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アルヴァレインの魔女  作者: 理慈
第2章
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8-2. 暗礁(2)

 クレイスの瞳が自分を優しく見つめていた。もの言いたげに碧眼が揺らめいている。しかし彼は短く「わかった」と了承すると、霧が晴れるようなさりげなさでシトラの前から離れ、演習場の扉へ向かった。その背が遠ざかっていく。自分を置いて。当たり前だ。自分がここに取り残されることを望んで、口にしたのだから。なのにどうして痛く感じるのか、シトラにはわからない。


 彼は振り向かずにその扉を開け、去っていく。シトラはそこから一歩も動けず、杖を掲げることもなく、ただ無表情で演習場に立ち尽くしていた。自分が何をしたくて、何をしようとしているのか、本当に望んでいることはなんなのか、それがはっきりしないことが一番不快だった。


「シトラさん……大丈夫?」

 いつの間にそばに来ていたのか、遠慮がちなルカの声に、シトラは自分が暗い顔をしていたと気づいた。


「ああ……うん……」

 取り繕わず、元気のない声で答えてしまい、シトラは自嘲気味に笑う。

「簡単にできるはずのことが、全然うまくいかなくて……」


 言葉にすると余計みじめで、それより後が声にならない。うまくいかなくて、なんだろう。がっかりした? もうやめたい? どれも違って、正解がない。


「シトラさん、こっち」

「えっ、なに?」


 ルカがシトラの手を握り、演習場の端の壁まで引くようにして歩く。大人しくそれに従うと、ルカはぽすんと壁際に腰を下ろした。シトラもそれに倣って隣に座り込む。


「俺さぁ。魔術士になんかなりたくなかったんですよね」

 意外な告白を、彼はさらりと言ってのけた。


 ルカは目を細め、高窓から差し込む光を眩しそうに見つめている。


「俺、平民の生まれなんです。魔力回路が無い……ああ、今は『通ってない』っていうんだっけ。そういうフツーの両親の間にポコッと生まれちゃった突然変異で。魔力あるからって魔術院の専門高等学院に放り込まれて、才能があるから磨けって偉い先生に言われまくって。でもこの体質だから、魔術士の中にいるのが苦痛すぎたんです」


 普段の、気さくで明るい彼とはまた違う、淡々とした口調だった。


「めっちゃ荒れて、修練なんか怠けまくって、誰も俺のつらさなんかわからないんだって思ってた。当時師匠はまだ学院で講義してた時期で、でも話なんか何にも聞いてなかった。そしたらある日呼び出されたんですよね。筆頭閣下の直呼び出しとか、やばい! 死ぬ! って思ってさぁ」


「それはたしかに、危機感あるかも」

 からからと笑うルカに、シトラもまた、軽く笑って相槌を打つ。


「でしょ。そしたら師匠がさ『君はその膨大な魔力を垂れ流したまま生きていくのか。それは君が他者から感じる圧よりもずっと大きい』とか言い出すんですよ。もう、びっくりで」

 ルカは大げさにその翠の目を見開いて、手を広げてみせた。


「俺は被害者だって思ってたら、師匠が、お前は加害者でもあるって言いだすの。でも、言われてみたら納得だったんです。俺の周り、魔道具が誤作動起こしたり、なんか頭痛がするって言いだす人がいたりしたから……動物にも全然好かれなかったし」


「なんていうか……クレイスらしいね」

 普通なら苦しんでいる人に掛ける言葉ではないのに、それを敢えて口にするのは、彼の誠実さゆえだろう、とシトラは思った。


「ほんと、師匠って感じですよね。でも師匠の言葉って、単なる事実じゃないですか? 責める気持ちとかが全くないから、俺も特に反発したりせず、そうなんだって受け入れられて……師匠は『私の元で制御を学べ。そうすれば君自身が生きていくのも楽になる』って」


