7話:前半「孤高の進軍と地上の軋轢」
十条駐屯地の体育館裏、仮設テントで設営された前線指揮所。
重苦しい薬品の臭気と血の匂いが漂う中、板橋からの増援として到着した響と唯を、隊長の桐生1尉が出迎えた。
桐生は骨折した右腕を三角巾で吊り、肋骨の激痛を堪えるように浅い呼吸を繰り返しながら、案内されてきた2人へ鋭い視線を向けた。
目に飛び込んできたのは、全身を光を吸い込むような漆黒のフードとロングコートで覆い隠した異様な女と、その後ろで迷彩服の襟元を掴んでオドオドと怯えている小柄な女性自衛官。
(……板橋の精鋭と聞いていたが、なんだこのふざけた格好は。それに後ろの娘は今にも泣き出しそうだぞ)
桐生は内心で舌打ちしかけたが、2人の足元と肌艶を見て思い留まった。
泥汚れや擦り傷のひとつもなく、完全な無傷。重傷者ばかりで動揺が広がるこの前線において、余計な損耗がなくピンピンしている点だけは評価できる。
「……板橋からの応援だな。第1空挺団所属、現・十条対策班隊長の桐生だ。無傷で到着してくれたのはありがたい。正直に言えば即戦力の小隊規模を期待していたが……戦力が枯渇している現場だ、動ける手足があるだけ、いないよりは遥かにマシか」
桐生の現実的な出迎えに対し、簡易ベッドや折りたたみ椅子に身を寄せていた先行班の面々も、それぞれの視線を向けた。
魔力枯渇で蒼白になり、壁にもたれかかっていた風間は、うつろな瞳で響の漆黒の装束を見上げ、力なく息を吐いた。
(自衛隊の正規部隊じゃなくて、どっかの民間オカルト枠か……? 変なコスプレしてるし頼りなさそうだが、俺の代わりに壁役か囮になってくれる人数が増えたと思えば、まあマシか……)
左脚に包帯を巻き、神経毒の痺れに顔を歪めていた篠原は、チッと小さく舌を打って視線を逸らした。
(板橋の初級ダンジョンでイキがってた程度の奴らか。女2人、しかも1人は腰が引けてる。中級の化物共を前にどこまで持つか見ものだが、撤退戦の殿の頭数くらいには使えるだろ)
そして、椅子に倒れ込むように座り、肩で息をしていた衛生員の御子柴は、胸元をぎゅっと抱きしめる唯の姿を見て痛ましげに眉を下げた。
(あんな小柄な女の子まで駆り出されるなんて……。強力な覚醒者には見えないけれど、負傷者の搬送や荷物持ちの手が足りていなかったから、手伝ってもらえるだけでも助かるわ……)
隊員たちの落胆交じりの値踏みを感じ取った唯は、「ひ、ひぇぇ……なんだか皆さんボロボロで怖いですぅ……」とさらに響の背中に隠れる。
その前で、漆黒のフードを目深に被った響は、深紅の裏地を静かに揺らしながら、上品に胸の前で両手を重ねてみせた。
「――初めまして、桐生隊長様。板橋より馳せ参じました安藤響と、補佐の鷹野唯でございますわ。皆様、随分と手痛い歓迎をお受けになったご様子。微力ながら、この『私』がお手伝いさせていただきますこと、光栄に存じます」
完璧なカーテシーを添えた猫なで声のお嬢様言葉。
異様な黒尽くめの装束から繰り出されたその不気味な挨拶に、桐生はピクリと眉を跳ね上げ、作戦室の空気が一瞬で凍りついた。
◇
桐生は響の作り物めいた挨拶に毒気を抜かれつつも、すぐに表情を引き締め、作戦卓の液晶ディスプレイに十条ダンジョンの構造図を表示させた。
「……丁寧な挨拶痛み入る。さっそく本題だ。状況を共有する」
桐生は包帯の巻かれた左手で画面を操作し、先行班が壊滅寸前に追い込まれた要因である中級モンスターのデータを次々と映し出した。
「十条に出現した個体は板橋の雑魚と次元が違う。現在確認されている中級は4種だ。まず背中に鋭利な毒棘を生やした重装甲の【ニードル・シェル・ラーカー】。球体化して突進し、防衛線を破砕した瞬間に広範囲へ麻痺毒の針をばら撒く。俺の骨折もこいつの突進によるものだ」
