15話:前半『超大国の傲慢と大陸横断の電撃戦』
ペンタゴンの地下深く、国家軍事指揮センター(NMCC)の特別室。
テーブルの上に用意されていたチェサピーク湾のクラブケーキとチャウダーを平らげた響と唯の前で、重苦しい空気を破るように口を開いたのは、円卓の上座に座る陸軍参謀次長のスティーブンス大将だった。
スティーブンスは眉間を深く寄せ、厳しい視線を響へ据えたまま、合衆国側の主張を切り出した。
「まずは礼を言おう、ミズ・ヒビキ。ニューアークの第5階層ボスを排除した手並みは見事だった。だが、我々が貴女方を招いた真の目的は、単なる一箇所の防衛ではない」
大将は両手を組み、居並ぶ将官たちの総意を代弁するように言葉を続けた。
「我が合衆国が求めているのは、我が国の軍事指揮系統に組み込むための即応戦力と、ダンジョンを武力制圧するための具体的データだ。この国には法秩序と国家主権がある。覚醒者という制御不能な超人を軍の統制下に置き、国家の兵器として前線へ投入することこそが、国防を維持する唯一の道だ。日本が持つ戦術データと、その圧倒的な個人の戦闘力を、合衆国軍の指揮下で全面的に提供してもらいたい」
同席していた大統領首席補佐官も、冷徹に頷きながら国家の基本方針を補足した。
「魔石やドロップ品といったダンジョン資源もすべて軍の独占管理下に置き、ドルと国家覇権を防衛する戦略物資とする。それが大統領と統合参謀本部の決定だ。我々が求めるのは、その統制を迅速に進めるための協力だ」
超大国としてのプライドを崩さず、「覚醒者を軍事統制・兵器化する」という自国の要求を一方的に突きつける高官たち。
響は上品にナプキンで口元を拭い、フォークを静かに置くと、彼らを見据えた。
響はナプキンをテーブルの上に置き、冷淡な視線をスティーブンス大将と首席補佐官へ向けた。
「そう主張するのであれば、そうすればいい。そしてその結果自滅するのもあなたたちだ」
反論や説得すら放棄した切り捨ての言葉に、室内の将官たちの顔色が一変した。スティーブンス大将が眉を吊り上げ、威圧するように身を乗り出す。
「自滅だと? 言葉を慎みたまえ。我が国は世界最強の軍隊を擁する超大国だ。秩序の維持を放棄した民間の武装集団など、国防の現場では邪魔にしかならん」
「その世界最強の軍隊が、手も足も出ずに防衛線を突破され、私に頭を下げたのでしょう?」
響は小揺るぎもせず、淡々とした口調で事実を突きつけた。
「覚醒者を力づくで軍の枠組みに押し込めた結果、反乱を起こされ、逃げられ、東海岸はすでに崩壊寸前です。人間を消耗品の兵器として縛り付ければ、モンスターに食い殺される前に内部から瓦解する。その単純な道理すら理解できずに『国家の統制』などと念仏を唱えているのですから、ご勝手に滅びなさいとしか言いようがありませんね」
響は椅子の背もたれに手をかけ、立ち上がる気配を見せた。
「食事の礼としてニューアークのボスは片付けて差し上げました。これ以上、自滅へ突き進む組織の愚行に付き合う義理はありません。唯、行きますよ」
「は、はいっ!」
唯が慌てて席を立つと、室内には凍りつくような焦燥感が走った。この場にいる者全員が、彼女たちを失えば首都ワシントンの地下に潜む脅威に対抗する手段が完全に消滅することを理解していた。
「ま、待ってください、響さん!」
堪らず声を張り上げたのは、これまで沈黙を守っていたライアン少将だった。ライアンは青ざめた顔でスティーブンス大将と首席補佐官の前に立ち塞がり、切迫した声で叫んだ。
「大将、補佐官、現実を見てください! 我々のやり方はすでに破綻している! 彼女たちの言う通り、現場の兵士や覚醒者をこれ以上使い捨てにすれば、合衆国は本当に終わる!」
