23話:「日当30億円の辻褄合わせ」
入間基地の「リゾナンス日本支部」に、真新しい漆黒の特務拳銃『黒影零式改・紫電』の熱狂が冷めやらぬ中、執務デスクの国際暗号回線が重々しい警告音を鳴り響かせた。
モニターを操作していた御子柴渚の指先が、珍しく鋭い緊張を帯びて止まる。
書類を整理していた真鍋3佐が、即座に眉を跳ね上げて画面を覗き込んだ。
「……渚君、発信元は?」
「外交ルートおよび米軍統合参謀本部のホットラインを経由した、極めて優先度の高い通信です。――英国政府、および欧州連合(EU)防衛首脳部からの、我が『リゾナンス日本支部』――事実上、響さん個人を名指しにした正式な【超法規的緊急救援要請】です」
渚の冷徹な声が、静まり返った事務所に響き渡る。
モニターに投影されたのは、かつて世界の文化と繁栄の象徴であった欧州主要都市の、目を覆いたくなるような惨状であった。
パリ、そしてロンドン。
街の中央を流れるテムズ川やセーヌ川の川底、歴史ある石造りの地下鉄網や大聖堂の地下深くから、無数の巨大な侵食孔が突如として口を開けていた。噴き上がる濃密な瘴気と変異種の氾濫、そしてそれに呼応して街中に広がった未曾有のパンデミックが、近代都市の社会機能をわずか数日で完全に瓦解させていく。
「ロンドンは特に深刻です」
真鍋が眼鏡を指先で押し上げ、険しい表情でデータをスクロールした。
「アメリカのように民間の覚醒者を迅速に組織化する『アメリカ・モデル』の導入を試みてはいたものの、英国議会と旧来の貴族社会、そして軍の指揮権争いが足の引っ張り合いを起こし、実効性のあるギルドや戦闘クランの立ち上げが完全に後手に回りました。その隙を突かれる形で、中心街の地下から出現した大型のダンジョン群が暴走。正規軍の装甲部隊や近衛連隊が市街戦で壊滅し、市民数百万人が閉じ込められたまま、政府機能そのものが機能不全に陥っています」
画面の向こうでは、バッキンガム宮殿周辺のバリケードが異形の巨獣によって粉砕され、黒煙を吹き上げるビッグ・ベンを背に逃げ惑う市民の姿が衛星映像で映し出されていた。
近代兵器の銃砲撃はダンジョンから吹き荒れる瘴気によって迎撃網を狂わされ、弾薬の備蓄も底を突きかけている。
「英国首相および防衛省中枢は、かつてニューヨークを更地同然の地獄から単独で救い出した『極東の生ける戦略兵器』――響さんの武威に、最後の望みを託して正式な国賓待遇での救援を求めてきています。報酬の支払いは、大英博物館および王室が保管する未鑑定のダンジョン産秘宝、およびS級魔石の全権譲渡。……完全な、国家の命運を賭けた土下座外交です」
その横で高速で情報端末を叩いていた葵が、息を呑んで鋭い声を張り上げた。
「響さん、真鍋さん! 欧州だけじゃありません、極東近隣エリアからも緊急アラートが雪崩を打って入ってきました!」
室内の大型モニターの端に、東アジアの衛星マップが次々と割り込み表示される。
「韓国のソウル首都圏、および台湾の台北・高雄周辺において、ほぼ同時多発的に大型ダンジョン(侵食孔)の発生を確認! 両国とも事前の覚醒者部隊による防衛ラインが初動で突破され、首都中枢が機能不全に陥っています! 韓国大統領府および台湾行政院から、リゾナンス日本支部――響さん個人を名指しにした最優先の軍事支援要請が電送されてきました!」
画面には、ソウルの漢江周辺から吹き上がる漆黒の瘴気と、台北のランドマーク周辺を埋め尽くす異形の群れがリアルタイムで映し出される。欧州の壊滅に続き、日本を取り囲む隣国までもがわずか数時間の差で地獄絵図へと呑み込まれようとしていた。
