21話:前半「害虫駆除の生中継」
川越街道の直線を、マットブラックのNinja 650が猛烈な勢いで切り裂いていく。
フルフェイスのヘルメットの縁、襟足の隙間からこぼれ落ちた漆黒の長い髪が、時速100キロメートルを超える強烈な風圧を受けて鋭く後方へとなびいていた。
タイトなライダースジャケットとブラックジーンズに包まれた身体は、無駄な肉の一切を削ぎ落とした研ぎ澄まされた刃物のように細く、しなやかな曲線を誇示している。低く伏せられた細身のシルエットは、荒々しい鉄馬と完全に一体化していた。
並列2気筒のエンジンが限界近い高回転域で甲高く咆哮し、アスファルトの振動がシートを通じて全身へと伝わる。
秋の冷たく澄んだ陽光が、風を裂くフロントカウルのエッジを鋭くなぞり、漆黒の塗装の上に眩い一筋の白光を走らせた。光の反射を尾を引くように残しながら、影のような黒い車体は瞬く間に視界の彼方へと吸い込まれていく。
川越街道の上り車線、路肩に放置された事故車両の隙間から、腐乱した数体のゾンビがよろめきながら車道へと這い出てきた。
時速80キロメートルで直進するNinja 650の進路上、その距離およそ30メートル。
響は右手でスロットルを一定に保ったまま、左手を無造作にポケットへ滑り込ませた。
アイテムボックスの片隅から引き出されたのは、銀色に光る数粒の鋼鉄球――何の変哲もない、ただのパチンコ玉だ。
左手の親指の腹に乗せ、人差し指でテンションをかける。
身体強化は最低限。だが、響の生身の筋力をもって弾かれる鋼球には、小銃弾を遥かに超える初速が与えられる。
パチン――。
鋭い爪弾きの音が響いた瞬間、空気が甲高く爆ぜた。
不可視の弾丸と化したパチンコ玉が、先頭のゾンビの眉間を正確に貫通した。
衝撃波で頭蓋がスイカのように破裂し、中身を撒き散らしながら巨体が後方へと吹き飛ぶ。
パチン、パチン――!
間髪を入れず、指先がリズミカルに鋼球を弾き出す。
バイクのステップに身を預け、車体を微塵もブレさせることなく放たれた弾丸は、路上を塞ぎかけていた残りの2体の側頭部を綺麗に抉り抜いた。
ドサリと崩れ落ちる肉塊。
飛び散った腐肉や血飛沫がアスファルトに落ちるよりも早く、Ninja 650はその横を風のように駆け抜けた。
響は空になった左手でクラッチレバーを握り直し、ギアを1段上げて一気に加速した。排気音が甲高く響き渡り、背後には頭部を失った亡骸だけが転がっていた。
だが、ポケットへいちいち手を入れて手探りで掴み出す動作は、時速80キロメートルで疾走するバイクの上ではどうにもまどろっこしく、無駄が多かった。
「……チッ、いちいちポケットまさぐるのもテンポ悪いな」
ヘルメットの中で小さく息を吐き捨てた響は、もうちょっと効率よく片付けられないものかと頭を巡らせた。
ポケットという物理的なクッションを挟むから手元がもたつくのだ。
要は、発射する指先のポジションへ直接、必要な弾丸を呼び出せばいい。
響は左手をハンドルから離し、掌を上に向けて親指と中指で軽く輪を作った。
意識をアイテムストレージの奥、山積みにされた銀色の鋼球へと直結させる。
カチッ。
空間が微かに歪んだかと思うと、指先の爪の付け根へ、ストレージから引き出された1粒のパチンコ玉が吸い付くように直接出現した。
「よし、これだ」
パンッ――!
乾いた破裂音とともに指先が鋼球を弾き出す。
前方の交差点からふらりと車道へ踏み出してきた作業着姿のゾンビの頭部が、小銃弾のような速度で射出された銀球を眉間に受けて破裂した。
弾き放ったその指先が元の位置へ戻るコンマ数秒の間に、ストレージから次のパチンコ玉が転がり出るように装填される。
パンッ――!
パンッ――!
パンッ――!