ディスプレイの画像が、巨大な緑色の蟷螂へと切り替わる。
「次に【アシッド・スピッター】。天井や壁面を立体的に駆け回り、死角から超高濃度の強酸液を撃ち込んでくる。防弾チョッキも特殊合金の盾も数秒で溶かすため、直撃は即死に近い。そして3つ目、輪郭が常にブレている漆黒の魔獣【シャドウ・ファントム・ハウンド】だ。半ば霊体化しており、空気抵抗を無視した変則機動で気流探知を完全にすり抜ける。影から影へ瞬間移動して喉笛を狙う上、電撃が効かない」
壁際で項垂れていた風間と篠原が、忌々しげに顔を歪めた。
「さらに最奥の手前には、黒鋼の全身鎧を纏った【ボーン・センチネル】が陣取っている。板橋のスケルトンとは比較にならん。分厚い大盾と大剣を使いこなし、生前の熟練戦士そのものの剣技と初級魔法への耐性を持つ重装歩兵だ」
桐生は画面を消し、響と唯、そして負傷した隊員たちを厳しい眼差しで見渡した。
「現在の我が班は満身創痍だ。俺は骨折、篠原は麻痺毒、風間と衛生員の御子柴は魔力枯渇で動けない。この戦力状態で突っ込めば確実に全滅する。したがって、ダンジョンへの再突入は『明日』を期す」
桐生は息をひとつ整え、隊長としての優先事項を力強く言い渡した。
「今夜やるべきことはただひとつ。明日の作戦に備えた体力の回復と、各員の応急治療の徹底だ。安藤、鷹野、お前たちも移動の疲労を取るため、割り当てた天幕で待機しろ」
桐生の説明が一段落したところで、響は音もなく歩き出し、椅子に倒れ込むようにして重度の魔力疲労と立ちくらみに耐えていた衛生員、御子柴 渚の前へと進み出た。
長い脚を静かに折り、御子柴の目線に合わせて腰を下ろす。
漆黒のフードの影から覗く端正な顔立ちに、うっすらとした笑みが浮かんでいた。
響は虚空へと指先を滑らせ、アイテムボックスから取り出した透明なガラスの試験管状ボトル2本を、呆気にとられる御子柴の震える手のひらへそっと乗せた。
1本は淡いエメラルドグリーンに発光する液体、もう1本は深みのある青緑色をした薬草液だ。
「……えっ? あ、あの……これ、は……?」
焦点の定まらない瞳を瞬かせ、微かな声で問いかける御子柴に対し、響は作戦前の約束通り、丁寧な作り声のまま、しかし確信に満ちた平坦なトーンで告げた。
「1つは体力の回復、軽い怪我に効果がある薬ですわ。そしてあと1本のこいつは、神経毒など毒全般には効くだろうと思いますの。万が一の時に使うとよろしくてよ」
「回復と……解毒の、お薬……? でも、そんな発光するような薬品、見たことがありません……」
困惑と疲労で受け答えもおぼつかない様子の御子柴を残し、響は漆黒の衣擦れの音を立てて、すっと軽やかに立ち上がった。
かつて異世界で世界を救った勇者時代からの染み付いた癖で、戦場で傷つき倒れる同胞や女性の苦痛にはどうしても情が湧き、無意識に優しく接してしまう。
立ち上がった響は、漆黒のフードの影から微かに口角を上げると、困惑する御子柴へ向けて、澄んだ笑みとともにパチンと軽やかにウインクを飛ばしてみせた。
薄暗い天幕の中で、フードの奥の切れ長の双眸が妖しく艶やかに瞬く。
百戦錬磨の英雄としての絶対的な包容力と、整った中性的な美貌が相まって、独特の強烈な引力を放っていた。
「……っ」
御子柴は手のひらの試験管を握りしめたまま、息を呑んでポカンと響の顔を見つめ返した。
魔力枯渇による頭痛や立ちくらみすら一瞬吹き飛んだかのように、吸い込まれた瞳を瞬きひとつせず固定させ、白く抜けていた頬にポッと微かな赤みが差す。
「ふ、ふえぇ……? ひ、響さん、急になに色気振りまいてるんですかぁ……?」