「欧州に続いて東アジアの近隣諸国まで一気に連鎖したか……!」
真鍋が顔色を失い、額に脂汗を滲ませて呻く。
「韓国や台湾が落ちれば、我が国のサプライチェーンも国際航路も完全に遮断され、日本は世界から孤立して経済的に干上がります! それに……今ここで響さんが助けに入れば、相手国に計り知れない外交的・経済的な『巨大な貸し』を作れるんですよ!」
唯が真っ青になり、葵は息を詰まらせて響の横顔を見つめた。
世界中から殺到する悲鳴と救援の電文。
その中心で、響は手にした『黒影零式改・紫電』のスライドをチャキンと小気味よく引き、冷徹な双眸をモニターの赤い警告光へと据える。
◇
入間基地・稲荷山門脇に新設された「リゾナンス日本支部」の事務所内。大型モニターに映し出された東アジアの衛星マップには、ソウル中心部を真っ赤に染め上げる巨大なバイオハザード&ダンジョン警報が明滅していた。
「――作戦ルートを伝達します」
真鍋3佐が卓上のタブレットを操作し、航路図を投影する。
「当初検討されたヘリコプターでの直行ルートは、日本列島と対馬海峡を横断するだけで給油を含め5時間以上を浪費します。一刻を争うソウル中枢の壊滅を防ぐため、ここ入間基地の滑走路から航空自衛隊の最新鋭ジェット輸送機【C-2】を緊急発進させます。ソウル近郊の空軍基地まで、巡航速度マッハ0.8で一直線に飛べば、所要時間はわずか1時間30分です」
真鍋は眼鏡のブリッジを押し上げ、続けて現地の受け入れ態勢を説明した。
「現在、韓国大統領府および韓国国防部とのホットラインが開通しました。ソウル南方にある『ソウル空軍基地(城南基地)』の滑走路は、韓国軍の首都防衛司令部が死守しています。我が国のC-2はそこへ強行着陸。着陸後、直ちに待機させている韓国陸軍の大型輸送ヘリ(CH-47)へ乗り換えます」
「城南から、ダンジョンが発生した漢江の現場まではどのくらいかかるんだ?」
ソファで漆黒の『黒影零式改・紫電』を愛用のホルスターへ収めながら、響が短く尋ねる。
「城南空軍基地から漢江・汝矣島の直上までは、直線距離でわずか20キロ足らず。ヘリのローターが回れば5分から7分程度で交戦空域へ突入できます。入間を飛び立ってから、最短で1時間45分後には漢江のダンジョン最深部へ踏み込める計算です」
「上出来だ。ヘリでちんたら海を渡るよりずっと早いな」
響は満足げに立ち上がり、腰の紫電の収まりを確かめた。
「唯、支度はできたか?」
「はいっ! 準備万端です!」
大剣を背負った唯が元気よく頷く。手には六本木の土産である「骨付き極上肉」のキーホルダーが揺れていた。
「響さん、韓国側との取り決めについて補足です」
御子柴渚が手帳を開き、落ち着いた事務的な口調でテキパキと告げる。
「現場の『漢江直下地下迷宮』周辺は、韓国軍の通常部隊が押し戻されかけており一刻を争います。彼らからの正式要請は『地上および地下街の制圧、ならびにダンジョンコアの完全破壊』です。見返りとして、迷宮内で回収された全魔石の保有権、および韓国側が保有する特級魔導資源の最優先引き渡しがすでに確約されています。……条件としては十分、動くに値する案件です」
「――現地との通信ラインおよび通訳の手筈も、すべて完了しています」
渚の隣で、複数台のタブレット端末と衛星通信機を肩にかけた葵が前へ出た。身軽なタクティカルウェアに身を包み、その表情には強い覚悟が滲んでいる。
「韓国軍の現地指揮官とは英語および韓国語での直接回線を確保しました。今回はソウルだけじゃ終わりません。この後すぐに台湾の台北、そして欧州――イギリスとフランスへの長距離遠征が控えています。各国軍や政府との折衝、現場での言語対応はすべて私が引き受けます。……私もC-2に同乗させてください」