出現、爪弾き、射出。
極小のタイムラグすら存在しない超高速のローテーションが完成した。
ガトリングガンじみた回転速度で左手の指先から放たれる鋼球の連射は、車道の左右に屯していた5、6体のゾンビの頭骨を次々と粉砕していく。
頭部を吹き飛ばされた死体が路上へ倒れ込むのと、Ninja 650のフロントタイヤがその横を駆け抜けていくのはほぼ同時だった。
「おお、こりゃ楽だ。リロードの手間すらねえわ」
指先に次々と出現しては弾き飛ばされていくパチンコ玉の心地よい反動を楽しみながら、響はスロットルをさらに深く捻り込み、ゾンビがまばらに徘徊する川越街道を単身の移動砲台と化して疾走していった。
◇
環状7号線を経由して再び国道254号線――川越街道へと合流した。
往路で路面の障害物や放置車両の位置を把握していたため、スロットルを開ける手応えも一段と軽い。並列2気筒の乾いた咆哮を響かせながら、マットブラックの車体は朝霞の市街地を抜け、新座方面へと時速90キロメートル巡航で駆け抜けていく。
新座市域に入り、武蔵野線を跨ぐ陸橋の緩やかなカーブへ差し掛かった時だった。
前方の路上に、真っ赤な発煙筒の煙が立ち上っているのが見えた。
タタタンッ、タタンッ――!
乾いた小銃の連射音と、怒号が陸橋のコンクリートに反響している。
路肩には、避難民の輸送中だった自衛隊の1 1/2tトラックと、護衛の高機動車がハザードを点滅させて立ち往生していた。トラックの右前輪は無残に引き裂かれ、ホイールをアスファルトに落として傾いている。
その車列を取り囲んでいたのは、十数羽の巨大な変異鳥――魔化カラスの群れだった。
体長1メートルを超える黒い怪鳥どもが、トラックの幌を鉤爪で引き裂こうと空中から急降下を繰り返している。荷台の隙間からは怯える民間人の悲鳴が漏れ、地面に伏せた隊員たちが89式小銃を空へ向けて必死に撃ち上げていたが、不規則に飛び回る標的に銃弾は掠るばかりで、決定打を欠いていた。
「弾幕を薄くするな! 荷台に取り付かせるなッ!」
「くそっ、動きが速すぎる……! 前輪の交換が間に合わねえ!」
絶叫が響く修羅場へ向けて、響は減速するどころか、スロットルをさらに一段捻り込んだ。
(……走るついでに片付けとくか)
左手をクラッチから離し、掌を上に向けて指先を構える。
思考をストレージの山積みされたパチンコ玉へと直結させた。
カチッ。
親指と中指の爪の付け根に、最初の鋼球が瞬時に実体化する。
パンッ――!
時速100キロメートルを超えるNinjaの突進速度に、響の超人的な爪弾きのスナップが上乗せされた。
不可視の速度で射出された銀球が、トラックの幌へ爪を立てようとしていた先頭のカラスの頭骨を粉砕した。
バシュッ!!
肉片と黒い羽毛が四散し、絶命した巨体が荷台から転がり落ちる。
その反動が指先に残るコンマ数秒の隙間に、ストレージから次の弾丸が転がり出た。
パンッ――!
パンッ――!
パンッ――!
