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元勇者の帰還、術式失敗で(♀)になっていた。レベル1から現代のパンデミック迷宮都市を生き抜く  作者: 藤咲玲


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6話 暗黒騎士の正装と、十条駐屯地の異変

第1階層の探索を終えて庁舎の作戦室へ戻るなり、響はぶかぶかのパーカーの襟元を引っ張りながら、真鍋へ不満をぶつけた。


「おい真鍋、いつまでも俺がこんな格好で潜らされるのかよ。まともな防具が欲しいんだけど」


「防具か。確かに布切れのスウェット姿で怪異の巣窟へ飛び込まれるのは、現場を預かる身としても胃が痛む。ちょうどいい、官品の中から見繕ってやろう」


真鍋は至極真面目な顔で頷くと、壁際の大型ロッカーを開け放ち、机の上に次々と装備一式を並べ始めた。

緑色の迷彩柄が施された厚手の戦闘防刃チョッキ、88式鉄帽、頑丈な肘当て・膝当て、そして分厚い軍用ケブラー製コンバットブーツ。総重量だけで10キログラムを超える、実戦用の重厚なフルセットだ。


響は眉根をこれ以上ないほど不快そうに寄せ、人差し指でチョッキの端を小突きながら吐き捨てた。


「なんだこれは。クソダサいじゃねえか」


「クソダサいだと……? 陸上自衛隊の制式装備だぞ。破片や銃弾から生命を守るための極めて合理的な機能美だろうが」


「騎士の戦いを何も分かってないな。こんな泥臭いカメの甲羅を着てノロマになれってか? 回避の軌道も死ぬし、何より立ち姿が下品だ。着ているだけで士気が落ちる」


一蹴された真鍋は、こめかみに青筋を立てて深く息を吐き出した。


「……なら、具体的にどんなものが欲しいんだ。言ってみろ」


「うん、そうだな。言葉で説明するより描いた方が早いわ」


響は長机の上のメモ帳とボールペンを無造作に引き寄せると、淀みのない手つきでサラサラと線画を描き始めた。

元勇者としての研ぎ澄まされた空間把握能力と手先の器用さが発揮され、わずか1分足らずで1枚のデザイン画が仕上がる。


「こんな感じか」


「どれどれ……って、お前それ露出狂じゃねえのかよ!?」


覗き込んだ真鍋が素っ頓狂な声を上げた。

メモ用紙に描かれていたのは、前合わせが全開になったアシンメトリーのロングコートに、胸下を限界まで締め上げる細身のコルセット、申し訳程度に腰を覆う超ショート丈のパンツ、素肌が透ける黒タイツ、そして左肩だけに盛り付けられた怪鳥の羽だった。


「どこが露出狂だ。風の抵抗を減らし、四肢の可動域を限界まで広げた至極合理的な設計だろ。左肩のフェザーは威嚇と重心制御、裾のアシンメトリーは抜刀の残像を誤認させるための暗黒騎士の正装だぞ」


「胸と腹と太ももが丸出しだろうが! 急所を全部さらけ出してどうするんだバカ者!」


「当たらなければどうということはない。防御力などゼロでいいんだよ。重要なのは気品とシルエットの美しさだ」


一切悪びれずに胸を張る響に対し、真鍋は頭痛に耐えるように両手で顔を覆った。


「……分かった、もういい。手配だけはしてやる。実戦で怪我をしても知らんぞ」


◇


それから数日後の夕方。

庁舎の待機室で寛いでいた響のもとへ、真鍋が周囲の目を気にするようにコソコソと入ってきた。

その脇には、大きな黒い衣装ケースが抱えられている。いつもの堂々とした3佐の威厳はどこへやら、明らかに肩身の狭そうな猫背だった。


「おい、安藤……頼まれていた例のブツだ」


「お、出来上がったか。ずいぶん早かったな」


響が立ち上がると、真鍋は周囲の廊下を警戒するように鉄扉をカチャリと閉め、消え入りそうな小声で事情を説明し始めた。


「……補給処の装備開発班にメモを見せたら『ふざけるな』と怒鳴られてな。知り合いの伝手を辿って、特撮やコスプレの特注衣装を作っているプロの造形屋に泣きついたんだよ。素材はちゃんとした牛革と頑丈なストレッチレザーを使って製作してもらった。気に入るかどうかは分からんが……」


