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元勇者の帰還、術式失敗で(♀)になっていた。レベル1から現代のパンデミック迷宮都市を生き抜く  作者: 藤咲玲


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32話:所沢ダンジョン強襲と魔獣肉の洗礼

「……おい桐生、風間と篠原はどうした。準備はできてるんだろうな」


 響が振り返ると、桐生が不敵な笑みを浮かべて頷いた。


「言われるまでもありません。2人とも武器庫で装具の最終点検を終え、地下ガレージの先導装甲車で待機させてあります。重火器と対魔弾薬の積載も完了済みです」


 響は手元の革袋を1つ、迷いなく御子柴へと放り投げた。受け止めた御子柴は、手の中に収まる軽さと、表面に微かに漂う高密度の魔力反応に眼鏡の奥の目を丸くする。


「……これは、『マジックバッグ』ですか?」


「そうだ。大型の医療機材も医薬品も、重さや容積を気にせずまるごと放り込んでおける。救護キットを持って車に乗れ。何が起きるか分からん現場だ、衛生要員が後ろにいなきゃ話にならん」


「……! ありがとうございます。これほどの容量があれば、野外手術用の滅菌キットから高濃度魔力ポーション、重度外傷用の人工血液パックまで即座に携行可能です。直ちに車載分をすべて移し替えます」


 御子柴は一礼すると、白衣を脱ぎ捨てて戦闘防弾ベストを締め直し、膨大な救護物資を手慣れた動作で袋の中へ吸い込ませていった。


「真鍋さん。お前は作戦室に残れ。防衛省の上層部と外務省から飛んでくる確認電文の相手と、現場の特認通行コードの維持、それと逃げたクランへの請求手続きだ。お前がここを動いたら事務方が麻痺する」


「……胃が千切れそうな役回りですが、了解しました」


 真鍋は眼鏡を押し上げ、作戦卓のメインコンソールへどっかと腰を落ち着けた。


「市ヶ谷の統幕、警察庁、および現地自治体とのホットラインはこちらで作戦管制室から一括維持します。各ゲートの封鎖状況と内部の魔力波形データも、御子柴2曹の端末と車載モニタへ常時ダイレクトで流し続けますよ。後方の雑務はすべて私に任せて、現場を叩き潰してきてください」


「よし。所沢、上野、千葉の順で一気に片付けるぞ。行くぞ」


 響の号令とともに、葵、唯、桐生、そして御子柴が地下ガレージへと駆け下りる。


 地下ガレージへ降り立った響は、歩行を緩めることなく懐から革袋を次々と引き抜き、整列していた面々へ容赦なく放って寄越した。


 桐生、風間、篠原、唯、そして葵。


 受け取った全員が、手のひらに載る軽妙な感触と、表面に宿る高密度の魔力波に息を呑んだ。市場に出回れば一国の国家予算が吹き飛ぶ超希少品であるはずの『マジックバッグ』が、まるで現場の雑巾でも配るかのように無造作に各自の手元へ渡されたのだ。


「……響さん、これほどの至宝を一体どうして私たちにまで?」


 桐生が手元の黒革を見つめて眉根を寄せ、戦闘服姿の風間と篠原も困惑を露わに顔を見合わせ、揃って首をかしげている。葵も両手で大事そうに抱えながら、戸惑いの視線を響へと向けた。


 一同の疑問を察した響は、防弾車のドアノブに手をかけ、振り返りもせず冷淡に言い放った。


「現地に着いたら休む間もなく叩き潰して回る。俺が倒したボスの魔石を、いちいち自分で拾い集めてポケットに突っ込んでる暇なんぞねえよ。回収作業はお前たち全員で手分けして片付けろ」