出現、爪弾き、射出。
ガトリングガンのごとき超高速サイクルが炸裂する。
響の左手から放たれる鋼球の連射は、空中で急旋回していた変異鳥の胸郭を貫き、低空を滑空していた個体の頭部を吹き飛ばし、トラックの屋根に止まっていた怪鳥の胴体を真っ二つにへし折った。
空を覆っていた黒い群れが、瞬く間に血煙の飛沫へと変わり、ボタボタと路上へ降り注ぐ。
「な……ッ!?」
引き金を引いていた隊員が、目を見開いて呆然と固まった。
轟音とともに視界を横切ったのは、低く伏せた漆黒のフルフェイスと、カウルに眩い光を走らせた1台の大型バイク。
すれ違いざま、搭乗者の左手がチラチラと小さく動いたかと思った瞬間、自分たちを追い詰めていた十数羽の怪鳥が、頭部を弾けさせて全滅していた。
「おい……今の一体何だ……!? 覚醒者か……!?」
「だ、誰だ……!?」
呆気にとられた隊員たちの制止や感謝の叫びなど耳に入らないかのように、響はクラッチを握り直し、ギアをトップへ叩き込んだ。
「ん? ……魔力を込めても手から離れた瞬間、ただの物理力になるからか。なんか思ったほど火力が出ねえな」
新技の実戦テストの良好な手応えをヘルメットの中で呟くと、Ninja 650は路上の羽毛と血飛沫を一瞬で置き去りにし、所沢・入間基地へと続く直線を矢のように飛び去っていった。
◇
志村坂上警戒区域での不可解な魔獣殲滅と、川越街道・新座陸橋における避難輸送車列の電撃的な救出劇。
この2つの事案は、当事者である前線部隊から即座に「緊急戦闘詳報」として上位司令部へ具申され、入間基地の統合司令部および防衛省情報本部を大きく揺るがすこととなった。
練馬駐屯地・第1師団司令部。
作戦会議室の大型スクリーンには、板橋・志村坂上ゲートの通過ログ、そして新座陸橋で回収された車載カメラの鮮明な映像が映し出されていた。
腕を組み、険しい表情でモニターを見据えるのは、東京・埼玉の地上警備を一手に担う第1師団長だった。その傍らで、情報科の分析官が手元のタブレットを操作しながら冷や汗混じりに報告を続ける。
「――志村坂上地下ダンジョン第1層、進入記録は単独1名。名義は本日、朝霞の特設検問で暫定登録から本登録へ切り替えられたばかりのFランク覚醒者、安藤響。所要時間はわずか4分20秒。現場で防戦中だった第32普通科連隊の先遣小隊と民間Cランククランの証言によれば、詠唱も予備動作もなく、ただ裏拳を振るっただけで大型の変異蜂とゴブリンの頭骨を粉砕したとのことです」
「……裏拳だと? 一撃でCランク相当の変異個体を肉塊に変えるFランクがどこにいる」
師団長の低く押し殺した声に、分析官は唾を呑み込んで画面を切り替えた。
「さらにその約30分後、国道254号線・新座市陸橋上。避難民輸送中だった我が師団のトラックが魔化カラス十数羽の急襲を受け、前輪バーストにより孤立。全滅寸前のところへ、漆黒のNinja 650カスタムが突入しました」
再生された車載映像には、時速100キロメートル超で疾走するバイクが映っていた。
搭乗者の左手がかすかに動いた瞬間、空中の怪鳥どもが次々と頭部を弾けさせ、一瞬にして全滅する光景がコマ送りで展開される。
「怪鳥の体内から回収されたのは、直径11ミリの鋼鉄球――何の変哲もない市販のパチンコ玉です。それが対物ライフル並みの初速と貫通力で全弾急所に直撃していました。バイクはそのまま名乗りもせず、所沢方面へと走り去っています」
「車両の登録データは」
「照合完了しています。朝霞の検問を通過したFランク覚醒者・安藤響の車両です。……そして、現時点で彼女の身元引受先となっているのは、航空自衛隊の入間基地です」
分析官の言葉に、作戦会議室の幕僚たちからざわめきが漏れた。
「空自だと……?」
「はい。渋谷のダンジョン受付で現住所を入間基地と登録し、現在は入間基地内の貴賓室に滞在。空自の真鍋3佐が専属で担当し、厳重に囲い込んでいる模様です。我が陸自の朝霞駐屯地では、油圧握力計を68キロで流し、Cランク下位の数値に偽装してFランク証をせしめていきました」
師団長は深いため息とともに眉間を指先で強く押さえた。
