21話:中盤「害虫駆除の生中継」
※21話後半は一部過激・残虐な暴力描写を含みます。苦手な方はご注意ください。
「話が決まったなら、善は急げだ。早速進めてくれ」
響はパイプ椅子の背もたれから上体を起こすと、無造作に右手を会議室の長机の上にかざした。
虚空がわずかに歪み、ストレージの展開口が開く。
ドサッ、ドサッ、ドサッ――!!
厚手のビニールでパッキングされた帯付きの一万円札の束が、雪崩のように机の上へと吐き出された。1束1,000万円のレンガが瞬く間に積み上がり、総額にして3億円に達する札束の山が築かれる。
それだけでは終わらない。
響が再び手首をひねると、今度はズシンと重い地響きとともに、鈍い黄金色の輝きを放つインゴットの塊が次々と机の上に叩きつけられた。
ドガァンッ!
重量に耐えかねた会議用のスチール机が、ギィッと悲鳴を上げる。
1個1キログラムの純金バーが20本、整然と机の端に並べられた。現在の混乱した相場でも、金塊だけで2億円以上の価値を叩き出す資産だ。
「響さん……!? こ、これ……!」
真鍋3佐は飛び起きるように立ち上がり、目を血走らせて目の前の金銀財宝と響の顔を交互に見比べた。横にいた御子柴渚も手帳を落としそうになりながら口元を押さえ、唯に至っては「また始まった……」と頭を抱えて天井を仰いでいる。
「事務所の改装費と当面の運転資金だ。自衛隊の予算を通すのに稟議だの監査だので何日も待たされるのは御免だからな。これで施設隊の連中に特別手当でも弾んで、最短で仕上げさせろ」
響は何でもないことのように言い放ち、山積みになった札束の1つを指先でトントンと叩いた。
「足りねえならまだあるぞ。あの時換金した金塊も札束も、ストレージにまだまだ山ほど転がってるからな。資材の買い付けや人件費には、現生と現物の金のほうが使いやすいだろ」
真鍋は額にびっしりと冷や汗を浮かべ、震える手で金の延べ棒の1本を恐る恐る持ち上げた。ずっしりと腕に沈み込む本物の純金の重み。国家予算を通すまでもなく、個人の懐から一瞬で5億円規模の即金がポンと叩きつけられたのだ。
「金の出処について、陸自や財務省の監査官に何か突っ込まれたら『リゾナンス本部からの初期活動資金の現物供与』とでも書類に書いておけ。あんたの得意な役人仕事の見せ所だ」
不敵に口端を吊り上げる響に、真鍋はゴクリと喉を鳴らし、机の上の札束の山を抱え込むようにして両手を広げた。
「……わかりました。これだけのキャッシュと金塊が即座に動かせるなら、話は別です。自衛隊の資材調達ルートだけでなく、民間の建築業者や解体屋に札束を積んで即日動員をかけます。基地施設隊の工兵部隊と民間突貫部隊を24時間体制の2交代でフル稼働させましょう」
真鍋は眼鏡を押し上げ、冷徹な軍管理職の鋭い眼光を取り戻した。
「解体、一般道側の開口と防弾ガラスの設置、裏口の専用電子ゲート新設、通信インフラと内装の整備――すべて含めて、実質2日。48時間でリゾナンス日本支部の看板を掲げられる状態に仕上げてみせます」
「48時間か。上出来だ」
響は満足げに頷くと、パイプ椅子から軽やかに立ち上がった。
「渚、真鍋と連携して必要な備品リストをまとめておけ。葵、部屋の荷物の整理が終わったら、事務所の応接スペースに置く家具のカタログでも見てろ。金に糸目はつけなくていい」
「は、はい! 承知しました!」
「わ、分かりました……!」
御子柴と葵がそれぞれ身を引き締めて返事をするのを見届け、響は背伸びをしながら会議室の出口へと歩を進めた。
「俺は貴賓室でひと風呂浴びて、葵がまとめてくれた羽毛布団で寝直す。完成したら起こしてくれ」