「……あ、魔石拾い……」


 桐生が呆気に取られたように呟く。その横から、腰のマチェットに手を添えた唯が、不服そうに目を丸くして声をかけてきた。


「響さん、私もですか!? 私、前衛ですよ!? 突入して敵を斬らなくていいんですか!?」


 響はシートへ乗り込みながら、素気なく言い捨てた。


「そうだ。お前が出るまでもない」


 風間と篠原が座る89式装甲戦闘車のエンジンが重低音を響かせ、それに続く黒塗りの特務防弾車が、夕闇の所沢街道へ向けて滑り出していった。


 夜の帳が下りた所沢街道を、2台の車両が猛スピードで突き進む。先頭を行く89式装甲戦闘車がバリケードの手前で加速し、背後から追従する特務防弾車もピタリと車間を維持していた。車内には張り詰めた沈黙が漂っている。


「桐生。スピード落とすなよ」


「了解です。そのまま突っ込みます」


 桐生がアクセルを一段深く踏み込む。

 航空記念公園の周囲は、自衛隊の非常警戒線によって封鎖されていた。幾重にも張られた有刺鉄線とバリケードの奥で、小銃を構えた隊員たちが血相を変える。だが、車両側から放たれた特認コードが認証された瞬間、遮断バーが一斉に跳ね上がった。


 隊員たちが飛び退く隙間を、装甲車と防弾車がタイヤのゴムを焦がしながら一気にすり抜ける。


 公園の敷地内を突っ切り、街灯の光が届かない旧陸軍の地下演習坑道――所沢ダンジョンのゲート前へ、砂煙を巻き上げて急停止した。ねじ曲がった鉄柵の奥から、地下特有の淀んだ空気と、生臭い魔力の悪臭が地上へ噴き出している。


「着いたぞ。降りろ」


 響がドアを蹴り開けて真っ先にアスファルトへ降り立った。


 続いて桐生、風間、篠原、葵、唯、そして救護キットを抱えた御子柴が車外へ展開する。各自の腰には、先ほど配られたばかりのマジックバッグがしっかりと装着されていた。


「これより所沢ダンジョンの攻略を開始する。全5階層、最深部にいるボスを即座に叩き潰すぞ」


 響は手入れの行き届いた銃器と刃物を手早く改めると、暗がりが口を開ける地下への大階段へと一切の躊躇なく足を踏み入れた。


 地下演習坑道の冷気へ踏み込んだ瞬間、響の視界が淡く変色した。


【鑑定・空間構造解析】


 発動と同時に、坑道全体の立体構造が意識内のディスプレイへと瞬時に展開される。旧陸軍が残したコンクリート壁、崩落した側溝、地中深くへと続く傾斜路のすべてがグリッド線で結ばれ、全5階層の全貌が手に取るように浮かび上がった。


 さらに響の網膜上へ、無数の赤い光点が投影される。壁の向こう、曲がり角の先、階下へと続く通路を徘徊する魔物の生体反応だ。


「マッピング完了。最短ルートで第5階層まで直行する」


 響は足を止めることなく、腰のホルスターから黒光りする『黒影零式改・紫電』を抜き放った。


 第1階層の曲がり角から、ゴブリンの群れが躍り出る。日本の大手クランが陣形を整えて慎重に狩るはずの敵だった。だが、響は歩調を緩めることすらない。


 シュッ。シュッ、シュッ――!


 消音された鋭い風切り音とともに、不可視の魔力弾が紫光の残光を残して一直線に疾走する。放たれた弾丸はゴブリンたちの眉間を次々と正確に穿ち抜いた。致命傷を負った魔物の身体は、倒れ込む間もなく青白い光の粒子へとほどけ、淡い煙のように虚空へと霧散していく。


 あとには、コロン、コロンと硬質な音を立てて床を転がる親指大の魔石だけが取り残された。


「桐生、拾え。足を止めるな」


「了解ッ!」


 背後から追従する桐生と風間が身を屈め、すれ違いざまに足元の魔石を鷲づかみにして腰のマジックバッグへ放り込む。


 だが、響の侵攻速度は一切落ちない。

 第2階層へ滑り込んだ直後、暗がりから筋骨隆々のオークが雄叫びを上げようとした瞬間、すでに龍の口を模した銃口が火を噴いていた。


 シュッ、シュシュッ――!


