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元勇者の帰還、術式失敗で(♀)になっていた。レベル1から現代のパンデミック迷宮都市を生き抜く  作者: 藤咲玲


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35話:後半 グランド・キャニオン・ウェスト

 背筋をピンと伸ばして居住まいを正した葵に、響は頷きを返した。


「よし。増援の200名を含めた250名の配置を完了させるぞ。御子柴、ピストン輸送のライン割り振りを現場に叩き込め」


「了解いたしました。前線回収50名を第1梯団、竪穴の昇降リレー100名を第2梯団、地上集積場への搬出100名を第3梯団として配置完了。各員の通信端末およびバイタルモニタリングの同期も正常です」


「葵、回収班へ伝達だ。これより第2階層へ入る。道幅が狭まり敵の強度も上がる。前線の50名は俺の撃破した魔石を拾い、背後のリレー要員へ籠を渡せ。作業中は私語を禁じる。拾う手足を止めるな、とな」


「了解です! ――Attention, all teams! We are entering the second floor! Maintain spacing, pass the loads back to the relay squads without delay! No talking, keep your hands moving!(全員注目! 第2階層へ進入する! 間隔を保ち、回収した籠を遅滞なく後続リレー班へ回せ! 私語は禁止、作業を止めるな!)」


 葵の通訳が暗い竪穴へと響き渡り、250名の男たちが一斉に頷いて隊列を前進させた。


 縦穴から吹き上がる冷気混じりの風を浴びながら、響は腰のホルスターから愛用の黒影零式改・紫電を静かに引き抜いた。


「葵、足元は滑らないか。ここから傾斜が急になる。危なそうならすぐに言えよ」


「ありがとうございます、響さん。しっかり踏み締めてついていきます」


「よし。行くぞ。前方の敵はすべて排除する」


 響は先頭を切って赤褐色の斜面を駆け下り、第2階層の闇へと踏み込んだ。


 250名体制のピストンラインを再編成した響たちは、足並みを揃え直すため、あえて第1階層の始点へと戻り、再掃討の陣形を敷いた。


 荒涼とした赤色砂岩の洞窟を前に、響は腰のホルスターから愛用の黒影零式改・紫電を滑らかに抜き放つ。漆黒のスライドと、龍の顎を模した銃身が冷たい殺気を放っていた。


 そして、間髪を入れず。

 響はライダースジャケットの内ポケットへ左手を滑り込ませ、もう1挺の銃を静かに引き抜いた。


 手首の鋭いスナップとともに、カシャンと小気味よい金属音が鳴る。

 折り畳まれていたグリップとトリガーガードが一瞬で展開し、射撃形態へとロックされた。


 掌に収まるのは、ステラから押し付けられた、あの悪名高き魔導銃。

 正式名称――『ピュアラブ・ヒビキ・トゥインクルバレット・カスタム・スウィート・エンジェル・キス・フォールディング・P229』。


 優美な天使の翼が刻まれ、グリップ中央には艶やかなピンクゴールドのハートマークが燦然と輝く、視界に入れるだけで精神を削り取ってくる極悪な代物。


(……認めん。誰がそんな恥ずかしい名前を呼ぶか)


 響は冷徹な眼光の奥で、アルファベットの配列『P・H・T・F・229』を瞬時に自らの領域へと引きずり込み、脳内で都合よく上書きした。


 Phantom Hellfire Twilight Force 229(ファントム・ヘルファイア・トワイライト・フォース 229)。

「幻影の劫火と黄昏の力を宿す魔導銃」――。


 ステラが込めた甘ったるいピンクの世界観を冥府の闇で強引に塗りつぶし、完璧な中二病カスタムとして勝手に再定義を完了させる。これなら辛うじて己の尊厳を保ちながらトリガーを引ける。


「葵、後続に合図を出せ。再突入する」


「了解です! ――All units, moving out! Keep the lines tight!(全隊、前進開始! 列を乱すな!)」


 葵の鋭い号令とともに、響が先頭を切って駆け出した。


 前方の岩陰から、リポップした巨大なデザート・スコーピオンの群れが、毒針を鎌首のように持ち上げて雪崩れ込んでくる。


 右手と左手、2挺の銃口が同時に前方を捉えた。


 パシュッ!

