29話、戦闘終結の跡地
首吊りの縄のように垂れ下がっていた太い鉄鎖は、付け根からもぎ取られて石畳を激しく打ち据え、何本もが絡まり合って転がっていた。
粉砕された祭壇の中心部から、硝煙とは質の異なる青白い魔素の残煙が微かに燻っていた。
足元に散乱するのは、台座の破片と黒く炭化した敷石の瓦礫のみ。頭上を覆っていた異様な気圧の狂いは消え失せ、代わりに広間を満たしたのは、戦いの終わりと先行きの不透明さを突きつける冷徹な沈黙。
立ち込める焦燥感の中、荒い息を整えた葵が、警戒を解かないまま周囲の惨状を見回す。
響は散乱する石片を爪先で払いのけ、粉砕された台座の残骸へ歩み寄った。
「……こんな大掛かりな仕掛けを作って何をしようとしていたんでしょうか」
葵の硬い声に、響は無言のまま敷石の破断面へ目を落とす。
破壊された祭壇の縁、黒く焦げ付いた亀裂の深部に焼き付いていたのは、緻密な幾何学模様の術式痕。
すでに大半は熱を失い、崩れ落ちた灰に埋もれかけていたが、その断面に残る魔力の歪みは、かつて響自身の肉体を灼き尽くしたあの衝撃の質感を冷酷になぞっていた。
(……何のための術式だ)
喉の奥に広がるざらついた違和感を噛み殺し、響は瓦礫から視線を切る。
「ああ。こいつらはただ突っ立っていたわけじゃない。何か明確な目的を持っていたのは確かだが……葵、現場の写真を残してくれ」
「了解です。……撮りますね」
葵は震える指先で端末を取り出すと、息を殺して画面を覗き込む。
シャッター音が無機質に反響するたび、散乱する瓦礫と幾何学模様の亀裂が、冷たい光に照らし出されて記録されていく。
「全体と、その亀裂の術式痕を重点的に頼む。角度を変えて3枚ずつだ」
響は指示を出しつつ、周囲の残骸から目を離さない。
背後では唯が無言のまま、短剣の柄に手を添えて広間の入り口へと視線を配っていた。頭上から落下した太い鉄鎖の塊を背に、索敵の意識を一切切らしていない。
葵が端末を構え直したとき、レンズの先、砕けた祭壇の裏手に不自然な窪みが覗いていた。
「……響さん、これ」
葵が端末を下ろし、指先で瓦礫の隙間を示す。
崩れ落ちた台座の奥、炭化した石畳が途切れ、下層へと続く細い亀裂のようにも見えたが、完全に塞がっている壁と化していた。
◇
英国ブライズ・ノートン空軍基地、第1格納庫奥の仮設作戦会議室。
壁面の大型モニターには、ソールズベリー平原の外縁に展開された封鎖線の状況と、ダンジョン「ソールズベリー・アノマリー」周辺の定点観測データが無機質に並んでいた。先行部隊による外縁部の報告はすでに完了し、卓上を囲む英政府および英軍首脳陣の間には重苦しい沈黙が横たわっている。連日1日50万ポンド(約1億円)もの戦費を費やし、兵士をすり潰し続けていた者たちの視線が、扉の解錠音とともに一斉に入り口へと集中した。
油圧の解放音を立てて開いた防音扉の先から、部屋へと足を踏み入れたのは響、唯、そして葵の三人。
響の纏う気配には、死線を越えて戻った者特有の冷徹な圧力が宿り、安全圏にいた者たちとの間に埋めがたい断絶を突きつける。その半歩後方、最深部の記録が収められた端末を両手で抱え込む葵。最後尾を固める唯は、部屋に足を踏み入れるなり、居並ぶ首脳陣の配置と室内の死角へ油断のない視線を走らせていた。
「補給分は働く」と言い捨ててダンジョンへ侵入してから、わずか4日での攻略。
内閣府の首席調整官や陸軍総参謀長をはじめとする面々が息を呑み、椅子に縫い止められたように硬直する中、響は会議卓へ歩み寄ると、右手を無造作に伸ばした。
ごとり、と乾いた重い硬質音が、防音パーテーションで仕切られた室内に響き渡る。
「ダンジョン主は討伐完了だ」
磨き上げられた長机の天板の上を滑り、将校たちの目前で静止したのは、叩き割られたノーライフキングの巨大な魔核。禍々しい死霊の気配をわずかに滲ませるその核の傍らには、派手に粉砕され、もはや原形すら留めていないエンシェントリッチの魔核の残骸が無惨に散らばる。
高位の怪物を屠った動かぬ証拠を前に、上座に座す総参謀長の喉仏が引き攣るように上下した。毒ガスへの恐怖から過剰装備で部隊を自滅させ、泥沼に沈んでいた首脳陣にとって、それは常識の埒外にある暴力の証明。
響は蒼白になった彼らの視線など意に介さず、泥水でくすんだ真鍮のプレートの束をポケットから引き抜くと、卓上へ滑らせた。
チャリ、と金属同士の擦れ合う冷たい音が、張り詰めた空気を切り裂く。
平原の凄惨な塹壕で全滅へと追いやられた英軍小隊の認識票。近代兵器では魔獣の防壁を突破できず、安全圏の打算によってすり潰された兵士たちの無言の叫び。そして、その小隊を屠ったミノタウロスを難なく仕留めた事実を、泥まみれのドッグタグが無言のうちに突きつけていた。