 眉間と心臓を同時に撃ち抜かれたオークの巨体が、ズズズと光の粒子へ分解され、握り拳大の魔石が床へ落下する。その直後、背後のスケルトン3体も頭蓋を撃ち砕かれ、骨の破片すら残さず光の塵となって消え去った。


「ちょ、ちょっと待ってください響さん! 早すぎますって!」


 唯が悲鳴じみた声を上げ、転がった魔石を両手で慌ただしく拾い集めた。


「拾う側の人間の腰の負担を考えてください! 倒したそばから光になって魔石が散らばるから、掃除機みたいに腰を落として走らないと追いつきません!」


「文句を言ってる暇があるなら手を動かせ。置いていくぞ」


「うわぁぁもう! 葵ちゃん、右側の拾って! 唯先輩は左!」


 葵と唯がしゃがみ込みながら転がる魔石をかき集め、篠原と御子柴も手分けしてマジックバッグの口を広げる。

 倒された魔物が次々と光の粒子へ弾け飛ぶ中、全員が必死の形相で床を這うように魔石を回収しながら、一切足を止めない響の背中を猛烈な勢いで追いかけていった。


 第2階層の湿った坑道を突き進む中、響の歩調は一段と速度を増していく。


「葵ちゃん、右側の3個! 桐生さん、そっちの角にも転がってます!」


「了解だ! 落とすな、全部回収しろ!」


 後続の面々はもはや戦闘態勢ですらなく、全員が腰を落として必死に床を這い回る回収部隊と化している。隊列の後方で、肩から提げた大型救護パックを抱えて走っていた御子柴は、思わず足を止めて深々と肩を落とした。


「……包帯も止血帯も、完全にただの重石じゃないのよこれ。救護班としてついてきた意味、1ミリもないわね」


 敵に触れることすら許さず、視界に入った端から光の塵へと変えていく圧倒的な掃討劇。味方が怪我を負う可能性など、どこをどう探しても見当たらない。御子柴は前方を一切振り返らずに突き進む響の背中を睨み、苦笑いを浮かべながら小さく呟いた。


「思い出したわ……。この男の辞書に『苦戦』なんて文字、最初から載ってないんだったわね」


 諦めたように首を振ると、御子柴は肩の救急セットを一息に外した。ジッパーを開くことすらせず、腰のマジックバッグの開口部へ無造作に放り込んで押し込む。両手を完全にフリーにした御子柴は、素早く身を屈め、足元に転がってきた拳大のオークの魔石をひっつかんだ。


「はいはい、分かりましたよ! 拾えばいいんでしょ、拾えば!」


 手近な魔石を次々とバッグへ放り込み、魔石拾いへ完全にシフトした御子柴を先頭に、一行は第3階層、第4階層へと続く下り階段を猛然と駆け下りていった。


 ◇


 第5階層の重厚な防壁扉を蹴破った先には、ドーム球場を思わせる巨大な地底空洞が広がっていた。


 空洞の中央、濃密な魔素の渦の中にその巨躯はあった。

 全高6m、全長12mを超える漆黒の巨獣――所沢ダンジョンの頂点捕食者、グランド・ベヒーモス。

 頭部に聳え立つ2本の剛角を揺らし、侵入者を感知した巨獣が地響きのような咆哮を轟かせる。


 響は銃を構えることなく、隣の唯へ短く視線を投げた。


「唯、いつもの作戦でいくぞ」


「了解!」


 唯の返事と同時に、2つの影が地を蹴った。


 真正面から突進してくる巨獣の質量に対し、2人は左右へ低空で散開する。ベヒーモスの視界から一瞬で消え去るほどの神速。巨獣が角を振り回して空を切った刹那、響と唯はすでにその背後、巨大な後脚の真裏へと滑り込んでいた。


 響の右手が閃き、超高密度の魔力を帯びた手刀が右のアキレス腱を深々と断ち切る。

 ほぼ同刻、逆サイドへ回り込んだ唯の刃が、左のアキレス腱を正確無比に両断した。


 ズシンッ!!


