表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
コトノハを奏でて  作者: 氷河期のやもめ
5/7

ジンジャエールとリンゴジュース②

 席に着いた彼女の横で、あたしはカウンターにカバンを下ろしながら、気になったことを尋ねた。


「もしかして、あたしのこと付けてきたの?」


 彼女は小さく肩をすくめ、俯きながら答える。


「……ごめんなさい」


 別に責めるつもりなんてなかった。ただ気になっただけ。そうならそうで、明日また学校で会ったときにでも声をかけてくれれば、普通に連れてきてあげたのに。


 すると、厨房の中でパパの声が響く。


「君、名前は?」


 鍋をかき混ぜながら、視線だけこちらに向けている。


栩木(とちぎ)……ひなた、です」


「栩木さんね。なにか飲むかい?」


「ジンジャエール!」


 先手を取って、あたしが右手を挙げた。


「お前が自分で入れるんだよ。彼女の分もな」


 即座に突っ込まれて、あたしはぷくっと頬を膨らませる。


「あの……私、お金持ってなくて……」


 ひなたがおずおずと口にした。パパはその声に、優しい笑みを返す。


「気にしなくていい。今日はミズキのお客さんってことで」


「そうそう、好きなの頼んじゃいなよー」


 それに乗っかって笑ってみせるあたしに、パパは親指を向ける。


「お代はこいつの小遣いから天引きしとくからさ」


「お水! お水にしな! ここの水道水最高だよ!」


 真顔で力説すると、ひなたは思わず目を見開いて、


「じゃ、じゃあお水で……」


 なんとも弱々しく返してきた。


「冗談だよ、好きなの飲ませてあげな」


 パパがこっちに苦笑いを向ける。あたしはべーと舌を出して厨房に回った。そのとき、ひなたの口元がほんのりと緩んだ気がした。


 たとえ初対面でも。行動が唐突で、何を考えているのか分からなくても。この店で、パパが「お客さん」として迎え入れたのなら――それは、あたしがどうこう言う筋合いのものじゃない。


 歓迎しないなんて、あり得ないのだ。


「でさ、ジンジャエール飲める?」


 戸棚からグラスを出してあたしは聞いた。ひなたは少し間を置いて答える。


「飲んだことないけど、多分……」


 多分て。いや、それって答えになってないやつじゃん。そうあたしは心の中でつぶやいて、言い方を変えることにした。


「じゃあ、好きな飲み物は?」


 ひなたは少し考える。


「えっと、リンゴジュース」


 その瞬間、場の空気を軽やかにするように、パパの声が響いた。


Un(アン) jus(ジュ) de() pomme(ポンム), s’il(シル) vous() plaît(プレ)


 えっ、なにそれ……と思わずひなたが瞬きを繰り返す。


Oui(ウィ), Chef(シェフ)!」


 あたしが敬礼のポーズで返すと、今度はこちらに驚きの表情を向けた。そんなひなたを横目に、あたしはくすりと笑った。


「びっくりした? パパ、前はホテルのレストランで働いてたんだよ。だから、いつもあんな感じ」


「すごい。フランス語、話せるんだ……」


「ううん、あたしは全然。食材の名前とか、料理用語とか、ちょっとだけね」


 冷蔵庫から取り出したリンゴジュースをグラスに注いで、カウンター越しに差し出す。


「はい、愛情100%リンゴジュースどうぞ」


 ひなたは、そっと両手でグラスを受け取って「ありがとう」と言った。その仕草はどこか慎重で、繊細だった。


「……まるで、小説みたい」


 俯きがちな前髪の奥、細く隠れていた瞳が、ふっと光を宿していた。その言葉に、あたしは口に含んでいたジンジャエールを思わず吹き出しそうになった。


「げふっ……ちょっと大げさすぎ!」


 むせながら笑ったけれど、心のどこかでは思っていた。自分にとっては当たり前で、なんてことない毎日。でも、誰かにとっては、少し特別に映ることだってあるのかもしれないって。

毎週木曜日投稿予定です

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