部屋を去っていく怪物の背中を見送りながら、真鍋は札束の山を前に深く息を吸い込み、すぐに机の暗号内線を取り上げた。入間基地の施設隊と調達課を揺るがす、怒涛の48時間突貫工事が幕を開けた。
◇
【電光石火の48時間と、外郭の牙城】
入間基地正門――通称「稲荷山門」の脇に佇む、鉄筋コンクリート造り3階建ての旧隊員宿舎。
その1階フロアを舞台に、空自の施設隊と民間工務店を巻き込んだ前代未聞の突貫工事が、凄まじい熱気とともに幕を開けた。
「おい、コンクリートカッター急げ! 西側の外壁、予定通り幅6メートルでぶち抜くぞ!」
「ガラ(廃材)の搬出は裏口から第2ダンプへ回せ! 基地内の通行証は3佐の特任印が出てる、検問で止めるな!」
響が叩きつけた現金3億円と純金インゴット20本(約2億円相当)という無尽蔵の即金力は、平時の官公庁なら何ヶ月も要する稟議と資材調達の壁を一瞬で消し去っていた。真鍋3佐が手配した民間解体業者の大型重機と、空自中部航空施設隊のトラックが絶え間なくピストン輸送を繰り返し、現場には24時間交代の投光器の光が白々と灯り続ける。
工事の現場監督として腕章を巻いた真鍋は、図面を片手に声を張り上げていた。
その横には、手帳を胸に抱えた御子柴渚がテキパキと資材の検品をこなしている。
「真鍋3佐、所沢の建材倉庫から押収枠で買い付けた防弾ポリカーボネート複合ガラス、6枚すべて搬入完了しました。7.62ミリ小銃弾および中級魔獣の突進衝撃に耐えうる特注仕様です」
「よし、正面の自動ドア枠と連動させて即座に固定させろ。外観は民間のオフィスに見せかけつつ、強度はトーチカ並みに引き上げるぞ」
正門警備所の歩哨たちが見守る中、わずか24時間で旧宿舎の1階は骨組みだけを残して完全にスケルトン化された。
畳や押入れ、無機質な鉄パイプベッドはすべて撤去され、床一面に防炎・防汚仕様の重歩行用カーペットが敷き詰められていく。
迎えた工事2日目。
作業は内装の仕上げと、この建物の命綱となる「防衛連動システム」の構築へと移った。
正面の一般道側には、街の買取業者やメガクランの使者が気兼ねなく出入りできるよう、開放的なガラス張りの正面エントランスが完成した。頭上にはシンプルながら重厚な真鍮のプレートが掲げられる。
『リゾナンス日本支部(Resonance Japan Branch)』
だが、その開放的な表構えとは裏腹に、内部には強固な軍事機能が隙間なく組み込まれていた。
奥の壁には、入間基地の防衛中枢と直通する暗号通信機と非常用警報ホットラインが埋め込まれ、建物の裏手フェンスには基地内部へと直結する厚さ80ミリの防弾電子ロックゲートが新設された。
「渚、医療スペースの配置はどうなってる」
現場へ様子を見に来た桐生1尉が声をかける。
「フロアの東側、裏口ゲートのすぐ脇に救護区画を確保しました」
御子柴は白衣の袖をまくり、運び込まれた医療用酸素ボンベやストレッチャーを指差した。
「響さんが深層から重傷者を連れ帰った際、基地の病院へ搬送する前の初期トリアージをここで行います。医薬品の備蓄庫も暗証番号式の耐火金庫に収めました」
「上出来だ。風間と篠原には、正面エントランス前の駐車スペースと荷揚げスロープの警備動線を固めさせてある。トラック2台が横付けされても、正門警備所の重機関銃の死角にはならん」
その頃、フロア中央の応接スペースでは、佐伯葵が家具の配置に汗を流していた。
「葵ちゃん、そのソファめっちゃフカフカじゃないですかぁ! どこで調達してきたんですか!?」
作業着姿の唯が目を輝かせて駆け寄ってくる。
葵は額の汗を拭い、嬉しそうに微笑んだ。
「入間の家具センターの倉庫に残ってた、本革の応接セットを真鍋さんが買い取ってくれたんです。響さんが戻られた時に、少しでもゆっくりくつろげるようにって思って」