後ろで見ていた唯が、防弾ベストの前で両手をモジモジさせながら、信じられないものを見る目でドン引きの声を漏らした。
響はそんな唯の視線を涼しい顔で受け流し、深紅の裏地を優雅に翻して桐生の前へと歩み戻った。
◇
翌朝、十条駐屯地の体育館裏に設営された仮設ゲート前で、先行調査班の面々と合流した。
隊長の桐生は三角巾こそ外しているものの右腕の動きに硬さが残り、篠原も左脚をわずかに引きずっている。風間と御子柴の顔色も依然として青白さが抜けていない。
昨日渡した回復薬と解毒薬で最悪の致命傷や激痛こそ脱したようだが、一夜で全快とまではいかないのは当然のことだった。
「……行くぞ。全員、昨日の連携を崩すな」
桐生の号令に従い、響と唯は隊列の後方から静かに足を進めた。
漆黒のゲートをくぐり抜けた先は、板橋のような荒々しい自然洞窟とは様相を異にしていた。
苔むした分厚い暗灰色のレンガが整然と積み上げられ、まるで中世の地下要塞か下水道を思わせる、冷徹な人工建造物の空間がどこまでも続いている。湿った空気の中には、特有のツンとした刺激臭がかすかに漂っていた。
整ったレンガ造りの通路を数十メートルほど進んだ、その時だった。
カサカサカサッ!と天井のレンガを鋭利な爪で引っ掻く不快な硬質音が頭上に響き渡り、緑色の燐光が通路全体を染め上げた。
「――上だ! アシッド・スピッターだッ!!」
桐生の怒号が飛ぶ。
天井に張り付いていたのは、体長2mを超える巨大なカマキリのような魔獣。異様に肥大化した半透明の腹部を波打たせ、強酸液を撃ち出すべく銃身のようにこちらへ狙いを定めていた。
先行班が迎撃態勢を取ろうと身構えた刹那、漆黒のフードを目深に被った響は、後方から平然とした声で言い放った。
「狂犬、行ってみろ」
「了解ぃぃッ!!」
返答と同時に、唯の姿がかき消えた。
小柄な身体からは想像もつかない爆発的な踏み込みでレンガの床を蹴り飛ばし、壁面のレンガを足場にして天井めがけて一直線に垂直跳躍する。
左手首に巻かれた『俊足のレザーリストバンド』のルーンが蒼く閃光を放ち、唯の両手から抜かれた大型コンバットナイフが、目にも留まらぬ速度で空間を切り裂いた。
「アタシの朝メシの邪魔すんじゃねぇぇぇボケがァァッ!!」
ドスの利いた咆哮とともに、空中で繰り出された超高速の十字連撃。
酸を吐き出す寸前だったアシッド・スピッターの肥大化した腹部と頸部が、一瞬にして正確無比に両断された。
ドシャッ!と緑色の体液を撒き散らしながら巨大な蟷螂が床へ落ち、痙攣する間もなく黒い魔力粒子となって霧散していく。
レンガの通路に、コロンと澄んだ音を立てて緑色の中級魔石が転がり落ちた。
わずか2秒足らずの瞬殺劇に、武器を構えていた桐生、篠原、風間、そして御子柴は、ただ息を呑んで目を見張るしかなかった。
唯が足元に転がった緑色の中級魔石を素早く拾い上げる間に、響たちはさらに奥のレンガ造りの回廊へと歩みを進めた。
通路が開け、円形の広間に差し掛かったその瞬間、正面の薄暗がりから不気味な軋み音が響いた。
体長1.5mほどの巨体を誇るニードル・シェル・ラーカーが、全身の無数の毒針を逆立て、頑丈な棘甲殻を球体状に丸めて猛スピードで突進してくる。同時に、左右の冷たいレンガ壁の影から、輪郭が常にブレる漆黒の魔獣――シャドウ・ファントム・ハウンドが3匹、空気抵抗を無視した軌道で音もなく飛び出してきた。
桐生や篠原が息を呑み、即座に散開の号令をかけようとした刹那、響は無言のまま静かに前へと踏み出していた。
ゴォッ!と風を切り裂き、岩をも砕く勢いで迫り来るニードル・シェル・ラーカーの超重量突撃。
響はその正面に立ち塞がると、避ける素振りすら見せず、シースルー黒タイツに包まれた右脚を無造作に振り抜いた。
ドォォォンッ!!