直視に耐えかねたように視線を逸らす首席調整官、面子を粉砕されて唇を噛み締める将官たち。自軍の無残な現実と罪の証を白日の下に晒され、首脳陣の表情から生気が失せていく。
「これで、ひとまずお前らはしばらくモンスターに怯えずに済むだろう。数か月の平穏が訪れるという意味だがな」
響の低く乾いた声が、言葉を失った首脳陣の鼓膜を容赦なく叩く。
「今のうちに対策をしておくことだな。安全な場所が安全なうちに何とかするがいい、俺はもう知らん」
机上の証拠を前に完全に沈黙した首脳陣を見据え、響は視線を外すことなく淡々と言い放った。
◇
「それから……次に別の穴が開いた時は、他国からの支援者を靴の裏まで舐める勢いで丁重に出迎えるんだな。俺を二度とこの国に呼べると思うなよ」
叩きつけるような宣告を残し、響は踵を返した。引き留める声など、もはや誰の喉からも上がらない。背嚢を担ぎ直した唯が無言の圧力を首脳陣へ残したまま続き、端末を抱えた葵が小走りに並ぶ。
防音扉を押し開けて仮設作戦室を抜けると、第1格納庫の広大な整備スペースには油の匂いと冷たい秋風が吹き抜けていた。
「葵、機長へ直ちに連絡を入れろ」
響は立ち止まることなく、足早にコンクリートの床を踏み鳴らす。
「滑走路のC-2を出せ。誘導路のクリアランスがどうだろうが知ったことじゃない。今すぐエンジンを回して飛べる状態を作らせろ」
「は、はい! 直ちに!」
葵が手元の端末を素早く操作し、航空自衛隊のホットラインへ通信を繋ぐ。突入直前に響が命じておいた通り、ブライズ・ノートン基地の駐機場に待機するC-2輸送機は、燃料の満載と機体整備を完了させた状態で待機を続けていた。
格納庫の巨大なシャッターをくぐり抜けると、ブリテン島特有の鉛色の雨雲の下、誘導路の先で巨大な自衛隊の輸送機がその無骨な機影を現す。補助動力装置(APU)の高周波な起動音が雨煙を引き裂き、すでにメインエンジンの始動シークエンスに入っていた。
「唯、荷物を放り込んだらそのまま乗り込め。この国に未練は1ミリもねえ」
「了解です! さっさと帰りましょう、美味い飯が待つ日本へ!」
唯が迷わずタラップを駆け上がり、葵がそれに続く。
響はタラップの最上段で一度だけ足を止め、雨に煙るソールズベリー平原の方向を一瞥した。呆然と立ち尽くす英軍の地上要員たちの視線を背に受けながら、機内へ足を踏み入れる。
油圧の鈍い重低音とともに巨大なランプドアが閉ざされ、英国の湿った冷気が完全に遮断された。
双発のGE製エンジンが轟音を上げて回転数を上げ、機体全体を強烈な振動が包み込む。C-2輸送機はタキシングを終えるや否や、ブライズ・ノートン空軍基地の主滑走路へ進入。ブレーキの解除とともに猛烈な加速を開始し、水飛沫を巻き上げながら灰色の空へとその巨体を浮かせた。
英軍の思惑も政治的駆け引きもすべて置き去りにし、機首は最短の航空路を描いて極東の日本本土へと向けられた。
◇
C-2輸送機の双発ターボファンエンジンが停止し、乾いた甲高い金属音が熱気の中へ溶けていった。ランプドアが油圧の呻きとともに下降すると、ペルシャ湾岸特有の重く焼けた空気が機内へと流れ込む。
燃料補給と点検に要する時間は数時間。基地内の米軍・多国籍軍共用ダイナーで無骨なプレート料理を胃に流し込む選択肢を蹴り、一行はアブダビ市街地へと足を伸ばす運びとなった。
基地の連絡員から手渡されたのは、現地の伝統的な外出着。差し出された漆黒の布地を広げ、葵が眉根を寄せる。
「……これ、ただの半円形の一枚布じゃないですか。留め具も袖もない布を頭から被れと言われても、手で前を押さえ続けなきゃ歩けませんよ。イランのチャドルですか?」
「あちこち引っかかって動きにくいのは論外だ」
唯も露骨に嫌悪感を示し、支給されたチャドルを無造作に突き返した。軍用インナーの上に羽織るだけで済む、前開きで袖の通る長袖ローブ――アバヤを選び直させ、さらに目元だけを残して鼻腔と口元を覆う薄布を受け取る。黒布で首筋から足首までを覆い隠し、砂塵除けの布を目元に巻いた三人の姿は、現地の洗練された女性市民そのものに変貌を遂げていた。響は無言のまま、薄い防塵サングラスを掛け、手配された車両へ乗り込む。
口元の薄布を外した途端、響は湯気を立てる大皿へ身を乗り出す。
「見ろよこの米、針みたいに細長いな。芳ばしい香りがすげえ……パラパラした極上のチャーハンじゃねえか!」
「ちょ、ちょっと響さん……! 恥ずかしいですから声落としてください! せめてインディカ米とかバスマティライスって言ってくださいよぉ!」
葵が顔を真っ赤にして周囲の客へペコペコと頭を下げながら窘める。その隣で、アバヤの袖口を軽く手繰り寄せた唯が、呆れたように平然と口を開いた。
「響さん、それチャーハンじゃないですから……単なる白米です」
「唯、こっちの青っぽいカレーもいけるぞ。喉にカッとくる辛さがたまらん。この丸いのはなんだ、イモか?」