チャックが開けられ、ケースの中から漆黒と深紅の装具一式が取り出された。


しっとりとした光沢を放つ上質な黒革のロングコート。裏地には吸い込まれるような鮮烈な深紅のシルクが張られ、ギザギザに切り落とされた裾には金糸で緻密な古代文字風の刺繍が刻まれている。

左肩には、漆黒の怪鳥を思わせるリアルフェザーのショルダーガード。

合わせるインナーは、肋骨のラインを美しく絞り込むアンダーバスト型のボーンコルセットと、超ローライズのレザーホットパンツ。足元には細身のサイハイブーツと、アシンメトリーのグローブまで完璧に再現されていた。


響は瞳を輝かせ、滑らかな革の質感を指先で愛撫するように撫で回した。


「おいおい……最高じゃねえか。完璧だ。あの造形屋、良い腕をしてるな」


「本気でそれを着る気か……? うちの基地の若い連中には絶対に見せるなよ。目の毒どころの騒ぎじゃないんだからな……」


真鍋が顔を引き攣らせて懇願する中、響はニヤリと不敵な笑みを浮かべ、衣装を抱えて更衣室へと直行した。


更衣室のカーテンを勢いよく引き開け、響が待機室へと足を踏み出した。


擦れる上質な牛革の音。

前合わせが大胆に開かれた漆黒のロングコートが歩行に合わせて揺れ、内側の深紅の裏地が鮮烈に閃く。胸下を極限まで絞り込んだ黒レザーのアンダーバストコルセットが、くびれた腰と豊かなバストラインの高低差をこれ以上ないほど露わにし、超ショート丈のレザーホットパンツとシースルー黒タイツが、しなやかに引き締まった脚線美を惜しげもなくさらけ出していた。

左肩に盛られた漆黒の怪鳥の羽が、不敵な雰囲気を際立たせている。


ちょうど待機室の長机でレーションの包みを開けようとしていた唯は、扉の開く音に顔を上げた瞬間、固まった。


「……え」


唯の手から、スプーンがカランと床に落ちた。

丸い瞳を限界まで見開き、口をぽかんと開けたまま、響の爪先から頭のてっぺん、そして極端に露出した腹部と太ももを何度も往復して見つめる。


「ええぇぇぇぇぇっ!? な、なんですかそれぇぇぇぇっ!?」


唯は防弾ベストを押し上げる規格外の豊かな胸元を両手でぎゅっと抱え込み、椅子ごとガタガタと後ずさった。顔面を真っ赤に染めながら、信じられないものを見る目で絶叫する。


「な、なんでコートの前が全開なんですかぁ!? コルセットでお腹もおへそも丸出しだし、パンツも短すぎてほとんど下着じゃないですかぁぁ!! ひ、響さん、ついに頭がおかしくなっちゃったんですかぁ!?」


