくなく、頭を抱えながら弱々しく尋ねる。
返事がない代わりに、二人の間で鈴の音が鳴った。
短くチリンとなった音を辿ると、弥生の右手首に見覚えのある鈴を見つける。
彼女が以前スマホに巻いていたシュシュに、持っていた鈴を巻いている。
腕を動かすたびに、鈴の音が風に乗っていた。それでも、連には儚い鈴の音は寂しげに聞こえてしまう。
平静を装っていた弥生であったけれ、一瞬の動揺からか、腕を震わせて鈴を鳴らした。
じっと小さな顔を眺めていると、ふと弥生は振り返り苦笑いを浮かべる。
「うん。お母さんに頼んだ。結構反対されたけど。けど、早いね、話が広がるのって」