凄まじい衝撃波が円形広間のレンガを震わせる。
突進の勢いと重量を完全に正面から相殺した響は、そのまま踏み込み、球体化した棘甲獣の巨体をサッカーボールのように力任せに蹴り飛ばした。吹き飛んだ甲殻獣が背後のレンガ壁に激突し、粉々に砕け散る。
作り物のお嬢様面など綺麗さっぱり脱ぎ捨てた響は、唾を吐き捨てるように汚い男の言葉で言い放った。
「てめえら、ぜんぜん足りねえんだよ」
吐き捨てると同時に、左右から影を滑って飛びかかってきたシャドウ・ファントム・ハウンドの爪牙に対し、響の身体が独楽のように鋭く回転した。
ドカァンッ!
強烈な後ろ回し蹴りの一撃が、左側のハウンドの頭蓋を骨ごと粉砕して壁へと叩きつける。
その回転の遠心力を寸分も殺さず、響の左手が腰の刀の鯉口を弾いた。
キィィィンッ――!
研ぎ澄まされた抜刀の一閃。
漆黒の刀身が吸い込まれるように空を裂き、右側から迫っていた残り2匹のファントム・ハウンドの首を、紙一重の踏み込みから一振りですっぱりと刎ね飛ばした。
宙を舞った2つの獣頭が床に落ちる前に、首を失った胴体とともに黒い魔力粒子となって一斉に霧散していく。
広間には澄んだ音を立てて、灰褐色と漆黒の中級魔石が合計4つ、冷え切ったレンガの床を転がった。
戦闘開始から数瞬。先行班を壊滅寸前に追い込んだ中級モンスターの連携伏撃は、響が刀を振るったただ一挙動の内に、完全に鏖殺されていた。
カチャリ、と澄んだ金属音を響かせ、響は漆黒の刀身を鞘へと滑り込ませた。
直前まで撒き散らしていた男勝りな凶暴性と殺気を、まるで最初から存在しなかったかのように一瞬で霧散させる。そして、ゆったりと振り返ると、黒革の手袋をはめた両手を頬に当て、わざとらしく小首を傾げてみせた。
「――まあ、あらやだ。恐ろしい魔獣ですこと。手元が狂ってしまいましてよ」
漆黒のフードの影から繰り出されたのは、鈴を転がすような澄んだ猫なで声と、わざとらしいお嬢様言葉だった。
足元には首を刎ね飛ばされた中級モンスターの魔力粒子が漂い、粉々になったレンガの破片が散乱している。その惨状の真ん中で、何食わぬ顔をして「あらやだ怖い」と言い放つ黒尽くめの怪異に、後ろで武器を構えていた桐生たちは完全に絶句した。
「……て、手元が狂った……?」
桐生は引き攣った顔で、呆然と呟いた。
重装甲の突進を正面から蹴り返し、霊体化する魔獣の首を抜刀の一撃ですべて刎ね飛ばすような神業を披露しておいて、どの口がそれを言うのか。
「あ、あいつ……さっき『てめえら、ぜんぜん足りねえんだよ』ってドスの利いた声で叫んでなかったか……?」
篠原が額に冷や汗を流しながら呟くと、風間もゴクリと喉を鳴らして数歩後ずさった。
「な、中級の連携を一瞬で全滅させたぞ……。あの女、一体なんなんだよ……」
衛生員の御子柴だけが、試験管を握りしめていた昨夜の記憶を重ね合わせ、信じられないものを見るようにポカンと響の背中を見つめ続けている。
そんな先行班の凍りついた空気を意に介することもなく、唯は慣れた手つきでレンガの床に転がった中級魔石4個を手際よく回収袋へ放り込んだ。
「響さん、外面モードの切り替えが雑すぎますぅ! さっきの暴言、後ろの自衛隊の人たちに丸聞こえでしたよぉ!」
「あら、何のことかしら? 私はただの非力な協力者にすぎませんわ」
骨折の痛みを堪えつつ、隊長としての矜持を保つように桐生を先頭にして、一行はさらに奥へと続くレンガ造りの回廊を進んだ。
最奥のボーン・センチネルが陣取る大広間が近づくにつれ、空気は一層冷え込み、重苦しい魔力の圧迫感が増していく。全員が神経を尖らせ、息を殺して足音を忍ばせていた。
その静寂を裂いて、背後から不穏な硬質音が響き始めた。
ボリッ、ボリボリ……ジャリッ!