あからさまに引き攣り、ドン引きして取り乱す唯の反応を前に、響は左腰の刀の鯉口を親指で軽く弾き、満足そうにフッと口角を釣り上げた。


「お、いい反応だな」


響は左肩の黒羽を軽く撫で、長い脚を一歩前へ踏み出してキメ顔を作った。


「戦う者の基本は機動性と威圧感、そして気品だ。このラインの美しさと風通しの良さこそが至高だろうが。安心しろ唯、お前の分も真鍋に頼んで同じものを作らせてやるよ」


「ひぃぃぃぃっ、絶対に嫌ですぅぅ!!」


唯は激しく首を横に振り、豊かな胸を激しく上下させながら涙目で猛抗議した。


「そんなの着たら私の胸、確実にはみ出して大事故になりますぅぅ!! 死んでも自衛隊の迷彩服着てますから、絶対に作らないでくださいぃぃ!!」


◇


日付が変わり、翌朝の板橋総合病院。

現場に敷設された仮設投光器の無機質な光の中、響と唯のふたりは再び地下1階の黒曜石ゲート前へと足を進めていた。


響の装いは、昨日真鍋から受け取った特注の「暗黒騎士の正装」だ。前合わせが大胆に開いた黒革ロングコートの内側からは、引き締まった腹部とくびれた腰元、そしてシースルー黒タイツに包まれた長い脚が惜しげもなく露出し、歩くたびに深紅の裏地が鮮やかに翻る。隣を歩く唯は、迷彩服の上から規格外の胸元を両腕でぎゅっと抱え込み、他人の視線から響を隠すようにオロオロと身を縮こまらせていた。


「さて、今日は2階層まで行ってくるとするか。一応食い物は水とパンはあるからな、安心しろよ」


響が腰の刀の鯉口を軽く親指で鳴らしながら声をかけると、ゲート前のパイプ柵の陰から書類ケースを抱えた真鍋3佐が駆け寄ってきた。


「待て、安藤。突入前に伝えておくことがある」


真鍋は響の極端に露出した腹部と太ももから気まずそうに視線を逸らし、咳払いを1つ挟んで本題を切り出した。


「昨日預かった例の魔石の件だ。政府関係者と防衛省の研究機関で緊急の初期解析が行われたんだが……君の言った通り、未知のエネルギー変換効率を秘めた新資源としての活用が見出せる見込みだ」


「ほう、随分と話が早いな」


「事態が事態だからな。官邸もエネルギー庁も目の色を変えている。そこで要請なんだが、もし内部で魔石を入手した際、少し多めに持ち帰ってきてはもらえないだろうか。もちろん、自衛隊と政府側でそれ相応の金額で買い取る方向で調整が進んでいる。正式な単価は決まり次第、追って連絡するとのことだ」


真鍋の言葉が終わるか終わらないかのうちに、響の背後で唯の耳がピクリと跳ね上がった。


「か、買い取り……! 本当にお金になるんですね真鍋3佐ぁ!?」


唯は先ほどまでの怯え顔を一瞬で吹き飛ばし、豊かな胸元を突き出すようにして真鍋へ詰め寄った。三白眼の奥にギラギラとした野性の光が灯る。


「ええい、落ち着け鷹野。まだ概算協議の段階だ」


「いくらでもいいです、現金化できるなら全部拾いますぅ! 響さん、早く行きましょう! 今日は2階層の魔物も根こそぎ狩り尽くして、小豆サイズの石っこ1個たりとも見逃しませんよぉぉ!!」


「現金な狂犬だな、おい」


響が苦笑交じりに頷き、2人は黒曜石ゲートをくぐって地下へ突入した。

第1階層を軽快に駆け抜けたふたりは、昨日確認しておいた洞窟最奥の下り階段へと難なく到達した。


湿り気を帯びた黒ずんだ岩肌を削り出した石段。1階層よりも明らかに濃密で、冷え冷えとした魔力の重圧が下から吹き上がってくる。響は漆黒のロングコートの裾を軽く払い、シースルー黒タイツに包まれた長い脚で、一段ずつ音もなく段差を下りていった。


