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アルヴァレインの魔女  作者: 理慈
第4章
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2-1. 希う(1)

 本来であればこの部屋は、遮音結界により外界の音が届かず、午後の執務は無音に身をゆだね没頭できる空間であった。首席補佐官のエレナ以外は執務室への立ち入りを制限している。王族でもなければ、許可なく執務室に踏み入ることはない。


 しかしこの男――ユーネルディア伯爵については、執務室への入室を許可せざるを得なかった。王宮にある会議室で彼女に関する話をすることはできない。そんなことを不用意にしてしまえば、どこから彼女の耳に入るかわからないからだ。


 静謐なはずの空間は、今やその男の口から溢れる陳腐で陋劣(ろうれつ)な言葉で満ちていた。

 面会はこれで数度目になるというのに、この男は毎回のように、いかに自分が慈悲深く、愛情を持った夫や父であったかを語り、娘を大事に思っているのだという空言を放つ。


「娘が生まれた時、私は愛する妻を失いました。そして生まれた娘には魔力回路がなかった。この苦しみが、筆頭閣下におわかりになるでしょうか? しかし私は娘を決して見捨てず、貴族の娘としてきっちりと育て上げました。娘が我がユーネルディア家を支えるために、市井の暮らしに身をやつしたとしても、一日たりとも、シトラを思わない日はなかったのです」


 クレイスは執務室に設えている長椅子に腰を下ろしていた。組んだ足の上で両手の指先を交差させ、瞼を半分下ろして感情を抑えている。

 この長々とした無駄な御託は、自分から金を巻き上げる正当性を担保せんとする浅慮からきているのだろう。こんなものでごまかせると、本気で思っているのだろうか。だとしたら、シトラの聡明さは母譲りなのかもしれないな、とクレイスは思った。


「ええ、それはもう、閣下には感謝し尽くせないほどの恩を感じております」

 ユーネルディア伯爵は、にたり、と口髭に囲まれた唇を横に引き伸ばした。

「ですが、私はあの子の父親です。愛する娘と共に暮らしたいと思わない親がどこにいるでしょう。閣下の心中を思えばこそ、私は、愛するシトラを返してほしい、という気持ちを、涙を呑んで堪えているのです」


 憤怒が喉元で渦巻いた。


 愛するシトラだと。どの口がそれを言う。


 激昂がこの空間の全てを凍らせる直前、クレイスは己の魔力をかろうじて鎮圧した。


「前回、閣下が我がユーネルディア家にご支援くださった件に関しては……閣下のお気持ちの表明だと受け取っております。しかし、父親としての深い愛情を、あれですべて解決せよと仰せになられては、酷というものでございましょう」


 クレイスは答えない。反応する価値も、耳で拾う価値もない言葉だ。


「……おわかりですよね? 前回の十倍、いえ、二十倍はご支援いただかねば」

 沈黙するクレイスに焦れたのか、ユーネルディア伯爵は追い打ちをかけるように言葉を足した。


 瞼を上げ、視線をくれてやりながら、クレイスは底冷えのする声を出した。


「くだらんな」


 男は目を見開いて怒りをあらわにする。


「いくら閣下と言えど、無礼にもほどがあるご対応だ!! 筆頭閣下が私の娘を攫って監禁していると法務省に訴えてもいいんだぞ!!」

「ほう……?」


 クレイスがひそかに酷薄な笑みを浮かべた。その時。

 己の魔力の一部が、悲鳴にも似た痛みをともなって引き裂かれた。


 彼は思わず息を呑む。胸に手を当て、その源泉を探る。

 シトラに渡した首飾りが、彼女から外されている。なぜだ。湯浴みのために外したにしてはあまりに悲痛な感覚が、クレイスの胸を焦がした。


 何があった。私のいない魔塔で何が起きている。


 クレイスの脳裏に、シトラの姿がよみがえる。

 昨日、帳簿を前に固まっていた彼女。

 今朝、いつにも増してこの身を案じていた彼女。

 おかしいと思いつつ、下手に触れて踏み込んではならないと自制していた。愚かだ。予定などなげうって彼女の側になぜついていなかったのか。


 クレイスは立ち上がった。彼女の待つ魔塔に帰らなければ。今すぐに。


「話はまだ終わっていませんぞ!」


 息巻く男に、クレイスは一瞥をくれた。

 伏せ気味の瞼の奥、睫毛の先に氷が付着しそうなほどの眼差し。足元から冷気が這い広がり、室温が急激に低下する。


「訴えたければそうするがいい」


 燃え盛る怒りとは対極にあるような、凍てつく声音が言葉を紡いだ。


「ただし、シトラを私から奪おうとしてみろ。その時は貴様だけでなく一族郎党もろともがこの世の地獄を見るだろう。いっそ殺してくれと思うほどのな」


 言い終わる前に男が「ひいっ」と飛びのいた。がくがくと足を震わせながら、慌てふためいて執務室を出る。


 もうこの場所に留まる理由はない。

 クレイスは長衣の裾を翻すようにして長椅子から離れると、円を描くのももどかしく指先を一回転させてその場から消えた。

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