氷砂糖か陶器の破片を豪快に噛み砕くような、生々しく硬い咀嚼音。
「――っ!?」
桐生はビクッと肩を跳ね上がらせて足を止め、即座に武器を構えながら振り返った。
新手のモンスターの足音か、あるいは壁を齧る怪異かと身構えた桐生、篠原、風間の視界に飛び込んできたのは、予想を絶する光景だった。
そこには、ポテトチップスでもつまむような手軽さで、先ほど回収したばかりの拳大の中級魔石を指先でつまみ、口の中へ次々と放り込んではボリボリと咀嚼している響の姿があった。
「な……っ!?」
桐生は顎が外れそうなほど口を開き、絶句した。
魔石はモンスターの核であり、高濃度の魔力結晶だ。人間が素手で触れるだけでも警戒される代物を、こともあろうにスナック感覚で貪り食っている。
桐生たちの剥き出しの驚愕の視線に気づいた響は、飲み込んだばかりの魔力粒子を喉を鳴らして胃袋へと流し込むと、漆黒のフードの影から上品に片手を口元へ添え、わざとらしく目を伏せてみせた。
「――まあ、あらやだ。レディーのお食事を覗き見するとは、殿方として礼儀がなっておりませんことね?」
澄ましきったお嬢様言葉でそう言い放ちながら、響は残っていたもうひとつの魔石を指先で弾き、何食わぬ顔で口の中へ放り込んだ。
ボリボリ、ゴクン。
その異様な光景の横で、唯は回収用パックを抱えたまま、半眼のジト目で響の横顔をじっと見つめていた。
「……レディーはダンジョンの中で魔石をボリボリ主食みたいに食べません。あと、それ私のお給料になるはずの換金アイテムですぅ」
唯の冷ややかなツッコミが冷え切った回廊に響き渡り、桐生たちは完全に思考を停止させた。
桐生は奥歯をギリリと噛み締め、響の奇怪な食事風景から無理やり意識を引き剥がすと、最奥の大広間を阻む巨大な鉄扉の前に立った。
扉の隙間からは、身の毛もよだつほどの冷気と、中級上位モンスターの圧倒的な重圧が漏れ出している。
昨日、自分たちを完膚なきまでに叩きのめした元凶――ボーン・センチネルが陣取る領域だ。
「……十条ダンジョン先行班、これより最奥へ突入する!」
桐生は破城槌型ヘビーメイスを左手で握り直し、部隊の誇りと意地を剥き出しにした鋭い眼光で振り返った。
「板橋の応援にいいところを全部持っていかれてたまるか! 十条の維持は俺たちの手で成し遂げるぞ! 風間は突入と同時に天井へ【風刃】を撃ち込み、奴の視界を撹乱しろ! 篠原は右側の死角へ回り込み、関節部への【電磁付与】による刺突で機動力を削る! 御子柴は後方から【鎮痛結界】を維持し、いつでも治療に入れるよう備えろ! 俺が正面からタワーシールドの体勢を崩す!」
「了解!」
指示は極めて的確で無駄がなく、各員は叩き込まれた実戦経験のまま素早く散開陣形を取った。
鉄扉が押し開かれ、一行は最奥の円形ホールへと突入を開始する。
ホールの玉座前には、身長2.2mを超える巨躯を黒鋼の全身鎧で包み込んだ骸骨剣士――ボーン・センチネルが静かに佇んでいた。手には分厚いタワーシールドと、禍々しい輝きを放つバスタードソード。侵入者を感知した瞬間、兜の奥の紅い燐光がギラリと灯った。
「仕掛けるぞ、撃てぇッ!!」
桐生の号令に合わせ、風間が手をかざして不可視の突風の刃を放ち、篠原が低姿勢で影を縫うように右側面へ肉薄する。
連携そのものは淀みなく、教科書通りの鮮やかさだった。
だが、現実は非情だった。
風間の放った【風刃】は、ボーン・センチネルの鎧が持つ初級魔法耐性により、装甲表面でパキンと甲高い音を立てて霧散する。
「なっ……傷ひとつ付かないだと!?」
風間はその場に立ち尽し、昨日の恐怖がフラッシュバックして完全に戦意を喪失、膝から崩れ落ちそうになった。
さらに、死角から回り込んだ篠原が二刀の短剣に高圧電流を纏わせて膝裏へ突き立てようとした瞬間、ボーン・センチネルは人間離れした反応速度でタワーシールドを横殴りに薙ぎ払った。
ガギィィィンッ!