「頼もしいな、葵。言葉が通じない連中と揉めてる時間は1秒もない。交渉と誘導は全部任せる」
響が軽く口元を緩めると、葵は小さく微笑んで頷いた。
「よし。現地のお偉いさんに頭を下げる暇があるなら、1秒でも早く地下へ叩き落とせと伝えておけ。――真鍋さん、C-2のエンジンを回せ」
「了解! 飛行群へスクランブル発進を通達します!」
真鍋が受話器を握りしめて怒鳴り声を上げ、桐生たち警戒班が直立不動で敬礼を捧げる。
滑走路の向こうで、C-2の双発ターボファンエンジンが地響きのような爆音を上げ始めた。日本を飛び立ち、わずか1時間半で海を越えて地獄のソウルへ――そして台湾、欧州へと続く世界転戦の幕が、今まさに開かれようとしていた。
C-2輸送機のカーゴランプが城南空軍基地のコンクリートに接地した瞬間、強烈な硝煙の臭いが吹き込んでくる。
滑走路脇でローターを旋回させていた韓国陸軍の大型輸送ヘリ(CH-47)へ、響、唯、葵の3名が雪崩れ込んだ。乗り込むや否や、ヘッドセットを装着した葵が韓国軍の連絡将校と矢継ぎ早に言葉を交わす。
「――漢江の防衛ライン、最終防壁が決壊寸前です! 現地指揮所はダンジョン入口直上の麻浦大橋北詰、ヘリは直上の崩落ホールへそのままホバリングで強行進入します!」
「話が早くて助かる。唯、行くぞ」
「了解です、響さん!」
ヘリが離陸してわずか6分後。眼下に広がったのは、かつての大都市の面影を粉砕されたソウル中心部の情景。濁流と化した漢江のほとり、崩壊した道路と地下鉄網を呑み込むように直径約60メートル、楕円形のすり鉢状に地盤が陥没した巨大な大穴――『漢江大迷宮』の黒い大口が開いていた。
高度30メートル。ヘリのカーゴドアが開くと同時に、響と唯は何の躊躇もなく穴の底へと飛び降りる。
第1層、濁水に群がっていたゴブリンとスケルトンの小隊は、着地と共に素早く気力を込めた衝撃波で吹き飛ばした。
「立ち止まるな、突っ切るぞ!」
「はいっ!」
足首まで浸かる泥水の中、吹き飛ばされたゴブリンの残骸が濁流に呑まれて流れていく。破断した上水道管から降り注ぐ水煙が視界を遮り、硫黄とオゾンの混ざり合った刺激臭が鼻腔を突く。
「鑑定! 下層への最短降下ルートを割り出せ!」
響の眼球の奥で術式が起動し、視界を覆う泥煙と瓦礫の凹凸がグリッド状の構造データとしてスキャンされていった。上空で旋回するチヌークのサーチライトが白濁した水煙を切り裂いているが、その強力な光すら、わずか10数メートル先の濃密な闇に呑まれて減衰している。
『システムメッセージ:構造解析完了。地下2階、下りホーム延伸部のシールドトンネル坑口をルートに設定』
直後、ひしゃげた改札ゲートの先、闇に沈むトンネル開口部に青白い光条が走り、網膜に投影されたナビゲーションマーカーが激しく明滅した。
崩壊したコンクリートスラブの隙間から、レールごと底抜けになった線路敷が、階下の共同溝へ向けて巨大な裂け目となって落ち込んでいる様子がくっきりと浮かび上がる。
「マーカー視認! 改札奥のシールド坑口、レール直下です!」
濁流を膝で押し分けながら、唯が大剣の切っ先を崩落孔の開口部へ向けた。
青白い誘導光が照らし出したのは、地表の無惨な損壊とは一線を画す、奈落の淵そのもの。
破断したレールと引きちぎれた枕木が宙吊りになり、円形シールドトンネルの底面を食い破るようにして、底知れぬ縦坑が口を開けている。地表の陥没は単なる外傷に過ぎず、この抉れた岩盤の亀裂こそが、現実の都市と異界とを隔てる真の境界線だった。地下水が滝となって漆黒の孔へと呑み込まれ、立ち上る冷湿な瘴気が肌を刺す。
