26話:モーニングスター
頭上を覆う太古の天蓋は、地上の陽光を完全に拒絶した深緑の迷宮を形成している。
樹齢数百年を優に超える巨木が節くれだった根をアスファルトのように張り巡らせ、湿り気を帯びた黒土を縦横に締め上げていた。幹の表面には青白く発光する微細な苔がびっしりと群生し、呼吸に似た緩やかな明滅を繰り返しては、薄暗い樹海へ不気味な青藍の輪郭を与える。
空気は重く、肌にまとわりつくように淀んでいた。
足元を埋め尽くす巨大なノキシノブやシダの葉先からは、粘り気のある冷たい雫が絶え間なく滴り落ち、腐植土が放つ特有の饐えた匂いと、嗅ぎ慣れぬ胞子の放つ刺激臭が混じり合って鼻腔の奥を刺す。遠くの闇の奥からは、濡れた枝葉を押し分ける湿った音と、低く唸るような正体不明の地鳴りが反響し、この原生林が丸ごと1つの巨大な捕食者の胃袋であることを否応なく知らしめていた。
そんな死線の気配が濃密に渦巻く一角で、響たちは「休憩」という名目のもと、優雅なキャンプを決め込んでいた。
大型テントが立ち上がった瞬間、唯は即座に腰のスコップとパラコードを手に取り、周囲の警戒線を引くべく外周へと駆け出そうとする。
「周囲の警戒トラップと早期警戒用の鳴子索、四方に張ってきます!」
「待て唯、そんな手間のかかる手作業は要らん。こっちを使え」
響は何もない空間へ無造作に腕を差し入れ、【ストレージ】の内奥から防衛用の資材を引き抜く。取り出されたのは、麻布で仕立てられた手のひら大の「魔物除けの匂い袋」が4つ。それに、鈍い金属光沢を帯びた「結界杭」が4本。
足を止めた唯は、響の手元に視線を落として眉を寄せる。
「それ……陣地防護用の術具ですか? トラップの代わりに境界へ打ち込むと?」
「話が早くて助かる。四隅の地面にこいつを打ち込んで、頭上の枝にこの匂い袋を括り付けろ。低級魔物の忌避剤と、防護結界の起点だ」
「了解、四方15mラインで境界設定します!」
唯は杭と匂い袋を迷わず受け取ると、一切の無駄のない足取りで東西南北の要所へ散開した。足元の腐植土を蹴立て、指定の座標へ正確に結界杭を打ち込み、頭上の枝葉へ匂い袋を手早く固定していく。空気に触れた薬剤が揮発を始め、獣や低級魔物が本能的に嫌悪する独特の刺激臭が周囲へ静かに拡散し始めた。
4隅の設営を終えて戻ってきた唯の合図を受け、響が手元の親杭へ軽く魔力を通す。
杭同士が呼応するように微かな燐光を放ち、4点を結ぶラインに沿って不可視の魔力フィールドが立ち上がった。陣地全体を卵の殻のように包み込むドーム状の結界。外部からの認識を阻害し、接近する外敵を物理的・魔力的に遮断する防護の帳が完成する。
「……なるほど。音も熱源も外へ漏れないタイプの認識阻害ですか。これなら夜間でも火を焚けますね」
唯は結界の境界線に触れ、防護性能の感触を確かめて納得の笑みを浮かべる。
「そういうことだ。格上のネームドが突っ込んできたら割れるが、雑魚の奇襲で寝込みを襲われる心配はねえ」
響は満足そうに肩を回した。
「さ、これで外堀の安全確保は完了だ。邪魔な羽虫も寄ってこねえし、心置きなくメシを楽しむぞ」
未踏破の古代原生林という極限の死線において、結界の内側だけが、完全に俗世から切り離された快適な憩いの場へと変貌を遂げていた。
「響さん、これ……完全にただのキャンプですよね?」
周囲に展開された豪奢な大型テントと快適な資材を見渡し、唯がジト目を向けながら指摘する。