「……だからグリーンカレーでもないですよ。日本みたいにカレーとか本当は言わないですから『サルウーナ(Saloona)』。羊肉とジャガイモの煮込みスープです。その丸いのは乾燥ライムですよ。見た目だけは完璧な深窓の令嬢なのに、口を開くと台無しなんですから……」
冷静にツッコミを入れつつ、唯は器用にスプーンでスープを掬って口へ運ぶ。その淡々とした指摘にも響は一切動じる気配を見せず、大皿の中央に視線を戻した。
「この山盛りチャーハンにぶっ刺さってる肉と魚も、皮がパリッとしてて豪快でいいな!」
「もう……! それ『マチュブース』ですよ! ここの名物料理なんですから! お願いですからもう少しお淑やかにしてくださいよぉ、周りの視線が痛いんですってば!」
半泣きで懇願する葵を他所に、テーブルの中央に運ばれてきたのは、湾岸諸国を代表する名物料理『マチュブース』。サフランと乾燥ライム(ルーミー)の出汁を吸い尽くして黄金色に炊き上げられたバスマティライスの上に、骨付きの巨大なラム肉と香ばしく焼き上げられた白身魚が惜しげもなく鎮座している。長時間蒸し焼きにされた羊肉は、スプーンの背を当てるだけで繊維がほどけるほど柔らかく、脂の甘みと柑橘系の酸味が口内を満たす。
「……うん、悪くない。羊の臭みが香辛料で完全に消えてる。肉が崩れるほど柔らかい」
口元を隠していた布を外し、唯が熱い肉塊を口へ運んで目を細める。
続いて供されたのは、UAEの伝統的な煮込み料理『サルウーナ(Saloona)』。
じっくり煮込まれた鶏肉とトマト、ナス、ズッキーニに、中東特有の混合スパイス『バザール』が溶け込み、深いコクとスパイシーな刺激が胃袋を心地よく刺激する。平焼きの薄パン(ホブス)で濃厚なスープをすくい取り、噛み締めるたびに穀物の甘みと辛味が絡み合う。
食後には、真鍮のポットから小さなカップへ注がれるカルダモン風味のアラビック・コーヒー(ガフワ)と、揚げたての甘い団子『ルゲイマート(Luqaimat)』。デーツ(ナツメヤシ)の濃厚なシロップと炒り胡麻が絡んだ生地を噛み砕くと、カリッとした表面の中からふわりとした熱気が広がり、香辛料で火照った舌を甘美に中和していく。
響は無言でコーヒーを飲み干し、小さな磁器のカップを卓上に静かに置いた。
◇
アル・ダフラ空軍基地の駐機場に戻った一行を待ち受けていたのは、赤褐色に濁った天蓋と、砂嵐管制による「グラウンド・ストップ(地上待機)」の通達だった。
ペルシャ湾全域を覆い尽くす強烈なシャマール。上空数千メートルまで巻き上がった細かなケイ素粒子が視界を遮断し、C-2のターボファンエンジンを保護するための吸気口カバーが固く締められる。気象解析班の予測によれば、待機時間は少なくとも半日以上、12時間から14時間に及ぶ見通しだった。
多国籍軍共用のプレハブ待機所内、大型空調の重い唸り声だけが響く一角で、一行はそれぞれの時間を潰していた。
葵は現地のPXで購入した免税のチョコレートを齧りながら、基地内の無料Wi-Fiで日本のニュースサイトとSNSのタイムラインを必死に追っている。長時間のフライトとアバヤ着用による緊張から解放されたのか、時折パイプ椅子に体を沈めて小さな欠伸を噛み殺す。
一方の唯は、アバヤを脱ぎ捨てて戦闘用インナー姿に戻ると、待機所の床に防振マットを敷き、無言で体幹トレーニングを開始した。指立て伏せから静止姿勢へ、一切の呼吸音を漏らさずに筋肉の収縮と弛緩を繰り返すその眼光は、先ほど店で淡々と突っ込みを入れていた少女と同一人物とは思えないほど鋭く研ぎ澄まされている。
その喧騒から離れた壁際、折りたたみベッドに腰掛けた響は、誰にも悟られぬよう意識を自身の内面――収納空間とステータス領域へと沈潜させていた。
英国のソールズベリー平原、そして道中で手に入れた魔核を掌の中に呼び出し、肉体の内側へと溶かすように取り込んでいく。骨の奥が微かに軋み、熱い奔流が神経系を駆け抜けた。
――――――――――――――――
【Lv.55 現行ステータス確認】
・体力:736 / 736
・魔力:3,840 / 3,840
・力:499
・敏捷性:544
・持久力:512
・知力:371
・精神力:589
(身体強化発動時:4.0倍補正適応可能)
――――――――――――――――
身体強化を発動すれば力は1,996、敏捷性は2,176に達し、物理的な破壊力と運動性において地上の怪異を圧倒できる。だが、響の冷徹な思考が向いていたのは、ソールズベリーの地下迷宮で直面した「魔法」――ノーライフキングとエンシェントリッチが放った、あの無音の即死呪詛への対策だった。
