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元勇者の帰還、術式失敗で(♀)になっていた。レベル1から現代のパンデミック迷宮都市を生き抜く  作者: 藤咲玲


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33話:前半 リゾナンスの恩恵

 巨大なベヒーモスの亡骸を解体し、残る極上の霜降り肉を余すことなくマジックバッグへ回収し終えた一行は、休む間もなく第5階層を後にした。


 肉の滋養によって基礎能力が跳ね上がり、歩行困難や疲労が吹き飛んだとはいえ、精神的な振り幅は限界に近い。所沢ダンジョンの堅牢なゲートをくぐり抜け、冷え切った夜気配が漂う地上へ姿を現した一同を、待機していた真鍋が目を剥いて出迎えた。


「も、もう終わったんですか……!? 突入からまだ2時間も経っていませんよ!」


 作戦室から車列の追従と後方調整のために先回りしていた真鍋は、通信端末を握りしめたまま絶句した。常識的なクランであれば下見と前進拠点の設営だけで数日を費やすはずの第5階層を、ただの往復移動感覚で制圧してきたのだ。


「雑魚を散らしながらボスを締めて、肉を畳んで戻ってきただけだ。……真鍋さん、次は上野だ。車を回せ」


 響は何食わぬ顔で言い放ち、先ほどまで肉を焼いていたとは思えない軽快な足取りで特務防弾車へと歩み寄る。


 その背後では、桐生、風間、篠原、そして御子柴が、揃って魂の抜けたような表情で佇んでいた。身体の奥底にはベヒーモス肉による強烈な力が満ち満ちている。だが、全身を駆け巡るフィジカルの充実感とは裏腹に、常識を粉砕され続けた精神の疲労は隠しようもなかった。


 助手席へ乗り込もうとする桐生が、重いため息とともに顔を歪める。


「……響さん。まさかとは思いますが、次の上野も今日中に終わらせる気ですか……?」


「何を寝ぼけたこと言ってんだ」


 響はセカンドシートへ身を沈めながら、呆れたように片眉を跳ね上げた。


「上野だけじゃねえぞ。千葉まで含めて、今日中に3箇所全部回るに決まってるだろ」


「さ、3箇所全部……!?」


 風間と篠原が息を呑み、御子柴は額を押さえて天を仰いだ。1日に1箇所の深層ボスを間引くだけでも前代未聞の国家的一大事であるはずが、まるで近所のスーパーを梯子するかのような物言いに誰もが言葉を失う。


 響は懐から煙草を取り出す素振りを見せ、助手席へ乗り込んできた真鍋へ鋭い視線を投げた。


「おい真鍋さん。日当30億円の契約を、3箇所回ったからって頭割りで1箇所10億円に値引きする気はねえぞ。現場を放棄して逃げ出した腰抜けクランの尻拭いだ。きっちり1箇所につき30億円、合計90億円で防衛省へ請求書を叩きつけてやれ」


「ひ、ひと現場あたり30億円……!? 3箇所で90億円ですか……!」


 真鍋は眼鏡を激しくガタつかせ、手元の公用端末を落としそうになりながらも、響の冷徹な眼光に気圧されて唾を呑み込んだ。


「……わ、分かりました。相手は天下の防衛省と財務省ですが、緊急スクランブルの特命規定をフル活用して、90億円の請求書を即日電送させます。ですから桐生1尉、車を出してください! 上野の地下鉄坑道が魔力沸騰を起こす前に突入します!」