 強靭な腱を断たれたベヒーモスは、その巨体を支えきれずに後脚から崩れ落ち、前脚だけで必死に身を起こそうともがく。


「逃がすかよ」


 響は間髪を入れずに『黒影零式改・紫電』の銃口を突き出した。


 シュッ、シュッ――!


 消音された魔力弾が2発、寸分の狂いもなくベヒーモスの両前脚の靭帯を撃ち抜く。支えを完全に失った巨獣は、ズゥゥンと地響きを立てて腹這いに倒れ伏し、身動きひとつ取れなくなった。


 激しい息遣いとともに、ベヒーモスの赤い瞳が激痛と混乱で揺れている。即死させず、肉の鮮度を落とさないよう生かしたまま完全に無力化された状態だ。


 響は無造作に歩み寄り、巨獣の巨大な胸元を見下ろした。規則正しく上下する分厚い皮膚と筋肉の奥、微かに脈打つ巨大な魔核の波動を皮膚感覚で捉える。


「よし、息はあるな」


 響の右手に、鋭利な刃物以上の魔力圧が収束していく。無造作に振り下ろされた手刀は、刃を通さないはずの強靭な脂肪層と筋肉をまるで豆腐のように容易く切り裂き、巨獣の胸郭深部へと突き刺さった。


 肉と骨を掻き分け、その中心部にある灼熱の核――赤黒く脈打つ巨大な魔核を掌でガッチリと鷲掴みにする。


 響は腕に力を込め、一切の躊躇なく一気にそれを引き抜いた。


 ブツンッ、と太い魔力経絡が引きちぎれる鈍い音が響き渡り、バスケットボール大の巨大な魔核が響の手の中で妖しく光り輝いた。核を失ったグランド・ベヒーモスは、最後にかすかな呼気を漏らし、動かなくなった。


 引き抜いた巨大な魔核を片手で放り投げ、受け止めた桐生が慌ててマジックバッグへ押し込む。


 息絶えたばかりのグランド・ベヒーモスの巨躯からは、通常の魔物のように光の粒子となって消滅する気配は微塵もなかった。全身を包む極上の赤身肉と分厚い霜降り層が、湯気を立てながら生々しい鮮度を保ったまま横たわっている。


 後方から駆け寄ってきた葵は、山のようにそびえ立つ魔獣の肉塊と、それを値踏みするように見上げる響の横顔を交互に見比べた。その顔が、見る見るうちに引きつっていく。


「ひ、響さん……まさか、またここで『あれ』を食べるつもりじゃ……」


 恐る恐る口を開いた葵の瞳には、かつての現場で繰り広げられた光景がフラッシュバックしていた。討伐直後のダンジョン最深部で、当たり前のように始まる即席の野外調理。


 響は眉ひとつ動かさず、至って真面目な顔で腕を組んだ。


「そうだな。ちょうど腹も減ってきたところだし、昼飯にちょうどいい。葵の案を採用する」


「えぇっ!? 私、提案なんて一言もしてませんよ!?」


 絶叫する葵の横で、桐生、風間、御子柴、そして篠原の面々は、完全に思考が停止した顔で立ち尽くしていた。スタンピード寸前だったはずのダンジョン最深部。つい数分前まで命がけの死闘が想定されていた決戦の地で、あまりにも場違いな「昼飯」という単語が飛び交っている。


「おい、ボーッと突っ立ってんじゃねえぞ」


 響はナイフを迷いなく振るい、巨大なベヒーモスの背部へと刃先を滑り込ませた。

 刃を通さないはずの強靭な外皮がスルスルと剥ぎ取られ、湯気を上げる鮮やかな紅色の極上ロース肉が露出する。熟練の解体職人すら裸足で逃げ出す恐るべき手際の良さで、赤身と霜降りの境界線から肉塊が次々と切り出されていく。