「さすが葵ちゃん! 響さん、硬いパイプ椅子だとすぐ不機嫌になりますもんねぇ……」
そして、工事開始からちょうど48時間が経過した日の夕暮れ。
埃ひとつなく磨き上げられたガラスドアを押し開け、作業着を脱いだ真鍋3佐が、本庁舎の貴賓室で熟睡していた響を伴って現れた。
「――響さん。約束の48時間です。リゾナンス日本支部、施工完了しました」
響は黒いライダースジャケットのポケットに両手を突っ込み、見違えるように生まれ変わったフロアをゆっくりと見渡した。
正面から差し込む夕日が、落ち着いた色調のカーペットと黒革のソファを照らしている。
受付カウンター、御子柴の整然とした執務デスク、奥に控える頑丈な裏口ゲート、そして棚に並べられた通信端末。どこからどう見ても、洗練された先進的な民間メガクランのフロントオフィスそのものだった。
「……へえ。2日でここまで化けるもんかね。大したもんだ」
響が呟くと、奥から葵がお茶を淹れて駆け寄ってきた。
「響さん、お疲れ様です! お部屋、気に入っていただけましたか?」
「ああ、上出来だ。これなら基地の埃っぽさもねえし、文句のつけようがねえな」
響はソファの弾力を確かめるようにドカリと腰を下ろすと、真鍋を見上げて不敵に笑った。
「で、真鍋さん。看板は立ったが……早速、外のハエどもが嗅ぎつけてきてるんじゃねえのか?」
真鍋は苦笑混じりに眼鏡を押し上げ、手元のタブレットをタップした。
「ええ、その通りです。朝霞の検問を抜けた謎のFランクライダー、そして新座の救出劇……さらにこの稲荷山門脇での大改装工事です。国内メガクランの耳に入らないはずがありません」
真鍋の視線の先、ガラス張りのエントランス越しに見える一般道の向こう側に、数台の黒塗り高級サルーンが静かに停車するのが見えた。
「第一陣のお出ましです。『黎明コンソーシアム』の渉外担当役員が、挨拶と称して面会を求めてきていますよ」
◇
完成したばかりの事務所フロアには、リゾナンス日本支部の全メンバーが配置についていた。
執務デスクには手帳と端末を前に背筋を伸ばす御子柴渚。救護スペースの脇には腕組みをして鋭い視線を正面へ配る桐生1尉、そしてエントランス内側の動線を固める風間と篠原。応接スペースの端には、緊張した面持ちでお茶の準備を整える佐伯葵と、物珍しそうに事務所内を見回しつつも警戒を解かない唯が控えている。
正面のガラスドアが電子音とともにスライドし、数名の男たちが足を踏み入れてきた。
仕立ての良いスリーピーススーツに身を包んだ白髪交じりの男――黎明コンソーシアム渉外担当取締役の片岡。その後ろには、アタッシュケースを抱えた秘書と、明らかに高ランクの覚醒者特有の重い気配を漂わせる屈強な護衛が2名従っている。
「これは手入れの行き届いた、素晴らしい拠点をお構えになられた。突然の訪問をご容赦願いたい。黎明コンソーシアムで渉外統括を務めております、片岡と申します」
片岡は胸元から金属光沢のある名刺を取り出し、慇懃な笑みを浮かべて一礼した。
その視線は、エントランスを入ってすぐの応接ソファで深々と背もたれに体重を預けている響へと、値踏みするように向けられた。
黒いライダースジャケットを羽織り、足を組んで無言のまま冷めた視線を向けてくる黒髪の女性。
朝霞の検問を単独で突破し、都内の深層を蹂躙したとされる正体不明のFランク覚醒者。
片岡が響へ直接歩み寄ろうとしたその瞬間、スッと間に入り込み、名刺の受け取りを遮るように手を差し出したのは真鍋3佐だった。
「ご丁寧な挨拶、恐れ入ります。リゾナンス日本支部、渉外責任者を務めております真鍋です。当拠点の対外折衝、契約管理、ならびに業務統括はすべて私が一任されております。どうぞ、こちらへ」