 ――キュンッ!


 黒影零式改・紫電が放つ硬質な閃光と、ファントム・ヘルファイア(PHTF229)から撃ち出された脱力するほど愛らしい発射音が、洞窟内に奇妙な不協和音を響かせる。

 紫電の魔力弾が先頭のサソリを穿つと同時に、PHTF229の銃口から解き放たれたハート型の空間歪曲衝撃波が、後続の群れをまとめて巻き込んだ。


 ズドォォォォンッ!


 キュンという音とは裏腹の、空間ごと叩き割るような超重破壊。

 吹き飛んだ魔物たちが光の塵へと四散し、岩肌一面に親指大の青白い魔石が激しい雨となって降り注ぐ。


「拾え! リレーを回せ!」

「カゴを後ろへ! 手を止めるな!」


 響は目尻に滲んだ涙を乱暴に腕で拭い去りながら、喉も裂けんばかりに叫び散らした。


 パシュッ!

 ――キュンッ!

 パシュッ!

 ――キュンキュンキュンッ!


 響の右手からは冷徹な漆黒の閃光が放たれ、左手からは撃つたびに愛くるしい電子音が洞窟内に木霊する。

 空気をぐにゃりと歪ませて飛び出す無数のハート型衝撃波が、前方のデザート・スコーピオンやロック・ハウンドを容赦なくミンチへと変えていく。空間を圧搾する暴力的な轟音と、耳を塞ぎたくなるほど甘ったるい発射音の狂宴。


(威力は抜群だ! 燃費も紫電の比じゃない! だが……だがッ!)


 撃つたびに視界を横切るピンク色のハートの残光。

 耳元で跳ねる「キュンッ!」という抜け作じみた効果音。

 元勇者としての矜持、男としての尊厳、そのすべてがトリガーを絞るたびに粉々にすり潰されていく。あまりの羞恥と精神的苦痛に、鋭かったはずの美少女の瞳からツーッと透明な悔し涙が零れ落ちていた。


「拾え! 1粒も残すな! 俺のこの屈辱を無駄にするんじゃねえッ!!」


 後方で鬼気迫る形相で籠をリレーしていたPMCの大男たちは、泣き叫びながら敵をミンチにしていく銀髪の美少女の異様な迫力に、文字通り肝を冷やした。


「ヒ、ヒビキ様が泣いてらっしゃるぞ……!?」

「急げ! 1秒でも早く拾って後ろへ回せ! 怒らせたらあのハートで俺たちが消されるぞッ!」


「葵! 全員に伝えろ! カゴを抱えたままモタモタ走るな、全力疾走で回せと怒鳴りつけろ!」


「は、はいっ! ――Pass it faster! Double time, move, move, move!(もっと速く回せ! 駆け足、動け、動け!)」


 葵も響のただならぬ精神崩壊の危機を察知し、必死の形相で英語の檄を飛ばす。

 その横を駆け抜けながら、御子柴が端末の数値を凝視し、必死に口元を引き締めながら淡々と叫んだ。


「響さん、PHTF229の連射により撃破効率が当初の180%に跳ね上がっています! 回収率89%を維持! このまま泣きながら突っ走ってください!」


「うるさい! 泣きたくて泣いてるわけがあるかッ! キュンッて鳴るな! 飛ぶなハートォォッ!!」


 キュンキュンキュンッ、と無情にも洞窟をピンク色に染め上げるハートの嵐の中、響は涙目でトリガーを引き続け、第1階層の魔物たちを阿鼻叫喚の嵐へと叩き落としていった。


 ◇


 第2階層へ通じる巨大な竪穴の入口。

 響はPHTF229のグリップを折り畳んで内ポケットへねじ込み、荒くなった息を整えながら御子柴を振り返った。


「御子柴。現時点での搬出状況はどうなっている」


「はい。第2階層への入坑地点までで、総回収量はすでに8.5トンに達しています。そのうち6トンは地上集積所のコンテナへ搬送を完了、現場待機中のチヌーク1機へ積み込み作業を継続中ですが――」