「了解……! 各員、車両へ収容、上野へ前進!」


 桐生が空元気のような号令を響かせ、黒塗りの防弾車と装甲戦闘車は、夜の帳が降りた首都高速を上野方面へと疾走し始めた。


「というわけだ。真鍋さん、ボーナスとか期待していいぞ」


 響が後部座席からこともなげに告げた、その瞬間だった。


 助手席に座っていた真鍋の背筋が、まるで高圧電流を流されたかのようにピンと跳ね上がった。

 眼鏡の奥の瞳から先ほどまでの困惑と疲労の色が完全に消え去り、濁りのない極上のビジネスマンの眼光へと瞬時に切り替わる。


「かしこまりました」


 澄み渡るような声で即答した真鍋は、ハンドルを握っていた桐生の肩口へ鋭い手刀を突き出した。


「桐生1尉、代わりなさい。私が運転します」


「は!? いや、真鍋3佐、危険ですって――」


「交代です! 国家予算の執行とリゾナンスの債権回収は、1分1秒を争う極めて神聖な任務なんですよ! どきなさい!」


 車が赤信号で減速したわずか2秒の隙に力ずくで運転席を奪い取ると、真鍋はアクセルペダルを床が抜けんばかりの勢いで踏み抜いた。


 ドォォォンッ!


 重厚な防弾ミニバンのV6ツインターボが爆音を轟かせ、タイヤのゴムを猛烈に焦がしながら夜の首都高へと急加速する。

 シートへ強烈なGで背中を叩きつけられた桐生と葵が悲鳴を上げ、後部座席の唯が「きゃああっ!?」と転がりかけた。


「おい真鍋!? てめえ、急に生き生きしやがって!」


 響が思わず手すりを掴んで怒鳴るが、真鍋の耳には届かない。

 バックミラーに映る真鍋の口元には、獲物を狙う野獣めいた凄まじい笑みが張り付いていた。


「当然でしょう! 1箇所30億、3箇所で90億円! 私の事務処理能力の粋を集めれば、財務省の主計局長だろうが官房長官だろうが土下座させて満額決済をもぎ取ってみせます! 待っていなさい上野! 次は千葉だァァッ!!」


 時速140kmを超えてなお加速するミニバンは、漆黒の夜の帳を切り裂き、狂気じみた速度で上野ダンジョンへと滑り込んでいった。


 猛スピードで車線を縫うように疾走する車内。響は手すりを掴みながら、隣のシートに座る御子柴へと視線を投げた。


「自衛隊の3佐って、思ったほど高給取りじゃねえみてえだな」


 前方の運転席では、普段の冷静沈着な事務官ぶりを完全にかなぐり捨てた真鍋が、狂気すら孕んだ真剣な横顔でハンドルを握りしめ、首都高のカーブを攻め立てている。

 その異様な気迫を見つめながら、御子柴は呆れを通り越して哀れみの混じった眼差しを向け、静かに頷いた。


「どうやら、そのようです……。真鍋3佐の階級と基本給、手当を試算しても、億単位の動く現場のストレスとは到底釣り合っていませんから。……ボーナスの一言で人間のリミッターが外れる現場を、今初めて見ました」


 ◇


 上野ダンジョン――旧地下鉄の上野駅構内および巨大な地下街を呑み込んで拡大した迷宮の地上口は、分厚いコンクリートバリケードと幾重もの有刺鉄線によって厳重に遮断されていた。周囲には警察の機動隊車両と自衛隊の軽装甲機動車が隙間なく配備され、赤色灯の光が夜闇を不気味に赤く染め上げている。


 突入を命じられながらも怖じ気づいて逃亡した大手クランの不始末により、現場は一触即発の緊張感に包まれていた。立ち並ぶ隊員や警戒にあたる民間警備員たちの表情は一様に青ざめ、地下から漏れ出す濃密な魔力圧に息を詰めている。


 車から降り立った響は、周囲の警戒員たちを一瞥した。

 所沢での強行軍が頭をよぎる。響が魔物を撃ち抜いて光の粒子へ分解する速度に対し、後続が床を這い回って魔石を拾い集める速度がまるで追いついていなかったのだ。この先の千葉も含めて3箇所を制圧するとなれば、魔石拾いだけで桐生たちの体力と時間を無駄にすり潰すことになる。


