ジンジャエールとリンゴジュース②
席に着いた彼女の横で、あたしはカウンターにカバンを下ろしながら、気になったことを尋ねた。
「もしかして、あたしのこと付けてきたの?」
彼女は小さく肩をすくめ、俯きながら答える。
「……ごめんなさい」
別に責めるつもりなんてなかった。ただ気になっただけ。そうならそうで、明日また学校で会ったときにでも声をかけてくれれば、普通に連れてきてあげたのに。
すると、厨房の中でパパの声が響く。
「君、名前は?」
鍋をかき混ぜながら、視線だけこちらに向けている。
「栩木……ひなた、です」
「栩木さんね。なにか飲むかい?」
「ジンジャエール!」
先手を取って、あたしが右手を挙げた。
「お前が自分で入れるんだよ。彼女の分もな」
即座に突っ込まれて、あたしはぷくっと頬を膨らませる。
「あの……私、お金持ってなくて……」
ひなたがおずおずと口にした。パパはその声に、優しい笑みを返す。
「気にしなくていい。今日はミズキのお客さんってことで」
「そうそう、好きなの頼んじゃいなよー」
それに乗っかって笑ってみせるあたしに、パパは親指を向ける。
「お代はこいつの小遣いから天引きしとくからさ」
「お水! お水にしな! ここの水道水最高だよ!」
真顔で力説すると、ひなたは思わず目を見開いて、
「じゃ、じゃあお水で……」
なんとも弱々しく返してきた。
「冗談だよ、好きなの飲ませてあげな」
パパがこっちに苦笑いを向ける。あたしはべーと舌を出して厨房に回った。そのとき、ひなたの口元がほんのりと緩んだ気がした。
たとえ初対面でも。行動が唐突で、何を考えているのか分からなくても。この店で、パパが「お客さん」として迎え入れたのなら――それは、あたしがどうこう言う筋合いのものじゃない。
歓迎しないなんて、あり得ないのだ。
「でさ、ジンジャエール飲める?」
戸棚からグラスを出してあたしは聞いた。ひなたは少し間を置いて答える。
「飲んだことないけど、多分……」
多分て。いや、それって答えになってないやつじゃん。そうあたしは心の中でつぶやいて、言い方を変えることにした。
「じゃあ、好きな飲み物は?」
ひなたは少し考える。
「えっと、リンゴジュース」
その瞬間、場の空気を軽やかにするように、パパの声が響いた。
「Un jus de pomme, s’il vous plaît」
えっ、なにそれ……と思わずひなたが瞬きを繰り返す。
「Oui, Chef!」
あたしが敬礼のポーズで返すと、今度はこちらに驚きの表情を向けた。そんなひなたを横目に、あたしはくすりと笑った。
「びっくりした? パパ、前はホテルのレストランで働いてたんだよ。だから、いつもあんな感じ」
「すごい。フランス語、話せるんだ……」
「ううん、あたしは全然。食材の名前とか、料理用語とか、ちょっとだけね」
冷蔵庫から取り出したリンゴジュースをグラスに注いで、カウンター越しに差し出す。
「はい、愛情100%リンゴジュースどうぞ」
ひなたは、そっと両手でグラスを受け取って「ありがとう」と言った。その仕草はどこか慎重で、繊細だった。
「……まるで、小説みたい」
俯きがちな前髪の奥、細く隠れていた瞳が、ふっと光を宿していた。その言葉に、あたしは口に含んでいたジンジャエールを思わず吹き出しそうになった。
「げふっ……ちょっと大げさすぎ!」
むせながら笑ったけれど、心のどこかでは思っていた。自分にとっては当たり前で、なんてことない毎日。でも、誰かにとっては、少し特別に映ることだってあるのかもしれないって。
毎週木曜日投稿予定です