「……空自の連中は、とんでもない怪物を懐に抱え込んでいるな。手足をもがれた我が方の部隊が手玉に取られた魔獣を、散歩のついでにパチンコ玉で掃除して走り去る女だぞ。S級指定迷宮の深層を単独踏破できる『戦略級戦力』を、Fランクの身分証一枚で野放しにしている計算だ」
軍の上層部が密かに警戒度を引き上げる一方、前線の隊員や民間クランの間では、すでに尾ひれのついた噂が瞬く間に広がり始めていた。
『志村坂上のダンジョンを4分で掃除して帰った、小柄な黒髪のバケモノがいる』
『川越街道で立ち往生した輸送隊を、パチンコ玉を素手で連射して瞬殺救出した黒いNinjaのライダー』
入間基地の第2整備格納庫へ何食わぬ顔でNinja 650を滑り込ませた響本人のあずかり知らぬところで、その存在は自衛隊の防衛ライン全体へと静かに、しかし強烈な波紋を広げつつあった。
◇
エンジンを切った響は、ヘルメットを脱いで長い黒髪をバサリと揺らした。
車体をスタンドに立てたところへ、足音荒く駆け寄ってきたのは真鍋3佐だった。
手元の公用タブレットを抱え、眉間には深く険しい皺が刻まれている。
「……響さん、無事にお戻りですか。志村坂上での『4分間の清掃活動』に、川越街道での『パチンコ玉の狙撃劇』……陸自の第1師団司令部が蜂の巣をつついたような大騒ぎになっていますよ。ご本人は涼しい顔をしていらっしゃいますが」
「散歩のついでに邪魔なゴミを弾き飛ばしただけだろ。細かいこと気にしてんじゃねえよ」
響はバイクのキーを指先で回しながら、あっけらかんと言い放つ。真鍋は胃のあたりを掌で押さえ、深く長い溜息を吐き出した。
「……まあいいでしょう。陸自への言い訳と情報封鎖はこちらで引き受けます。それよりも本庁舎へ来てください。例の『リゾナンス日本支部』の専属スタッフたちを集めてあります。出撃前に話していた通り、顔合わせと役割の最終確認を行います」
「ああ、そういやそんな組織を作ってたな。行くか」
響が頷くと、真鍋は踵を返し、本庁舎の会議室へと案内した。
ドアを開けると、室内にはすでに揃っていた面々が一斉に立ち上がり、響へ視線を向けた。
真鍋が教卓の前に立ち、タブレットの画面をプロジェクターへと投影する。
「すでに防衛省本省および官邸の特務承認は下りており、本日付で『リゾナンス日本支部』が正式に発足しました。実務・渉外の責任者は引き続き私が務めますが、響さんが前線での戦闘に専念できるよう、後方を固める専属スタッフの最終的な役割分担を確認します」
真鍋がまず視線を向けたのは、白衣の上に防弾ベストを羽織った御子柴渚だった。
「十条から引き抜いた衛生科2曹の御子柴です。響さんの専属アシスタント兼秘書として、スケジュール管理、本省や基地との事務手続き、地上救護所のトリアージを一任します」
御子柴は背筋を正し、手帳を胸元に抱えて小さく一礼した。
「改めてよろしくお願いします、響さん。スケジュール管理と物資の申請手続きはすでに手をつけています。事務的な負担はすべてこちらで引き受けますので」
「助かるよ、渚。真鍋からの急ぎの要請と、後回しでいい書類の仕分けは任せる。俺は細かい手続きに頭を使いたくねえからな」
「了解しました。優先順位をつけて厳選してお通しします」
的確に頷く御子柴に続き、真鍋は隣に立つ迷彩服の男たちを指し示した。
「続いて地上支援・警戒班の3名です。桐生1尉には地上封鎖線の自衛隊部隊との連携統括を担当させます。そして風間君と篠原君。彼らにはダンジョン入口周辺の警戒網維持および補給物資の調達を担当させます。響さんが潜っている間、背後を民間クランや野良魔獣に脅かされる心配はありません」
桐生たち3名は覚悟の宿った引き締まった表情で、深く頭を下げた。
「そして――」
真鍋が室内の後方に座っていた女性へと視線を移す。
「生活環境サポート兼、渉外通訳として正式採用となった佐伯葵さんです。民間特命採用枠として身分を保証し、米軍や海外メガクランとの接触を見越した公式通訳を務めてもらいます。本庁舎の特別宿舎――貴賓室での生活環境の維持や物資管理も彼女に一任します」
「葵です……! 不慣れな点ばかりですが、響さんのお役に立てるよう、精一杯頑張ります!」
