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元勇者の帰還、術式失敗で(♀)になっていた。レベル1から現代のパンデミック迷宮都市を生き抜く  作者: 藤咲玲


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35話:前半 グランド・キャニオン・ウェスト

 青葉の森公園の地下深くから這い上がり、千葉での討伐と肉の摂取を終えた一行を待っていたのは、安堵の息をつく暇すら与えない報せだった。


 真鍋が掲げた端末の画面には、横田基地の滑走路でエンジンをアイドリングさせたまま待機する米軍の大型輸送機C-17の映像が映し出されていた。


「響さん、防衛省への90億円の請求手続きは完了させました。……ですが、ペンタゴンからの要請が限界を突破しています。オハイオとネバダの特級ダンジョンで魔力臨界寸前。横田の第5空軍が、響さんの搭乗を今か今かと待ち構えていますよ」


 響は手袋を軽く引き締め、迷いなく部隊の切り分けを言い渡した。


「唯。お前は桐生たち自衛隊組と一緒に日本に残れ。池袋の残敵や、国内で何かあればお前の腕力と敏捷で叩き潰せ。真鍋さんは唯の手綱を握りつつ、防衛省から90億円をきっちり回収しろ」


「えぇーっ!? 私もお肉食べにアメリカ行きたかったのに!」


 唇を尖らせる唯の頭を軽く小突き、響は葵と御子柴へ視線を向けた。


「葵、お前には通訳と俺の補佐を頼みたい。無理をさせるが、ついて来てくれるか?」


「もちろんです、響さん。しっかりお供します」


 葵が静かに頷いたのを見届けてから、響は冷徹な視線を御子柴に向けた。


「御子柴、お前は秘書と魔導分析官としてついて来い。向こうのダンジョン構造の解析と、スケジュールの管理をやってもらう」


「了解いたしました。現地データの照合作業に入ります」


 御子柴が眼鏡のブリッジを押し上げ、即座に端末へと指を走らせた。


 特務車両で横田基地へと滑り込んだ3名は、タラップを駆け上がり、米軍の専用輸送機へと収容された。4基の巨大なターボファンエンジンが轟音を上げ、夜の闇を切り裂いて太平洋上空へと一気に機首を持ち上げる。


 ◇


 十数時間の飛行を経て、太平洋を越えた輸送機が滑り込んだのは、ネバダ州の荒野に位置する米空軍ネリス基地だった。


 タラップを降り立った響たちを迎えたのは、砂漠の乾いた熱風と、滑走路の脇に整列していた屈強な男たちの集団だった。出迎えたステラ・ヴァレンタインが、息を切らせながら駆け寄ってくる。


「響様! お待ちしておりました……!」


「ステラさん。集まり具合はどうだ」


 響が視線を走らせると、そこには防護服と軽量の背負い籠を装備した50名近い人員が、無言のまま統率された隊列を組んでいた。リゾナンス米国本部が、高額の日当と厳格な守秘義務契約のもとで緊急招集した専属の回収部隊だった。


 国内の所沢、上野、千葉で実証されたノウハウ――すなわち「響が単独で先頭を走り、視認した敵をノータイムで全滅させ、後続が魔石を拾い集めるだけの単純作業」。戦闘要員を複数連れて行く必要は毛頭なく、純粋な回収の「手」だけが大量に必要となる。今回の規模であれば、50名体制のローラー作戦が最も無駄がない。


 響は50名の回収員たちを一瞥し、冷徹な声を通わせた。


「葵、通訳してくれ。……お前たちの仕事は、俺が歩いた後に転がる魔石を拾って背負い籠に放り込むだけだ。足手まといの護衛をする気はない。俺の進行速度から遅れるな。そして――」


 響の眼光が一段と鋭さを増す。


「最深部、階層主の部屋への立ち入りは一切禁じる。ボスの手前の防壁前で全員待機だ。俺が仕留め終えて合図を出すまで、扉の隙間から中を覗くことすら許さん。……契約条項に違反した奴は、その場で首を折ってダンジョンに埋める。冗談と思うな」