「おい、そこの警備の連中!」


 響の通った声が、静まり返ったバリケード周辺に響き渡った。

 突然の呼びかけに、銃を構えていた自衛隊員や民間警備会社の警戒員たちが怪訝な顔でこちらを振り向く。


「今から臨時のアルバイトを募集する。仕事内容はダンジョン内の資材回収――転がってる魔石を袋に詰めて運ぶだけの簡単な雑用だ。時給は手渡しで1人10万円。希望者は名乗り出ろ」


「じ、時給10万……!?」


 規制線を固めていた警備員たちの間に、瞬く間にどよめきが走った。危険手当を含めた日給ですら数万円の世界において、わずか1時間で10万円という破格の提示は常識を遥かに逸脱している。


 響はざわめく男たちを冷淡に見据えたまま、明確な条件を突きつけた。


「ただし、条件が2つある。1つ、突入するのは第2階層までだ。俺が露払いしたあとの安全な通路だけを歩かせ、第2階層を掃討し終えた時点で全員即座に地上へ撤収しろ。第3階層より先への侵入は一切認めん。2つ、中で見た戦闘内容や俺たちの装備、拾った魔石の総数については完全な箝口令を敷く。これにサインできる奴だけ来い」


 第2階層までの安全圏で、響の圧倒的な掃討劇の後始末だけを担わせ、第3階層以深のボス戦や機密情報の現場からは完全に切り離す。情報漏洩を防ぎつつ、回収速度だけを最大化するための合理的な足切りだった。


「ひ、響さん、本当に1時間10万円も出すんですか……!?」


 隣で聞いていた葵が目を丸くして尋ねてくる。響は葵の方へ向き直ると、口元の強張りを解き、静かに視線を合わせた。


「ああ。10人に1時間拾わせたって100万円だ。防衛省に請求する30億円の端数にしかならないからな。……葵、寒くはないか。車の中にいた方が楽なら、無理して外に出ていなくていいぞ」


「ううん、大丈夫です。響さんのそばにいます」


 葵が柔らかく微笑み、小さく首を横に振る。

 その返答を確認した響は、腰の『黒影零式改・紫電』のホルスターへ手を添え、唯へと鋭く視線を向けた。


「唯。手持ちのメモ帳とペンを出せ。応募する奴らの身元を片っ端から控えろ」


「了解です響さん! ほら、並んで並んで! 住所、氏名、現職をここに書いて!」


 唯が手際よく警備員たちを整列させていくのを横目に、響は集まってきた作業員たちと後続の桐生たちへ向き直った。


「準備ができた奴から順に入るぞ。俺の2歩後ろを離れるな。突入する」


 ◇


 厳重に封鎖されていた上野駅の地下改札を突破し、一行は薄暗い地下通路へと足を踏み入れた。


 急造された魔石拾い部隊は、警備員と低ランクの登録覚醒者を合わせた10人。各自に麻袋を持たせ、響を先頭にした突入隊列が一気に加速する。


 第1階層は、かつての地下商店街を呑み込んだ空間。蛍光灯が明滅し、タイルの床には魔素の冷気が漂っていた。

 暗がりから現れたのは、巨大な牙を持つウェアウルフとゴブリンの混成部隊。だが、響の歩行速度は一切衰えない。


 シュッ。シュシュッ――!