2人は歩調を一切緩めなかった。躊躇の気配すら交わさず、迷宮の領域へとその身を沈めていく。
響はホルスターから拳銃を引き抜き、濡れた銃身を殺到する先頭の群れへと向け、指が引き金を絞るごとに乾いた撃発音が地下空間に連打される。蒼白い魔力弾が一直線に弾道を刻んだ。着弾の瞬間、圧縮された魔力がゴブリンの頭部と胸郭を容赦なく食い破り、肉片と黒い飛沫を泥水の中へ撒き散らす。
同時に唯が両腰から2振りのナイフを逆手に抜き放ちつつ加速の勢いを殺さず、左右から飛びかかってきたゴブリンの懐へ深く踏み込む。
両腕を交差させると、刃の平と峰を敵の鎖骨と側頭部へ体重ごと叩きつけた。刃物で切り裂くのではなく、腕力と踏み込みの慣性を用いた純粋な質量衝突である。鈍い骨折音が闇に響き渡り、頚椎を圧し折られた2頭が泥濘の中へ沈んだ。反動を利用して身を沈めた唯は、追従してきたもう1頭の側腹へ逆手のナイフを柄頭ごと叩き込み、呼吸の隙すら与えず濁水へと圧殺。
視界の端で明滅する青白いマーカーは、泥水に沈む階段や破断した連絡路を縫うようにして、迷宮の深部へ延びる最短動線を精密に指示し続けた。
地下鉄の構内構造が完全に消失した階層の崩落区画、湿潤な外壁に黒い鉱石が群生する階層の空洞、そして冷気が足元に滞留する第5層の石造通路を、2人は減速することなく踏破していく。深度計の数値は垂直距離で地下200メートルを超え、大気圧の増大とともに鼓膜を圧迫する重い空気が肌に張り付いた。
やがてマーカーの光条が収束し、第6層に相当する巨大な地下空洞の最奥を照射する。
2人の歩みが止まった。
眼前にそびえ立っていたのは、湿った岩盤を削り出して据え付けられた高さ8メートルを超える両開きの石造大扉であった。
扉の表面には幾重もの幾何学模様が深く刻まれ、隙間からは外気とは比較にならない高密度の魔力と、獣脂が焦げ付いたような熱を帯びた異臭が漏れ出している。
この大扉の向こう側が、漢江大迷宮の最奥――階層主の領域だ。
響が分厚い石扉に右掌をあてがい、魔力を流し込む。刻まれた幾何学模様が鈍い鉛色から赤黒い光へと反転し、天井の鍾乳石を震わせる轟音とともに、8メートルの大扉が内側へ向かって押し開かれた。
立ち込めていた獣脂の熱気と刺激臭を裂き、2人は薄暗い巨大空洞へと踏み込む。
直径100メートルを超えるドーム状の空間。中央の岩盤には、青白いプラズマを四肢にまとわりつかせた巨大な黒影が座していた。
侵入者を感知した巨獣が、地響きを伴って四肢を踏みしめ、ゆっくりと頭蓋を持ち上げる。
体長7.5メートル、肩高4メートル。頭部から突き出た3本のねじれ角の間隙で、時折バチバチと鋭い電磁火花が爆ぜ、青白い眼球が冷徹に2人を捉えた。
響は歩みを止めず、右手の指先を正面の巨躯へ向けて意識を集中させる。
「【鑑定】」
響の網膜上に、青白い発光を伴って半透明のステータスウィンドウが展開し、階層主の全貌が明瞭な数値となって浮かび上がった。
種族名:青眼の豪雷牛
個体識別:漢江大迷宮 第6層 階層主
Lv:45
HP:18500 / 18500
MP:6200 / 6200
能力値:
・筋力:840
・耐久:920
・敏捷:460
・魔力:680
保有スキル:
・[高圧帯電体](物理接触時、強烈な電撃ダメージおよび麻痺を付与)
・[電磁突進](時速80キロ超の突進に伴う指向性電磁衝撃波の発生)
・[雷角連弾](頭部の3本角から放たれる収束雷撃)
・[剛体骨板](銃弾・刃を減衰させる重装甲外骨格)
特記事項:
体内に大容量の生体蓄電器官を保有。角と肩口の筋肉組織に高純度魔力が循環。