どれほど肉体を鋼鉄のバネに変えようと、どれほど音の壁を破る速度で踏み込もうと、視線や真名を介して空間ごと押し付けられる即死の言霊の前には、物理の装甲など何の足しにもならなかった。胸ポケットの木彫り人形が砕け散らなければ、あの場で確実に命を落としていたという冷厳な事実。そして何より、自分一人ならともかく、あの理不尽が吹き荒れる戦場に、耐性のない唯や葵を連れていかなければならないという過酷な現実。
空間干渉、不可視の即死呪詛、精神汚染。理そのものを書き換えてくる術者たちに対抗するため、響はアイテムボックス――かつて異世界の大戦を戦い抜き、王位すら固辞した「勇者」の時代に蓄積した、異世界の遺物と魔導具の棚卸しに着手した。
転移の代償でLv.1へ退行し全スキルを封じられたあの日から、戦いを重ねてLv.55まで復調した。現在のステータスで引き出し可能となった品と、全盛期のステータスに届かず未だ虚空の奥底に封じられている最高位の勇者装備とを冷徹に選別していく。
【現在:展開・運用可能アイテム(異世界の品)】
『身代わりの木彫りチャーム』
致命の呪詛や即死トラップの初撃を、己の身を砕いて肩代わりする使い捨ての粗末な護符。全盛期には見向きもしなかった三流の細工物だが、ノーライフキングの即死術式を完全に防ぎ切った実績から、現在パーティの首を繋ぐ最優先の消耗品。
『破魔鋼の投擲ダガー(ディスペル・ダガー)』
刃全体に術式解呪の幾何学紋様が彫り込まれた幅広の投擲専用短剣。構築中および発動中の魔法障壁や術式力場へ投擲して突き刺すことで、編み上げられた魔力結線を物理的に断ち割り、術を強制的に不発・霧散させる。
『ミスリル織りの遮魔外套』
魔力によって生成されたすべての現象に対し、直接作用して威力を大きく減衰させる重外套。熱量や衝撃波、物質化された術式弾に至るまで、魔力を起点とするあらゆる攻撃の破壊エネルギーを布地全体で殺ぎ落とす。
『魔素希釈の沈黙粉』
散布した空間の魔素結合を一時的に弛緩させ、長大な祝詞や多重術式の構築速度を強制的に引き延ばす投擲粉末。
【将来:現在未開放・ロック中の品(取り出し制限中)】
『断死の銀環』
即死術式および致命呪詛の解呪・自動無効化に特化した白銀の装飾具。不可視の因果干渉や即死効果を感知した瞬間、術式そのものを強制解呪して霧散させる。木彫りのような使い捨てではなく恒久的に機能するが、現在はロック中。
『敵意の感受指輪』(Lv.57で解除予定)
自身や味方に向けられた殺気、敵意、術者の意識による標的の捕捉を事前に感知し、不可視の奇襲や死角からの無音詠唱を察知する索敵・警戒用の指輪。現在Lv.55の響があと2レベル上昇することで、取り出し制限が解除される。
『破呪の聖印指輪』
精神汚染、麻痺、肉体崩壊などの状態異常・持続呪詛を、受弾と同時に自動で解呪・中和し続ける小型指輪。現在は取り出し不可。
『共鳴式・遮魔護符』
装備者を中心に術式減衰領域を形成する小型ペンダント。身につけて動くだけで周囲の唯や葵ごと広域魔法の直撃から守ることができる上位装備。現在はロック中。
「……木彫り頼みで首を繋ぐ綱渡りは、そう何遍も通用しねえな」
低く呟いた響は、指先で不格好なのっぺらぼうの木片を弄び、再び亜空間の倉庫へと格納した。
◇
厚いコンクリートの防壁に囲まれた作戦司令室の内部まで、微かに空気を震わせる重低音が響いていた。
外で猛威を振るうペルシャ湾岸特有の猛烈な砂嵐――シャマール。微小な石英質の砂粒が大気を隙間なく埋め尽くし、空と地表の境界を完全に削り取っている。その強烈な乱反射と熱の撹乱は、基地が誇る最新鋭の監視網に致命的な盲目をもたらした。
メインスクリーンの赤外線サーモグラフィは、砂嵐のノイズに呑まれて激しく明滅を繰り返している。有効探知距離は平時の10分の1以下。その死角を突くように、基地の外周フェンス直下には無数の地盤反応が急速に密集しつつあった。地中潜航型のワーム型モンスター。砂中を自在に泳ぐその怪異は、基地を囲む外周警戒網を軽々と潜り抜け、まさに滑走路と重要枢要部を地下から食い破る寸前の位置まで肉薄していた。
基地防衛の緊急要請を受けた響は、卓上に広げられたアル・ダフラの防衛配置図へ視線を落とした。
「……まずは基地で即座に使える防衛火器、砲台の類をすべて開示してくれ」
響の端的な要求に対し、現場の米空軍防衛司令官は額に脂汗を滲ませながら端末のデータを叩く。フェンス沿いに設置された遠隔操作式兵装ステーション(CROWS)の12.7mm重機関銃M2、基地防空用のファランクスCIWS(20mm多銃身機関砲)、さらには装甲車にマウントされたMk19自動擲弾銃。配備されている弾薬の総数と口径が次々とリストアップされていく。
響はそのスペックを冷徹な視線でなぞりながら、思考の演算を極限まで加速させた。
(地上から真上へ撃ち上げ、放物線の頂点から落とす手は使えるか……?)