 ルカが懐かしそうに話すのを、シトラはどこか羨ましい気持ちで見つめていた。彼は望まれた弟子なのだ。自分のように、突発的な事故で引き取ったわけではなく。


「それから宮廷魔術士試験に合格して、師匠の弟子になったんですけど……師匠って、微笑んではいるけど、それは表だけで、全然笑わないし、食事しないし、寝ないし、いつも何考えてるかよくわかんなかったんですよね」

「……ええ!?」


 思わず大声をあげてしまい、シトラは口を押えながら目を丸くする。驚いたシトラに、ルカはにやりと歯を見せるようにして、わざとらしく表情を作った。


「知りませんでした? 俺、三日前に魔塔に来た時、めっちゃびっくりしたんですよね。扉開けた時に、師匠の魔力が全然違うから。気のせいかなって思ったけど、気のせいじゃなかった。時々痛いのは嫌だけど、それだって前にはなかったし。なんていうか……師匠って、ちゃんと生きてたんだなって思って」


 その明け透けな物言いは、ルカがクレイスを心底信頼している証に思えた。


「魔塔に引きこもってるとか言ってたけど、全然じゃんって。シトラさんだって、エレナさんが言うような人じゃなかったし……」


 流れるようにそこまで声に出して、ルカは、はっきりと『しまった』という顔で口を噤んだ。


 大人として、ここは流すべきだ、とシトラは思う。思うが、どうしても、できない。


「……エレナさんが、なんて?」


 問いながら、シトラはエレナと初めて会った日のことを思い出していた。理知的な彼女の目が、クレイスを追っては離れを繰り返していた、あの場面を。やはりそうなのだ。自分は歓迎されていないどころか、むしろきっと……。


「その、あの、ああ、どうしよう。師匠には内緒にしてください。お願いします」

「うん。クレイスには、言わない」


 だから教えてくれる? と、シトラは優しい笑みを浮かべて、困り果てたように髪を掻き混ぜるルカに首を傾げてみせた。

 ルカは降参の仕草で、床に投げ出した足の間に手を差し込んだ。


「……俺がここに来たのは、エレナさんに言われてきたんですよ。魔塔に得体の知れない女がいるから見て来いって言われて。師匠が魔塔に引きこもって国益がどーのこーの」


 ああ。


 シトラは膝を引き寄せた。


 見ないように、考えないようにしてきたことだった。可能性として一度も浮かばなかったと言えば嘘になる。でもそれに向き合うことを避けてきた。自分が邪魔者ではないかと聞き、肯定されれば立ち直れず、否定されても気遣われていると感じるだろう。そんな無意味な問いをするくらいなら、彼が言うまで、気が付かないふりをしていることを選んで。


 でもそれは、間違いだった。少なくとも、彼のためにしていたわけじゃない。


 ――逃げていたんだ、自分は。


 頭痛のような眩暈に襲われて、シトラは引き寄せた膝に顔を伏せた。


「でも会ってみたら得体が知れないどころか、俺にとっては神様みたいな存在だったし、師匠は人間ぽくなってるし、いいことばっかりじゃないかって思いました。だから、その……心配しないでください」


 慌てたように、ルカが声を張り上げた。

 シトラはなんでもない顔を作って、頷く。落ち込むところを見せてはいけない。この子は、秘密を打ち明けてくれたんだから。無理に言わせたのは自分だ。そのせいで、ルカに罪悪感を抱かせるのは、嫌だ。


「ごめん、ちょっと驚いちゃっただけなんだ。でも大丈夫だよ。ありがと、ルカくん」

 笑いながらシトラは立ち上がった。ぱんぱんと衣を軽く払ってから、ルカに向かって手を差し伸べる。


「話してくれて、嬉しかった。ルカくんの話も、クレイスの話も」


 ルカはシトラの手を取って、しかし体重をあまりかけないように勢いよく立ち上がった。


「なら、よかったです。俺、シトラさんにはすっごく感謝してるから。応援してるんで、いつでも、なんでも言ってください!」

「さすが先輩、頼もしいなぁ。そうさせてもらうね」

「はい!」


 ルカが屈託なく笑ってくれたので、シトラは安堵の息を吐いた。それだけで何かが救われた気がした。


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