 御子柴は端末の画面を鋭く叩き、眉根を寄せて厳しい数値を提示した。


「まだ第2階層に足を踏み入れたばかりの段階でこの物量です。深層へ進むにつれ、魔物の体躯と核の密度は指数関数的に跳ね上がります。このまま最深部まで完全回収を行えば、最終的な総重量は当初の試算を大幅に超過……ネリス基地へ集積した後の日本への空輸、C-17大型輸送機1機では到底ペイロードが足りません」


「……第1階層の雑魚を掃除しただけでこれか。アメリカの特級ダンジョンを少々なめていたな」


 響は手袋のベルクロを引き締め直し、即座に指示を飛ばした。


「御子柴、ステラに至急連絡しろ。大型輸送機をもう1機追加でチャーターさせろ。横田とネリスを往復させる空輸ラインを最初から2機体制で組むぞ」


「了解いたしました。直ちにペンタゴンおよびリゾナンス米国本部に回線を繋ぎ、予備機の緊急徴用を発令させます」


 御子柴が端末へ暗号通信を打ち込む傍ら、地上との連絡用トランシーバーからノイズ混じりの声が飛び込んできた。


『地上管制より御子柴分析官! 地上集積所のコンテナ6トン、チヌーク1号機への積載が完了しました! 最大積載量に到達、これよりラスベガス・ネリス基地の受入保管庫へ向けて離陸します!』


「了解した。入れ替えで増援の2号機を即座に着陸させろ」


 御子柴が冷徹に応答すると、頭上の竪穴の開口部から、大気を激しく震わせるローター音が轟き始めた。

 満杯の魔石コンテナを腹に収めたチヌーク1号機が、大峡谷の熱風を切り裂いてラスベガス方面へと機首を向け、猛烈な勢いで上昇していく。

 そして入れ替わるように、空のコンテナを積んだ交代要員のチヌーク2号機が砂塵を巻き上げながらヘリポートへと滑り込んできた。


「響さん、地上とラスベガスを結ぶ輸送ラインのローテーションが開始されました。交代機が着陸、地上での受け入れ体制も滞りありません」


「結構だ。葵、足元の体勢は整ったか? 行くぞ」


「はい、響さん! いつでもいけます!」


 葵が短く応じたのを確認し、響は右手の黒影零式改・紫電を構え直した。


「第2階層へ入る。前線の50名は歩幅を崩すな。後ろのリレー要員へ確実に魔石を流せ。前方の敵はすべて叩き潰す」


 響の号令とともに、部隊は乱れのない隊列を保ったまま、第2階層の冷暗な闇へと踏み込んでいった。


 ◇


 第2階層へ踏み込んだ部隊の足取りは、第1階層の教訓を経て機械的なまでに洗練されていた。


 道幅が狭まり、岩肌の硬度が増した洞窟内。現れる魔物はデザート・スコーピオンから、甲殻が赤熱した溶岩蜥蜴(マグマ・リザード)や装甲の厚い双頭のロック・バイパーへと置き換わっていた。


 パシュッ!

 ――キュンッ!

 パシュッ!

 ――キュンキュンキュンッ!