かつて台湾上空で、ヘリから散布したパチンコ玉をファンネルのごとく操り、地上と低空の敵を殲滅した実績はある。しかしあの時は、高度300mから500mという直視の範囲内であり、手元から直接放った弾丸を一貫して己の知覚圏内に収めていた。
だが今回は前提が根底から異なる。
地上から垂直に発射された20mm弾や12.7mm弾が、運動エネルギーを失って上空で静止するまでの高度は、最低でも1000mを超える。
(1000m上空まで弾丸ひとつひとつに魔力の被膜を途切れさせず追従させ、静止した瞬間を捉えきれるか? そこから自由落下へと転じる際、この視界ゼロの暴風の中で再びベクトルを制御し、砂の層を貫く運動エネルギーを上乗せして地中のワームへ叩き込む――)
思考の海を深く潜り、弾道力学と自身の魔力消費率を照らし合わせた響は、即座に結論を下した。
否だ。答えは明確に否であった。
1000m先という距離の壁は、知覚を著しく希薄化させる。まして上空は暴風が荒れ狂うシャマールの只中。上昇の勢いが死んだ瞬間に風で四散する数千発の小弾を、遠隔で再捕捉して精密誘導するなど、魔力リソースを無駄にドブへ捨てる博打に等しい。途中で制御が途切れれば、ただの盲目的な放物線を描いて基地内に降り注ぐ鉄の雨と化すだけだ。
「地上からの撃ち上げ制御は却下だ。確実に仕留める手段はひとつしかない」
響は図面から視線を上げ、感情を削ぎ落とした声で告げた。
「俺自身がヘリで上空へ出る。直上から【鑑定】で地中のワームの位置を完全に捕捉し、手元から直接、魔力を込めた鋼弾を投下・加速させて穿つ。ヘリを1機用意してくれ」
その要求が発せられた瞬間、司令部の幕僚たちの間で怒号が爆発した。
「正気か! 外の風速を見ろ、視界は完全なゼロだぞ!」
「この猛烈なシャマールの中でヘリを上げれば、エアフィルターが数分で焼き付いて墜落する! 航空運用規程を無視した自殺行為だ!」
「パイロットと機体を無駄死にさせる気か! 嵐が収まるまで待機し、地上火器の弾幕でフェンス際を遅滞防御するのが筋だ!」
整備責任者や運用担当の将校たちが一斉に詰め寄り、口々に不可能の理由を並べ立てて激しく紛糾する。天候の回復を待つべきだという航空運用の常識と、無謀な強行出撃への恐怖が室内を支配し、議論は完全に紛糾の極みに達していた。
その怒声を一喝して引き裂いたのは、中央の指揮席に腰を据えていた基地司令だった。
「黙れ! 全員、口を閉じろ!」
机を拳で叩きつけた司令の怒鳴り声に、幕僚たちの喚声がピタリと止む。重苦しい沈黙が落ちた室内で、司令は冷え切った眼差しで部下たちを睨みつけた。
「天候の回復を待つだと? 貴様らは算数もできんのか。嵐が止むまでの数時間で、地中のバケモノが外周を食い破り、この滑走路もバンカーも丸ごと砂の底へ沈むぞ。基地が壊滅した際の損失は数兆円、駐留人員数千名の命だ。対して、失うリスクを背負うのはヘリ1機とエンジン1基。……どちらが安いか、軍人なら一瞬で理解しろ」
冷徹な費用対効果の数字を突きつけられ、先ほどまで騒ぎ立てていた将校たちは一言の反論も返せず、青ざめた顔で立ち尽くす。
司令は部下たちから視線を切り、響の前に歩み出ると、低く短い声で下令した。
「……第3ハンガーのHH-60Gを1機、即座に出撃態勢に入れろ。エンジンを潰しても構わん。貴様の策に、この基地の命運を賭ける」
◇
猛り狂う砂煙の奔流を突き抜け、低空へと躍り出たHH-60Gペイブホークは、暴風に機体をきしませながら外周フェンス直上へと肉薄した。
キャビンのスライドドアが開け放たれる。怒号のような風切り音と、顔面を容赦なく叩く無数の砂粒。だが、身を乗り出した響の両目は、吹き荒れる砂塵の帳をものともせず地表の一点を捉えていた。【鑑定】の不可視の光が地中へと浸透し、砂の下数メートルから十数メートルをうごめく巨大な熱源――基地外周を取り囲む無数のワーム型モンスターの正確な深度、体躯、核の位置を、冷徹な幾何学データとして脳内へ結像させる。
響の両手から、数千発におよぶ鋼球の奔流が一斉に解き放たれた。
微小な金属球の内部へ、暴力的なまでの過剰な魔力圧が強引にねじ込まれていく。単なるパチンコ玉の質量は、濃密な魔力の圧縮によって桁外れの密度と慣性モーメントを獲得し、分厚い軍艦の装甲すら容易く食い破る重徹甲弾の運動エネルギーをその身に宿した。
キィィィィン、と空気を引き裂く魔力励起の高周波が嵐の轟音を圧する。次の瞬間、臨界まで加速された数千の鉄球は、蒼白いプラズマを帯びた光の暴風となって垂直に叩きつけられた。
ドドドドドドドドドゴォォォォォォンッ!バババババババババババッン!