 消音された乾いた風切り音とともに、紫電を帯びた魔力弾が一直線に虚空を穿つ。

 前頭部を撃ち抜かれた魔物たちは咆哮を上げる暇もなく、次々と青白い光の粒子へ霧散していった。通路を埋め尽くしていた影が消え去り、あとにはコロン、コロンと澄んだ音を立てて転がる魔石が散乱する。


「足を止めるな、全部回収しろ」


 響が冷淡に指示を飛ばし、風切る勢いで直進する。

 その直後を走る10人のアルバイトたちは、息を整える間もなく床へ飛びつく形となった。


「は、速えぇ……! 一瞬で吹き飛んだぞ!?」

「拾え! 踏み潰すな、袋に突っ込め!」


 当初は時給10万円という破格の条件に色めき立っていた男たちだったが、現実は甘くなかった。

 響の進行速度は、一般人の全力疾走を遥かに凌駕している。立ち止まって悠長に魔石を拾っていれば、一瞬で視界から置き去りにされる。10人は汗だくになりながら、四つん這いに近い姿勢で床の魔石を掻き集め、必死の形相で背中を追いかけた。


「ほら、遅れてるぞ! 手を動かしながら走れ!」


 唯が後方から鋭く発破をかける。桐生と風間も左右に目を配り、撃ち漏らしのない安全を確認しながら隊列の速度を維持させた。


 階段を一気に駆け下り、第2階層――旧地下鉄のプラットホームへ突入する。

 線路上に群れていたトロール2体とオーガが響の視界に入った瞬間、すでにホルスターから抜かれた銃口が火を噴いていた。眉間を撃ち砕かれた巨体が音もなく光の塵へと崩れ落ち、プラットホームの端から端まで握り拳大の魔石が転がり出る。


 作業員たちは悲鳴を上げそうになる喉を押さえ込み、散らばる魔石を両手で掴み取っていった。


 だが、その猛烈な行軍の最中、響の冷徹な眼光はある異変を捉えていた。


 10人の中の2人――民間の若い覚醒者が、息を切らしながらも手元の麻袋をほとんど膨らませず、他の作業員の背後に隠れるようにしてただ走っているだけだった。

 時給制であることにかまけ、屈んで魔石を拾う手間をサボり、ただ安全圏を追従して10万円を掠め取ろうという浅ましい計算。前方を走る響には見えていないと高をくくっているのが露骨に伝わってきた。


 響は歩調を緩めることなく、網膜上のマッピングログを処理しながら冷ややかに思考を巡らせる。


(……やはり、ただの頭数合わせじゃ歪みが出るな)


 一律の時給制にすれば、当然こうした手抜きやフリーライダーが紛れ込む。今回はスピード重視の緊急措置として割り切ったが、今後の攻略戦で継続して回収要員を雇うのであれば、制度の再設計が必要だった。


 基本給を低めに抑え、回収した魔石の重量や等級に応じた歩合制を組み込むか。あるいは、一定のノルマに達しない者を即座に契約解除とするペナルティ条項を設けるか。インセンティブを働かせなければ、現場の緊張感と回収効率は保てない。


(次は歩合制を導入して、拾った分だけ跳ね返る仕組みにするか)


 不要な雑音を頭の片隅で切り捨てると、響は第2階層の終端――第3階層へと続く巨大な鉄扉の前でピタリと足を止めた。


 肩で息をしながら麻袋を抱えるアルバイトたちが床へへたり込みそうになっている。額から汗を滴らせ、予想以上の重労働に顔を青ざめさせながらも、袋の膨らみを確認して安堵の表情を浮かべていた。ただし、手抜きを決め込んでいた2人の袋だけは、情けないほどぺしゃんこのままだ。


 響は冷徹な視線を男たちへと据えた。


「さて、アルバイトの諸君。ここまでだ」


 静まり返った地下坑道に、低く通る声が反響する。


「帰路にモンスターはいない。安心して戻れ。来た道をそのまま引き返せ。ただし――くれぐれも脇道に逸れたり、勝手な行動を取るな。その場合は命の保証はない。……では、解散だ」


 作業員たちが安堵の息を漏らし、一斉に頭を下げて回れ右をしようとした、その背中へ。

 響は口元をわずかに歪め、告げた。


「地上に戻ったら、待機している真鍋さんに報告しろ。その際は、各自が拾い終えた魔石の数を正確に報告しろ」


 その瞬間、後ろめたい腹積もりで袋をスカスカにしていた2人の背筋が、凍りついたようにピシリと固まった。響の視線はすでに彼らから外れ、前方の巨大な鉄扉へと向けられている。