「馬鹿言え。お前、元自衛隊のくせに野戦築城も知らねえのかよ」
平然と言い放つ響の態度に、唯は額に手を当てて深々と息を吐き出した。
「……はぁ。一応まだ現役なんですけどね。私の知る野戦築城に、肉厚のエアマットや極上のリクライニングチェアが支給品として配備されていた記憶は、これっぽっちもありません」
呆れ混じりに漏らされた反論を適当に受け流しつつ、響の双眸が鋭さを取り戻す。視線の先には、豪雷牛の角が放つ青白い火花に怯え、小さく身を縮こまらせている葵の姿があった。原生林の冷気に震える肩。この過酷極まる魔境において、少女の存在はあまりに脆く、無力に過ぎる。
響は結界の境界線から視線を戻し、焚き火の準備をしていた葵へ顎をしゃくった。
「今後のことを考えたら、まずは自身の身は自分で守れるようになってもらわなきゃ困る」
低く落とされた声のトーンに、葵の小柄な身体がぴくりと強張る。
「特に葵だ。最低限、自分の命を自分で拾えるだけの自己防衛能力が要る。そのためには小手先の技術なんざ後回しで、まずステータスアップが最優先だ。唯、わかるよな、この意味」
不意に話を振られた唯の表情から、先刻までの呆れの色が瞬時に消え去った。
池袋のキメラ、新宿のカルノタウルス、渋谷のベヒモス、ニューヨークのアビス・ヘルベア、そして直近の漢江で仕留めた青眼の豪雷牛。響が心臓の魔核を生きたまま引き抜くことで光の粒子への霧散を防ぎ、その極上肉を喰らうことで、唯自身の肉体にも永続的なステータス上昇が刻まれてきた。一般の覚醒者がいくら訓練を積もうと決して到達できない、文字通りの特権的強化。
唯はごくりと唾を呑み込み、真剣な眼差しで深く頷いた。
「そうですね。一から基礎訓練を積む猶予が現場にない以上、確実に生存率を引き上げるには、あの方法しかありません。……さっそく肉の準備に取りかかりますか」
◇
二人の手際は、迷いなく淀みがない。
響が亜空間ストレージの虚空へ腕を差し込み、使い込まれた鋳鉄製のスタンドと丸型の焼き網、黒々とした備長炭の塊をごっそりと引きずり出す。傍らでは唯がコンバットナイフの切っ先を器用に操り、周囲の黒土を手早く均して即席の炉床を整えた。
四方に適度な大きさの平たい石を並べ、囲炉裏の基礎をあっという間に組み上げる。中央へ炭を積み終えるや、響は指先に灯した微小な魔力火花を躊躇なく放り込んだ。
パチ、と小さな爆ぜる音が鳴り、炭の芯から赤熱した光が静かに広がり始める。
「とにかく腹が減っちゃ戦もできねえからな。遠火でじんわり脂を溶かしつつ、芯まで火を通すぞ」
「ですね。強火で表面だけ焦がすと中が生のまま残りますから、遠火の炭熱で包み込むように熱を入れます」
唯が手際よく金網を炉の上へ渡す。熾火の熱気が十分に立ち上った絶妙なタイミングで、響はストレージの奥から深紅の肉塊をトングで無造作に掴み出した。
中に鎮座するのは、深紅の閃光を放つ筋繊維に極上のサシがみっちりと走る、暴力的なまでの厚切りヒレ肉。新宿の深淵で屠った体長12メートルの暴竜『クリムゾン・カルノタウルス』の特級肉塊だ。響は背後の唯へだけ分かるように小さく目配せを飛ばす。唯は真剣な眼差しのまま、計画通りに進めることを確認するように無言で頷きを返した。
響はトングを操り、分厚く切り分けた深紅の肉塊を網の特等席へ豪快に投下する。
ジュウウゥゥ――ッ!