「Lv.45……高圧帯電持ちか」
ウィンドウの数値を瞬時に脳内へ叩き込んだ響は、視界を遮る表示を払いのけ、腰のホルスターへと右手を伸ばす。
両開きの石造大扉が軋み、内部の熱気とオゾン臭が噴き出した。
ドーム中央の岩盤を蹴立て、青白い電磁火花を散らす巨躯――『青眼の豪雷牛』が侵入者を捉えて咆哮を上げる。3本のねじれ角の間隙で、時折青白い放電が炸裂し、周囲の空気を鋭く引き裂いた。帯電した体躯への不用意な接近は即座に感電死を招く。
響は間合いを保ったまま空間収納の展開口を開く。金属の澄んだ擦過音とともに、銀光を帯びたミスリル混じりの投擲ナイフ10数本が、床の石畳へ滑り落ちるように次々と射出された。
「唯、そいつを使え。あの放電に直接刃を当てれば感電する。足止めに徹しろ」
唯は返答の代わりに低く身を沈め、散開した銀刃の束を指先で素早く掬い上げる。
同時に響は右手を腰の大型ホルスターへ伸ばし、鈍い艶消し黒の巨砲――特注対物拳銃『黒曜零式』を無造作に引き抜いた。重厚なスライドが後退し、初弾が乾いた金属音を立てて薬室へ滑り込む。
唯の投擲による前肢の機動力奪取と、黒曜零式の徹甲魔力弾による頭蓋破壊。2人は左右へ分かれ、巨獣の突進角を外した遠距離の包囲陣形へと瞬時に移行した。
響は腰から引き抜いた黒曜零式の銃口を、豪雷牛の左肩口――分厚い筋肉のコブと生体放電器官が交差する急所へ据える。
引き金を一息に絞り込んだ。
ドーム内に鼓膜を叩く乾いた連射音が乱打され、銃口から青白い魔力光を帯びた徹甲弾が火炎のように噴き出す。
ズダダダダダダッ!
超高初速で射出された16発の弾丸が、1点に集中して肩の筋繊維へ食い込む。[剛体骨板]の硬質皮膚を強引に削孔し、内部の生肉を次々と破裂させて血煙を噴き上げさせた。蓄電器官を損傷した豪雷牛が激痛に啼泣し、青白いプラズマを暴発させながら大きく巨体をよろめかせる。
16発目を撃ち切ると同時に、スライドが後退位置で固定された。
響はマガジンチェンジを挟まない。即座に左手を銃身の受魔スロットへ密着させ、自身の体内魔力を直接バレルへと流し込む。物質弾の装填を省略した「完全純魔力励起射撃」への切り替えであった。
「逃がさん」
青白い魔導光が銃身を走り、撃鉄が再び高速で往復を始める。
実体弾のサイクル速度すら超越した超高速連射。生成された魔力杭が一条の光条となって豪雷牛の左肩、前肢の付け根、そして膝関節を網の目のように縫い留めた。
連続着弾の衝撃波が怪物の巨躯を壁際へと押し込み、前進を完全に封殺する拘束射撃が地下空洞を昼間のように照らし出す。
連続して叩き込まれた魔力弾の衝撃により、豪雷牛の肩口にある生体蓄電器官は完全に破砕された。角の間を走っていた青白いプラズマが不規則にスパークした直後、プツリと消え失せ、大気を焦がしていたオゾン臭が急速に薄れていく。
「今だ、やれ!」
響の鋭いハンドサインと同時に、唯が地を蹴った。
放電を失った巨獣の足元へ、唯の身体が低空を滑るように潜り込む。手にしたミスリル混じりの刃が銀の軌跡を描き、両前肢の腱――太い筋繊維の結節点を寸分の狂いもなく左右一閃で両断した。
ブツン、と鋼のワイヤーが弾け飛ぶような重い断裂音が響く。
前肢の支持力を完全に奪われた豪雷牛は、自重を支えきれずに前方の石床へと頭から激突した。ドォンと地下空洞を揺るがす地響きとともに、コンクリートと岩盤を深々と削り取りながら滑落し、頭蓋を床にめり込ませたまま前のめりの姿勢で微動だにしなくなる。
響は前のめりに沈んだ豪雷牛の分厚い背中へと、一息に跳び乗った。