「ここからが第2階層だ。昨日よりも敵の密度と質が上がるはずだぞ。油断するなよ、唯」


「は、はいぃ……! お金……じゃなくて、油断大敵ですぅ……!」


唯は防弾ベストを押し上げる規格外の豊かな胸元を両手で抱え込み、怯えた表情を浮かべながらも、その視線は足元の闇を鋭く見据えていた。


階段の最下段に足を踏み降ろした、その瞬間だった。


グチュリ、と天井の割れ目から不快な湿潤音が響き、頭上から赤紫色の粘液――アシッド・スラッジが、響の露出した肩めがけて強酸の飛沫を弾丸のように放ち、同時に左右の岩陰から針金のような体毛を逆立てた巨大なアイアンファング・ラットが2匹、金属の擦れるような甲高い唸り声を上げて飛び出してきた。さらに正面の暗がりからは、錆びた盾とブロードソードを構えたスケルトン・ソルジャーが、乾いた骨の軋みとともに間合いを詰めてくる。


完全に退路を塞ぎ、突入者を確実に仕留めるための計算された立体伏撃陣形。

第1階層の野良モンスターとは格が違う、第2階層の洗礼とも言うべき連携だった。


「チッ、待ち伏せか――」


響が腰の刀の柄へ手を伸ばそうとした刹那、背後から凄まじい突風が巻き起こった。


「ああん!?」


耳をつんざくような、凶暴極まりないドスの利いた濁声。

唯の両太ももから、カチャリと金属音を立てて2本の大型コンバットナイフが神速で引き抜かれた。

先ほどまでの仔犬のような怯え顔は消し飛び、三白眼に凶悪な光を宿した狂犬の顔がそこにあった。


「テメェら、臨時ボーナスのくせに奇襲かけてんじゃボケェェッ!!」


ドォンッ!と踏み込みの衝撃波で床の岩肌が砕け散る。

唯の小柄な身体はすでに頭上へと跳躍していた。

空中で身を捻りながら、右手のナイフを真上へ一閃。天井に張り付いていたアシッド・スラッジを核ごと真っ二つに両断し、強酸の飛沫が霧散する間に、落下速度を利用して左手のナイフを正面のスケルトン・ソルジャーへ叩きつける。


ガキィィィンッ!!


重厚な鉄盾ごと骨の頭蓋が粉砕され、武装白骨兵は一瞬で魔力の粒子となって四散した。

着地と同時に、左右から襲いかかってきた2匹のアイアンファング・ラットの鉄牙に対し、唯は両腕を交差させてナイフを水平に薙ぎ払った。


ザシュッ!


首を根元から刎ね飛ばされた2匹の巨体が、壁面に激突して黒い霧へと還元されていく。


戦闘開始から、わずか1秒半。

第2階層の初陣を飾るはずだった強敵たちの伏撃陣は、響が刀を1寸すら抜く間もなく、完全に壊滅させられていた。


カラン、カラン、と澄んだ音を立てて、1階層のものよりも一回り大きな魔石が4つ、湿った床へと転がり落ちる。


「フンッ……新手のくせにショボいんだよカス共が。アタシのスイーツ代に消えろや」


唯はナイフの切っ先を軍用ブーツの側面で乱暴に拭い、ペッと唾を吐き捨てた。

荒い息とともに防弾ベストが上下し、周囲に濃密な殺気を撒き散らしている。


刀の柄に指をかけたまま完全に硬直していた響は、ゆっくりと脱力し、乾いた息を吐き出した。


「……おいおい。強敵の登場かと思ったら、ただの小遣い稼ぎの秒殺劇じゃねえか」


◇


初陣の伏撃を秒殺した勢いそのままに、2人は第2階層の迷宮を奥へ奥へと突き進んだ。


暗がりから音もなく忍び寄る這寄る影犬(シャドウ・ストーカー)も、集団で盾を連ねる武装白骨兵(スケルトン・ソルジャー)も、唯の金銭欲に火がついた電光石火のナイフ術と、響の鋭利な居合の前に一切の脅威とならなかった。


2階層の最奥、第3階層へと続く冷たい下り階段の踊り場へ到達した頃には、倒したモンスターから得られた魔核の総数は50個を超えていた。湿った岩肌の上に広げられた布の上で、淡い紫や緑、青の光を放つ結晶が小さな山を築いている。


