夕焼けとオムライス②
一通り使い方を教わると、あたしは仕込みの手伝いに回るため、厨房へと入った。
ひなたはそのまま、ひとりカウンターに残る。玉ねぎの皮を剥きながら、あたしは時折、横目でその様子を盗み見る。
ノートパソコンの画面に向き合うその姿は、さっきまでの彼女とは少し違っていた。
画面に目を落としたまま、ふと息を呑むように瞬きをしたかと思えば、わずかに口元が緩む。かと思えば、どこか遠くを見るように、静かに目を細める。
表情が、こんなにも動くんだ。
あたしの知らないひなたが、そこにいた。
(……ほんとに、小説好きなんだなぁ)
その姿に、少しだけ見入ってしまう。あたしも読んでみようかな、と一瞬だけ考えて――
(いや、無理だわ)
頭の中にびっしり並ぶ文字の列を想像した瞬間、即座に諦めた。剥いた玉ねぎを並べながら、あたしは小さく肩をすくめる。
ふと、コンロのほうから良い香りが漂ってきた。今日のおすすめメニューで出す予定のクリームシチューだ。
野菜の甘みと、クローブのスパイシーな香り。布濾しベシャメルソースの、滑らかな舌触り。一度食べたら、もう市販のルーでは満足できなくなる。
想像しただけで、思わず唾を飲み込んだ。あとで絶対味見しよう。そんなことを思いながら、あたしはまた、ひなたのほうへ視線を向けた。すると彼女もまた、香りのする方へと、そっと目を向けていた。
いくら小説が好きでも、人間の本能には逆らえないよね――そんなふうに、少しだけ微笑ましく思う。けれど、次の瞬間。
彼女の頬を、一筋の涙が静かに伝った。
あたしは思わず手を止める。
(え……?)
そんなに、感動するような話でも読んでるのか。そう思った次の瞬間には、もう彼女は画面に視線を戻していた。何かを確かめるように、何度も読み返すように。
その口元が、かすかに動く。声にはならない、言葉のかたちだけが、そこにあった。
「何ぼーっとしてんだ」
パパの声が、背後から飛んできた。
はっとして、あたしは手を動かす。包丁の感触が、少しだけ鈍く感じた。もう一度だけ、ひなたのほうを見る。彼女は、今気づいたようにそっと涙を拭って、何事もなかったかのように、画面に目を落としていた。
まるで――そこが、自分の居場所であるかのように。
(……なんだったんだろ、今の)
ひなたの見ていたほうを、なんとなく辿る。その先にあったのは、パパの背中だった。鍋をかき混ぜる、いつも通りの後ろ姿。けれど、その視線には気づいていないようだった。
その後は、特に変わった様子もなく。あたしは任された作業を終わらせた。
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