28話「平原の墓標と残心」
原生林を抜けた先に広がる第2層の平原は、どこまでも荒涼とした灰色の静寂に支配されていた。
頭上には鉛色の重い雲が低く垂れ込め、吹き抜ける強風が枯れ草の波をざわざわと揺らす。横殴りの小雨が視界をかすませ、肌を刺すような冷気とともに運ばれてくるのは、湿った泥の匂いと、大気中に溶け残るかすかな硝煙、そして生々しい血と鉄の錆びた臭気。
風音だけが支配する不整地のただ中、響は短刀の血糊を拭い、ふと足元の泥濘へ鋭い視線を落とした。
枯れ草と泥に半ば埋もれるようにして転がっていたのは、黒く焦げ付いた薬莢の山。
「……響さん、これ」
背後から歩み寄った唯が、視線を低く這わせて短く息を呑む。
視線の先、なだらかな起伏の窪地を利用して掘り抜かれた、泥水が溜まる不格好な塹壕。そこには、近代兵器を携えた軍隊が死力を尽くして抗戦した、あまりに凄惨な痕跡が刻み込まれていた。
無残にねじ曲がったイギリス軍制式のブルパップ式アサルトライフル。泥水に浸かったまま散乱する未発射の弾帯や空のマガジン、そして踏み荒らされた重厚な防護プレートの破片。
それら人工の残骸の合間に横たわっていたのは、引き裂かれた密閉式の対毒ガススーツと、泥濘の中で物言わぬ屍と化した兵士たちの遺骸であった。
重装備で身動きを奪われたまま、巨大な質量に叩き潰された凄惨な肉塊の散乱。
先ほどまで大斧の柄に手を重ね、嵐の中で微動だにせず佇んでいたミノタウロス。あの威容は、ただ立ち尽くしていたのではない。
押し寄せた英軍の一個中隊を一人残らず殲滅し、吹き荒れる風雨の中で血煙を浴びながら、獲物の絶命を見届けた「残心」の姿そのものだったのである。
小雨が降りしきる中、響は膝を折ると、泥水に半ば没していた細いボールチェーンへと無言で指を伸ばす。
冷たく濡れた泥濘から引き上げられたのは、泥にまみれた円形の金属板――イギリス軍の認識票。
刻まれた認識番号と兵士の氏名は、飛び散った血糊と黒土に覆われて判読すら覚束ない。親指の腹でそっと泥を拭うと、鈍い銀色の輝きが雨煙の底でわずかに顔を覗かせた。
重厚な密閉服に身を包み、自らの汗と熱気に呼吸を奪われながら、ただ霧の向こうから迫り来る巨躯の蹂躙に散っていった兵士たち。最新鋭のアサルトライフルすら、突進する筋骨の塊の前には何の盾にもならなかった現実が、周囲の残骸から無言で突きつけられていた。
「……引き金を握ったまま、何も通らねえ絶望の中で逝ったか。無念だったな」
低く落とされた響の呟きが、吹き抜ける風音に溶け込む。
回収した金属板を静かに握り込むと、黒いパーカーのジッパーを開け、内ポケットの奥深くへと押し込んだ。冷たい金属の感触を布越しに確かめ、立ち上がる。
「……響さん、これ」
背後で見つめていた唯が、短刀を握る手の力をわずかに緩めて静かに寄り添う。その後ろでは、凄惨な現場を目の当たりにした葵が顔面を蒼白に染め、息を殺して立ち尽くしていた。
「安全圏のテーブルで数字だけ転がしてる上の連中に、きっちり叩きつけてやる。前線で泥を啜って骨を埋めた連中の証を、こんな掃き溜めに置き去りにはできねえよ」
響は泥のついた手袋を無造作に払い、周囲に散らばる硝煙の残骸を再び冷徹に見渡した。
視線の先には、泥濘に散乱する無数の真鍮製薬莢、そして先ほどまで立ちはだかっていたミノタウロスの痕跡。
あれほどの集中砲火を浴びながら、怪物が微動だにせず部隊を蹂躙し尽くせた理由は極めて単純。
魔力を帯びない単なる鉛と火薬の塊など、ダンジョンの深層に巣食う高位魔獣にとっては小蝿の羽音に等しい。強靭な魔力障壁と魔素を宿した筋繊維の前では、音速を超えようが質量を束ねようが、表皮をわずかに凹ませる程度の衝撃に変換されて弾き落とされるのが関の山。
自らが扱う銃器の挙動からも、その冷徹な物理法則はすでに立証済み。
単なる火薬の燃焼圧力で射出されただけの弾丸と、魔力を丹念にコーティングして撃ち出す弾丸との間には、天と地ほどの殺傷格差が存在する。魔力を乗せて初めて、弾丸は魔獣の防壁を穿つ牙へと昇華する仕組み。