耳朶を心地よく叩く強烈な熱音が、原生林の湿った静寂を切り裂いた。恐竜種特有の力強く引き締まった筋繊維の間を、網目状に走る白く艶やかなサシが熱を受けて一気に溶け出し、滴る脂が炭火へ落ちて激しい白煙を噴き上げる。
黒いスパイスボトルを取り出し、粗挽きの岩塩と黒胡椒を高い位置から豪快に振り落とす響。さらに指先で擦り合わせた乾燥ハーブを散らした。炭火の遠赤外線に炙られたスパイスが、肉の表面でチリチリと焦げて香ばしい薫煙を纏う。ハーブの爽やかな青い香気と、暴竜の重厚な肉汁が溶け合った甘やかな匂いが結界の内に充満し、肌寒かった野営地を食欲をそそる熱気で満たしていった。
「うわあ……! すっごく良い匂い……! 響さん、それ牛ヒレ肉ですか? すっごいサシが入ってますね!」
「牛じゃねえよ。生物的な分類で言やあ、鳥に近いな」
響は網の上の肉塊をトングで軽く叩き、脂の爆ぜる音を響かせながらさらりと言ってのける。
「そうですね。鳥ですね、あいつは」
背後で火加減を見守っていた唯が、一切の迷いを見せずに淡々と言葉を継いだ。二人の間に淀みはなく、示し合わせたような滑らかさで嘘を重ねていく。
だが、葵は怪訝そうに目を瞬かせ、網の上で激しく白煙を噴き上げる肉塊をじっと凝視した。
「でも……鳥なのに、こんなに脂身が乗るものなんですか? 鶏肉っていうより、どう見ても極上の霜降り肉に見えますけど……」
「あいつは肉食だからじゃねえのか」
響は表情ひとつ変えず、トングを返して肉の焼き面を改める。
「えっ、鳥が肉食……!?」
思いも寄らない単語の組み合わせに、葵は丸い目をさらに見開いた。
「……でもあいつ、羽ねえからな。飛べねえ走鳥類だし、そのぶん脚に脂と筋肉がみっちり詰まってたんじゃねえか」
響は顎をしゃくり、網の上でチリチリと縮む筋繊維を指し示す。新宿の歌舞伎町で暴れ回っていた巨大暴竜の肉だとは爪の先ほども明かさず、平然とした顔で出任せを並べ立てた。手先は一切ブレることなく肉の中心温度を見極めている。
「よし、焼けたぞ。細かいこたぁあまり気にするな」
程よく焦げ目のついた肉塊をナイフで手早く削ぎ落とし、湯気を立てる断面をステンレス皿へ豪快に盛り付けた。
「この伊瀬介さん(異世界産)の甘辛だれをつけて食うといいぞ。脂の強い肉にはこれが一番よく馴染む」
差し出された小瓶のたれをたっぷり絡め、香ばしい湯気が葵の鼻先をくすぐる。
「それじゃあ……いただきます!」
葵は箸を割り、飴色のたれが絡んだ熱々の肉片をそっと持ち上げた。箸先から伝わる感触だけでも、並みの肉ではない弾力が窺える。
息を吹きかけて慎重に口へ運ぶと、歯を入れた瞬間にパツンと心地よい弾力が爆ぜた。
「んんっ……!」
葵の両目が丸く見開かれ、驚嘆の声が漏れる。
噛み締めた刹那、閉じ込められていた肉汁が一気に口腔内を満たした。赤身の力強い旨味と、網目状に溶け出した上質な脂のコクが舌の上で怒涛のように押し寄せてくる。驚くほど繊維が緻密でありながら、嫌な筋っぽさは皆無。噛むごとに濃厚な味わいが湧き出していく。
香ばしい炭火の薫煙を纏ったスパイスの刺激を、伊瀬介さん(異世界産)の甘辛だれが見事に包み込んでいた。醤油ベースの深みある甘みが脂の重さを絶妙に引き締め、後味に爽快な余韻を残す。鳥肉の軽やかさと牛肉の重厚感を掛け合わせたような未体験の美味に、葵の頬が自然と緩んだ。