「唯、桐生。ここから先は第3階層、第4階層を抜けて一気に最深部へ直行する。遅れるな、ついて来い」


「了解です響さん!」

「了解!」


 背後で青ざめる手抜きバイトの動揺など歯牙にもかけず、響は迷いのない手つきで鉄扉を押し開け、濃密な紫電の魔素が吹き荒れる深層へと足を踏み入れた。


 アルバイトを地上へ送り返した一行は、第3階層、第4階層の迷路状の坑道へと雪崩れ込んだ。


 響の進行速度は緩むどころか、さらに鋭さを増していく。

 暗がりから飛び出すミノタウロスやガーゴイルの群れを視界に捉えた刹那、『黒影零式改・紫電』から放たれる不可視の魔力弾が、次々と頭蓋を撃ち砕いていく。

 倒れた敵は即座に光の粒子へとほどけ、虚空へ霧散。床には握り拳大から掌大の魔石が乱雑に散乱した。


「唯、桐生、拾え。足を止めるな」


「了解ッ!」


 拾い手の数が減った分、後続の回収作業は熾烈を極めた。

 唯が床を滑るように魔石を掻き集め、桐生と風間が左右の壁際に転がる塊を鷲掴みにしてマジックバッグへねじ込む。篠原と御子柴も呼吸を乱しながら四つん這いに近い姿勢で床を這い回った。魔物を撃破する音と、魔石が袋に吸い込まれる鈍い音だけが、途切れることなく坑道に反響する。


 そうして瞬く間に第4階層を突き抜け、一行は第5階層の最深部――階層主が待ち構える巨大な地下空洞の防壁扉の前へと到達した。


 扉の隙間から漏れ出すのは、肌をチリチリと焼くような高圧電流の異臭と、耳鳴りを誘う高周波の放電音。


 響は銃口を下げ、背後の面々へ静かに視線を向けた。


「唯、桐生。中にいるのは鳥型の魔獣だ。足は2本しかない。……道理は単純だ。支えの足を両方へし折れば、自重を支えられずに自ずと地べたへ倒れ込む。転がったところを上から押さえ込み、両の翼の骨を根元から粉砕しろ。飛べない鳥はただの動かぬ的だ」


 冷徹で無駄のない戦術指示に、唯が腰のマチェットの柄を握り直して獰猛に頷いた。


「了解です! 足を払って叩き落とし、翼をへし折ればいいんですね!」


「そうだ。唯、突入と同時に左足を狙え。俺が右を取る。桐生たちは散開して背後を警戒しろ。行くぞ」


 響が扉を蹴り開けると同時に、ドーム状の巨大な地下空間が露わとなった。


 頭上に広がる闇の中、バチバチと紫色の雷光が奔流となって渦巻いている。

 体長約5m、翼開長14mに及ぶ巨躯――漆黒翼の紫電怪鳥が、炭素繊維質の黒羽を広げて天井の鉄骨から一行を見下ろしていた。全身の羽毛から紫電を迸らせ、鼓膜を裂くような鋭い咆哮を空洞内に轟かせる。


 怪鳥が紫電結界を纏い、超音速の急降下体勢に入ろうとした、その刹那。


 響と唯の2つの影が、地表のコンクリートを砕いて左右へ同時に弾け飛んだ。


 左右へ散開した瞬間、怪鳥が紫電を迸らせて天井から滑空を開始した。


 初速から音速を超える勢いで急降下する巨躯。空気を切り裂く衝撃波が地下空洞を激しく揺らし、紫電結界の余波が地面を焦がす。


 響は走行動線をわずかに沈め、腰のホルスターから引き抜いた『SIG P229カスタム 黒影零式改・紫電』を構えた。

 スライドを引き、初弾を薬室へ送り込んだ状態のまま、掌からグリップを伝って莫大な魔力を流し込む。黒光りする銃身全体が蒼白い燐光を帯び、15発の実弾が装填された弾倉内部で、弾頭の鉛芯へ極限まで圧縮された魔力が浸透していった。