「近代兵器の限界だな。魔力無しの銃火器じゃ、どんな重火器を何千発撃ち込もうが、あの筋肉の鎧には傷一つつけられねえ」
冷徹な事実を淡々と告げる響に、唯も深く首肯した。
「あの……この弾、ほとんどめり込んでないです。皮膚で止まっちゃってます」
唯は塹壕に目を向けたまま、言葉を探すように続けた。
「この人たちが下手だったわけじゃ、ないですよね。普通の銃だと、ここの魔物には、効かなかっただけで……」
「知らぬが仏、とはいかねえ過酷な現実だ。だが、俺たちのやるべきことは変わらねえ」
吹き抜ける風雨の中、響はしっかりと地に足をつけて息を整えた。
「葵、寒くはないか。体調や足元に異変があったら、いつでも言えよ」
「は、はい。了解です。……周りは、私が見ておきます」
怯えを残しながらも懸命に頷く葵を見届け、響は唯へと視線を移す。
「唯、周辺の警戒を解くな。周囲の状況を確認しながら進むぞ」
「了解です」
ミノタウロスが佇んでいた場所のすぐ背後に、それはあった。
平原の地面を四角く切り取ったように、石組みの階段が暗がりへ口を開けている。段の縁には苔がこびりつき、奥から吹き上がる風は湿って冷たい。雨の匂いとは違う、古い土と腐った水の匂いだった。
「……あの巨体は、これを守ってたのか」
響は短刀を握り直し、闇の底を覗き込んだ。答えは返ってこない。階段は何も語らず、ただ口を開けているだけだ。
「あの……降りる、んですよね」
唯が太もものナイフの柄に指を添えたまま、小さく尋ねる。葵は何も言わず、響の黒いパーカーの裾をそっとつまんだ。
「ああ。俺が先に行く。唯は殿だ、葵は間に入れ」
「は、はい……」
「うん、わかった」
石段を降りるにつれ、風の音が遠のいていった。代わりに聞こえてきたのは、水滴の落ちる音と、三人分の靴音の反響だけだ。
最後の段を降りきったとき、視界がぼんやりと開けた。
壁も天井も、淡い緑青の光に覆われている。岩肌にびっしりと張りついた光り苔が、脈を打つように明滅していた。ランタンなど要らないほど明るいのに、光は柔らかすぎて、遠くの輪郭だけが溶けるように曖昧になる。
石を積んだ通路は幅が狭く、いくつもの角と分かれ道が口を開けていた。
「迷宮、か」
響が低く呟く。
「あの、響さん……足音、聞こえませんか。向こうの方から」
唯の声はか細かったが、耳は確かだった。次の角の先から、乾いた骨の擦れる音が近づいてくる。
現れたのは、錆びた剣を引きずる三体のスケルトンだった。
葵が息を呑んだ瞬間には、もう決着がついていた。響の短刀が先頭の頭蓋を砕き、残る二体は、地を蹴った唯の二本のナイフに、まとめて斬り伏せられた。
唯は着地と同時に、ふっと顔を上げる。さっきまでの怯えた色はどこにもなかった。
その後も敵は現れたが、どれも拍子抜けするほど弱かった。腐臭をまとって這い寄るグールは、爪を振る前に響の銃弾に撃ち抜かれた。魔力を乗せた一発は、腐肉を貫いて核を砕く。広間で待ち構えていた二体のオーガは、図体こそ大きいが動きが鈍く、唯の斬撃で膝を断たれ、そこへ響が止めを刺した。
「……こんなもんか」
最後のオーガが崩れ落ちるのを見届け、響は短刀の血を払った。
弱い。第2層の魔物としても、これは弱すぎる。
だからこそ、引っかかる。
「ミノタウロスは、こんな浅い層にいていい魔物じゃない。それがなぜ、この階段の前に立っていた」
誰に問うでもない呟きに、唯が小さく首をかしげる。
「迷い込んだ……わけじゃ、ないですよね。きっと」
「ああ。誰かが連れてきたか、何かに追われて上がってきたか」
響の脳裏に、泥の中で拾った冷たい金属の感触がよみがえる。あの兵士たちは、この階段の先を目指していたのだろうか。
岩肌を覆う光り苔は、淡い緑青の光を静かに放ち続けている。だがその薄明かりは足元をわずかに照らす程度で、通路の奥は依然として底知れぬ闇を孕んでいた。