「すっごく……おいしいです! 噛んだ瞬間に肉汁がじゅわって溢れて、脂が全然しつこくない……! この甘辛いたれが赤身の強い旨味を完璧に引き立てていて、いくらでも食べられちゃいます!」
空腹だった胃袋を心地よく刺激され、葵は夢中になって次の一片へ箸を伸ばした。
夢中で肉を頬張る葵の頭部へ向け、響は意識の焦点を絞り、鑑定スキルを密かに発動させた。
空中に展開された半透明のウィンドウを、葵に悟られぬよう視線だけで追う。
佐伯 葵
筋力(STR):12(初期値8+カルノタウルス4)
耐久(CON):18(初期値10+カルノタウルス8)
敏捷(AGI):9
知力(INT):20
精神(MND):11
魔力(MP) :1
階層主の特級肉塊を咀嚼させた効果は、即座に数値として反映されていた。暴竜の生命力を強引に肉体へ定着させた結果、耐久はほぼ倍増の18まで跳ね上がり、筋力も一般人の枠を脱する基礎値に達する。
だが、強化された数値の並びを一瞥した響は、誰にも聞こえないほどの低い呼気で呟きを漏らした。
「……初期値が低いと、こうなるのか」
「……なんだか、体の奥から力が湧いてきますね。すっごく美味しいからなのかな」
最後の一片を飲み干した葵が、自らの両手を握ったり開いたりしながら不思議そうに呟いた。
「あと茶碗1杯分くらい肉食えるだろう」
空になった葵の皿を一瞥し、響は腹具合を確かめるように問いかける。
「えっ……はい! あんなに食べたのに、不思議とお腹が重くなくて……まだ全然食べられます!」
体の芯から湧き上がる熱気に背中を押されたのか、葵は皿を両手で構え、屈託のない笑顔で即答してみせた。カルノタウルスの肉によって耐久(CON)が倍増した影響で、消化器系の代謝能力そのものが急激に引き上げられている証左に他ならない。
「そうか、じゃあちょっと待ってろ」
響は短く応じるや、亜空間ストレージの虚空へ再び腕を沈めた。
取り出されたのは、先ほどの暴竜肉とは一線を画す、艶やかな淡い小豆色の断面を持つ極上の肉塊。大陸級の巨躯を誇る重地獣『ベヒモス』の背骨の内側に鎮座する、運動による負荷を一切受けない最高級ヒレ肉だ。空気に晒された断面からは、魔物肉特有の重厚な魔素がかすかに揺らめいている。
響は無造作にナイフを振るい、筋張った抵抗など皆無のきめ細やかな肉質を、手際よく一口大のサイズへ切り分けていく。背後の唯へ視線を流すと、唯は静かに頷き、熾火の配置を素早く組み替えてヒレの繊細な肉汁を逃さない遠火のゾーンを網の中央に整えた。
肉片を網の上に並べ置けば、パチリと炭が爆ぜ、上品で澄んだ肉汁の甘い芳香が静かに立ち上る。暴竜肉の荒々しい匂いとは対照的な、鼻腔をくすぐる上質な薫煙が夜気の中へ溶け込んでいった。
「今度はタレじゃねえぞ。塩と、これをつけてみろ」
響は網の上で表面だけをロゼ色に炙ったヒレ肉を皿へ移し、小瓶から純白の大粒な結晶岩塩をひとつまみ振りかけた。さらに、ナイフの腹で素早くすり下ろしたばかりの瑞々しい本山葵をひとすじ添える。
「ヒレは脂で誤魔化す部位じゃねえからな。肉本来の甘みを塩で引き締めて、山葵の清涼感でいただくのが一番美味い」
「わあ……さっきのと全然色が違いますね。いただきます!」
葵は箸で持ち上げ、熱を帯びた淡い小豆色の肉片を口へ放り込んだ。
奥歯で軽く噛み締めた途端、一切の筋張さを感じさせず、繊維がほろりと解けていく。
「……っ!?」
あまりの柔らかさに、葵の喉から感嘆の息が漏れた。