大気が爆縮を起こし、フェンス沿いの地表全体が波打つように跳ね上がる。砂層の摩擦抵抗など最初から存在しないかのように、超高密度の運動エネルギーを叩き込まれた弾丸群は地殻を易々と貫通。数メートルの砂と岩盤を瞬時に貫いて、潜航していたワームの巨体を文字通りミンチへと圧壊させた。深部から連続して響く硬質な魔核の粉砕音。逃げ場を失った衝撃波が地下で逃げ場を失い、砂の噴流となって地上数百メートルまで吹き上がった。
断末魔の震動とともに、致命傷を負った個体が砂を割り、のたうち回りながら地表へと這い出る。体長十数メートルに及ぶ節足動物めいた異形。地上に現れ出た個体は、絶命しても光の粒子となって消えることはない。巨大なワームの遺体は赤黒い体液を砂に滲ませ、そのまま巨大な肉塊として地表に横たわっていた。
基地の要衝を脅かしていた熱源反応が完全に消失したのを確認し、響はインカムを通じて司令部へと通信を開く。
「外周の群れはすべて排除した。……契約通り、地中の魔核は可能な限り掘り出して回収してもらいたい。それと、地表に転がっている肉塊もすべて回収だ」
通信の向こうで、基地司令の安堵と驚愕が混じった返答が途切れ途切れに返ってきた。
嵐が徐々に勢いを失い、砂塵が沈静化を見せ始めた滑走路の一角。集積された巨大なワームの肉塊を前に、遠巻きに見守る米軍兵士たちは異様な悪臭に顔を歪めていた。
ぬらぬらとした表皮と、ミンチ状にひしゃげた白濁の筋組織を見下ろし、葵は露骨に顔を引き攣らせて半歩後ずさる。
「うわぁ……近くで見るとさらに強烈ですね……。これ、本当に使い道なんてあるんですか……?」
「一応は食える部位だ」
響は【鑑定】の結果をなぞりながら、端的に告げた。
「ただ焼くだけじゃ泥臭さと生臭さで到底食えた代物じゃないが、香味野菜と長時間煮込めば臭みは完全に抜ける。繊維が崩れてゼラチン質に変わり、信じられない量のコラーゲンが抽出できるはずだ。プルプルになって、お肌の美容には最高だろうな」
「……一応食えるし、美容にもいい。とりあえず収納しておくか」
響はそう言って、自身の収納スキルで肉塊を収めていく。その様子を、葵も唯も露骨に嫌悪感を滲ませた表情で見つめていた。
◇
灼熱の砂塵を吐き出すアル・ダフラ空軍基地を後にし、手配された軍用輸送機は翌朝、一路日本へと向けて飛び立った。
キャビンを支配するターボプロップエンジンの重苦しい唸り、分厚い風防を叩く冷涼な成層圏の風。気圧の変動に身を任せながら、数時間の濃密な静寂を切り裂いて降下した機体は、鈍色に曇る埼玉の上空を抜け、航空自衛隊入間基地の主滑走路へと滑り込んだ。
減速Gの余韻を残しながら、巨大な機体は第2格納庫前のエプロンへと誘導され、車輪を止める。
プシュー、と圧縮空気が抜ける低い油圧音とともにリアハッチが開き、武蔵野の湿り気を帯びた秋風のような外気が、機内の乾いた人工空気を押し流した。
タラップを降り立った響の足元で、アスファルトが硬い音を立てる。
滑走路脇の喧騒の中、黒塗りの業務車の前で待機していた真鍋が、風に襟足を揺らしながら歩み寄ってきた。
「お疲れ様です、響さん。無事の帰還、何よりです」
真鍋は手短に会釈を返すと、周囲の地上整備員や随行員の耳目を切るように無言で後部座席のドアを開き、視線で乗車を促した。
響たちが乗り込むのを確認し、真鍋も助手席へと滑り込む。
重厚な防音ドアが閉まると、外の轟音は遮断され、車内には静寂が落ちた。運転手が滑らかにアクセルを踏み込み、車両が基地内を静かに走り出す。
シートに深く背を預け、手持ち無沙汰に外を眺める響の様子をルームミラー越しに確認した真鍋は、自ら助手席を振り返り、手元の暗号化端末を展開した。
「移動の合間に、不在中の情勢を共有させてください。響さんの耳にも事前に入れておくべき動きがいくつかあります」
響が「勝手に話せ」とばかりに軽く顎をしゃくると、真鍋は表情を変えずに端末の画面をスクロールさせた。
走行する業務車の密閉された車内。真鍋は助手席から振り返り、手元の暗号化端末の画面を提示しながら口火を切った。
「ダンジョンから回収される魔核ですが、当初は枯渇しつつある化石燃料や電力に代わる『次世代の代替エネルギー資源』として研究が進められていました。内部に膨大なエネルギーを内包していることは初期の段階から分かっており、発電用タービンの熱源や高密度バッテリーとしての実用化が模索されていたんです」
真鍋は端末の画面を一度タップし、波形データから研究施設の現場記録へと切り替えた。
「ですが、状況は一変しました。この魔核に、ゾンビの活動を完全に停止させる極めて劇的な効果があることが判明したんです。生存圏を奪還するための、文字通りの切り札として」
響は窓の外を流れる基地の風景から、真鍋の手元へと視線を移した。
「……切り札ね。なら、なんで今まで誰も気づかなかったんだ? 迷宮に潜った連中なら、嫌でも魔核を抱えてゾンビの群れとやり合ってたはずだろ」