「気は抜くな。弱い敵ばかりだからこそ、足元をすくわれる」
「はい」
「は、はいっ!」
葵が慌てて背筋を伸ばし、唯が静かに頷く。
三人は光る壁に囲まれた迷宮の奥へ、慎重に歩を進めていった。
手元のプロットや設定メモの枠組みを一度全部忘れ、あの暗がりで響たちの肌に触れている「湿度」「臭気」「物理的な死の重み」に全神経を潜らせて書くなら、こう描く。
下り坂の終点、石壁の境目を跨いだ瞬間、胃の底がひやりと冷えた。
光り苔の青白い残光は、まるで見えない刃で断ち切られたように足元で途絶えている。代わりに靴底を濡らしたのは、敷石の割れ目から滲み出る、腐敗した胆汁のような鈍い燐光。魔素の濃度があまりに高すぎて、吸い込んだ肺の粘膜がチリチリと焼けるように痛む。
響は無言のまま、湿り気を帯びた岩壁に左手を当て、角の先へわずかに意識を滑らせた。
ドーム状にくり抜かれた広間は、巨大な納骨堂の底を思わせる。頭上の暗がりからは、錆びて赤黒く変色した何十本もの太い鉄鎖が、首吊りの縄のように垂れ下がっていた。
その中心。
ノーライフキング。
ひび割れた真鍮の冠を頭蓋に歪に食い込ませ、引き裂かれた絹の法衣を泥水に浸して、ただ立ち尽くしている。眼窩の奥、底なしの暗がりで揺らめく2つの燐火だけが、世界の終わりを見届けるように緩慢に明滅していた。
それを取り巻く、3体のエンシェントリッチ。
白骨化した長い指を胸の前で複雑に絡め合わせ、王の足元へ向けて深々と頭を垂れている。一切の言葉はない。だが、広間の空気そのものが、重低音の唸りのように小刻みに震えていた。かつて王国を一つ灰に変えたような高位の術式が、音もなく、幾重にも空間の裏側に編み上げられていく感覚。
響は音を殺して踵を返し、冷たい壁に背中を預けた。
「……おいおい、勘弁してくれ」
吐き出した息が、白く濁って足元へ落ちる。
「王様1体に、取り巻きの大魔導師が3体。頼んでもいねえのに、とんだフルコースを並べてくれたもんだ」
1体だけでも、地形ごと消し飛ばすような呪詛を平然と放つ化け物。それが4体。しかも全員が、理不尽を現実に塗り替える魔法職の頂点。銃弾に魔力を乗せて叩き込む手管はあるが、詠唱戦という土俵に上がった時点で、骨の髄まで消し炭にされるのはこっちだ。
「魔法職は、今の俺にとっちゃ一番触りたくねえ鬼門なんだよ。よりによって、一番最悪な組み合わせを引き当てやがった」
響は黒いパーカーのジッパーをわずかに下ろし、アイテムボックスの薄暗い裂け目へ指を突っ込んだ。
指先に触れたのは、乾いてささくれ立った粗末な木の感触。
引き出した掌の上には、親指ほどの不格好な木片。刃物で乱暴に削り出された、目も鼻もないのっぺらぼうの人形。
身代わりの木彫りチャーム。
致命の呪詛やトラップの初撃を、己の身を砕いて一度だけ身代わりとなる、使い捨ての泥臭い護符。
「まさか、お前みたいなガラクタに命を預ける日が来るとはな」
かつて、この身が英雄などと持ち上げられていた時代なら、道端に転がっていても見向きもしなかった三流の細工物。【絶対防御】が皮膚を覆い、【状態異常完全無効】が毒も呪いも蒸発させ、【精神干渉完全耐性】が狂気すら寄せ付けなかった。身代わりを立てる必要など、どこにもなかったのだから。
掌の人形は、相変わらず頼りない軽さのまま、何の重みも返してこない。
「しかもこれ、本当に発動するのかどうかすら試したことがねえ。初の実戦テストが、死霊王の即死魔法ってか。……笑えねえ冗談だ」
響は乾いた笑いを漏らしながら、木彫りを左胸のポケットの奥深くへねじ込んだ。
それから、背後の闇で息を殺していた葵へ視線を落とす。
葵は両手でモーニングスターの柄を胸元に抱き込み、怯えと緊張を張り付かせた瞳で、じっと響の次の指示を待っていた。
「葵、よく聞け」
息遣いだけで届く低さで告げる。
「もし俺がここで転がったら、唯にステータスの上げ方を全部叩き込んでもらえ。あいつなら隠さず教えてくれる。それから、杖を持った魔物には二度と近づくな。日陰を探して、普通に生きろ」