腰から抜いた刃の切っ先を逆手に構え、盛り上がった肩甲骨の隙間――鼓動がかすかに伝わる心臓の直上へ、抵抗なくすっと滑り込ませる。刃は硬質な筋肉を音もなく両断し、心室の直前まで一筋の裂け目を切り開いた。
響は刀を即座に引き抜くと、開かれた傷口へ躊躇なく右腕を深々とねじり込む。
熱を帯びた生々しい肉の感触をかき分け、指先が巨大な塊を捉える。心臓の基部に強固に癒着した、硬質で規則的に拍動する中核器官。
「捕まえた」
掌全体でその輪郭を鷲掴みにし、[身体強化Lv.5]の膂力を込めて一気に引き抜いた。
ブチブチと肉と血管を強引に引きちぎる鈍い音が響き渡り、血煙とともに紫紺に輝く巨大な極上魔石が宙へと引きずり出される。怪物の命脈を司る核を物理的に奪われた豪雷牛の巨躯は、光の粒子へ分解される暇もなく、数トンの質量と生々しい弾力を保ったまま、確固たる肉塊として物質世界へ定着した。
響は引き抜いたばかりの魔核を左手に掲げ、そのまま空間ストレージの中へと放り込む。
足元に横たわるのは、体長7.5メートルにおよぶ青眼の豪雷牛の完全な肉塊。光の粒子となって霧散する気配は微塵もなく、体温の残る確固たる肉と血の臭いが、ドーム状の空間に濃厚に立ち込めていた。
「唯、解体に入るぞ。一番美味い部位からいく」
響は巨躯の背中から跳び下り、腰から取り出した解体用の大型ナイフの刃を肩ロースの付け根へと滑り込ませる。硬質な外皮を切り開くと、そこには鮮やかな赤身と、微細なサシが均一に入り込んだ極上の霜降り肉が露出した。生体電流の循環によって熟成された筋繊維は、刃が抵抗なく吸い込まれていくほどに柔らかい。
響は手際よく200グラムほどの厚みを持たせたブロックを2枚切り出し、ストレージから鋳鉄のスキレットと小型バーナーを実体化させた。
青い炎がスキレットの底を炙り、熱が均一に回ったところで分厚い肉塊を載せる。
ジュゥゥッ、と激しい音とともに、澄んだ牛脂が弾け飛んだ。放電器官由来のわずかなオゾン臭が脂の香ばしさと溶け合い、芳醇なバターのような甘い香気が一気に鼻腔を突く。両面に素早く焼き色をつけ、内部にレアの熱を通したところでバーナーの火を止めた。
「毒性反応はゼロだ。受け取れ」
響は手際よくナイフで二分し、一片を唯へと手渡すと、自身も即座に口へと運ぶ。
歯を立てた瞬間、噛み締める力を必要としないほど滑らかに肉が解け、濃厚な肉汁が舌全体へと溢れ出した。キメラの赤身が持っていた野性味とは異なり、こちらは洗練された脂の甘みと力強い旨味が凝縮されている。
「……響さん、身体が軽いです。思考の伝達速度が一段上がっています」
唯が自らの両手を見つめ、驚きを含んだ声で報告した。
響がステータスウィンドウを確認すると、【敏捷】+2となっている。
唯
HP:520
MP:140
筋力:78(初期76 + カルノタウルス1+アビス・ヘルベア・ロード 1)
耐久:73(初期68 + カルノタウルス2+パイソン1+アビス・ヘルベア・ロード 2)
敏捷:148(初期145 + キメラ1、パイソン2)※装備補正込み168
魔力:24(初期22 + キメラ2)
「ああ、こいつの放電特性がそのまま神経系へ還元されたな。当たり個体だ」
確かな数値の伸びを確認した響は、残りの肉片を一息に飲み干した。
足元に横たわるのは、体長7.5メートルにおよぶ青眼の豪雷牛の残骸――数トンの極上霜降り肉、超伝導特性を帯びた3本の角、そして対戦車装甲に匹敵する硬質骨板のすべて。響がその分厚い体躯へ右手を触れさせると、空間ストレージの漆黒の穴が足元から広がり、巨大な死骸を跡形もなく呑み込んでいく。
ドーム状の石床には、わずかな焦げ跡と血痕だけが残された。