真鍋は隙のない冷徹なビジネススマイルを浮かべ、片岡の視線を遮断するように応接スペースの対面席へと促した。
片岡は一瞬だけ眉を微かに動かしたが、すぐに人当たりの良い笑みに戻してソファへ腰を下ろした。
対面に真鍋が座り、響はその斜め奥の1人掛けソファに腰掛けたままだ。事前に申し合わせていた通り、響は一切口を開かず、葵が運んできた緑茶の湯呑みを無造作に手に取ると、つまらなそうに一口すすって窓の外へと視線を投げた。
「……なるほど。防衛省の方自らが責任者として立たれるとは、リゾナンス日本支部の格調の高さが窺えますな」
片岡は秘書に目配せし、テーブルの上に薄型のアタッシュケースを開かせた。中には、厳封された数通の契約書と、金色のホログラムが光る最上位パートナーシップの提携状が収められている。
「単刀直入に申し上げましょう。我が黎明コンソーシアムは、貴支部――とりわけ、そこにいらっしゃる安藤響殿の類稀なる戦力を高く評価しております。つきましては、民間覚醒者の健全な発展と資源循環を目的とした『戦略的包括提携』を結びたく馳せ参じました」
片岡は書類を真鍋の前へ滑らせ、淀みない口調で条件を並べ立てた。
「提携金として初年度30億円の活動支援金を即日供与。さらに、響殿が深層より持ち帰られる特級魔石および希少素材については、防衛省の買い叩き相場を2割上回る価格での全量独占買取を保証いたします。生活環境においても、都内湾岸部の最高級タワーマンション1棟のフロア権利と、専属の防護車両を無償貸与。響殿には、我が社が指定する特定の難関侵食孔への技術顧問――実質的な深層攻略支援を優先的に回していただくだけで結構です」
札束と特権で相手を絡め取る、企業系メガクランの常套手段。
背後で控えていた唯が「さ、さんじゅうおく……!?」と息を呑みかけ、御子柴が小さくペンを止めた。桐生たちの眉がピクリと動く。
だが、提示された破格の条件に対し、斜め奥に座る響は欠伸を噛み殺すように首を傾げただけで、ピクリとも表情を変えなかった。完全に蚊帳の外の出来事として、湯呑みの茶渋を眺めている。
真鍋は書類に視線を落とし、眼鏡のブリッジを人差し指で押し上げた。
「……大変魅力的なご提案ですね、片岡取締役。民間企業ならではの迅速な資金力、感服いたします」
真鍋の声は静かだったが、その奥には自衛隊の防衛中枢を担ってきた冷徹な計算が宿っていた。
書類の束を指先でトントンと整えると、真鍋はそれをそのまま片岡の側へと押し戻した。
「ですが、お断りいたします」
片岡の目がわずかに細められた。後ろの護衛たちが微かに重心を沈める。
「ほう……? 30億という額がご不満ですかな? 必要であれば、本社の取締役会を通して増額の余地も――」
「金額の問題ではありません」
真鍋は両手を机の上で組み、背筋を伸ばして片岡の瞳を正面から射抜いた。
「第1に、当支部が獲得する深層魔石および戦略級資材の処分権は、国家防衛基本法および事態対処特務規定に基づき、防衛省および当拠点の裁量下にあります。特定の民間資本による独占的な買い占めや囲い込みは、市場の健全性を損なう独占行為と見なされ、承認いたしかねます」
真鍋は淀みなく淡々と、しかし決定的な釘を刺すように言葉を続けた。
「第2に、響殿の戦闘行動における優先順位の決定権は、現場の判断と当支部の独立管轄にあります。一企業のプラント防衛や営利目的のダンジョン開拓のために、戦略資産たる響殿を都合の良い下請けとして動員させる意図であれば、それは筋違いというものです」
片岡の貼り付いたような笑みが、徐々に冷ややかなものへと硬化していく。