葵は立ち上がり、ぺこりと頭を下げた後、響の顔を見てホッとしたように小さく微笑んだ。
「以上が、リゾナンス日本支部のコアメンバーです。戦闘随伴の唯2曹を含め、前線と後方の役割分担は完璧に整えました。これで響さんは、周囲の雑音を気にせず指定された案件に集中していただけます」
真鍋が胸を張って締めくくると、響は腕を組み、集まった面々をぐるりと見渡した。
「なるほどな。面倒な交渉も書類も地上のお守りも全部やってくれるってんなら、俺としては文句ねえよ。――美味い飯と快適な寝床さえ用意されてりゃ、指定された穴の化け物はきっちり片付けてやる」
不敵に口端を吊り上げる怪物の言葉に、真鍋は安堵と疲労の混ざった笑みを浮かべ、日本支部の本格始動を告げる資料を静かに閉じた。
◇
「さて、体制が整ったところで、もう1つ詰めておくべき現実的な問題があります」
真鍋3佐はタブレットを操作し、プロジェクターの画面を入間基地周辺の航空写真へと切り替えた。
「支部の事務所――つまり対外的な拠点をどこに置くか、という問題です」
「拠点だ? ここじゃ駄目なのか? 会議室も貴賓室もあるんだから、この本庁舎で十分だろ」
パイプ椅子に体重を預け、億劫そうに鼻を鳴らす響に、真鍋は苦笑いを浮かべながら首を横に振った。
「響さん、ここは現役の軍事中枢ですよ。いくら特命組織とはいえ、防衛省の重要拠点の中に民間クランの事務所を構えるわけにはいきません。それに、外部の業者やメガクランの使者、補給物資を積んだ民間トラックが来るたび、正門で厳重な入門手続きを踏ませていては業務がパンクします。何より、自衛隊の完全な直轄部隊だと公に認めれば、他省庁や民間メガクランからの政治的突き上げが酷いことになる」
「じゃあどうすんだよ。どっかの雑居ビルでも借りて、外へ放り出す気か?」
「とんでもない。あなたを基地の防衛網の外へ完全に放り出したらどうなるか……『アヴァロン』の血気盛んな連中が力ずくで腕試しに来るか、『黎明』の息のかかった連中が日夜押しかけてきて、事務所ごと火の海になりかねません」
真鍋は苦い顔で胃薬のシートを弄びつつ、画面に映る基地正門のすぐ脇――外周フェンスに隣接した3階建ての建物をペン先で叩いた。
「そこで、こちらの物件を日本支部の表向きの事務所として接収しました。基地正門警備所のすぐ脇に位置する、自衛隊の旧隊員宿舎の1階テナントスペースです」
「旧宿舎の1階?」
響が片眉を上げると、真鍋は指を1本立てて説明を続けた。
「ええ。この物件には3つの決定的なメリットがあります。第1に、表の正面玄関は基地の外――一般道に面しているため、外部の業者や使者、物資の搬入トラックが基地の入門審査を通ることなく自由に出入りできます。これで民間クランとしての独立した体裁が保てます」
続けて真鍋は、建物の見取り図を拡大して裏口のルートを示した。
「第2に、建物の裏口がフェンスを跨いで『基地内部の専用通用路』と直結しています。響さんや渚、唯2曹は、検問を受けることなく基地内から裏口経由で直接出入り可能です。そして第3に、正門警備所の歩哨――陸自と空自の重機関銃や装甲車の射程内に常に入っているため、外部のアウトロー連中が力ずくで襲撃することは物理的に不可能です。実質的に、基地の防衛網の真下に守られているのと変わりません」
「なるほどな。表は民間の事務所に見せかけて、裏は基地の裏口直結。何かありゃ正門の銃口が睨みを利かせてるってわけだ」
響は口端を吊り上げ、ニヤリと笑った。
「食えない手を考えるじゃねえか、真鍋さん」
「組織を安全に回すための現実的な知恵ですよ。渚のデスクワークや私の渉外窓口、葵さんの接客、桐生たちの警戒本部はその事務所に集約します。ですが、響さんや葵さんの生活拠点――食事や就寝については、これまで通り本庁舎の貴賓室を使っていただいて構いません。表の仕事場と、裏のプライベートを完全に切り分ける形です」
「寝床と美味い飯が確保されてるなら文句ねえよ。よし、その旧宿舎をリゾナンス日本支部の事務所にするぞ」
響が即座に頷くと、真鍋はホッとしたように胸を撫で下ろし、手元の書類に決裁印を力強く押し込んだ。