「ふ、ふえぇぇ……! こんなにいっぱいありますよぉ……! これ、全部換金したら一体いくらになるんですかぁ……!?」


戦闘モードを解除し、元の小動物モードに戻った唯は、防弾ベストを押し上げる豊かな胸元をぎゅっと抱え込み、両目をドルマークのように輝かせて魔石の山を見つめていた。


「よし、半分に分けるぞ」


響は無造作に魔石の山へ手を伸ばすと、素早い手つきで均等に2つの山へと選別した。

片方の山――ちょうど26個の魔石を布ごとまとめ、唯の前へ押しやる。


「こっちの半分は真鍋への売却分だ。基地に戻ったら研究機関に納品して、お前の臨時ボーナスにしろ」


「わぁぁっ、ありがとうございます響さん! 私、これでコンビニの高級スイーツ全種制覇しますぅぅ!!」


満面の笑みで魔石を回収用パックへ詰め込む唯の横で、響は残されたもうひとつの山――自らの取り分である26個の魔石を、躊躇なく両手ですくい上げた。


「……で、残りの半分は俺の腹の足しだ」


「へっ?」


唯が呆気にとられて顔を上げた瞬間、響は手の中の小粒な魔石を4、5個まとめて口の中へ放り込んだ。


ボリボリ、ジャリジャリ……!


氷砂糖を豪快に噛み砕く硬質な咀嚼音が、洞窟の踊り場に響き渡る。

続いて、残りの魔石も次々と口内へ放り込まれ、小気味よい音を立ててすり潰されていった。


「ひ……ひ、ひぃぃぃぃっ!?」


唯は顔面を蒼白にし、豊かな胸を激しく揺らしながら腰を抜かした。


「な、何で全部食べちゃうんですかぁぁ!? 半分って、20個以上あるんですよ!? いくらお金になる貴重な石だからって、主食みたいにバリバリ食べる人がありますかぁぁ!!」


「んぐっ……ふぅ。魔力の巡りが一気に戻ってくるな」


響は唯の悲鳴を涼しい顔で受け流し、喉を鳴らして青白い光の粒子を胃袋へと飲み干した。

26個もの高純度な魔核が一気に体内で分解され、膨大な魔力エネルギーとなって枯渇していた魂の回路を駆け巡る。


直後、響の視界の隅で、青白いインターフェースが激しく脈打つように展開した。


『――大量の魔力還元を確認。レベルアップ処理を実行いたします――』

『――現在のレベル:3――』

『――ステータスの上昇を適用。スキル【鑑定】の解析深度が向上しました――』

『――アイテムボックスのレベルに応じた制限解除をいたします――』

初級回復ポーション(ヒールポーション)

解毒草の煎じ薬(アンチドート液)

永久火口の着火具(ティンダーストーン)

微光石のランタン(ルクス・カンテラ)

魔獣肉の特製燻製ジャーキー(一包み)

干しイチジクとナッツの蜜漬けバー

見習い剣士のシャープニングストーン(魔導砥石)

俊足のレザーリストバンド(疾風の腕輪)

深淵の漆黒フード(シャドウ・カウル)