カルノタウルスの力強い弾力とはまるで別物。噛むというよりも舌の熱でとろけるような滑らかさの中、大粒の結晶塩がカリッと砕け、噛み締めるほどに澄み切った上品な肉汁の甘みが口いっぱいに広がる。そこへツンと抜ける山葵の青い香気が重なり、脂っこさを微塵も感じさせないまま極上の後味へと昇華していった。
「す、すごい……! 歯がいらないくらい柔らかいのに、噛むとお肉の甘みがじんわり広がって……お塩だけなのに、ものすごく濃厚です!」
「だろ。これが一番肉の質がわかる食い方だ」
響は満足そうに目を細め、隣の唯と目配せを交わす。二人の視線の先では、葵の体内へ新たな魔獣の血肉が確かに溶け込み始めていた。
佐伯 葵
筋力(STR):20(初期値8+カルノタウルス4+ベヒモス8)
耐久(CON):22(初期値10+カルノタウルス8+ベヒモス4)
敏捷(AGI):9
知力(INT):20
精神(MND):11
魔力(MP) :1
「おお、そうかそうか! そいつは上出来だな。今の勢いなら、その辺のゴブリンの頭くらい素手で叩き割って血煙に変えられるんじゃねえか? はっはっは!」
上機嫌な響の豪快な笑い声が、夜の野営地に響き渡る。冗談めかして言ってのけるその横顔には、計画通りに特級肉を胃袋へ収めさせた手応えが露骨に滲んでいた。
一方、背後で成り行きを見届けていた唯は、頬をひくつかせながら露骨に眉根を寄せる。
「……響さん、発想が世紀末すぎます。女の子にゴブリン粉砕のイメージを植え付けないでください。まぁ、出来ちゃいそうなのは否定しませんが……」
唯は引きつった笑みを浮かべ、こめかみを押さえながらぼやいた。呆れと事実の狭間で揺れる視線が、無心に肉を咀嚼する葵の華奢な背中へ注がれる。
「……まあ冗談はさておき、葵が自分の身を守るための武器くらいは用意しとくべきだな」
響が腕を組み、顎先を撫でながら切り出す。
「そうですね。剣やナイフなどの刃物は刃筋を立てる技術が要りますし、素人にはまず扱えません。弓矢なんて引くことすら論外です。となれば、多少雑に当てても質量で相手の体勢を崩せるメイスあたりが一番無難でしょう」
唯の現実的な分析に、響も「だな」と深く首肯する。
「ただ一口にメイスと言っても、形状は様々だぞ。先端が球状のやつから六角柱、フランジが付いたものまで色々あるが、どれを持たせるか……」
考え込む二人のやり取りを聞き、葵が目を丸くして身を乗り出した。
「あ、知ってます! メイスですよね? ゲームとかでよくある、あの……すっごくかっこいいやつですか?」
「かっこいいやつ? 具体的にどんな形状を想像してるんだ」
響が訝しげに問い返すと、葵は両手で大きな塊を抱えるような身振りを交え、無邪気な顔で言った。
「ほら、ヘッドの両側にゴツい突起がついてて、なんとかハンマーとか、なんとかクラブって呼ばれてるやつですよ!」
その発言に、響と唯の視線が空中で静かに交錯する。彼女が頭に思い浮かべている代物が、初心者が片手で振り回す護身用メイスなどではなく、筋骨隆々の重戦士が両手で叩き潰すためのウォーハンマーやスパイククラブの類であることは明白だった。
「……なるほどな。頭に思い描いてるイメージはよく分かった」
響は口元をわずかに緩め、納得したように頷く。
「刃物みたいに研ぎ澄まされた刃筋も要らねえし、多少手元が狂っても相手の骨ごとへし折れる。素人が振るう護身用としちゃ、あながち間違いじゃねえチョイスだ」