「ええ、そこが問題でした。覚醒者組織『クラウン』が回収した魔核ですが、ただ持ち帰っただけの代物には、対ゾンビの忌避効果も活動停止効果も一切ありませんでした。現場の隊員や覚醒者がいくら持ち歩いても、ただの硬い石ころと同然だった。……それがなぜ、ここへ来て生存圏防衛の切り札となったのか」
真鍋は端末に実験室の監視カメラとおぼしき静止画を映し出し、順を追って説明を続けた。
「発端は、防衛装備庁の研究機関による初動の元素分析でした。未知の検体である魔核に対し、組成を特定するため高強度の蛍光X線を照射したんです。もっとも、その場では何の反応も示さなかった。通常の検査装置より遥かに強い線量を浴びせたものの、外見にも数値にも変化はなく、そのまま分析済みの保管ケースへと放り込まれていた」
端末には、密閉容器の中で鈍く濁っていた鉱石が、数日を経て内側から青黒い光彩を帯びた結晶へと変質していくタイムラプス画像が並んでいた。
「変化が現れたのは、照射から数日後のことでした。内部の魔力密度が不可逆の変質を起こし、結晶そのものの色合いと透明度が完全に別物へと変貌していたんです。――ですが、それでも誰もその真価には気づかなかった。効果が発覚したのは、まったくの偶然です」
真鍋の声がわずかに低くなる。
「研究施設の外郭フェンスが突破され、地下ブロックへゾンビが侵入しました。避難しようとした研究員が取り乱し、保管棚に激突してケースを床へぶちまけた。足元へ転がり出たその『変質した魔核』に、研究員へ掴みかかろうとしていたゾンビが接触した瞬間――操り糸を切られたように、その場で完全に活動を停止したんです」
「へえ……棚からボタ餅にしては、上出来すぎる事故だが、これで解決の糸口がやっと見つけられたな!」
「ええ。その後、研究チームは徹底的な再現実験を行いました。線量計の数値を厳密に管理し、一定強度以上のX線を照射した個体と、そうでない個体を比較検証した。結果は明白でした。強烈なX線照射によって内部の魔力が極限まで励起・結晶化し、一定の時間を経て安定した『加工済み魔核』の至近距離においてのみ、ゾンビの疑似神経系を完全に焼き切る活動停止フィールドが形成される。条件は完全に立証されました」
真鍋は手元の端末を軽くタップし、分析ログの数値を切り替えた。
「高出力のX線照射プラント、そして変質を待つ時間。このひと手間をかけなければ、魔核は兵器にも防壁にもならない。……そして何より、原料となる高純度の魔核をダンジョンの深層から掘り出してくる覚醒者部隊が不可欠な理由が、ここにあります」
「へえ、そこまで分かってんのか。すごいな、一体どこの誰が突き止めた情報だ?」
「……厳密には、響さん。あなたから世界中へ発信された、ということになっていましてね……」
ペットボトルの緑茶を喉へ流し込んでいた響は、勢いよく助手席の背もたれへそれを噴き出した。
「ぶっ――!? げほっ、ごほっ……! な、なんだって?」
「ちょっ、響さん汚い! かかりそうになったじゃん!」
唯が苦情を口にし、顔中びしょ濡れの葵が静かにこちらを見つめていた。
「す、すまん葵……! わざとじゃねえんだ、悪気はなかったんだ……!」
響は慌てて座席ポケットのティッシュを何枚も引き抜き、無言のまま額から緑茶を滴らせている葵の顔へ差し出した。葵は瞬きひとつせず、濡れた前髪の隙間から感情の読めない瞳で響をじっと見据えている。
「葵ちゃん、拭いて拭いて! もう、響さんったら話を聞く前からこれなんだから……!」
唯が身を乗り出して葵の頬や首筋を拭う横で、助手席の真鍋は困ったような笑みを浮かべ、手元の端末を後部座席へ掲げて見せた。画面には『覚醒者連盟リゾナンス』の公式エンブレムとともに、魔核のX線変質プロトコルが克明に並んでいる。
「驚かれるのも無理はありません。ですが現実として、世界中の防衛機関や主要ギルドには、リゾナンス最高代表である『ヒビキ』の承認済み公式声明として、このデータが配信されています」
葵にティッシュを押し付けながら画面を凝視した響は、額に青筋を浮かべて声を低めた。
「……ステラだな。あいつ、俺が電波の届かねえ地下に潜ってる間に何をやらかしてやがる」
「全米制圧任務の完了後、彼女にギルド運営を一任された結果ですね。もっとも、彼女に悪気はありませんよ。『世界を救う英断を下した偉大なリーダー』として、貴方の名声をこれ以上ないほど高める意図だったようです」
◇
車外の景色が入間基地の誘導路から基地外周の専用連絡道路へと移り変わる中、真鍋は手元の端末を軽く滑らせ、次の議題を表示させた。
「さて、本題はここからです。帰国早々で恐縮ですが、響さん。政府および防衛省から、緊急の要請が入っています。国内の『Sランク覚醒者』が一堂に会する非公式懇談会への出席です」
「……Sランク連中との顔合わせだと?」
濡れたティッシュを丸めてビニール袋に突っ込んだ響は、眉根を寄せてシートに背を預けた。隣では、顔を拭き終えた葵が手元の記録端末を膝の上で抱え直し、唯は腕を組んだまま油断なく真鍋の手元を見据えている。