 葵が流暢かつ凛とした英語で即座にその宣告を翻訳し、回収員たちへ叩きつける。

 圧倒的な気迫に呑まれた50名の作業員たちは、一斉に背筋を凍らせて「YES, MA'AM!」と喉を震わせた。


 魔獣の核を素手で引き抜き、消滅させずに残した肉を食らってステータスを上げるという秘密は、リゾナンスの絶対機密。米軍や本部の作業員に知られるわけにはいかない。


「ステラさん。回収班の配置管理は頼む。……いくぞ」


「……あ、あの、響様! 実は、内密にお渡ししたいものがあるんです!」


 回収班への訓示を終えた直後、ステラが上気した頬を両手で押さえながら、背中に隠していた小さなベルベット張りのケースを恭しく差し出してきた。


「ステラさん? これは何だ?」


「ふふっ、響様のために、合衆国最高峰の魔導ガンスミスに極秘で作らせた特注の銃です! 今お持ちの拳銃も龍のデザインですごく強そうですけれど、響様の可憐さにはこっちの方が絶対に似合います!」


 ケースを開けると、そこには見慣れたSIG P229のシルエットをベースにしながらも、異様な存在感を放つ1挺が収まっていた。

 グリップとトリガーガードがスライドの下へ平らに折り畳まれ、突起のない携帯形態となっている。響が手に取って手首を軽く振ると、カシャンと小気味よい金属音とともにグリップが展開し、ガッチリとロックがかかって即応射撃の形を成した。


「……ほう。機構はフォールディングピストルのそれだな。剛性も噛み合わせも文句ない。だが――」


 響の視線がスライドとフレームに固定された瞬間、表情が完全に凍りついた。


 銃口のブッシング周りには優美な天使の翼のレリーフが彫り込まれ、グリップパネルの中央には艶やかなピンクゴールドのハートマークが燦然と輝いている。さらにスライド側面には、流麗な筆記体で極小の英文字がびっしりと隙間なく刻み込まれていた。


 嫌な予感を察知した響の額から、タラリと冷や汗が一筋流れ落ちる。


「……ステラさん。これ、側面に何て書いてあるんだ?」


 待ってましたとばかりに、ステラは胸の前で両手をギュッと組み、目を爛々と輝かせて満面の笑みを咲かせた。


「はいっ! 響様の愛らしさと光、そして敵を瞬時に浄化する甘い口づけをイメージして、私が心を込めて命名しました! 銘は――」


 ステラは大きく息を吸い込み、世界的な美声を惜しげもなく張り上げた。


「『ピュアラブ・ヒビキ・トゥインクルバレット・カスタム・スウィート・エンジェル・キス・フォールディング・P229』ですっ!! 素敵ですよねっ!」


「…………」


 ネバダの熱風の中、完全な静寂が吹き抜けた。


 龍の口から銃身が飛び出す厨二病カスタムを愛用している響ですら、この甘ったるい暴力的な可愛らしさには耐えきれず、引きつった苦笑いを浮かべて硬直した。

 背後で端末を叩いていた御子柴が、ツツーッと眼鏡のブリッジを押し上げて露骨に視線を虚空へ逸らし、葵は「ふふっ」と両手で口元を押さえて小さく肩を震わせている。


 龍から一転してハートと天使のキス。人前でホルスターから抜くだけで社会的な尊厳が吹き飛びかねない代物だ。


 響は銃を両手で包み直すと、死んだ魚のようなジト目でステラを見つめ、乾いた声で呟いた。


「……ステラさん。名前、長すぎる。……PHTF229でいいか?」


「ええっ!? 頭文字だけ取って略しちゃうんですか!? せっかくの『スウィート・エンジェル・キス』が台無しですよぉ!」


「台無しでいい。これ、人前で叫んで撃ったら俺の精神が先に即死する」


 響は深々とため息をつきながら、グリップをカクンと前方へ折り畳み、ハートマークを隠すようにライダースジャケットの内ポケットへと押し込んだ。


 部隊はネリス基地のエプロンで待機していた米軍の大型輸送ヘリCH-47チヌーク2機へと分乗し、一路、目的地へと飛び立った。

 向かう先はグランド・キャニオン・ウェスト。ガラス張りの展望橋「スカイウォーク」が架かる断崖の直下、深さ1,200mの谷底に穿たれた黒々とした大亀裂――特級ダンジョンである。


 現地へ到着したヘリが砂塵を巻き上げて着陸すると、谷底の裂け目から冷たい魔力の突風が吹き上がっていた。


「葵、全員に伝えろ。籠が満杯になった奴から出口へ走ってコンテナへ移せ。立ち止まって息を整える暇はない、とな」


「了解です! ――All teams, double time! Don't stop picking!(全班、駆け足! 拾う手を止めるな!)」


 葵の鋭い号令とともに、響が先頭を切って大亀裂の闇へと踏み込んだ。


 侵入した第1階層は、赤い巨岩が迷路のように入り組む大峡谷の地下洞窟。

 天井や岩陰から、人間大のデザート・スコーピオンや群れを成したロック・ハウンドが濁流のように雪崩れ込んできた。


 だが、響の足取りはジョギングのペースから一切乱れない。


 パシュッ、パシュッ、パシュシュシュッ――!