「真鍋3佐……とお呼びすべきですかね。自衛隊の看板を盾に取られるのは結構だが、今の日本で実際に物資と人員を回しているのは我々民間資本ですよ。補給ルートも資材調達も、コンソーシアムの協力を得られなければ、この基地の周辺とて立ち行かなくなる。貴方がたのような軍人が、民間の経済活動を過小評価されるのは得策ではありませんよ」
暗に兵站の兵糧攻めを匂わせる脅迫めいた言葉。
その瞬間、フロアの空気がわずかに張り詰めた。桐生と風間の手が自然と腰の装備へと伸びかける。
護衛の覚醒者2名が重心を落とし、ピリついた魔力の火花が応接スペースの空気を焦がしかけた――その時だった。
◇
「――まあ、そう堅いこと言うなって、真鍋さん」
フロアの静寂を破ったのは、それまで湯呑みを弄んでいた響の、拍子抜けするほど呑気な声だった。
響は深く腰掛けていた黒革のソファから上体を起こすと、テーブルの上に片肘をつき、片岡取締役へ向けてニヤリと口端を吊り上げた。
真鍋が「響さん……!?」と目を丸くして制止の視線を送るが、響はひらひらと片手を振ってそれを受け流す。
「せっかくこの人がさ、ほら、30億をポンと1日分の頭金として出してくれるって言ってんだからよ」
「……は?」
片岡の眉が不審そうに跳ね上がった。後ろに控える秘書も、何を聞かされたのか理解できずに口を半開きにしている。
「あ、あの……響殿? 30億というのは初年度の、年間の包括提携金として――」
「1日分だろ?」
響は片岡の訂正をあっさりと踏み潰し、底知れない漆黒の瞳をスッと細めた。
「あんたの後ろにいるメガバンクだか何だか知らねえが、旧社会の金庫に溜め込んだ紙屑を金科玉条みたいに抱え込んで、随分と気前がいいじゃねえか。30億なんざ日払いの頭金だ。毎日それだけ耳を揃えて運んでくるなら、その腐った金庫が底を突くまで、徹底的に吸い上げて枯渇させてやってもいいぜ」
響の口元に浮かんだのは、冷酷なまでに現実的な捕食者の笑みだった。
ハッタリではない。日本のメガバンクの総資産など、この怪物が本気で魔石の相場を握り、米国の巨大資本と連動して暴れ回れば、数ヶ月でキャッシュを干上がらせて破綻に追い込めるだけの力関係がすでに成立しているのだ。
片岡は喉を詰まらせ、額にじっとりと脂汗を浮かべた。だが、響の容赦のない追撃は止まらない。
「――ただし、だ。あんたたち黎明が、米国のペンタゴンを敵に回しても構わねえって言うなら、その話に乗ってやってもいいよ」
「……なっ!?」
片岡の顔から、完全に血の気が引いた。
「ペ、ペンタゴン……だと……!?」
「当たり前だろ。俺は向こうの国防総省とホワイトハウスの頼みでニューヨークの深層まで片付けてきたばかりなんだよ。連邦準備制度(FRB)と直結の天文学的な特務報酬を取りまとめてる最中に、日本のメガバンクが横からしゃしゃり出て俺を専属で囲い込む? 結構な度胸じゃねえか。自衛隊の兵站を締め上げるのは勝手だがよ……合衆国軍の取り分を横取りしたと知れたら、ペンタゴンがどう動くかね。あんたたちのバックにいる銀行や商社の海外資産が、ホワイトハウスのサインひとつでどう料理されるか……想像してみたらどうだ?」
「っ……!!」
片岡は息を呑み、椅子から転がり落ちそうになるのを必死に堪えて両手をテーブルに突いた。
額から大粒の汗がボロボロと零れ落ち、上等なスリーピーススーツの膝を濡らしていく。
目の前の怪物は、単なる「腕力の強い覚醒者」などではない。旧社会の金融システムそのものを踏み潰し、超大国の軍事力すら背負って立つ、国家規模の暴風雨そのものだった。
「どうする? 銀行の金庫が空っぽになるまで毎日30億を注ぎ込むか? それともペンタゴンと経済制裁の殴り合いを始めるか? あんたが決めていいぜ、片岡さん」
響が冷徹な視線で値踏みするように見据えると、片岡の護衛の覚醒者たちは完全に戦意を喪失し、震える膝を押さえて床へと視線を落とした。
