黒船危機一髪
目の前には大きな樽が鎮座している。
樽の中には何かが入っているようで、てっぺんから黒い何かが頭を出していた。
「おい、早く刺せよ! まだ最初の一本だろ」
僕の手には大きな剣が握られている。目の前の樽には縦長の切り込みがたくさん入っていた。
切り込みの上には文字が書いてある。
「わかったよ、じゃあ民主主義」
僕は民主主義と書かれた切り込みに剣を刺した。剣はするりと吸い込まれて鍔で止まった。
黒い何かは焦げた鉄のような臭いを放ち、喉を焼くような感じがした。
「何もなし、か。じゃあ次は俺の番な」
彼は初めからどこに刺すのか決めていたみたいで、蒸気機関と書かれた切り込みに剣を刺した。
黒い何かはぴくりとも動かない。一体あれはなんなのだろうか。
「ほら、次はお前の番だぜ。そんなにビビんなって」
「一体これはなんなの? 剣を刺すと何が起こるのさ」
「さあな、知らないけどいきなりここにあったんだ。使い方はわからないけど面白そうだろ」
彼はいつもこうだ。後先考えずに楽しそうなことを優先する。
地面に山ほど散らばっている剣を一本拾い上げて樽を見る。まだまたたくさんの切り込みが残っていた。
「じゃあ次は多様性にしようかな」
多様性、という切り込みに剣を刺す。やっぱりなんの反応もない。
「あー、もう焦ったいな。何が起こるか早く見たいしちゃっちゃと全部刺しちまおうぜ!」
彼はそういうと次々と剣を拾い切り込みに刺していく。
共産主義。戦争。宇宙開発。新聞。電気。化石燃料。
資本主義。
黒い何かがぴくりと動いた気がした。
「おい、今の見たか?」
「うん、ちょっと動いたよね」
「どんどんいこうぜ」と言って彼はまた剣を拾っては刺していく。
僕も地面から剣を拾うと何も考えずに切り込みに剣を刺した。
そこには『電話』と書いてある。
カシュッ! っと静かな音を立てて黒い何かが樽から飛び出した。
ジリリリリリリリリン!
大きなベルの音が世界を埋め尽くす。
上を見ると黒い何かは震えながら空高くに浮かんでいた。
「誰か来てくれ! なんとかしてくれ!」
世界中のワトソンたちが受話器を取ったが言葉は通じないようだった。
ワトソンたちは通じない言葉を受話器に向かって叫び続けている。
その叫びは振動となり信号となり、黒い何かに向かって降り注ぐ。
大きなベルの音を鳴らしながら、黒い何かは頭上で肥大化していった。
肥大化した黒い何かは太陽のように水分を蒸発させている。
世界中のワトソンたちが、言葉の通じないワトソンに向けて叫び、その不満を別のワトソンに叫んでいた。
空高くにあったはずの黒い何かは、いつの間にかもうすぐそこだった。
僕と彼はただ立ち尽くし、ワトソンに向かって叫ぶこともしない。
「誰か来てくれ!」とワトソンがワトソンを呼ぶ。
もう誰も受話器を取らなかった。
誰とも繋がらないワトソンたちは肥大化を続けた。
熱気を放つ頭上のワトソンも、もうすでに限界だった。
ワトソンがワトソンを止めようとワトソンを呼んだが、どのワトソンにもワトソンの言っていることはわからない。
ワトソンにワトソンが、ワトソンに言葉が通じないと伝えたが、そのワトソンは自分をワトソンだと思っておらず、ワトソンに対して話しているのにワトソンは誰か別のワトソンに話しかけていると思っていた。
どのワトソンも自分以外のワトソンが悪いのだと思い込み、ワトソンがワトソンに抱いた不満が余計に頭上のワトソンを肥大化していく。
ぽん、と頭上のワトソンが弾けた。
地球は滅亡した。