 消音された魔力弾が闇を薙ぎ払うたび、前方数十メートルにいた魔物の群れが悲鳴を上げる暇すらなく光の塵へと四散していく。

 直後、洞窟の岩肌に「バラバラバラッ!」と硬質な雨のような音を立てて、握り拳から親指大の魔石が絨毯のように撒き散らされた。


「ひ、拾え! 走れッ!」

「前へ詰めろ! 響様に置いていかれるぞ!」


 50人の屈強な男たちが、背負い籠を揺らしながら必死の形相で疾走する。

 両手で無我夢中に魔石を掴み、背中の籠へと放り込む。1人あたり15kgや20kgなど、ものの数分で満杯に達した。背負った籠はずっしりと重くなり、砂利を踏みしめる太ももが悲鳴を上げ始める。


 だが、響はさらに加速していた。


 曲がり角を抜けるたびに、さらに数十頭の魔物が光となって消滅し、床一面が青白い魔石の海で埋め尽くされていく。

 50人が腰を屈めて必死に掻き集めても、拾えるのは全体の3割にも満たない。踏み荒らされた通路には、拾いきれなかった数百、数千の魔石が無残に転がったまま後方へと流れていく。


 汗だくになって肩で息をする回収班のリーダー格が、満杯の籠を抱えながら悲鳴のような声を上げた。


「ダメだ、追いつかねえ! 拾うスピードより、あの人が敵を消すスピードの方が桁違いに速すぎる!」

「カゴがもう一杯だ! 誰か予備の袋を持ってこい!」


 背後で響き渡る混乱の怒号を耳にしながら、響は背中越しに冷めた視線を向けた。


「……ステラさん。アメリカ本部の精鋭と聞いていたが、50人ではまるで手が足りないな」


「え、ええっ……!? 屈強な元軍人を50人も揃えたはずなんですけれど……響様の殲滅速度が人間の処理能力を超えてますぅ!」


 走りながらタブレットで後方の回収率をリアルタイム集計していた御子柴が、眼鏡の奥の目を眇めながら淡々と数値を告げた。


「現在の回収完了率、わずか28%。50名体制の可搬重量は約1トンですが、響さんがこの10分間で発生させた魔石の総量はすでに3トンを超過。……完全にキャパシティオーバーです」


「このままでは後方に大量の魔石を取りこぼすだけでなく、隊員の疲労で隊列そのものが破綻します」


 御子柴は走りながら端末の画面を鋭く叩き、作戦の再編案を提示した。


「響さん、回収班の運用を切り替えます。50名を25名ずつの2班に分割。第1班が前線で籠を満杯にした時点で、地上待機中の第2班と交代。搬出と回収を連続で行うピストン輸送方式に移行させます」


 背負い籠の容量は20kg前後が限界だ。響が前方を薙ぎ払うたび、数秒で籠から魔石が溢れ出し、足を取られた回収要員たちが混乱に陥っていた。


 響は足を止めずに後方を一瞥し、短く頷いた。


「合理的だな。その案を採用する。葵、現場の隊員に割り振りを伝達してくれ。負担をかけて悪いが、頼めるか?」


「任せてください、響さん! ――Listen up! Split into Team A and Team B, twenty-five each! Team A, scoop until full and sprint to the surface! Team B, take their place and advance! Rotate! Keep moving!(全員聞け! 25人ずつA班とB班に分かれろ! A班は満杯になったら地上へダッシュ! B班が入れ替わりで前進! ローテーションだ、足を止めるな!)」