一瞬の間。
葵の瞳が、驚愕と狼狽で大きく見開かれた。
「ちょ、ちょっと待ってください、響さん!」
音を立てないよう必死に喉を絞りながら、葵が悲鳴のような勢いで響のパーカーの袖を掴んで引き寄せる。
「今の、完全に遺言じゃないですか!『帰ったら結婚するんだ』の次に、絶対言っちゃいけないやつです!」
「縁起でもねえ顔すんな。万が一の保険だ」
「保険だろうが何だろうが、フラグは容赦なく立つんです! 今すぐ取り消してください! ほら、『俺は死なない』って、ちゃんと言い直して!」
「おい、それを口にする方が、余計に回収されそうな気がするんだが……」
「そういう減らず口を叩くところですよ、響さんは!」
必死の形相で袖を揺さぶる葵の肩口から、唯がすっと影のように顔を覗かせた。
「あの……お二人とも。少し、声が響いてます。向こうに気づかれたら、私、合図もなしに一人で突っ込むことになりますけど……」
唯の淡々とした、だが芯の冷えた声に、二人の動きがピタリと凍りつく。
三人は息を止め、揃って広間へと続く闇の先を伺った。
空間の底を震わせる、あの低く澱んだ祈祷の唸りは、途切れることなく続いている。こちら側の間抜けな問答には、まだ気づいていない。
響は張り詰めていた肺の空気をゆっくりと吐き出し、胸ポケットの上から、硬い木彫りの感触を指先でトンと叩いた。
「……頼むぞ、身代わりの相棒」
薄い布地越しの人形は、冷え切ったまま沈黙を保っていた。
◇
響は腰の刀の鯉口に左親指をかけ、わずかに刃を滑らせて戻した。
「唯」
短く呼ぶ声は低く、平坦だった。
「お前も、ここで葵と待機だ。突入には加わるな」
唯が息を呑み、即座に身を乗り出しかける。
「響さん、それは無茶です! 相手は死霊王に上位リッチが3体なんですよ!? 詠唱の多重展開を一人で捌き切れるわけが――」
「だからだ」
響は視線を広間の暗がりへ据えたまま、冷淡に遮った。
「即死魔法が飛び交う密室に、耐性のないお前を連れていく余裕はねえ。それに、俺が向こうでしくじった場合、葵を連れて地上へ逃げ切れるのはお前だけだ」
「響さん……っ」
「いいな。俺が突っ込んで、もし数秒以内に仕留め損なって部屋が灰色の光で埋まったら、後ろを振り返らずに全速力でここを引け。葵を担いで、地上まで走り抜けろ。これは命令だ」
唯の唇が悔しそうに引き結ばれ、両手で握りしめたナイフの柄が微かに震える。だが、響の研ぎ澄まされた眼光に反論の余地がないことを悟り、小さく、喉の奥で「……了解」と絞り出した。
「葵、唯の背中にしがみついてろよ」
「響さん、絶対に、絶対に死なないでください……!」
葵の悲痛な懇願を背中に受け流し、響は肺腑の空気を完全に吐き出した。
一人で4体。取り巻き3体と王の首を、術式起動前のコンマ数秒で同時に刈り取る完全単独の強襲戦。
息を止め、体内の全魔力を四肢の毛細血管へと一気に圧入する。
◇
響は無言のまま腰を落とし、ピンを抜いた音響閃光弾を低い弾道で石床へ滑らせた。
回転しながら滑走した金属筒が、祈祷を捧げる死霊たちの足元、冷たい敷石の中央でけたたましい白色閃光と衝撃波を撒き散らす。網膜を焼き尽くす白熱光と鼓膜を破る爆圧が、暗がりを支配していた澱んだ魔力の配列を一瞬で乱数へと叩き落とした。
その爆風の余波を裂き、響の身体が踏み込む。
[身体強化Lv.5]。
毛細血管の隅々まで魔力の奔流が駆け巡り、筋肉が鋼鉄のバネへと変わる。敷石を蹴り砕いた次の瞬間、響の姿は残像だけを残して消え、遅れて音の壁が破れた。
身体の軸を室内へと滑り込ませる刹那、右手に握り込んだ『黒影零式』が跳ね上がった。
黒鉄の銃口から放たれたのは、濃密な魔力膜を纏わせた3発のコーティング弾。
重金属の質量に過剰な魔力圧をねじ込まれた弾丸は、分厚い軍艦の装甲すら食い破る徹甲弾の運動エネルギーを伴い、虚空を穿つ。音響閃光弾の残光に怯み、胸前の印を崩しかけたエンシェントリッチ3体の胸腔へ、それぞれ寸分の狂いもなく吸い込まれた。