「技術が要らないという点だけは同意しますけれど……響さん、くれぐれも変な代物を出さないでくださいね」
唯が怪訝な眼差しを向ける中、響は意に介さず、おもむろに亜空間ストレージの虚空へ手を差し入れた。
闇の裂け目から引き抜かれたのは、鈍い黒光りを放つ全金属製の柄。その先端には、成人男性の握り拳よりも一回り大きな、重厚極まりない鋳鉄の球体が鎮座している。球体の全方位からは、肉を抉り兜を貫通させるためだけに鍛造された鋭利な鉄棘が、無数に突き出していた。鎖のない直柄式、異世界で調達された本物の『モーニングスター』。
ドスリ、と地面に先端が置かれただけで、土煙が小さく舞い上がるほどの凶悪な質量。
「ほらよ。お前が言ってた『かっこいいやつ』に一番近いのは、こいつだ」
響が無造作に突き出した鉄塊を前に、葵は目を見開き、息を呑んだ。
「……これ、私の知ってる『可愛いゲームの武器』と全然違います……! もっとこう、スタイリッシュなエルフとかが軽やかに持っている、シュッとしたかっこいいやつを想像してたんですけど……!」
葵は引き攣った笑みを浮かべ、身を引くようにして凶悪なトゲ鉄球から視線をそらした。
対する響は肩をすくめ、鼻を鳴らして平然と言い放つ。
「ああ、そういう……ゲームの中じゃ軽そうに見える、無駄に装飾過多で『シュッとした』やつな。悪いが、現実のそういう装飾付き武器ってのはな、見た目の良さと引き換えにデタラメな重さになってるんだよ。技術もねえ一般人が振るったら、ただ自分が振り回されて隙だらけになるだけだ。生き残りてえなら、こいつで我慢しとけ」
「トゲトゲが……多すぎませんか? 当たったら痛いとかそういう次元じゃなくて、触るだけで服が破けそうです……それに、これ……すっごく重そうに見えるんですけど、私、持てますか……?」
恐る恐る人差し指を伸ばしかけては引っ込め、両手を胸の前で小さく握り締める。引き気味に視線を揺らす葵の心配をよそに、響と唯は「持てるどころか、今の筋力なら片手でブン回せる」という確信を胸に、静かな眼差しを彼女へと注ぎ込んだ。
意を決した葵が、両手をおずおずと伸ばして黒光りする鉄柄を握り締める。そのまま力を込めて持ち上げた瞬間、拍子抜けしたように瞬きを繰り返した。
「あれ……? 見た目は重そうな金属と思ってましたが、これは模型だったんですね。すごい軽いです」
「模型……?」
葵の無邪気な一言を聞いた瞬間、響の口角が引き攣り、背後の唯は深いため息とともに天を仰いだ。
黒光りする頑強な鉄柄と、無数の鋭利なスパイクを帯びた漆黒の鉄球。それはまぎれもなく、大人の男でも片手で振れば手首を痛める正真正銘の『実戦用モーニングスター』である。
「葵、それ、本物の塊鉄だぞ」
「えっ……? でも、全然重くなくて、まるでプラスチックのおもちゃみたいにヒョイって……」
きょとんとした表情の葵は、凶悪なトゲ鉄球を片手で軽々と持ち上げ、手首を返してひょいひょいと上下に揺らしてみせる。暴竜と巨獣のヒレ肉によって底上げされた規格外の筋力が、本物の凶器を模型のように扱わせている事実に、当の本人はまだまるで気づいていない。
「……響さん。ほら、言わんこっちゃありません」
唯がこめかみを押さえ、乾いた声で呟く。
「一般女子高生が片手でモーニングスターを玩具扱いする光景、控えめに言っても悪夢の始まりですよ」