 葵の通る声が洞窟内に響き渡り、屈強な回収要員たちが素早く2手に分かれて動線を確保する。


 響は黒影零式改・紫電の銃口を下げ、それまでの強行軍のピッチを意図的に落とした。


「……仕方ない、速度を落とす。せっかくのドロップ品を無駄に残していくのも本末転倒だ」


 荒野の地下を進むペースを、回収班のピストンサイクルに合わせた巡航速度へと切り替える。

 前方の敵を瞬時に沈めて魔石の山を築いた後、第1班が猛烈な勢いで籠へ詰め込んで背後へ走り去り、入れ違いに空の籠を背負った第2班が滑り込んでくる。その入れ替わりのリズムを測りながら、響は一定の間隔を置いて次の広間の敵を排除していった。


「響さん、現在の回収効率、74%まで回復。このペース配分なら地上搬出のボトルネックも解消できます」


「上出来だ、御子柴。……おい、交代組。次の広間に大型のデザート・ワームが3匹いる。俺が即座に撃破する。足元に散らばる魔石を1粒も残さず回収しろ。遅れるな」


 回収班への冷徹な指示を飛ばしながら、響は紫電のトリガーを引いた。

 青白い閃光が正確に大峡谷の闇を撃ち抜き、巨大な魔獣の眉間を容赦なく穿つ。効率的なピストン輸送の動線が噛み合った部隊は、乱れのない足取りで地下深層へと進軍を再開した。


 ◇


 第1階層を抜ける大空洞。床一面を埋め尽くす青白い光の粒を踏み越えながら、響は深く息を吐き出した。


 速度を落としてピストン輸送を導入したとはいえ、25名が拾い、25名が地上へ走る体制では、物理的な搬出能力がまるで追いついていない。

 後方では、往復の全力疾走で息を切らした回収員たちが、汗だくの顔を歪めながら必死に籠へ魔石を掻き込んでいる。第2階層へ降りれば距離が伸び、破綻するのは目に見えていた。


 響は銃口を下げ、呆れ果てた表情で御子柴を振り返った。


「御子柴」


「はい、響さん」


「こんな数じゃ話にならん。到底間に合わないぞ」


「おっしゃる通りです。第2階層以降、昇降の移動時間が倍増するため、現在の25名ピストンでは前線の魔石処理が完全に滞留します」


「これの5倍は必要だ。直ちに追加を手配させろ」


 響は即座に指を立て、明快な運用指示を叩きつけた。


「常に50名が前線に張り付いて拾い続けろ。残りの200名は全員、地上と前線を繋ぐピストン輸送の補助へ回せ。前線の50名が籠を満杯にしたら、後ろから走ってきた搬出要員にその場で籠ごと手渡すかコンテナに中身を移し、拾う手足を1秒たりとも止めるな」


「了解いたしました。総勢250名体制への拡張案ですね」


 御子柴は淀みない手つきで端末を操作し、ネリス基地とリゾナンス米国本部の直通回線へ接続した。


「ステラさん、聞こえますか。響さんからの緊急業務命令です。回収要員を即座に200名追加、チヌークを増便してピストン輸送のラインへ投入してください。地上搬出の動線を完全に独立させます」


『ひゃ、ひゃく……200名追加ですかぁ!? ネリス基地で待機させている予備の民間軍事会社(PMC)要員と基地警備隊の非番を全部買い占めてヘリに乗せますぅ! すぐ手配します!』


 通信機越しに悲鳴じみたステラの応答が響く。


 響は首を軽く回して関節を鳴らすと、第2階層へと続く巨大な竪穴を見下ろした。


「葵、前線の連中に伝えろ。交代の増援が来るまで今のペースを維持する。拾いこぼしは許さん、と」


「了解です、響さん」


 葵の張りのある英語が洞窟の奥へと飛び、回収員たちに新たな緊張感が走った。


「一旦引くぞ。地上へ戻る」


 響は銃口を下げ、背後の回収班に向けて短く言い渡した。


「第1階層のドロップはすべて回収し終えた。増援の200名が揃うまで、第2階層への突入は一時中断だ。全員、地上で待機しろ」


「葵、連中に伝えてくれ。地上で体を休めておけ、とな」


「了解です。――All teams, fall back to the surface! Stand by at the LZ until reinforcements arrive! Take a break!(全班、地上へ撤退! 増援が到着するまで着陸帯で待機! 休憩を取れ!)」