「拾え! 手足を止めるな!」


 響の振るう黒影零式改・紫電の冷徹な一撃と、PHTF229が放つ破壊的なハートの嵐。

 撃ち倒された魔物たちが消滅した跡には、第1階層よりも明らかに一回り大きく、青みが深まった高品質の魔核が転がる。

 前線50名が掻き集め、竪穴と通路に張り巡らされた200名のリレーラインが背後へ送り出す。

 第2階層の制圧完了時点で、この階層単体での回収量は約7.5トン。第1階層と合わせ、累積は早くも16トンに達した。


 続く第3階層。

 通路は巨大な鍾乳洞のような地下空洞へと広がり、熱気が一段と濃くなる。

 徘徊する魔物は四つ目のジャイアント・トロールや岩盤を喰らうロック・ビースト。個体の質量が増大した分、ドロップする魔核は拳大から人間の頭部ほどにまで大型化し、内包する魔力濃度はさらに跳ね上がっていた。


「葵、足元に気を配れ。トロールの死角へ回り込むぞ」


「はい、響さん!」


 葵の身の安全を絶えず視界の端に収めつつ、響は超常的な敏捷性で巨獣の眉間を紫電で撃ち抜き、胸部へPHTF229のハート型衝撃波を叩き込む。

 砕け散ったトロールの胸からこぼれ落ちる魔核は、1個あたり数キログラムの重量を誇る鈍い藍色の結晶塊だった。

 運搬の負担は増したものの、PMCの回収要員たちは背負い籠を押し合いながら、整然と後方へ送り届けていく。

 第3階層単体での回収量は約11トン。


 さらに深く、重力すら重く感じられる第4階層へ突入する。

 現れるのは深層特有のエリート種、全身が黒曜石のような装甲で覆われたオブシディアン・ゴーレムや、空を滑空する巨大なフレイム・ワイバーン。

 核の純度は極限まで凝縮され、外観は宝石のように研ぎ澄まされていた。1個あたりの重量と価値は跳ね上がり、回収班は籠から小型の運搬用コンテナへと切り替えて手渡しリレーを維持する。

 第4階層単体での回収量は約15.5トン。


 そして――。

 長い下り勾配の坑道を抜け、部隊は第5階層の最奥、異様な冷気と威圧感が渦巻く巨大な広場へと辿り着いた。


 目の前に立ち塞がるのは、ダンジョンの天井に届かんばかりの巨大な黒鉄の重装扉。

 分厚い両開きの大扉には禍々しい古代文字が刻み込まれ、扉の奥からは全身の産毛を逆立たせるような、強烈な階層主の気配が漏れ出していた。


「止まれ。これより先はボス部屋だ」


 響の低い制止の声に、前線回収班と後続の男たちが一斉に足を止めた。

 響は手元でカシャンとPHTF229のグリップを折り畳んで内ポケットへ戻すと、荒くなった呼吸を静かに整える。


「葵、息は上がってないか。喉が渇いたなら無理せず水分を取れ」


「ありがとうございます、響さん。まだ余裕はあります」


 葵が首を横に振るのを確認し、響は振り返って手元の端末を操作していた御子柴へ視線を向けた。


「御子柴。ここまでの総回収量の計算を出せ」


「了解いたしました。第1階層から第4階層、およびこの第5階層の扉前までの掃討で得られた魔核の総計が出ました」


 御子柴はディスプレイの数値を響の前に提示した。


「第1階層で約8.5トン。第2階層で約7.5トン。第3階層で約11トン。第4階層で約15.5トン。――現時点での総回収重量は、実に約42.5トンに達しています」


「42.5トンか……」


「当初の想定を完全に破壊する物量です。地上へ搬出完了している分はすでにネリス基地へピストン輸送中ですが、C-17大型輸送機1機の最大積載量(約77.5トン)の半分を、階層主を倒す前にすでに突破しました。ボスの魔核と第5階層の残余分を含めれば、追加チャーターした2機体制の空輸ラインですら満載に近い数値となります」


「……あいつらが砂漠に巨大な製錬プラントを買収し、東京ドーム120個分のソーラーと冷却ファームを敷いた理由がよく分かったな。この物量を浴びせるなら、確かにそのくらいの化け物じみたインフラがなきゃ一瞬でパンクする」