真鍋は眼鏡の奥の目を鋭く光らせ、絶好のタイミングで冷徹にトドメを刺した。
「……というわけです、片岡取締役。当支部を単なる国内の民間戦力と侮っていただいては困ります。先ほど私から提示した『対等な相互支援協定』――この条件が、貴社にとっていかに温情に満ちた現実的な落としどころか、ご理解いただけましたでしょうか」
片岡は震える手でハンカチを取り出し、顔中の汗を拭った。もはや先ほどの慇懃無礼なエリートの仮面は完全に剥がれ落ちていた。
「……しょ、承知いたしました。響殿の規格外の重み、そして貴支部の立ち位置……痛いほど理解させられました。先ほどのご無礼、平にお許し願いたい」
片岡は深く頭を下げると、秘書に命じてアタッシュケースを慌ただしく閉じさせた。
「真鍋3佐……ご提示いただいた相互支援の枠組み、我がコンソーシアムとして全面協力の方向で本部に持ち帰らせていただきます。物資の優先供給ラインについても、最優先で手配させましょう」
「ええ、前向きなお返事を期待しておりますよ。――葵さん、お見送りを」
「は、はい! こちらへどうぞ……!」
葵の案内で、片岡たちは逃げ出すような足取りで事務所を飛び出し、黒塗りのサルーンへと転がり込むようにして去っていった。
◇
黎明の黒塗りサルーンが走り去った直後、遠くの県道から下品な爆音が複数重なって響いてきた。
改造バイクの直管マフラーの排気音と、鉄パイプで装甲を施したピックアップトラックが2台、砂煙を上げて「リゾナンス日本支部」の正面エントランス前の舗装路へと乱暴に乗り付けてくる。
荷台から飛び降りてきたのは、チェーンやコンクリートハンマー、違法改造の散弾銃を手にした10数名のアウトローたち――メガクラン「アヴァロン」の末端を騙る荒くれ者の私兵集団だった。
「おいおいおい! 黎明の腰抜け共が逃げ出したって聞いて来てみりゃ、看板掲げたばっかの女所帯じゃねえか!」
「アメリカ帰りのFランクだか何だか知らねえが、基地の正門前で商売するなら、俺たちに上納金と女を差し出すのが筋ってもんだろうがよ!」
強化ガラスの正面ドアに向かって下卑た嘲笑を投げかけ、トラックのバンパーを金属バットでガンガンと叩き鳴らす。
事務所内では、真鍋3佐が苦い顔で内線の受話器を取りかけた。
「……アヴァロン傘下の野良クラン崩れですね。正門警備小隊へ連絡して重機関銃で掃討させます」
だが、ソファの背もたれに体を預けていた響が、片手をひらりと振ってそれを制した。
「待てよ真鍋さん。基地の正規部隊を動かしたら『民間クラン同士の縄張り争いに軍が出張った』って外聞が悪くなるだろ」
響は湯呑みをソーサーへ置くと、フロアの隅で直立していた迷彩服の3名――桐生、風間、篠原へと視線を向けた。
「おい、お前ら。十条で俺に拾われてから、身体の鈍りは取れたか?」
桐生1尉が不敵に口端を吊り上げ、引き締まった拳をパチンと鳴らした。
「十全です、響さん。自衛隊の看板を外した実力行使なら、我々の本職ですよ」
「風間、篠原。行くぞ」
「了解!」
桐生を先頭に、風間と篠原の2名が一切の躊躇なく正面のガラスドアを開け放ち、外の舗装路へと踏み出した。唯は腰のマチェットの柄に手をかけたまま、エントランスの敷居の直前で低く腰を落とし、万が一の銃撃や魔術の余波を跳ね返すための迎撃体勢をとる。
「ああん? なんだてめえら、自衛隊の落ちこぼれが3人でお出迎えかよ!」
先頭のモヒカンの男が鉄パイプを振り上げ、桐生の頭上へ向けて力任せに振り下ろした。
だが、桐生の足裁きは軍用の近接格闘術(CQC)そのものだった。
半身を引いてパイプの軌道をわずか数センチメートルでかわすと、踏み込みざまに右掌底を男の顎下へ下から垂直に突き上げる。
ドゴォッ!