「ぐあっ……!?」
左足の麻痺が抜けきっていない篠原は完全な回避を取れず、盾の衝撃波をモロに浴びてレンガの壁面へと激しく吹き飛ばされた。刺突傷が開いて鮮血が滲み出る。
「篠原ッ! くそがぁぁッ!!」
桐生が肋骨の激痛に顔を歪めながら正面から突進し、ヘビーメイスを渾身の力で振り下ろした。
だが、右腕の亀裂骨折のせいで本来の威力が乗らない。ボーン・センチネルのタワーシールドはピクリとも揺るがず、逆に重厚な盾押し(シールドバッシュ)で弾き返され、桐生は口から血を吐いて後方へと転がった。
「き、桐生隊長……! 篠原さん……っ!」
後方に控えていた衛生員の御子柴は、魔力枯渇が残る身体で懸命に光を灯そうとするが、指先がガタガタと激しく震えて【鎮痛結界】すら編み上げることができない。
圧倒的な格の差と、治りきっていない傷、そして疲弊による絶望が、先行班の全員を瞬く間に飲み込んでいた。
ボーン・センチネルは冷酷にバスタードソードを振り上げ、倒れ伏す桐生の首元めがけて、容赦のない処刑の一撃を振り下ろそうとした。
◇
処刑の大剣が桐生の首元へと振り下ろされようとした、まさにその刹那だった。
「狂犬、行くぞッ!!」
空気をビリビリと震わせる、響のドスの利いた怒号が円形ホールに炸裂した。
お嬢様言葉の皮膜を完全に破り捨てた、地獄の底から響くような獣の咆哮。
「言われなくてもやってやんよォォッ!!」
唯が叫び返す。
先ほどまでの怯えた後方支援員の姿は微塵もない。三白眼を血走らせ、口元を醜悪に歪めた狂犬が、床のレンガを粉々に粉砕しながら低空で突進した。
「テメェみたいな粗大ゴミの骨組みが、偉そうにデケェ剣振り回してんじゃねえぞボケがァァッ!!」
両手の大型コンバットナイフが、目にも留まらぬ速度でボーン・センチネルの足首とアキレス腱に相当する装甲の隙間へ突き刺さる。ガガガガッ!と金属火花が激しく散り、巨躯のバランスがわずかに崩れた。
その頭上から、漆黒の外套を蝙蝠の羽のように広げた響が音もなく急降下していた。
響の腰の長刀は鞘に収まったままだ。両手に握られているのは、アイテムボックスから引き抜かれた鋭利な2振りの短剣――。
(刀を振るうまでもねえ。隙だらけのブリキ野郎が)
響はボーン・センチネルのタワーシールドの頂点に爪先を乗せて踏み台にすると、重力を嘲笑うような身のこなしで巨躯の背後へと回り込んだ。
狙うは装甲の繋ぎ目――関節の急所のみ。
「オラァッ!!」
響の短剣が、ボーン・センチネルの右肩の関節隙間へ深々と抉り込まれた。
ギリリッと骨と鋼が軋む耳障りな破壊音が響き、大剣を握っていた右腕の神経回路が断ち切られる。バスタードソードが虚しく床へ落ち、カランと甲高い音を立てた。
直後、響と唯の2人による、息をもつかせぬ超高速の猛ラッシュが叩き込まれた。
「死ねやカスゥッ!!」
下から唯が両膝の関節部へナイフを連打し、装甲を内側から抉じ開ける。
「隙だらけなんだよ木偶の坊がッ!!」
上から響が肘関節、首の頸椎部、腰の連結部へと正確無比に短剣を突き立て、黒鋼の繋ぎ目を次々と粉砕していく。
ガガガガガガッ!! ドカァンッ!!
