18
この日は、シィナにとって災難な日ではあった。
短剣に仕込まれた呪いの術式を受けて体が高熱にうなされたり、電撃魔法を喰らわされたり、そのうえ地下監獄に捕らえられたり……(それはそもそもとして言えば盗みを働いたからであり、自業自得だとも言えなくもないのだが)、
だが、災難である以上に、幸いな日でもあった。
長年の夢が叶ったから。
これで、孤児院が建てられる。
スラム街で苦しい生活をしてきた他の子供たちが救われる。
そして、少女にとって幸いであることは――もう一つある。
「あたし、ベルに会えてよかったにゃ」
領主の屋敷を出た後、シィナは隣を歩く男を見上げ、言った。
「そうだな。妙な出会いだと思うけど、俺も、君に会えてよかったよ」
ベルがそう返すと、シィナは、ふふん、と誇らしげな笑みを見せた。
「それでさ、ベルは……田舎に帰る旅の途中にゃんでしょ? これからもう、発つんにゃ?」
「いや。色々あってもう昼過ぎだ。今から出たら、次の街に着くまでに野宿しなきゃならなさそうだし……、ここでもう一晩越してから、明日の朝、改めて街を出るよ」
「そっか。よかったにゃー。じゃあ、あたしもゆっくり旅の準備できるんにゃ」
「…………、ん?」
「えへへ、あたし、街を出るのなんて初めてにゃんだよね。楽しみだにゃあ」
「いや、え? シィナ、お前街を出るのか? これから建てられる孤児院に入るんじゃないのか……?」
「え? あたし、別にそこで暮らすつもりなんて始めから無かったけど。他の子供たちのためにって思ってただけで。あたし、集団生活って苦手にゃんだよね」
「……、そ、そうなのか。旅って、一体、どこに行くつもりなんだ?」
「どこに? あー、えっと、どこにゃの? ベルの故郷」
「…………。え。もしかして俺に付いて来る気?」
「うん。いいでしょ?」
「……………………」
「ちょっとっ、嫌そうな顔するにゃー!」
冒険者パーティ『太陽のキャノウプス』を脱退して、これで一人になれる……かと思っていたのだが。
この猫娘は、ついて来る気らしい。
シィナは、ベルの意向などほとんど考慮しないといった様子である。
自由奔放な猫人族の気性だろうか。
……いや、たぶん血筋関係なく彼女自身の気質だ。
「まあ、ベルの故郷にまで付いて行って、その後どうするのかは……まだわかんにゃいけど。別に、これからずっとベルにお世話してもらおうと思ってるわけじゃにゃいからそこは安心していいにゃ。ああでも、それも全然アリだけどにゃ」
そう言って、子供らしく無邪気な笑顔を見せるシィナ。
ベルの旅についていく。
シィナは既にそれを心に決めていた。
……数時間前。彼に助けられた直後。
地下から出ようとしたところで、不意に込み上げてきた涙。
あのとき、果たしてこの胸のうちに灯った淡い気持ちはなんなのだろう、と、困惑したものだった。
だが今は、それをはっきりと自覚している。
それはまるで、親に対して抱く思慕のようなものだった。
こうして話していながらでも、正直、彼のことはあまりよく知らない。
そんな男に対して、そのような感情を抱くのは不可解である。
まあそもそも親のようだと思うにしては彼はまだ若いし。でもじゃあ、親でないなら兄でもよい。
とにかく、ベルのことを、身近な存在に感じてしまうのだ。
きっと、彼がスキルによって、本当なら知りもしない筈の自分を紙面上に記述したことで、何か魂の深いところでつながりが出来たのだ。
それは特別なつながりだと思える。
現に、つい数時間前に初めて顔を見たばかりだというのに、まるで初対面な気がしない。
もうずっと前から傍にいた存在みたいに――家族みたいに、思える。
シィナは捨て子だ。
親の顔も名前も知らない。
スラム街で、まともな保護も受けずに、独りで生きてきた。
寂しくなんかない。
そう思っていた。
でも、この男に対して、出会い頭、不意に暖かな気持ちを抱いてしまったものだから――もう、離れられる気がしないのだ。
彼とこのまま別れたら、きっと、寂しくなってしまう。
誰かを身近な存在に感じて、傍にいたい、なんて――そんなことは今まで思ったことはなかったのに。
この男に、そんな感情を分からされてしまったから。
(…………)
かく言うベルも、まんざらでもなかった。
物語を書く者というのは……自分が造り出した『キャラクター』は、まるで我が子のように感じるものだと、言うものだ。
もちろん、シィナはベルが造り出した存在ではない。
スキルによって書き出されたのは既成の事実であって、自分がペンを走らせたゆえに彼女がこの世に生まれたのでは決してない。
――が、それでも、自分が書いた小説の登場人物が目の前に現れたら……、特にそれが、身寄りのない孤独な少女とあれば。
自分が親代わりになってやっても良いと感じてしまうのも自然なコトだろう。
(『太陽のキャノウプス』のみんなは、半年も一緒にいたのに、あまり仲間の情みたいなものは感じられなかった……、でもこの子はついさっき会ったばかりだってのに、そんな風に思うなんてな。まったく、変な話だ)
不可解だと思いながら、しかし気分は爽快だ。
そんな男を見上げて、シィナは言う――。
「ね、ベル。これから、よろしくにゃん?」
わざとか、素なのか、――甘えるような猫なで声で、シィナはそう言う。
つい頭を撫でてやりたくなったが、その手を止めて、ベルは「ああ、よろしく」とだけ返して、少し足早になって歩いた。
だめだ、こいつは――あまり甘やかすと、きっとろくでもない子になる、と、直感した。