 響は黒影零式改・紫電のグリップを握り直し、眼前の巨大な黒鉄の大扉を冷徹に見据えた。


「御子柴、後続のリレーラインを扉の前で待機させろ。俺が扉の奥の階層主を仕留めるまで、回収班は一歩も踏み込ませるな」


「了解いたしました」


 響は首を軽く鳴らし、重厚な扉の隙間から漏れ出る殺気に向かって静かに意識を研ぎ澄ませた。


 ◇


 黒鉄の大扉が軋んだ重音を立てて押し開かれた瞬間、生温かい湿気と地熱の混じり合った異様な大気が吹き抜けた。


 広がるのは、熱水鉱床が淡い青の燐光を放つ巨大な円形空洞。その中心、ぬめりを帯びた黒光りする巨躯が、侵入者を感知して鎌首をもたげた。


 第5階層主――全長18メートルに及ぶ地底の双頭蛇竜『アンフィスバエナ』。

 前後に完全な頭部を持つ巨体は、一見すれば太いヘビウナギそのものだが、全身を有鱗のダイヤモンド装甲が覆い、胴体側面の排熱孔からシューッと高温の蒸気を噴き出している。前方の頭部がギチギチと牙を鳴らし、後方の頭部が天井へ向けて鋭い威嚇音を放った。


 背後の大扉が重厚な音を立てて完全に閉ざされる。

 後続の回収部隊250名は、余波に巻き込まれぬよう手前の防衛ラインまで完全に後退・撤収させてある。この広大なドーム内に存在するのは、響と巨大な蛇竜の2者のみ。


 響は単身、地熱に濡れたドーム床を鋭く蹴り出した。


 シャアァァッ!!


 前方の頭部が口腔をカッと見開き、圧縮熱水ブレスの予兆となる白煙を噴き上げる。巨体が蛇行を描き、猛烈な突進の体勢に入った。


 だが、響の足取りは正面から迎え撃つ軌道ではない。

 初速からトップスピードに乗った響は、そのまま左手の垂直に切り立つ洞窟の側壁へと跳び乗った。


 重力を嘲笑うかのように、響の両足は岩肌を垂直に踏みしめ、壁面を高速で疾走する。アンフィスバエナの放った熱水ブレスが床面を薙ぎ払うが、響はすでにその射線遥か上方、壁の突起を足場に天井近くまで駆け上がっていた。


 獲物を見失い、後方の頭部が壁上の響へ焦点を合わせた、その一瞬――。


 ダンッ!!


 壁面を蹴り破る破裂音とともに、響の身体が宙へ弾け飛んだ。

 巨大な双頭蛇竜の真上、ドーム頂点付近の空間へ完全に回り込む。

 宙返りの頂点、重力に引かれ落下へと転じる刹那、響の右腕がブレることなく前方へと突き出された。


 その手に握られているのは『黒影零式改・紫電』。


 狙うのは頭部ではない。のたうつ18メートルの胴体、その中央部――全身の蛇行推進を司る脊椎骨の結束点。


 シュッ、シュッ、シュッ――!!


 消音された超高密度の魔力弾が、真上から鉛直に撃ち込まれた。

 ダイヤモンド状の装甲を点の一撃で刺し貫き、弾丸は脊椎の関節部を正確無比に破砕。背骨の流動的な連動を強烈な衝撃で真下へ叩きつける。


 ドガァァンッ!!


 胴の中央部を地面へ縫い止められるように叩き落とされたアンフィスバエナは、推進の支点を完全にへし折られ、全身を激しく痙攣させて地表へ叩きつけられた。前後の頭部が混乱と激痛に狂い、這い回ることすらできずその場で暴れ狂う。


 そこへ、落下速度を魔力で制御した響が、吸い込まれるように急降下した。


 着地の瞬間――。

 地表に触れた左足を軸にし、落下の運動エネルギーをそのまま回転力へと変換。

 反撃しようと牙を剥き、頭をもたげた前方の頭部へ向けて、目にも留まらぬ鋭角な回し蹴りが一閃した。


 バゴォォッ!!