視界に浮かぶシステム表示の中で、【鑑定】の青白い枠がまるで満足げに拍手をするようにリズミカルに明滅を繰り返している。


響は口元を手の甲で無造作に拭うと、右手を空間へ向けて軽く払った。


目の前の虚空が波紋のように揺らぎ、解禁されたばかりのアイテムが音もなく取り出される。

油紙に包まれた魔獣肉の特製燻製ジャーキーの包みと、蜂蜜と木の実の甘い香りを放つ干しイチジクとナッツの蜜漬けバーだ。


「……ん? な、なんですかそれ! すごく良い匂いがしますぅ……!」


魔石をガリガリと貪り食う響の奇行にドン引きし、床で腰を抜かしていた唯が、ピクンと鼻腔を震わせて顔を上げた。

三白眼の奥にあった警戒の色は一瞬で消え去り、腹の虫が「グゥ〜ッ」と派手な音を鳴らす。


「第2階層の走破祝いだ。食うだろ」


響は油紙を広げて香ばしい燻製肉を一片ちぎり、蜜漬けバーと一緒に唯の膝元へと放り投げてやった。


「い、いいんですか!? いただきまーす!」


唯は両手でジャーキーを掴むと、リスのように口いっぱいに頬張った。

噛み締めた瞬間、スモーキーな燻製の香りと凝縮された濃厚な肉汁が口内いっぱいに広がり、同時に疲弊していた四肢へじんわりと温かな魔力が染み渡っていく。


「んんん〜〜〜っ! な、なんですかこれぇぇぇっ!? すっごく美味しいですぅ! お肉の旨味がガツンときて、噛めば噛むほど元気が出てきますぅぅ!!」


「そうだろうよ。そこらの乾パンとは格が違うからな」


響は満足そうに口角を釣り上げると、今度はアイテムボックスから取り出した黒革のリストバンド――『俊足のレザーリストバンド』を、唯の細い手首めがけて無造作に放った。


「ほらよ、狂犬。それも受け取れ」


「ふぎゃっ!? こ、今度はなんですかぁ? リストバンド……?」


「手首のブレを抑えて手数を増やす補助防具だ。お前のそのやたらと素早いナイフ術にはちょうどいいだろ」


唯はもぐもぐと口を動かしながら、受け取った黒いリストバンドを左手首にパチンと装着した。

その瞬間、バンドの内側に刻まれた微小な魔導ルーンが淡く発光し、手首全体が羽のようにふわりと軽くなる感覚が走る。


「わっ……! なんですかこれ、手が勝手に動くみたいに軽いです! 響さん、やっぱりただの露出狂じゃなくて本当にすごい人なんですねぇぇ!!」


「一言余計だ、バカ犬」


響は唯の頭を軽く小突くと、腰の刀の鞘を指先で弾き、第3階層へと続く冷え切った闇の階段を見下ろした。

レベルは3へ上がり、手札も確実に揃いつつある。


「腹ごしらえも済んだことだし、行くぞ。ここから先は今までみたいにヌルくはないはずだ」


「はいっ! どこまでもついていきますぅ!!」


◇


ひとまず第2階層の踏破を終え、収集した魔石を納品するため、ふたりは地下1階の黒曜石ゲートから地上へ一時帰還した。庁舎の作戦室で待っていたのは、いつになく険しい表情を浮かべた真鍋3佐だった。


「お疲れさん、真鍋。約束通り魔石は26個持って帰ってきたぞ。唯の臨時ボーナスの算定、よろしく頼むわ」


響が漆黒のロングコートを軽く翻し、唯が抱えていた回収用パックを指差すと、真鍋は普段なら見せる安堵の苦笑いを浮かべることもなく、硬い声で告げた。


「……魔石の検収は後回しだ。緊急事態が発生した」


「えっ……? き、緊急事態ですかぁ!?」


唯が防弾ベストの前で両手を握りしめ、おどおどと身を縮こまらせる。真鍋は2人を手招きし、作戦室の大型モニターの前へ連れて行った。画面には東京都内の地図と、北区十条台の航空写真が映し出されている。


「うちの東隣、陸上自衛隊十条駐屯地のすぐ近傍で、新たなダンジョンホールが発生した。発生からわずか数時間だが、すでに民間および自衛隊所属の覚醒者チームが先行調査のため侵入を試みたんだ」


「ほう。で、返り討ちにでも遭ったか」


響が腕を組み、切れ長の瞳を細める。真鍋は重々しく頷いた。


「ああ。板橋のここに出たような初級の雑魚共とは根本的に格が違う。先行班の報告によれば、出現しているモンスターは変則的な特殊能力を持つ個体ばかりだ。危険度はおよそ『中級』に達している可能性が高い。先行班は重傷者を出し、一時撤退を余儀なくされた」