 狙うのは、急降下の姿勢で剥き出しになった怪鳥の右脚。


 響の双眸が冷徹に獲物を捉え、人差し指が迷いなくトリガーを絞り切る。


 ――プシュッ、プシュッ、プシュシュシュシュッ――!


 消音減圧障壁に閉じ込められた、低く湿った連続発射音。

 直後、銃口から放たれたのは通常の9mm弾ではなかった。視界を灼くような青白い閃光の軌跡を描き、マッハを遥かに凌駕する不可視の魔力徹甲弾が、寸分の狂いもない完全なグルーピングで怪鳥の右脚の関節部一点へと吸い込まれていく。


 全15発。1秒にも満たない瞬きほどの時間で撃ち込まれた弾丸が、同一点を穿ち抜いた。


 ドォォォォォンッ!!


 耳を劈く凄まじい爆縮音がドーム内に轟いた。

 体表を覆っていた高圧の紫電結界など紙屑のように突き破り、弾頭に凝縮されていた魔力が着弾の衝撃で臨界へ到達。猛烈な劫火と衝撃波が怪鳥の脚部を内側から食い破るように炸裂した。


 骨と肉を粉微塵に吹き飛ばされた怪鳥の右脚が、付け根から根こそぎ爆砕される。


「ギャァァァァッ――!?」


 鼓膜を破らんばかりの悲鳴が空洞内に木霊した。

 急降下のバランスを完全に失った巨躯が錐揉み回転を起こし、制御を失ったままコンクリートの地表へと激突した。


 地表へ激突し、砂煙を上げてのたうち回る漆黒翼の紫電怪鳥。

 片脚を失って体勢を立て直せない巨躯の背上へ、逆サイドから回り込んでいた唯の影が低空から一瞬で躍り出た。


「せやぁぁぁッ!!」


 裂帛の気合とともに、唯は両足を怪鳥の背中へ叩きつけるように着地。即座に腰を沈め、身の丈ほどもある巨大な漆黒の左翼を両腕で根元から力任せに抱え込んだ。


 ベヒーモス肉を喰らい、筋力80へと強化された腕力が唸りを上げる。

 万力のようなトルクで反対方向へ一気に体重を乗せて引き絞る。


 バキィィィィンッ――!!


 炭素繊維質の強靭な中空骨が、耐えきれずに鈍い破砕音を立てて根元からへし折れた。


「ギャァッ――!?」


「もう片方もだッ!」


 唯は間髪を入れずに右翼側へ跳び移り、暴れる風切羽を踏みつけながら、残る右翼の関節を逆方向へ踏み砕いた。

 ボキリ、と硬質な破壊音が再び地下空洞に響き渡る。両翼を完全に粉砕され、支えの脚を失った紫電怪鳥は、もはや空を飛ぶことも立ち上がることも叶わず、ただ荒い息を吐きながら床へ這いつくばるだけの無力な鳥と化した。


 響は空になったマガジンを落とし、新しい弾倉をカチャリと装填してホルスターへ戻すと、無造作な足取りで怪鳥の頭部へと近づいた。


 巨鳥の胸元を見下ろす。規則正しく上下する分厚い胸筋の奥深く、強烈な紫電を放ちながら脈打つ巨大な核の鼓動を皮膚感覚で捉える。


 響の右手に、鋭利な刃物以上の魔力圧が収束していく。

 無造作に振り下ろされた手刀は、羽毛と強靭な筋肉を滑らかに切り裂き、巨鳥の胸郭深部へと突き刺さった。中心部に埋もれる灼熱の核――紫電をバチバチと散らすバスケットボール大の魔核をガッチリと鷲掴みにする。


