第一章 14 ―― 歌 ――
14
弥生が病棟をあとにしてから、すでに二十分ほどが経っていた。病棟を出て行ったのを見かけた恵理は彼女が戻らないのを気にし、壁の時計をじっと眺めた。
(どこに行ったんだろ?)
じっとはしてられなくなった恵理は足早に病棟を出ると、エレベーターに乗り込む。
入院患者が向かう場所を思い浮かべる。
(中庭? 一階? それとも外に出て買い出し?)
顎に手を当てて思い当たる場所を巡らせる。
(でも、パジャマ姿じゃ外出はしないだろうし)
操作パネルに手を当てて考えていると、ふと彼女が病室で窓の外をじっと眺めていた姿を思い出す。
どこか寂しそうな眼差しで遠くを眺める姿は印象的に見え、強く残っている。霞む弥生の姿に、どの階を押すべきか迷っていると、咄嗟的にエレベーターを降りた。
「ま、違ったら捜せばいいのよ」
不安が強まるのを誤魔化そうと、ワザと声に出して自分に言い聞かせると、エレベーターの隣にある階段に向かう。
恵理は階段を上る。彼女の勤める病棟の上にあるのは屋上。
屋上には階段を使わなくては行けなかった。
階段を上ると、窓のついた扉が行く手を阻む。施錠はされておらず簡単に開き、恵理は屋上へと出た。
密閉された階段に風が流れ込むと、幾分風は冷たい。陽はまだ高いけれど、髪を揺らして頬に触れると肌悪さに眉をひそめる。
屋上はコンクリート張りの地面が閑散としていた。
時折、ほかの病棟からも気晴らしに訪れる者もいるものの、見渡す限りでは今日はいないようだ。
屋上全体を見渡すと、恵理は安堵してホッと胸を撫でおろす。
腰ほどまでの高さのある鉄柵に、見慣れた青いパジャマを着た後ろ姿を見つけて。
立花弥生だ。
彼女が鉄柵越しでなかったのと、自分の予想が的中したことに胸を躍らせ、足早に弥生へと歩み寄った。
まだ恵理に気づいてないらしく、弥生はじっと青空を眺めていた。彼女に近づくと微かに口笛のような音が耳に届いた。
「なんの曲?」
弥生とはまだ距離があったけれど、思い切って呼んでみた。すると、突然の呼び声に驚いたのか、体を一瞬ビクッとさせて振り返った。彼女の目は動揺を隠せず丸くした。
近寄りながら笑って首を傾げ曲名を聞くと、弥生は照れているのか苦笑いをこぼしながらうつむいて首を振る。
曲は気にはるけれど、口を紡ぐ弥生に深くは追求しないでいた。
「病室にいなくていいの?」
話題を変えようとポケットに手を入れて話を切り出す。つい先ほどの彼女のスマホでの話だ。
「なんか、会う気になれなくて」
「そう、なの?」
本当に彼女の恋人が病院に来られるのかは定かではない。それでもどんな子が現れるのか、微かな期待を恵理は抱いていた。
「やっぱり、その、好きな子に自分の病人姿を見せるのは恥ずかしい?」
まだ弥生は高校生。一番オシャレに気を配る年齢である。なのに今は病院指定の青いパジャマ姿。それを見せたくないのかと思えた。
患者に対して深く干渉しないと、貫いてきたけれど、弥生を見ているとつい考えてしまう。
「今、あいつに会っていいのか、正直迷ってるんです」
弥生は呆然として、悲しげな眼差しを空に捧げる。
「だから逃げてきたんです」
「でも、この病院に来れるかは分からない、んでしょ?」
「けど、やっぱし」
「……そっか」
会って、その不安をすべてぶつければ楽なんじゃないの、と考えてしまう。
(って、簡単に言えないよね)
街を見下ろした。街は県のなかでも中心から離れており、住宅の近くで公園などの緑が生えている場所もちらほらと目立っていた。
住宅の影に映える緑は、都心のような建物でひしめき合った冷たさを解放してくれている気がして、恵理は好きでじっと眺めた。
「ここから見える夕焼けって、結構好きなのよね」
自然と声が漏れていた。
まだ空は青かったが弥生もフッと笑みを浮かべていた。




