夕焼けとオムライス③
時計を見ると、四時五十分だった。もうすぐ営業が始まる時間。開店準備のため、あたしは厨房から外へ出た。
カトラリーをテーブルに並べていると、店の外から子どもたちの賑やかな声が聞こえてきた。
笑い声が、だんだんと近づいてくる。やがて、扉がゆっくりと開いた。半開きのドアの隙間から、中年の女性が顔をのぞかせる。
「ごめんなさい、ちょっと早く着いちゃいました」
「いらっしゃい。いえ、席はもうすぐ準備できますので」
パパが穏やかに応じる。
あたしは手早くテーブルを整え、本日最初のお客様を迎え入れた。ぞろぞろと、子どもたちが店の中に入ってくる。中学生くらいの子もいれば、小学校に上がったばかりのような子もいる。全部で十五人ほど。店の空気が、一気ににぎやかになる。
その様子を、ひなたは振り向いたまま、じっと見つめていた。しばらくして、気づいたように、静かに席を立つ。
「……もう、帰らないと」
小さな声だった。
「栩木さん、お腹すいてないか?」
パパの言葉に、ひなたはきょとんと目を瞬かせる。
「シチュー、一緒に食べてく?」
あたしが続ける。
今日は通常営業の前に、近くの施設の子どもたちを迎え入れる日だ。毎週木曜日は、Canonが子ども食堂になる。
「え、あ……でも――」
言いかけた、そのとき。
くぅ、と。
小さな音が、確かに聞こえた。
ひなたははっとして、すぐに視線を落とす。耳までほんのり赤くなっている。その仕草が、なんだかひどく子どもっぽく見えて。
あたしはパパと顔を見合わせて、思わず笑った。
「……決まり、だね」
ひなたには、もう一度席に着いてもらった。
あたしは配膳に回って、子どもたちに料理を配っていく。ひとりひとりの嬉しそうな顔を見ていると――ふと、ひとりの男の子に目が止まった。
(あれ……?)
記憶の引っかかりを辿る。
「この子って、確か……小麦アレルギーじゃなかったっけ?」
前にも来たことがある子だ。そのときは別のメニューを用意していたはず。
「ああ、そうだな。山中さん、カズ君って――」
「あっ、しまった……! 連絡するの、忘れてました……」
引率の女性――山中さんが、申し訳なさそうに声を上げる。横で、男の子が少しだけ不安そうな顔をした。
「いえ、大丈夫ですよ。すぐ別のものを用意します」
パパは落ち着いた声でそう言うと、こちらに目を向けた。
「Une omelette, s’il vous plaît」
「Oui, chef!」
あたしはすぐに応じる。
「待っててね。すぐ作るから」
男の子に向かって、できるだけ明るく笑ってみせた。
⸻
オムレツ。
あたしが唯一、パパに作ることを許されている料理。
小さい頃から何度も練習して、何度も失敗して、それでも繰り返して、やっと形になったもの。
目を瞑ってでも、とはさすがに言わないけど――この料理だけは、あたしのスペシャリテ。
ボウルに卵を割り入れる。
それから塩、こしょう、生クリーム。
分量は、体が覚えている。
白身のコシが消えるまで、丁寧に混ぜる。
そのあいだに、パパはもうチキンライスを仕上げていた。
(早っ……やっぱレベチ)
感心する間もなく、ポジションが入れ替わる。
次は、あたしの番だ。
火は全開。
フライパンに卵液を流し入れた瞬間から、時間はもう始まっている。
四十秒。
それ以上でも、それ以下でもダメ。
かき混ぜ、半熟の状態で奥に寄せる。
ここからが勝負。
フライパンを軽く振って――
一気に返す。
空気を切る感触。
形が整う。
(……よし)
歪みのない、きれいな楕円。
パパが差し出したチキンライスの上に、そっとのせる。
「Parfait」
短い一言に、あたしは親指を立てて返した。
⸻
完成。ミズキ特製、オムライス。パパがそれを男の子の前に運ぶ。
ナイフが入る。すっと、縦に。次の瞬間――花が開くみたいに、オムレツがほどけた。薄皮の中から、とろりとした半熟の卵が広がる。
「わあ……」
「すげー……」
あちこちから、声が漏れる。その中心で、男の子が目を輝かせていた。
その様子を、あたしは厨房から眺めていた。うん、悪くない。視線を少しだけ横にずらす。ひなたは――まるで、信じられないものを見たみたいな顔をしていた。驚きと、ほんのわずかな憧れのようなもの。
あたしはそれを見て、ほんの少しだけ、胸を張る。……ちょっとだけ、ドヤ顔で。
「今度、ひなたにも作ってあげるよ。今日は――こっちをどうぞ」
そう言って、あたしはひなたの前に皿を置いた。色とりどりの野菜が入ったチキンクリームシチュー。横には、バターライスが添えられている。
ひなたはしばらく、その皿を見つめていた。まるで、触れていいものか迷うみたいに。
「じゃあみんな、手を合わせてー」
山中さんの声に、子どもたちが一斉に応える。
「いただきます!」
その中に、ひなたの声も混ざっていた。
ゆっくりと、スプーンですくう。少しだけ息をかけて、口に運ぶ。その瞬間――ひなたの表情が、わずかに揺れた。驚いたような、戸惑うような、それでいて、どこかほどけていくような。うまく言葉にできない感情が、そのまま顔に出ている。
あたしは厨房の中から、その様子を眺めていた。
うん、Parfait!
店の中は、いつもより少しだけ賑やかで。あたしの心も、いつもより少しだけ、あたたかかった。
毎週木曜日投稿予定です