 腕に力を込め、一気にそれを引き抜いた。


 ブツンッ。

 太い魔力経絡が引きちぎれる鈍い音が響き、怪鳥は最後にかすかな呼気を漏らして完全に絶命した。


 引き抜いた巨大な魔核を片手で放り投げ、受け止めた桐生が慌ててマジックバッグへ押し込む。

 息絶えた漆黒翼の紫電怪鳥の巨躯は、光の粒子となって消えることはなく、湯気を立てながら生々しい肉体をとどめたまま横たわっていた。


 響は手刀についた血脂を軽く払うと、立ち尽くす桐生、風間、篠原、御子柴、そして葵へと向き直った。


「唯、解体するぞ。胸肉とモモ肉を切り出せ。……この後、ステータスアップのために軽く炙ったものを全員で食え」


「え……?」


 桐生が呆然と声を漏らし、風間と篠原も顔を見合わせた。所沢に続き、またしても討伐直後の決戦場で食事を命じられたことに対し、一同の頭上に疑問符が浮かぶ。


 その空気を察した響は、冷徹な表情のまま言葉を続けた。


「所沢でも感じただろ、ステータスの上昇を。……種明かしをしてやる。こうして核を抜いて仕留めた魔物は、光になって消えずに実体として肉が残る。その肉を喰らえば、倒したモンスターの能力の一部を自分の肉体へ直接吸収できる仕組みだ」


 静まり返ったドーム状の空間に、響の淡々とした説明が落ちた。


「ベヒーモスは筋力と耐久の肉だった。……そしてこの怪鳥の肉は、敏捷と魔力を底上げする。これからの連戦を生き残りたいなら、胃袋に詰め込め。力をつけろ」


「なるほど。唯が人間をやめたのも、そういうことだったんですね」


 桐生が深々と納得したように頷いた、その瞬間だった。


 怪鳥の胸肉を切り分けていた唯の手がピタリと止まり、握っていたサバイバルナイフとトングが地面へ乱暴に投げ捨てられた。


 カラン、コロンと金属音が甲高く地下空洞に響き渡る。


「……桐生1尉。今、なんて言いました?」


 唯はあっけにとられ、大真面目な顔のまま桐生へズカズカと詰め寄った。


「え? いや、所沢の怪力といい、今の翼をへし折るパワーといい、人間離れしてるっていう称賛というか――」


「完全に『やめた』って言いましたよね!? 私はこんなに可愛い顔しているのに? 鏡を見て顔を洗って、朝ごはんを食べて出勤してる立派な人間でしょ? なんですか人間をやめたって! 響さんにお前はハムスターみたって言われてるのに!」


「いや、そういう意味じゃなくてだな――」


「じゃあどう意味ですか! ハムスター辞職届なんて出した覚えないんですけど! 響さん聞いてました!? この人、私を人間扱いしてません!」


 動揺を丸出しにして桐生の胸倉を掴まんばかりの勢いで食ってかかる唯に、桐生は両手を上げてタジタジと後ずさる。


「唯、確かにハムスターとは言ったが、その前に狂犬が付いてなかったか?」


 響が淡々と言い放った。


「ぶっ――!?」


 桐生が吹き出しそうになって慌てて口元を手で押さえ、風間と篠原は露骨に視線を明後日の方向へと逸らした。


「ひ、響さん!? なんで……狂犬は余計なんじゃ!?」


 唯は掴みかかっていた桐生の手を思わず離し、両手で自分の胸元を隠すように抱え込みながら、顔を真っ赤にして叫んだ。


「事実を言ったまでだ。文句があるならさっさと道具を拾え。全員分の肉を切り分けて火を通せ」


「う、うぅ……! ハムスターに例えるなら狂犬要らないでしょ? 可愛いハムスターくらいにしておいてくださいよ!」


 唯は羞恥と悔しさで顔を赤くしたまま、八つ当たり気味に地面のナイフとトングを拾い上げた。湯気を立てる怪鳥の巨躯へ向かい、正確無比な手つきで胸肉とモモ肉を分厚い切り身へとスライスしていく。