手数が多すぎる。
2.2mの巨躯を誇り、分厚い大盾と全身鎧で鉄壁を誇っていたボーン・センチネルは、反撃の盾を振るうことすら許されず、関節という関節を破壊されてガクガクと激しく痙攣した。
そして、耐え切れなくなった膝がレンガの床を捉え、ズドォォンッ!と重苦しい音を立てて崩れ落ちた。
跪いた骸骨衛士を見下ろし、響と唯の2人は間髪入れずに汚い罵声を浴びせかけた。
「おいおい、十条のボス気取ってた割にはペラペラの安物じゃねえか。自慢の大盾はどうしたよ、ああん!?」
響が唾を吐き捨てるように嘲笑えば、唯も血走った目でナイフを突きつけ、激しくまくし立てる。
「アタシたちの貴重な時間を無駄に削りやがってこのクソ骨野郎!! てめえの頑丈さなんざ、そこらの割り箸以下なんだよ間抜けがァッ!!」
床に倒れ伏していた桐生、壁際で呆然とする篠原、戦意を失っていた風間、そして震えていた御子柴は、突如として始まった凶悪極まりない2人のリンチ劇と罵詈雑言の嵐を前に、ただただ息を呑んで硬直するしかなかった。
先行班4人の脳裏をよぎった感想は、驚嘆でも、歓喜でも、安堵でもなかった。立場も性別も能力も違う彼ら全員の思考が、寸分違わず完全に一致していた。
――この2人、怖すぎる。
中級上位の威容を誇っていたボーン・センチネルが、関節をズタズタに引き裂かれてピクピクと痙攣し、やがて黒い魔力の霧となって霧散していく。
その跡地には、深青色に妖しく光る巨大な中級魔石と、黒鋼の鎧片が転がっていた。
「チッ、骨の髄までスカスカの野郎だったな」
響は短剣を軽く指先で回してインベントリへ収めると、靴底で床の破片を小突いた。
唯も荒い息を吐きながら、軍用ブーツでナイフの脂を拭い、血走った眼のまま「二度とツラ見せんなボケ」と床へ唾を吐き捨てている。
直前まで「お嬢様」と「怯える後方支援」を取り繕っていた女2人が見せた、余りにも手慣れた暴力と下品極まりない罵倒の嵐。
先行班の4人は、立ち上がる気力すら忘れたまま、ただただ引き攣った顔で身を縮こまらせていた。
先行班の4人が完全に恐怖で固まる中、響はハッと我に返ったように咳払いをひとつ挟んだ。
漆黒のフードを目深に直し、上品に両手を胸の前で揃えると、鈴を転がすような猫なで声を取り繕って唯を振り返る。
「――まあ、あらやだ。唯さん、陰の性格が表に出てましてよ?」
すまし顔で放たれたその白々しい台詞に、唯もまたビクッと肩を跳ね上がらせ、凶暴な狂犬モードから一瞬で仔犬のような表情へと切り替わった。
両手に握っていたナイフを大慌てで太ももの鞘へしまい込み、防弾ベストを押し上げる豊かな胸元をぎゅっと抱きしめながら、顔面を蒼白にして手を左右に激しく振る。
「あ、あわわわっ! ひ、響さんこそ、それは裏に秘めた魂が見えてしまっているのですぅぅ!!」
「ふふ、何をおっしゃいますの。私はいつでも可憐で淑やかな協力者ですわ」
「どの口が言ってるんですかぁ! さっき『ああん!?』ってドスの利いた声でメンチ切ってたじゃないですかぁ!!」
先ほどまで中級モンスターを滅多切りにして罵倒し合っていた2人が、何事もなかったかのようにキャッキャと責任を擦り付け合いながら「お嬢様と怯え顔」の茶番劇を繰り広げている。
その寒暖差の激しすぎる光景を前に、床にへたり込んだ桐生、篠原、風間、御子柴の4人は、誰ひとりとして口を開くことができず、ただただ引き攣った笑みを浮かべるのが精一杯だった。
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