「中級ぅぅ!?」


唯が悲鳴を上げ、豊かな胸元を激しく上下させた。


「や、ややややばいじゃないですかぁ! 中級ってことは、皮膚が装甲板並みに硬いとか、魔法を撃ってくるとかそういうやつですよね!? 私、まだ死にたくないですぅぅ!!」


「騒ぐな鷹野。……そこで、十条の現地対策本部から至急の応援要請が入った。我が基地からは、この板橋ダンジョンを単独かつ無傷で踏破し続けているお前たち2人を、即応派遣戦力として投入することを決定した」


真鍋は真剣な眼差しで響を正面から見据えた。


「十条は補給統制本部を抱える兵站の要だ。あそこを潰されるわけにはいかん。安藤、そして鷹野。ただちに十条へ向かい、先行班の救出および中級ダンジョンの制圧にあたってくれ」


唯が「ひぃぃっ!」と涙目で響の背後に隠れる中、響は不敵に口角を釣り上げ、腰の刀の鯉口を親指でカチャリと弾いた。


「中級か。板橋のネズミや骨共には少々退屈していたところだ。……いいぜ、その要請、受けて立つ」


出撃の身支度を整えようと背を向けた響の肩を、真鍋が慌てて掴んで引き止めた。


「待て、安藤!」


「ああん? なんだよ真鍋、一刻を争う緊急事態なんだろ。早く車を出せよ」


振り向いた響の姿を改めて頭から爪先まで見分した真鍋は、こめかみに太い青筋を浮かべ、胃のあたりを片手で押さえながら切実に訴えかけた。


「十条に行く前に言っておく! そのコスチュームはやはりどう考えてもヤバい! もうちょっとまともな服に着替えてくれ!」


「はあ? なんでだよ。牛革の特注品で動きやすいし、風通しも最高だぞ」


「胸下と腹と太ももが全開だろうが! うちの基地の隔離された地下ならともかく、十条は他部隊の応援や外部の覚醒者、果ては警察や報道の目まである現場だぞ! そんな露出狂同然の暗黒騎士スタイルで乗り込んでみろ、現場の統率が根底から崩壊するわ!」


真鍋はさらに身を乗り出し、人差し指を突きつけて続けた。


「それとその言葉遣いだ! お前はどう見ても20代の女の体だろうが! 一人称が『俺』で、ガラが悪すぎる! 変な騒ぎを防ぐためにも、向こうでは普通の女性らしい言葉遣いでやってくれ。頼むから『私』を使って、まともな口調を取り繕ってくれ!」


突然の服装と口調へのダメ出しに、響はあからさまに嫌そうな顔をして眉をひそめた。


「ケッ……堅物のお偉方はこれだから困る。『暗黒騎士の威厳』が形無しじゃねえか」


「威厳じゃなくてただの公然わいせつ紛いなんだよ! いいから着替えるか、せめて上から何か羽織れ!」


真鍋は壁のフックからオリーブドラブ色の官品レインポンチョを引っ張り出して差し出したが、響の背後で怯えていた唯が、これ幸いとばかりにうんうんと激しく頷いて加勢した。


「そ、そうです響さん! 真鍋3佐の言う通りですぅ! あの服、絶対にお巡りさんに職務質問されますよぉ! 普通にしましょう、普通にぃ!」


2人から集中砲火を浴びた響は、深い溜息をつき、頭をガシガシと乱暴に掻きむしった。


「……チッ、分かったよ。向こうの現場にいる間だけだぞ。『外面(そとづら)』を取り繕えば文句ねえんだろ、文句は。だが、そんな泥臭い官品のポンチョなんざ誰が着るかよ。気品のかけらもねえ」