骨を砕き、奥に眠る魔核を直接粉砕する濁った破壊音が、ほとんど重なって響き渡る。
間髪入れず、響は床を滑るようにノーライフキングの懐へ肉薄。
左手で鯉口を切り、右手を黒影零式から腰の柄へと滑らせる。一息に引き抜いた白刃は、全身の力を余さず乗せて空気を裂き、王の胸元へ弧を描いた。
その刹那。
首を垂れていたノーライフキングの眼窩に、青を通り越した漆黒の冷光が爆ぜる。
唇の動きも、詠唱の前兆もない。絶対的な死そのものを空間へ押し付ける、無音の即死術式。
響の視界が急速に色を失い、冷たい灰色へと暗転する。
胸元で、乾いた破砕音が響いた。
ポケットの中の木彫り人形が身代わりとなって弾け飛び、呪詛を一身に肩代わりして粉々に砕け散る。
その破砕の直後、大広間を覆っていた呪詛の残滓が霧散し、凍りついた空間へ元の色合いが戻った。
響の双眸に、生命の光が戻る。
惰性だけで伸びた白刃の切っ先が再度、全身の筋肉に爆発的な駆動を再開。法衣の奥で軋む切っ先へ、右腕から再び膂力が奔流となって注ぎ込まれた。ノーライフキングの法衣を貫通。襤褸の奥で冷たく脈打つ最奥の魔核を、寸分の狂いもなく捉えていた。
「――破ッ!」
握り込んだ柄へ全体重を預け、前腕の捻りを利かせて一気に押し込む。
白刃は硬質な魔核の表層を強引にこじ開け、中心部を両断しながら背面へと突き抜けた。
硝子が粉砕されるような破砕音。冷気と闇を放ち続けていた核が内側から砕け散ると、死霊王の頭蓋に宿っていた燐光が完全に掻き消え、骨格を繋ぎ止めていた魔力が霧散していく。
法衣が床へ崩れ落ちる乾いた音を聞きながら、響は残心をとって振り返った。
大広間の入り口付近、立ち去りかけていた唯と葵の二人が、足を止めて石のように硬直している。
即死の呪詛が放たれた瞬間の異変を察知し、退避しようとした足取りのまま、呆然とこちらを見開いていた。
刀を軽く振り、血振りの所作を終えて鞘へ納めながら、響は口元をわずかに緩める。
「悪い、驚かせたな」
床に散乱したエンシェントリッチの砕けた魔核を無造作にかき集め、真っ二つに割れたノーライフキングの核とともにアイテムボックスへ放り込む。
「……まったく、とんだ冷や汗をかかされたもんだ」
吐き捨てるように愚痴をこぼしながら、思考を即座に次の現実へと切り替える。
此奴らのような魔法職への対策は一刻を争う急務。唯と葵、特に葵の脆弱さは看過できない段階にまだいる。前衛を張る唯の俊敏さをもってしても即死の言霊を躱し切る保証はなく、後衛で立ち尽くすしかない葵に至っては、魔法職に限らずあらゆる不測の初撃で容易に命を落としかねない。
身代わりの木彫りチャーム。
幸いなことに、これは初期段階で解放された低級アイテム枠に分類されていたもの。コストもかからず量産できるただの木片細工に過ぎなかったが、死霊王の即死術式を完全に無効化した実証を経た以上、今のパーティにとっては最優先の防壁へ格上げされる。
響はアイテムボックスから木彫りの人形を次々と取り出し、葵の元へと歩み寄った。
「葵、これを持てるだけ身につけておけ」
「えっ……あ、はい!」
戸惑う葵の手から荷物用鞄を引き寄せると、外側のストラップや金具へ無造作に人形を括り付け始める。さらに予備を葵のベルト穴へ直接通し、腰回りに1つ、2つと結びつけていくと、不格好な木片が歩くたびにじゃらじゃらと乾いた音を立てた。
「あの……これ、割と不気味なんですよね。趣味が悪いというか……今はそれどころじゃないのはわかるんですが……女の子の腰回りにぶら下げるデザインとしては絶望的というか……普通に引きますよ、響さん……」
目も鼻もないのっぺらぼうの木彫りが腰元で揺れる様を眺め、葵が引きつった苦笑いを浮かべる。
「文句は生きて地上へ戻ってから言え。その不気味な木切れ1つが、さっきの即死魔法からお前の首を繋ぎ止める盾になる」
冷淡に告げながら、響は残る数個のチャームを唯へも差し出した。




