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コトノハを奏でて  作者: 氷河期のやもめ
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9/10

夕焼けとオムライス③

 時計を見ると、四時五十分だった。もうすぐ営業が始まる時間。開店準備のため、あたしは厨房から外へ出た。


 カトラリーをテーブルに並べていると、店の外から子どもたちの賑やかな声が聞こえてきた。


 笑い声が、だんだんと近づいてくる。やがて、扉がゆっくりと開いた。半開きのドアの隙間から、中年の女性が顔をのぞかせる。


「ごめんなさい、ちょっと早く着いちゃいました」


「いらっしゃい。いえ、席はもうすぐ準備できますので」


 パパが穏やかに応じる。


 あたしは手早くテーブルを整え、本日最初のお客様を迎え入れた。ぞろぞろと、子どもたちが店の中に入ってくる。中学生くらいの子もいれば、小学校に上がったばかりのような子もいる。全部で十五人ほど。店の空気が、一気ににぎやかになる。


 その様子を、ひなたは振り向いたまま、じっと見つめていた。しばらくして、気づいたように、静かに席を立つ。


「……もう、帰らないと」


 小さな声だった。


栩木(とちぎ)さん、お腹すいてないか?」


 パパの言葉に、ひなたはきょとんと目を瞬かせる。


「シチュー、一緒に食べてく?」


 あたしが続ける。


 今日は通常営業の前に、近くの施設の子どもたちを迎え入れる日だ。毎週木曜日は、Canonが子ども食堂になる。


「え、あ……でも――」


 言いかけた、そのとき。


 くぅ、と。


 小さな音が、確かに聞こえた。


 ひなたははっとして、すぐに視線を落とす。耳までほんのり赤くなっている。その仕草が、なんだかひどく子どもっぽく見えて。


 あたしはパパと顔を見合わせて、思わず笑った。


「……決まり、だね」


 ひなたには、もう一度席に着いてもらった。


 あたしは配膳に回って、子どもたちに料理を配っていく。ひとりひとりの嬉しそうな顔を見ていると――ふと、ひとりの男の子に目が止まった。


(あれ……?)


 記憶の引っかかりを辿る。


「この子って、確か……小麦アレルギーじゃなかったっけ?」


 前にも来たことがある子だ。そのときは別のメニューを用意していたはず。


「ああ、そうだな。山中さん、カズ君って――」


「あっ、しまった……! 連絡するの、忘れてました……」


 引率の女性――山中さんが、申し訳なさそうに声を上げる。横で、男の子が少しだけ不安そうな顔をした。


「いえ、大丈夫ですよ。すぐ別のものを用意します」


 パパは落ち着いた声でそう言うと、こちらに目を向けた。


Une(アン) omelette(ヌムレット), s’il(シル) vous() plaît(プレ)


Oui(ウィ), chef(シェフ)!」


 あたしはすぐに応じる。


「待っててね。すぐ作るから」


 男の子に向かって、できるだけ明るく笑ってみせた。



 オムレツ。


 あたしが唯一、パパに作ることを許されている料理。


 小さい頃から何度も練習して、何度も失敗して、それでも繰り返して、やっと形になったもの。


 目を瞑ってでも、とはさすがに言わないけど――この料理だけは、あたしのスペシャリテ。


 ボウルに卵を割り入れる。


 それから塩、こしょう、生クリーム。


 分量は、体が覚えている。


 白身のコシが消えるまで、丁寧に混ぜる。


 そのあいだに、パパはもうチキンライスを仕上げていた。


(早っ……やっぱレベチ)


 感心する間もなく、ポジションが入れ替わる。


 次は、あたしの番だ。


 火は全開。


 フライパンに卵液を流し入れた瞬間から、時間はもう始まっている。


 四十秒。


 それ以上でも、それ以下でもダメ。


 かき混ぜ、半熟の状態で奥に寄せる。


 ここからが勝負。


 フライパンを軽く振って――


 一気に返す。


 空気を切る感触。


 形が整う。


(……よし)


 歪みのない、きれいな楕円。


 パパが差し出したチキンライスの上に、そっとのせる。


Parfait(パルフェ)


 短い一言に、あたしは親指を立てて返した。



 完成。ミズキ特製、オムライス。パパがそれを男の子の前に運ぶ。

 ナイフが入る。すっと、縦に。次の瞬間――花が開くみたいに、オムレツがほどけた。薄皮の中から、とろりとした半熟の卵が広がる。


「わあ……」


「すげー……」


 あちこちから、声が漏れる。その中心で、男の子が目を輝かせていた。


 その様子を、あたしは厨房から眺めていた。うん、悪くない。視線を少しだけ横にずらす。ひなたは――まるで、信じられないものを見たみたいな顔をしていた。驚きと、ほんのわずかな憧れのようなもの。


 あたしはそれを見て、ほんの少しだけ、胸を張る。……ちょっとだけ、ドヤ顔で。


「今度、ひなたにも作ってあげるよ。今日は――こっちをどうぞ」


 そう言って、あたしはひなたの前に皿を置いた。色とりどりの野菜が入ったチキンクリームシチュー。横には、バターライスが添えられている。


 ひなたはしばらく、その皿を見つめていた。まるで、触れていいものか迷うみたいに。


「じゃあみんな、手を合わせてー」


 山中さんの声に、子どもたちが一斉に応える。


「いただきます!」


 その中に、ひなたの声も混ざっていた。


 ゆっくりと、スプーンですくう。少しだけ息をかけて、口に運ぶ。その瞬間――ひなたの表情が、わずかに揺れた。驚いたような、戸惑うような、それでいて、どこかほどけていくような。うまく言葉にできない感情が、そのまま顔に出ている。


 あたしは厨房の中から、その様子を眺めていた。


 うん、Parfait!


 店の中は、いつもより少しだけ賑やかで。あたしの心も、いつもより少しだけ、あたたかかった。

毎週木曜日投稿予定です

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