 鋼鉄の杭を叩き込んだかのような重厚な打撃音がドーム内に反響する。

 響の爪先が、アンフィスバエナの下顎の蝶番――顎関節を粉砕していた。

 巨大な顎が不自然な角度へとねじ曲がり、牙の根元が砕け散る。頭部を破壊して即死させることなく、噛みつきの威力とブレスの発射器官だけが完璧に奪い去られた。


 シュー……、と力のない蒸気を漏らし、前方の頭部が地面にへたり込む。

 胴体は推進力を失い、頭部は顎を砕かれ、巨獣は激しい息遣いを立てながらも生きたまま完全に活動を停止していた。肉の鮮度を落とさず、光の粒子としての消滅を防ぐための、完璧な無力化。


 響は着地の体勢から静かに立ち上がり、靴底の砂を払うと、足元で荒く息を吐く巨大な蛇竜の胸郭へ視線を向けた。規則正しく脈打つ皮膚の奥、青白く輝く巨大な核の脈動を皮膚感覚で捉える。


「よし、息はあるな」


 響の右手に、鋭利な刃物以上の魔力圧が収束していく。手刀が無造作に振り下ろされ、強靭な有鱗皮膚と筋繊維を一切の抵抗なく切り裂いた。


 肉を掻き分け、その深部にある灼熱の核――青白い光を放つ巨大な深層魔核を鷲掴みにする。


 ブツンッ。


 太い魔力経絡を引きちぎる鈍い音とともに、バスケットボール大の魔核が一気に引き抜かれた。

 核を失ったアンフィスバエナは最後のかすかな呼気を漏らして完全に絶命したが、その巨躯が光の粒子となって消滅する気配は微塵もない。


 傷のない胴体には、湯気を立てる極上の純白の白身肉が、約4トンの質量を保ったまま生々しく横たわっていた。


 引き抜いたバスケットボール大の深層魔核を腰のマジックバッグへ放り込むと、響は空間へ向けて無造作に右手を伸ばした。

 歪んだ亜空間から現れた柄を握り、滑らかに引き抜く。現れたのは、異世界から持ち帰った長大な白刃――太刀。


 直径1mをゆうに超える大蛇の肉体に対し、並の刃物では骨にすら届かない。だが、異世界の戦場を駆け抜けたこの業物と、響の膂力にかかれば話は別だった。


 響は歩み寄ると同時に、一切の溜めなく太刀を薙ぎ払った。


 ズパァンッ――!


 鋭利な刃鳴りとともに、ダイヤモンド装甲の外皮も太い脊椎骨も、一切の抵抗なく一刀両断される。

 流れるような足運びで太刀を振り下ろし、18メートルの長大な胴体を一定の間隔で次々と両断していった。ドラム缶ほどの太さがある円筒状の肉塊が、大人一人で抱えられるほどの大きさに手際よくぶつ切りにされていく。切断面からは澄んだ脂がじわりと滲み出し、極上の白身肉の香りがドーム内に立ち上った。


 切り分けを終えると、響は太刀の血糊を一振りで払い、再び開いた空間の隙間へと滑り込ませて収納した。


 転がる巨大な肉のブロックを片手で軽々と掴み上げると、口を開けたマジックバッグの中へ次々に放り込んでいく。

 ドサッ、ドサッ、と吸い込まれていく肉塊。

 ものの数分で、約4トンに及ぶアンフィスバエナの全身は、肉も皮も骨も余すことなく、完全にマジックバッグの亜空間へと収納された。


 巨大な円形空洞の中には、もはや魔獣の死骸どころか肉片ひとつ残っていない。

 現場にあるのは、討伐が完了して静まり返った熱水鉱床の青い燐光のみ。


 響は両手を軽く払い、衣服の乱れを整えると、重厚な大扉へと踵を返した。


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