「地上へ戻るぞ。司令部には『第6層の階層主を排除し、魔石を回収した』とだけ通達する」
◇
湿った冷気が立ち込める地下回廊を抜け、2人は麻浦の石油備蓄基地跡へと足を踏み入れた。
赤錆びた巨大な円形タンク群が立ち並ぶ谷あいは、外周を鉄条網とコンクリートブロックで幾重にも囲われ、重機関銃を据えた装輪装甲車が周囲を警戒する前進拠点へと変貌を遂げている。夜間の照明弾と探照灯が鈍く曇った空を裂き、絶え間なくヘリのローター音が低く響き渡っていた。
2人がゲートを通過すると、土嚢の陰に陣取っていた小銃手たちがわずかに身じろぎする。だが、響の胸元に揺れる識別タグと、迷宮のオゾン臭を微かに漂わせる2人の無傷の姿を視認するや、張り詰めた緊張を解いて敬礼で見送った。
堅牢な防空扉を抜けた先、旧地下コントロールセンターの内部は、通信機の電子音と作戦幕僚たちの怒号が飛び交う殺伐とした熱気に包まれている。
正面の大型スクリーンには漢江大迷宮の深度断面図が映し出され、第6層を示す領域は赤く明滅したままだ。
そのコンソールの一角、腕を組んで立体戦況図を睨みつけていた野戦服姿の巨躯――統合指揮官の康 泰成准将が、響と唯の足音に気づいてゆっくりと振り返った。
響はコンソールの前まで無駄のない足取りで進み出ると、険しい表情で戦況図を見つめる康准将の眼前で足を止める。
「第6層にいた階層主は討伐した。これで氾濫の予兆は消え、状況は一旦収束するはずだ」
静かだが確信に満ちたその一言に、オペレーションセンター内の喧騒が一瞬にして途切れた。端末を叩いていた幕僚たちが一斉に手を止め、驚愕の視線を向ける。
響は周囲の反応など気にも留めず、淡々と続けた。
「後の現場処理と部隊の再配置はお前に任せる。――それと、討伐の証明として一応これを見せておく」
響が右手を払うと、空間収納から取り出された2つの物体が金属机の上へ無造作に置かれた。
1つは、ドーム状の司令部を青紫に染め上げるほど高密度の魔力を放つ、ラグビーボール大の極上魔石。
そしてもう1つは、断面から微細な青白い電磁火花を散らし、周囲の電子機器の針を一瞬狂わせた、常温超伝導特性を持つ鋭利なねじれ角の先端部であった。
「……第6層の主か」
康准将は机上の角に視線を落とし、低く息を吐き出した。その無骨な指先が角に近づくだけで、大気中の電荷がチリチリと皮膚を刺激する。
響はその様子を冷徹な眼差しで見下ろしながら、抑揚のない声で一言付け足した。
「こいつは幸いなことに、階層主からドロップした角だ。死骸は魔核を抜いた瞬間に光となって霧散したが、これだけが床に残された」
「十分すぎる証明だ。第6層の封鎖警報は直ちに解除し、防衛ラインを再構築する。……お前たちの仕事と武功に、漢江防衛部隊を代表して感謝する」
響は机上の角から視線を切り、康准将へ冷徹な口調で告げる。
「次の階層主のリポップに備えて、奴の戦闘特性を頭に叩き込んでおけ。対策を今から構築しておくんだな」
響は指を1本ずつ立てながら、簡潔にその脅威を並べ立てた。
「1つ、[高圧帯電体]。直接の物理接触は即座に強烈な電撃ダメージと全身麻痺を招く。近接戦闘部隊を突っ込ませれば一瞬で全滅だ。2つ、[電磁突進]。時速80キロ超の突進に伴って指向性の電磁衝撃波を撒き散らす。障害物を利用した遮蔽は通用しない。3つ、[雷角連弾]。あの3本角から収束雷撃を間髪入れずに連射してくる。そして4つ、[剛体骨板]。生半可な銃弾や刃を減衰させる重装甲だ。遠距離から肩口の生体蓄電器官を徹甲弾で粉砕し、放電を封じない限り勝ち目はない」
