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ゆさ、ゆさ、と。
肩を揺らされて、ベルはゆっくりと目を開いた。
「ねえ、ベルぅ・・」
目をこすりながら上体を起こすと、すぐ隣に、シィナが立っている。
窓から差し込む月明りに照らされるその体は、もじもじと揺れていた。
すぐに、ベルは察した。
「……。トイレか」
・・・
一階のトイレに向かう。古びられた階段は踏むたびにぎしぎしと軋音を立てる。
その都度、びくん、と肩を震わせるシィナ。
「同じ音でいちいちびびるなよ……」
「だって、だってぇ……」
「驚いた拍子に漏らすなよ?」
「だ、大丈夫にゃ。お、おしっこ我慢するの、得意だから」
(そういえば、今までは夜にトイレ行きたくなったら朝まで我慢してたとか言ってたな。まったく、何を得意になっちゃってるんだよコイツは……)
呆れつつも少女をトイレまで連れて行ってやり、「いるー?」、「ちゃんといるー?」って確認をされる流れも挟み、また暗い階段を上がる。
階段を上り切ったところで、――ふと、ベルは、廊下の一番奥の部屋の扉が開いていることに気付いた。
マルクの部屋だ。
(どうしたんだ。こんな夜中に……。散歩か? それにしても、扉を締めずに出ていくなんて、不用心だな)
不可解に思ったが、ベルが立ち止まった途端、シィナが困惑しだす。
「にゃ、なになに、ベル。急に立ち止まって……。にゃんか、変なことでもあったの? もしかして、おばけ出たの? そこにおばけいるの? にゃあぁぁぁ……」
「ああ、ごめんごめん。なんでもないんだ。ホラ、もう部屋だから。ちょっとは落ち着け」
「早く入ろっ。この廊下暗すぎにゃぁ……」
マルクの部屋の扉を閉めておいてやろうかとも思ったが、シィナがぐいぐいと引っ張るので、仕方なくそのまま部屋に入った。
/
朝。
本日はベルの方が先に起きた。カーテンを摘まんで外を覗き見ると、まだ陽が顔を出し切っておらず、薄暗い。
ベッドの上で丸まり、すやすやと寝息を立てるシィナ。
まだ早朝だ、起こさないでおいてやろうと思って、そっと立ち上がり、水を一杯もらおうかと階下へ向かった。
部屋を出て、ふと廊下の奥を見てみると……最奥の部屋の扉は、まだ開いたままだった。
(…………?)
妙である。
夜中、出かけたまま戻ってきていないのか?
いや、それとも、一度部屋に戻りはしたものの、すでに目覚めて宿を発った?
確かに朝早くにヴァンパイア討伐へと向かう、と言っていたが、それにしてもまだ早すぎるのではないだろうか。
完全に陽が出きっていないうちでは、ヴァンパイアの力もさほど減衰しないだろう……。
ベルは、水をもらうついでに、マルクがどうしたか聞いてみようと考えた。
確か、酒場の看板娘であるエリティアが宿直をしていたはず。バーカウンターの向こうの部屋にいるからいつでも声をかけてくれと言われている。
(……あれ?)
その部屋は扉が開け放たれていて、中には誰もいなかった。
何か妙だと思い、ふと振り返って見ると、――酒場の入り口のスイングドアが壊れていた。
両開きの木製の扉が、外れて、床に転がっているのだ。
「あ、あれは……っ!?」
マルクの部屋が開いたまま、宿直室に誰もいない、そして酒場のドアが壊れている――、と、妙な違和感が重なって困惑していたところに、さらなる驚きの光景を目にするベル。
スイングドアが外れて外の景色が丸見えになっているわけだが、……その向こう、道のど真ん中に――エリティアが倒れているのだ。
/
「ん、んにゃあ……?」
静かに目を開くシィナ。
むくりと上体を起こし、部屋を見回す。
「……ベル?」
ベルがいない。
どうしたんだろう、おしっこに行ったのかにゃ? なんて思ったところ、外から、ざわざわと騒がしい声が聞こえて来た。
カーテンをぺろんとめくって外を見る。
……なんだか、この酒場の前に人だかりができている。
その中に、ベルの姿も確認した。
「んにゃっ?」
シィナは急いで起き上がった。
「ど、どーしたの、ベル!」
シィナはすぐに階段を駆け下りて、酒場の前に出た。
酒場の前の人だかり。ベルはその中心にいるのだ。
いや、違う。中心は彼ではなく、彼のそばにいる女性か。
女性は地面にへたりこんでしまっている。うまく力が入らないのか、ベルに手を貸されてようやく体を支えられている様子だ。
体に力は入らなくとも、意識はある様子。
「あ、シィナ。すまん、忘れてた」
「にゃー。あたしのこと忘れるってにゃに! しかも若い女の人に寄り添ってっ……! ――って、エリティアさん?」
ベルが支えてやっているのは、酒場の看板娘・エリティア。
道の真ん中で倒れているエリティアをベルが発見して、すぐに近くの住人たちに助けを求めたのだ。
小さな村だ、すぐに住人たちが集まって、人だかりに。
「ヴァンパイアが、現れたんです……」
エリティアは、力ない口調でそう言った。
彼女は、昨夜の出来事を語る――。
・・・
――昨夜。
宿直室で仮眠をしていたエリティアは、突如、不穏な気配を悟って目を覚ました。
そこで彼女が目にしたのは、――にやり、と不気味に笑んで見下ろす黒い影。
「吾輩は、リベラツェペシュ・エル・ヴラァド――好奇なるヴァンパイアである!」
高々と名乗りを上げながら、娘を見下ろすその目は、――闇夜の中でもはっきりと浮かび上がるほど鮮やかな、赤い瞳。
『魅了』だ。
ヴァンパイアがその目で異性を射抜けば、たちまち魅了され、抵抗する気など失せる。
エリティアはそれを知っていたが、もうすでに、遅かった。
すぐに意識が朦朧としてきた。体に力が入らない。
脳の裏側にかろうじて残る自意識で、悟った。
ああ、これから私はこのヴァンパイアに連れていかれるのだ。
森の奥の地下迷宮に囚われて、この怪人にペットの様に飼われる……。
エリティアが、わずかに残る理性で深い絶望を感じていたところ――。
「そこまでです!」
突如、何者かが割って入る。
若娘が、ヴァンパイアの背の向こうに見たのは、小柄な少女の姿。
――いや、違う。少年だ。
ヴァンパイアを堂々と制したのは、″勇者″マルク・ルプルだった。