「御子柴、これ手伝ってくれ」


 ドサッと重い音を立てて、大人の胴回りほどもある巨大な肉のブロックが御子柴の腕の中へ無造作に押し付けられた。


「ひゃっ!? ちょ、ちょっと、響さん……!?」


 ずっしりとした生温かい肉塊を抱え込まされた御子柴は、顔を引きつらせたまま右往左往する。救急セットを片手に現場へ駆けつけ、つい先ほどまで重傷者の手当を覚悟していた頭に、切り分けられたばかりの肉の塊をどう処理すべきかなどという情報が入る余地はどこにもない。


「え、これどうするの!? 洗うの!? 切るの!? っていうかここダンジョンの最深部よね!? 何が起きてるのよもう……!」


 混乱の極みに達した御子柴が肉を抱えたままオロオロと旋回するのを尻目に、響は腰のマジックバッグへ腕を突っ込んだ。


 ガタガタ、と軽快な金属音を立てて取り出されたのは、折りたたみ式の大型ステンレス製バーベキューコンロ、新品の焼き網、極厚の鉄板、そして木炭の袋。手慣れた動作でコンロの脚を広げて床へ据え付けると、木炭を山積みにし、指先から飛ばした極小の火種で一瞬にして炭火を熾した。


 赤々と熱を帯びた網の上に、適度な厚みで切り分けられたベヒーモスの霜降り肉が並べられていく。


 ジュゥゥゥッ――!


 香ばしい脂の爆ぜる音とともに、濃厚な肉汁の甘い香りがドーム状の空洞いっぱいに立ち上り、鼻腔を猛烈に刺激し始めた。


「肉の味を確かめるなら、余計なタレはいらねえ。塩と胡椒だけで十分だ」


 響は手際よくミルを回し、表面に粗挽き黒胡椒と岩塩を豪快に振りかけた。炭火の強熱で表面が一気に焼き固められ、溢れ出した脂が炭に落ちてジュウッと白い煙を上げる。肉汁を閉じ込めた極厚のステーキ肉が、トングで軽快にひっくり返された。


「ほら、焼けたぞ。冷めないうちに食え」


 響はマジックバッグから取り出した紙皿の上へ、こんがりと焼き色のついた肉塊を次々と山盛りに放り込んでいく。


「さあさあ、食った食った。遠慮すんな」


 手渡された紙皿を前に、桐生、風間、篠原、そして肉のブロックを抱えたまま立ち尽くしていた御子柴は、互いに顔を見合わせた。未踏破の第5階層、背後には巨大な魔獣の亡骸。その足元で繰り広げられるバーベキューに、全員の常識が激しく軋みを上げている。


「……本当に、食うんですか? これ……」


 風間がおっかなびっくり箸を伸ばし、恐る恐る一切れを口へ運ぶ。桐生や篠原、そして御子柴も覚悟を決めたように小さく息を呑み、紙皿の肉を口へ放り込んだ。


 奥歯で肉片を噛み締めた、その瞬間だった。


 口内に溢れ出したのは、獣臭さなど微塵もない、濃厚で上品な甘みを帯びた極上の肉汁。きめ細やかな霜降りが舌の上でほどけ、赤身の芳醇な旨味が塩気とともに爆発的に広がる。その圧倒的な美味さに脳が揺さぶられた直後、胃の腑へ滑り込んだ熱塊が全身の血管を通じて爆発的なエネルギーへと変換された。


 最初に異変に息を呑んだのは、右腕を吊ったまま肉を咀嚼した桐生だった。


「な……んだ、これは……!?」


 ベヒーモスの特性通り、劇的な強化が桐生の剛腕を内側から作り替えていく。すでに常人を遥かに超えていた頑強な肉体へさらに分厚い筋繊維が割り込み、右腕の骨折部を覆う筋肉がぎちぎちと万力のように引き締まる。激痛が急速に引き、腕に確かなトルクが戻る感覚に桐生は目を見張った。