准将の横に控えていた作戦参謀が、青ざめた顔でその詳細なデータを必死に端末へ記録していく。これだけの情報があれば、軍が次のリポップ時に立てるべき戦術と装備の選定は劇的に絞り込まれるはずだ。
「――これにて完了だ。手柄の報告も情報の提供も済んだ。帰りの輸送機の手配を頼む」
響はそれ以上の長居を嫌うように背を向け、唯に合図を送って出口へと歩き出した。
響は歩みを止めず、背中越しに軽く右手を挙げて言葉を投げる。
「報酬の方はリゾナンス本部に送金してくれ。詳しい送金先はこの葵から説明を受けるようにな」
背後に控えていた葵が、軍仕様の端末を取り出しながら康准将の前へ一歩進み出た。
「事前契約に基づいた特務探索の基本日額、日本円で30億円となります。送金プロトコルおよびリゾナンス本部指定口座の暗号化キーをこちらの回線へ転送しますので、受領の確認をお願いします」
葵が淀みのない手つきで端末を操作し、司令部の専用コンソールへ直接データを送信する。
康准将は手元のモニターに表示された認証コードを確認すると、低く頷いた。
「了解した。リゾナンス本部への送金手続きは最優先で処理させる。階層主の特性データと合わせれば、この程度の報酬は安いものだ。輸送機は麻浦の第2ヘリポートに待機させてある。羽田までの直行便として直ちに管制を通そう」
「助かる」
響は短く応じると、葵と唯を伴って防空扉の向こうへと姿を消した。
輸送機のカーゴルームに乗り込み、重いハッチが閉ざされた直後、響はシートに背を預けながら隣の葵に視線を向ける。
「良かったのか、30億もふんだくって」
呆れとも感心ともつかない響の問いかけに、葵は端末を胸ポケットへ収めながら、小さく苦笑いを浮かべた。
「黎明コンソーシアムの片岡取締役に、響さんが『30億なんざ日払いの頭金だ』と言い放った件がありますからね。日本支部の正規の請求実績として、本当に日当30億円で契約を成立させておかないと、真鍋3佐たちも対外的な辻褄を合わせられなくなりますよ」
「なるほどな。ハッタリを現実に変えて裏付けを作ったわけか。向こうにとっちゃ大隊ひとつ壊滅するより安い授業料だが、リゾナンスの財布を太らせる口実には十分すぎたわけだ」
「はい。康准将も納得済みの一日あたりの適正価格ですから」
葵はさらりと言ってのけると、シートベルトを固定し、窓の外に遠ざかるソウルの灯りへと静かに視線を向ける。
手元の端末画面を軽くタップしながら、葵はふと首を傾げて響の横顔を覗き込んだ。
「でも、どうして日本支部じゃなくて、アメリカの本部へ送金なんですか?」
「あ? だってうちは『支部』だろ。稼いだ金はまず本部に集めて、そこから各支部に配分するのが普通じゃねえの? 会社ってそういうもんだろ」
至極当然といった調子で鼻を鳴らす響に、葵は目を丸くしたあと、思わず吹き出した。
「ふふっ……あんなに常識外れなことばかりするのに、妙なところだけサラリーマンみたいな杓子定規なんですね、響さん」
「なんだよ。変なこと言ったか?」
「いえ、響さんらしくて安心しました」
葵はくすくすと笑いを漏らしながら、悪戯っぽく言葉を重ねる。
「てっきり、『日本支部の口座に直接30億なんざ放り込んだら、財務省の監査官だの税務署が嗅ぎつけてきて真鍋さんの胃に穴が開くからだ』……なんて、もっともらしい計算をしてるのかと思いましたよ」
葵が可笑しそうに目を細めると、響はぽかんと口を開けたあと、腑に落ちたように短く息を吐いた。
「……確かに。言われてみりゃその通りだな。結果オーライだわ」
響はニヤリと楽しげに口端を吊り上げ、両腕を頭の後ろで組むと、心地よさそうにシートの奥深くへと身を沈めた。