「がはっ……!?」
顎骨を砕かれた男が白目を剥いて真上へ吹き飛ぶ。落ちてくる途中で桐生は男の手首を掴み、背負い投げの要領でアスファルトへと叩きつけた。
「前衛、間合いを詰めるぞ! 散開!」
桐生の鋭い号令とともに、風間と篠原が左右へ弾丸のように跳躍した。
十条の死線を潜り抜け、響の戦い方を間近で見てきた元精鋭部隊の覚醒者たちだ。そこらの路地裏でイキがっているだけのゴロツキとは、初動の速度も練度も桁が違っていた。
風間は散弾銃を構えようとした男の懐へ一瞬で滑り込み、銃身を左手で跳ね上げると同時に、右膝を男の鳩尾へとめり込ませた。
メキョッ、と鈍い音が響き、男が胃液をぶちまけて崩れ落ちる。
篠原は背後から襲いかかってきたチェーン持ちの腕を絡め取り、関節を逆方向へへし折りながら地面へねじ伏せ、後頭部を軍靴で容赦なく踏み砕いて即座に意識を刈り取った。
「ひ、怯むな! 蜂の巣に――」
ピックアップトラックの荷台から短機関銃を構えた残党が引き金を引こうとした刹那、エントランス前でサポートに徹していた唯の身体が閃光のようにブレた。
「させるかぁっ!」
唯は踏み込みの衝撃波でアスファルトを陥没させながらトラックの側面に肉薄すると、大型マチェットの腹を荷台の鉄板へ向けて強烈に叩き込んだ。
バゴォォォンッ!!
魔力を乗せた一撃がトラックのフレームごと車体をへし曲げ、荷台に乗っていた男たちがまとめて空中へと放り出される。落下してきたところを、待ち構えていた桐生と風間が左右から的確にみぞおちを蹴り抜き、完全に沈黙させた。
戦闘開始からわずか40秒。
10数名の荒くれ者たちは、誰一人として立ち上がることすらできず、エントランス前の路面の上に折り重なって呻き声を上げていた。
桐生は乱れた呼吸一つ乱さず、転がっているリーダー格の襟首を掴んで引きずり起こすと、事務所のエントランスへ向けて無造作に放り投げた。
「響さん、制圧完了しました」
ガラスドアの奥から、響がゆっくりと歩み出てきた。
倒れ伏した男たちの間を平然と踏み越え、地面に転がって恐怖に震えるリーダーの前に立つ。
「ひ、ヒィィッ……! お、俺たちはアヴァロンの……所沢を仕切ってる本部の息がかかってんだぞ! てめえらタダで済むと――」
響は無言のまま、男の右足の膝の上にスッと黒いブーツの爪先を置いた。
そして、体重をわずかにかける。
ゴキリッ。
「ぎゃあああぁぁぁっ!?」
関節が嫌な音を立てて軋み、男が絶叫する。響は冷淡な瞳で見下ろしたまま、ボソリと呟いた。
「アヴァロンの所沢本部ねえ」
響は足をどけると、振り返って事務所の奥にいる真鍋と御子柴を見た。
「おい渚。所沢にあるアヴァロンの拠点の住所、すぐに出せるか」
御子柴は端末を即座に叩き、淀みなく答えた。
「はい。国道463号線沿い、旧パチンコ店を不法占拠して要塞化している『アヴァロン所沢支部』です。構成員はおよそ60名、武器や魔石の密売拠点になっています」
「上出来だ」
響は肩を軽く回すと、第2整備格納庫の方を親指で指した。
「このままゴキブリどもを放置しとくわけにもいかねえからな。基地の前にまた湧いてこられても鬱陶しいし……ちょっと害虫駆除でも行ってくるわ」
「ひ、響さん、単独で乗り込む気ですか!?」
唯が目を丸くして叫ぶのを背中に受け流し、響は不敵に口端を吊り上げた。
「Ninja 650なら所沢まで10分もかからねえよ。桐生、そこの転がってるゴミは基地の裏口から警務隊にでも引き渡しておけ。――掃除の手間が1回増えただけだ」
黒いライダースジャケットのファスナーを首元まで引き上げ、響は愛車の待つ格納庫へと迷いなく歩き出した。