「ええ。国内5大クラウンを率いる代表――神林智恵、永見千鶴、佐久間剛、白石弦、桐野陽平の5名。そこに、世界組織リゾナンスの最高代表として扱われているあなたを加えた、極めて秘匿性の高い協議の場が設けられます」
「韓国の火消しに駆り出され、台湾上空で迎撃をやらされ、挙げ句の果てに英国の無能どもの尻拭いだ。三人で泥沼を潜り抜けてようやく入間に降り立った直後の人間に、よくもまあ次から次へと面倒事を並べ立てられるもんだな」
響の吐き捨てるような言葉に、助手席の真鍋は苦笑すら浮かべず、事務的な声のまま応じた。
「理不尽なのは承知しています。ですが、海外諸国の致命的な案件を強引に叩き潰し、冷淡にツバを吐きかけて帰還したあなたのチームの手腕と存在感は、今や国内の勢力図においても無視できない重みを持っています。各クラウンの代表たちも、その実力を前に無関心ではいられません。先ほどお伝えした、魔核のX線変質データが世界へ配信された件も重なり、彼らとしても直接顔を突き合わせざるを得ない状況です」
真鍋は端末を操作し、防衛省の技術研究本部から上がってきた極秘資料を表示させた。
「協議の第2議題は、『戦闘武具の開発』――魔導工学と近代兵器の融合です」
画面には、怪異の甲殻や骨格、そして加工された魔核を組み込んだ試作兵装の設計図が並んでいた。
「従来の火薬兵器では高ランク怪異の障壁を貫通できず、かといって覚醒者個人の身体能力頼みでは前線の消耗が激しすぎる。防衛省と民間重工各社は、Sランク級の素材を用いた新型装甲、魔力伝導率を極限まで高めた刀剣や銃弾の開発を急務としています。しかし、そのためには素材の特性を熟知し、実際に最前線で命を削っている各クラウン代表の技術的知見、そして現物による検証データが不可欠です」
「研究室の机上でこねくり回した図面じゃ、現場で使える実戦的な強度や魔力の通り具合が分からないから、最前線の連中に品評させようって腹積もりか」
「その通りです。そして第3の議題、これがすべての前提となる最重要項目――『ダンジョン産資源の活用』です」
真鍋が画面を切り替えると、国内各地に発生しているダンジョンの深度マップと、未回収資源の推定埋蔵量が色分けされて現れた。
「加工魔核による対ゾンビ防壁の構築、新型戦闘武具の量産ライン確立。そのすべては、ダンジョン深層から安定して魔核や希少鉱石、特殊生体素材を継続供給できるかどうかに懸かっています。各クラウンの管轄区域の再定義、採掘部隊の安全確保、そして深層資源の分配比率。これらを合意形成できなければ、国内の防衛線そのものが共倒れになりかねない」
響は車窓の曇り空へ視線を投げ、小さく息を吐き出した。
「Sランクの寄り合いで互いの腹を探り合い、出来上がった玩具の使い勝手を品評し、地下に眠る資源の奪い合いを調整する……。生臭い役回りだな」
「ええ。ですが、この3つを同時に合意させなければ、この国の防衛は確実に破綻します。そして現在、その舵を強引に切るだけの影響力を持つのは、リゾナンスの名で世界へ情報を投げ落としたあなたしかいないんですよ」
「つまりは俺を待っての懇談会であり、打ち合わせということだよな」
響は車窓の曇り空から視線を戻し、真鍋の顔を正面から見据えた。
「まさか俺が帰ってきて、俺の案を聞くまで何も考えていなかったということではないだろう。……まあいい、とにかく参加はしてやる。それぞれの考え方を聞かせてもらうがな」
響の低く乾いた言葉を受け、真鍋は表情を変えずに端末の画面を軽くスクロールさせた。
「ええ、勿論です。防衛省側でもたたき台となる原案は策定しています。ですが、それはあくまで机上で弾いた数字に過ぎません。現場の最前線で命を張る5人のSランクたちが、役人の都合の良い案をそのまま呑むはずもない。彼らを黙らせ、強引にでも合意のテーブルに着かせるための『絶対的な実力者』として、あなたの同席が不可欠だったということです」
「要するに、手前らがまとめる度胸も腕力もないから、俺を盾に使うってわけだ」
「否定はしません。各クラウン代表の思惑はすでに割れています。神林は後方防衛線の維持と防護素材の優先配分を要求し、佐久間や永見は前衛を張る自分たちの取り分拡大を主張している。白石や桐野も、自らの戦術に直結する術式伝導素材の囲い込みを狙っている状況です。彼ら5人がそれぞれどんな皮算用を持ち寄ってくるのか――まずはその言い分を全て吐き出させた上で、こちらの条件を叩きつける形になります」
「手ぶらで能書きを垂れに来たのか、少しは使える案を持ってきたのか、面を拝んで見極めてやるよ」
シートに深く体重を預けた響の横で、唯が無言のまま短剣の柄に指を滑らせ、葵は緊張を滲ませた面持ちで記録端末の電源を落とした。
業務車は基地の警戒検問を抜け、指定された防衛省の極秘地下施設へと速度を上げていった。