響は真鍋が差し出したレインポンチョを手で払いのけると、おもむろに右手を虚空へかざした。

波打つ空間の裂け目――アイテムボックスのインベントリを操作する。


「隠せば文句ねえんだろ? なら、こいつを使わせてもらうぜ」


取り出されたのは、光を吸い込むような深い闇の色をした一枚の布――レベル3で制限解除されたばかりの防具、『深淵の漆黒フード(シャドウ・カウル)』だった。


しっとりとした滑らかな魔導布で作られたそのフードを広げ、響は頭からすっぽりと被る。

深い鍔(つば)が目元まで影を落とし、流れる黒布が首元から大胆に開いていた胸元、さらには露わになっていた腹部までを自然なドレープを描いて覆い隠した。


漆黒のロングコートと完璧に調和し、露出狂じみた危うさは鳴りを潜め、代わりに「正体不明の凄腕暗殺者」あるいは「底知れぬ魔術士」のような、冷徹で洗練されたシルエットへと変貌を遂げる。


「どうだ、真鍋。これなら肌は隠れたろ」


深い影の底から、響の鋭い双眸が妖しい光を放つ。

真鍋は思わず息を呑み、その異様な威圧感に気圧されながらも、なんとか喉を鳴らして答えた。


「……露出は完全に隠れたな。怪しさは100倍くらいに跳ね上がったが、公然わいせつで捕まるよりは遥かにマシだ。それでいけ」


「よし。じゃあ……外面モードとやらの予行練習といきますか」


響は咳払いをひとつ挟むと、声のトーンをわずかに高く澄ませ、優雅に両手を前で揃えてみせた。


「――お待たせいたしました、真鍋3佐。十条駐屯地の事態、この『私』が速やかに解決して差し上げますわ。……これで文句ないかしら?」


「うわぁぁっ、なんか取って付けたようなお嬢様言葉になってて逆に怖いですぅぅ!!」


唯が豊かな胸元を押さえて怯える中、真鍋はこめかみを押さえつつ、諦めたように「……まあ、合格点にしておく」と力なく頷いた。


「狂犬ハムスター様も真鍋様も、それは酷いですわ」


響は漆黒のフードの影から妖艶に目を細め、鈴を転がすような澄んだ猫なで声で、くすくすと笑いながら言い放った。

上品に口元を黒革の手袋で覆い隠す仕草まで添えられているが、その瞳の奥には隠しきれない邪悪な光が爛々と宿っている。


「ひ、ひぃぃぃぃっ! 呼び方が『狂犬ハムスター様』に格上げされてて余計に怖いですぅぅ!!」


唯は防弾ベストを押し上げる豊かな胸元をぎゅっと抱きしめ、響の作ったようなお嬢様フェイスに怯えきって、真鍋の背後へ完全に隠れた。


「……様を付ければいいってもんじゃないんだよ。皮肉にしか聞こえん」


真鍋は額に手を当てて深く胃痛の混じった溜息をつくと、作戦室の鉄扉を押し開けて廊下を指し示した。


「まあいい、現場に着いたらその調子で余計なトラブルを起こさずに立ち回ってくれ。十条までの移動用車両を手配してある。急ぐぞ」


「承知いたしましたわ、真鍋様」


響はフードの裾をふわりと揺らし、流れるような足取りで先頭を切って歩き出した。

外見の露出は完璧に覆い隠されたものの、全身を黒一色で包み込み、優雅なお嬢様口調を崩さないその姿は、別の意味で異彩を放つ危険人物そのものだった。


庁舎のロータリーには、すでにエンジンをアイドリングさせた高機動車が待機していた。

響が軽やかな跳躍で後部座席に乗り込み、続いて唯が転がり込むように乗り込む。


車輪が甲高いスキール音を響かせ、板橋の拠点を離れ、新たな異変の地――陸上自衛隊十条駐屯地へと急行した。

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