「う、そだろ……!? 力が……一気に湧いてくる……!」


 続いて呻き声を上げたのは風間だった。

 怯えと魔力枯渇で蒼白だった顔へ一気に血の気が差し、全身を苛んでいた鉛のような疲労感が瞬時に吹き飛ぶ。細身だった四肢の奥底から、これまでに経験したことのない重厚な膂力が泉のように湧き上がっていた。


「私の腕……なにこれ……!?」


 壁際で短剣を抱えていた篠原も、自身の細い両腕を見つめて硬直する。

 敏捷型の遊撃手として身軽さだけを頼みにしてきた身体に、太い鋼の芯が通ったかのような強烈な剛性が宿る。短剣の柄を握り込む指先に、信じがたい握力が満ちていた。


 そして、肉の巨大なブロックを抱え込まされていた御子柴も、その場に棒立ちのまま息を呑んだ。


「嘘でしょ……!? 抱えてる肉が……全然重くない……!?」


 衛生科として後方にいた御子柴の腕から、数十キロあったはずの肉塊のずっしりとした重量感が完全に消え去っていた。まるで空気を入れたクッションでも抱えているかのように、両腕の筋肉が微塵も軋まない。


 己の肉体に起きた急激な変貌に全員が狼狽する中、響はトングをカチャリと鳴らし、焼き上がった肉を紙皿へ無造作に追加していった。


「ベヒーモスは筋力特化の肉だ。食えば腕力と骨格が真っ先に底上げされる。……減るもんじゃねえんだ、胃袋へ詰め込めるだけ詰め込め。力がついたら、残りの肉を全部マジックバッグへ回収するぞ」


 トングをコンロの脇に置くと、響は腰のナイフを引き抜き、切っ先を足元の煤けた地表へと向けた。

 困惑したまま自分の手足を見つめている面々を一瞥し、迷いのない手つきで土煙の積もる地面へ刃先を走らせていく。


 ガリガリと硬質な音を立てて地表に刻み込まれていくのは、全員の肉体に魔素が定着した結果――響の目にのみ映っている、正確に更新された最新の数値。


「ほら見ろ、唯。きっちり上がってやがるぞ」


 地面を指差し、ナイフの柄を軽く叩く響の足元には、くっきりと以下の数値が刻みつけられていた。


【ステータス更新ログ(ベヒーモス肉摂取)】

 ・鷹野 唯 :筋力 80 (+2) / 耐久 74 (+1) / 敏捷 148 / 魔力 24

 ・佐伯 葵 :筋力 28 (+8) / 耐久 30 (+4) / 敏捷 17 / 魔力 1

 ・桐生 陣 :筋力 52 (+4) / 耐久 56 (+1) / 敏捷 18 / 魔力 12

 ・風間 蒼太:筋力 24 (+8) / 耐久 24 (+4) / 敏捷 34 / 魔力 30

 ・篠原 蓮 :筋力 36 (+8) / 耐久 28 (+4) / 敏捷 46 / 魔力 25

 ・御子柴 渚:筋力 20 (+8) / 耐久 19 (+4) / 敏捷 20 / 魔力 42


 地面に彫り込まれたでたらめな上昇値を見下ろした唯は、数歩後ずさり、引きつった笑いを浮かべながら心底気味悪そうに眉をひそめた。


「うわぁ……。何ですかこれ、ドン引きですよ……。ただ肉を口に放り込んだだけで、自衛隊の精鋭が一瞬でゴリラ化してるじゃないですか……」


 その横で、過去に自らも同じ洗礼を受けて数値を跳ね上げられた経験を持つ葵が、遠い目をしながら小さくため息を漏らした。


「あはは……。みなさんの生存確率が上がりましたね……」

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