 葵の通訳が響き渡ると、疲労困憊だった50名の男たちから安堵の吐息が漏れた。汗に濡れた背負い籠を担ぎ直し、部隊は統率を保ったまま大亀裂の斜坑を登り返していく。


 地上へ出ると、ネバダの突き抜けるような青空と、大峡谷を吹き抜ける乾燥した熱風が迎えた。

 スカイウォークの巨大なガラスループが頭上に弧を描き、断崖のヘリポート周辺には、第1階層から運び出された魔石コンテナが整然と積み上げられている。

 回収班の50名は日陰となる岩壁沿いや簡易テントに腰を下ろし、支給されたレーションやボトル入りウォーターで息を整え始めた。


「響さん、増援部隊を乗せた大型ヘリ群の離陸を確認しました。ネリス基地からこちらへの到着まで約25分。ちょうどいいインターバルです」


 御子柴は端末から視線を上げ、手際よく簡易テーブルと折りたたみ椅子を展開した。


「25分か。腹ごしらえには十分だな。葵、何か手頃な食料はあるか?」


「はい、ヘリに米軍の戦闘糧食(MRE)と、ステラさんが持たせてくれたクーラーボックスが積んであります。温かいものを用意しますね」


 葵が手早く取り出したのは、肉厚のビーフパティと分厚いベーコン、チェダーチーズを豪快に挟んだアメリカンサイズのBLTバーガーと、保温ボトルに詰めた熱いコンソメスープだった。


「助かる。いただきます」


 響は手袋を外し、両手で重量感のあるバーガーを掴むと、躊躇なく大きくかぶりついた。

 香ばしく焼き上げられた赤身肉の旨味と、塩気の効いたベーコンの脂が口いっぱいに広がる。女性化した華奢な顎と小さな口には持て余すボリュームだが、元勇者の旺盛な食欲と運動量には何ら苦にならない。喉を鳴らして咀嚼し、スープで流し込む。


「美味しいですね、響さん」


 葵は隣で小さく口元を緩め、自身の分を上品に少しずつ口へ運んでいる。


「ああ、悪くない。アメリカの無骨な味付けだが、塩分が抜けた身体にはちょうどいい」


 響は葵の様子に目を配り、優しく声をかけた。


「葵、喉が渇いてないか。無理して急いで食う必要はないからな」


「ありがとうございます、大丈夫です。響さんも、スープのおかわりありますから言ってくださいね」


 向かいの席では、御子柴が片手でサンドイッチを器用に口へ運びつつ、もう一方の手で端末のタッチパネルを高速で弾いていた。


「第2階層の深度データを受信。高低差は約300m、下層は完全に鍾乳洞と砂岩の複合地形です。増援200名が合流次第、50名回収・200名リレーのピストンラインを即時敷設可能。動線シミュレーションは完了しています」


「結構だ。食ったら即座に仕留めに行くぞ」


 響は最後の一口を飲み干し、口元をペーパーで拭うと、ライダースの内ポケットに収めた銃ピュアラブ・ヒビキ・トゥインクルバレット・カスタム・スウィート・エンジェル・キス・フォールディング・P229の感触を確かめた。


「...増員が来たらこいつも使うか...」


 休憩を終え、増援200名を乗せた4機のCH-47チヌークが大峡谷の砂塵を巻き上げて着陸した直後のことだった。


 総勢250名へと膨れ上がった回収部隊が整然と隊列を組み直す傍ら、響はライダースジャケットの内ポケットから、例の折り畳み式拳銃――PHTF229を取り出した。


 手首のスナップを利かせて振ると、カシャンと小気味よい金属音を立ててグリップとトリガーガードが展開し、射撃形態へとロックされる。

 ピンクゴールドのハートマークと天使の翼のレリーフが、ネバダの強烈な陽光を浴びて眩しくきらめいた。


「響さん、第2階層突入前に試射をしておかれますか?」


 葵の問いかけに、響は死んだ魚のような目を向けたまま短く応じた。


「……ああ。機構の噛み合わせは完璧だが、どんな弾が出るか確かめておかんと実戦で使えんからな」


 十数メートル先、断崖の砂地に転がっている手頃な赤色砂岩の巨石へ銃口を向ける。

 安全装置を解除し、人差し指でトリガーを絞り込んだ。


 ズドン、あるいはパシュッという硬質な発射音を予想していた周囲の空気が、次の瞬間、完全に凍りついた。


 ――キュンッ!


 乾いた渓谷に響き渡ったのは、脱力するほど甲高く甘美な、可愛らしい効果音だった。


「…………は?」


 響の喉から、間の抜けた声が漏れる。


 火薬の白煙など微塵も上がらない。

 その代わり、銃口から撃ち出された超高圧の圧縮魔力は、周囲の大気を激しく巻き込みながら空間をぐにゃりと歪ませていた。

 光の屈折が生み出した衝撃波の輪郭――それは中央を綺麗に矢で射抜かれた、紛れもない「巨大なハートマークの空気の歪み」だった。


 キュンキュンキュンッ!