 背後では、桐生が必死に笑いを噛み殺しながら胸を撫で下ろし、風間と篠原も肩を震わせていた。


 響は魔力で軽く炙られた怪鳥のフィレ肉を受け取ると、隣に立つ葵へ静かに差し出した。


「葵、無理に多く食べる必要はない。一口か二口、食べられる分だけでいいから口にしろ」


「うん、ありがとう響さん。いただきます」


 葵が息を吹きかけ、肉を口に運ぶ。

 炭酸飲料を口に含んだような心地よい微細な痺れと、柑橘に似た爽やかな刺激が舌先から全身へと駆け巡った。


 直後、全員の身体に明確な変化が現れる。

 所沢のベヒーモス肉がもたらした重厚な筋力の底上げとは異なり、四肢の末端まで電撃が走ったかのような身軽さと、驚くほど冴え渡る反応速度が全身を包み込んだ。


「……体が、軽い……!? 視界のブレがまるでないぞ」


 桐生が自らの拳を握り締め、驚嘆の声を漏らした。だが、同時に首を傾げる。


「ただ……体の中で熱い塊みたいなのが増えた感覚があるんですが、これ、何に使うんですかね?」


 風間も手首を回しながら苦笑いを浮かべた。


「魔力が増えたのは分かりますけど、僕らじゃ弾丸にちょっとコーティングするのが関の山ですからね。正直、宝の持ち腐れというか……」


「ええ。前衛の強化としては、所沢の肉の方が分かりやすかったですね」


 篠原も同調して息を吐く。

 今回の怪鳥肉による恩恵――【敏捷】と【魔力】の強化。

 敏捷の向上による身のこなしの軽快さは全員が実感しているものの、魔力に関しては、前衛で物理攻撃を主体とする桐生や唯たちにとっては「増えたところで能動的に使いこなせない、持て余すエネルギー」に過ぎなかった。


 その中で唯一、御子柴だけが静かに眼鏡のブリッジを押し上げ、自身の掌を見つめていた。


「……いえ。私にとっては極めて有用です。探知術式の有効半径と情報処理の並列展開数が、目に見えて底上げされました。……響さん、この魔獣肉の特性、計算通りですね?」


「当然だ。使い道のない奴は、単なるスタミナの足しにでもしておけ」


 響は淡々と残りの肉を咀嚼して胃袋へ流し込み、全員を見据えた。


【ステータス更新ログ(紫電怪鳥肉摂取)】

 ・鷹野 唯 :筋力 80 / 耐久 74 / 敏捷 150 (+2) / 魔力 28 (+4)

 ・佐伯 葵 :筋力 28 / 耐久 30 / 敏捷 25 (+8) / 魔力 5 (+4)

 ・桐生 陣 :筋力 52 / 耐久 56 / 敏捷 26 (+8) / 魔力 16 (+4)

 ・風間 蒼太:筋力 24 / 耐久 24 / 敏捷 38 (+4) / 魔力 34 (+4)

 ・篠原 蓮 :筋力 36 / 耐久 28 / 敏捷 50 (+4) / 魔力 29 (+4)

 ・御子柴 渚:筋力 20 / 耐久 19 / 敏捷 28 (+8) / 魔力 44 (+2)


 自身の【鑑定】による修復ログを網膜の裏で流し終えた響は、口元を拭い、簡潔に告げた。


「今回の鳥はいまいちだな……唯、残りの肉をすべてマジックバッグへ回収しろ。桐生、地上へ連絡だ。……今から脱出し、本日の最終目的地、千葉ダンジョンへ向かうぞ」


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