 連射のトリガーフィーリングを確かめるため無意識に指が3度動くたび、渓谷に響き渡る愛らしい電子音のような発射音。

 そして空間を叩き割りながら撃ち出される、3連のハート型ブラストウェーブ。


 直後。


 ドゴォォォォォンッ!!


 標的となった軽自動車サイズの巨岩が、甘ったるい音とは裏腹の規格外の衝撃波に呑まれ、一瞬で粉微塵に消し飛んだ。赤砂の粉塵が爆風で周囲に吹き荒れる。


 威力は文句なしの特級クラス。

 だが、そのプロセスがあまりにも致命的だった。


「…………」


 銃口の先から立ち上る、ほんのり甘い香りのするピンク色の残留魔素を見つめ、響の顔筋がピキピキと引きつった。


 背後では、屈強なPMCの兵士250名が「……Cute……?」と目を丸くして立ち尽くし、葵は両手で口元を覆って必死に笑いを噛み殺しながら肩を小刻みに震わせている。

 御子柴だけが、ツツーッと眼鏡のブリッジを押し上げて真顔で手元の端末にメモを走らせていた。


「初速マッハ3.2、着弾点破壊半径4m。魔力効率は極めて優秀ですが……音響特性および大気歪曲パターンが著しく精神的負荷を強いる設計ですね」


 響は無言のまま銃を見つめ、深々と、魂が抜けるようなため息を吐き出した。


「……おいステラ。お前、完全にふざけて作らせただろ」


 ネリス基地で待機しているはずのガンスミスとステラに向け、響の冷徹な眼光に殺意に近い呆れが混ざり合っていた。


「いや、あいつは至って真面目にキラキラネームを吐き出す奴だった...胃が痛い」


 響はこめかみを指先で強く揉みほぐしながら、手にした凶悪なピンクゴールドの銃を見下ろした。怒鳴り散らす気力すら奪われるとはこのことだ。


「響さん、大丈夫ですか? お薬、胃薬ありますよ」


 葵が心配そうに、けれど笑いの余韻で目尻をわずかに潤ませながら駆け寄ってきた。


「……いや、大丈夫だ。薬で治る類の痛みじゃない。葵、気遣いはありがたいが……頼むから笑うのを堪える顔で心配するな。余計に精神が削られる」


「す、すみません……! でも、ハートが飛んでいくのがあまりにも……!」


 ついに堪えきれなくなった葵が顔を背け、肩を揺らして吹き出した。

 その横で、御子柴が淡々とした口調のまま、端末のディスプレイを響の目の前に突きつける。


「響さん。性能面だけを純粋に評価するならば、このPHTF229は驚異的な傑作です。……っ、ふっ! ……失礼。内蔵された新型魔導集束器により、黒影零式改・紫電と比較しても魔力消費効率は約40%改善。……くっ、ふふっ、失礼いたしました。弾道安定性、衝撃波の貫通力ともに特級ダンジョンの深層エリート種を一撃で粉砕可能な数値を……っ、ぷ」


「……数値がいくら優秀でも、撃つたびにキュンキュン鳴いてハートの衝撃波を飛ばす銃を平気で振り回せる奴がいたら、そいつは狂人通り越してただのド変態だ。それと御子柴、真顔のまま吹き出すのをやめろ。それとなく堪えてるつもりだろうが、肩が小刻みに揺れて全部筒抜けだぞ」


「ですが、実戦投入を推奨します。深層での継続戦闘を考慮すれば、この燃費の良さは捨てがたいアドバンテージです……敵だけでなく、名前を聞いた味方の精神まで瞬殺できるかと……っ、ふっ!」


「……おい御子柴、味方を精神汚染してどうする。……だが、実用性がある以上、文句は言えんか」


 響は忌々しそうに息を吐き出すと、カシャンと手元でグリップを折り畳んだ。

 人前で抜くのは万死に値する屈辱だが、燃費と破壊力が本物である以上、背に腹は代えられない。内ポケットに押し込む手の感触すら忌々しかった。


「葵、笑いはおさまったか?」


「は、はいっ! もう大丈夫です、失礼しました!」

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