「私はあなたたちが私にアドバイスをしてほしいと言うから、こちらに来てあげたんですよ。聞く耳を持たないのであれば、話し合う意味はありません。そして、討伐に関してはもうすでに1件行いましたので、私はこれで失礼します」
響は一瞥もくれず、背を向けて扉へと歩き出した。一切の交渉の余地を残さない、冷酷なまでの断絶の宣告。
その背中を前に、特別室の空気は一瞬で瓦解した。
スティーブンス大将は顔面を蒼白にして立ち尽くし、大統領首席補佐官は喉をひきつらせて手元のファイルを落とした。超大国の威信を振りかざして主導権を握るつもりが、相手にとっては「聞く耳を持たないなら滅びればいい」程度の些事であり、文字通り完全に切り捨てられたのだ。
「ま、待ってくれ! 待ってください、響さん!」
補佐官が椅子を蹴倒すような勢いで立ち上がり、なりふり構わず響の背中へすがりつくように叫んだ。
「話を聞く! 我々の非を認める! だから、どうか立ち去らないでくれ……!」
ニューアークの第5階層ボスを5分で粉砕した唯一無二の暴威。それを失えば、現在この足元――首都ワシントンD.C.の地下で脈動を強めている、ニューアークを遥かに凌駕する最悪の侵食孔を止める手立ては、合衆国にただの1つも存在しなかった。
ライアン少将もまた扉の前に回り込み、敬礼ではなく、深々と頭を下げて懇願した。
「頼む、響殿……! 我が国の過ちは私がすべて大統領へ報告し、是正させる! だから頼む、合衆国を見捨てないでくれ……!」
響は足を止め、振り返ることもなく冷ややかに言い放った。
「自国にも同じような人がいましたね。確か神崎仁2佐……自分の主張のみを通す方なので、私は協力を断りました。結果として、その方のせいで危うく基地の崩壊を招くところでしたが、知ったことではありませんね」
静まり返る特別室に、響の淡々とした、しかし有無を言わせさぬ声が響き渡る。
「私は私の意見を聞かない人に協力する気もありません。これはあなたの責任で起こった事象です。あなたの責任で解決するほかありません。この国に方々に謝罪してもすでに解決の道はないと思いなさい」
響はそのまま一歩を踏み出し、出口の重厚な防弾扉のノブへと手をかけた。
その決定的な拒絶の動作を前に、スティーブンス大将は顔面を蒼白にし、喉をひきつらせたまま金縛りに遭ったように立ち尽くした。
「ま、待ってください……! お願いです、待ってください!」
大統領首席補佐官が取り乱し、椅子をなぎ倒す勢いで駆け寄ると、響の行く手を遮るように立ちはだかった。
「スティーブンス大将の失言と独断は、決して合衆国政府の総意ではありません! 今すぐ大統領権限に基づき、彼をこの作戦会議および対策本部から即時解任します! 覚醒者の処遇も、ギルドの創設も、ランク測定機器の導入も、すべて貴女の助言に無条件で従います! だから……どうか立ち去らないでください!」
ライアン少将もまた切迫した面持ちで歩み寄り、響の背中へ向けて深々と頭を下げた。
「響殿、頼む……! この国の過ちのツケを、何も知らぬ無数の市民に払わせるわけにはいかない! 合衆国のすべてを改める覚悟はある。どうか……どうかもう一度だけ、我々に道を示してくれないか!」
すがる米軍中枢の懇願を背に受けながら、響は扉を開ける手を止め、冷徹な横顔を向けた。
響は扉のノブから手を離さず、冷淡な横顔のまま、首席補佐官へと告げた。
「ならここでしばらく待ちましょう。さっさと大統領と話し合いをしてください。私は彼がいるこの場では協力はしたくありません」
言い終えると、響は部屋を出ることこそ踏みとどまったものの、テーブルへ戻る気配すら見せず、腕を組んで壁際に立った。唯もまた、響の背後に寄り添うように立ち、米軍首脳部へ侮蔑と警戒の視線を向けている。
「……っ、直ちに大統領へホットラインを繋ぎます! 少々お待ちを!」
大統領首席補佐官は青ざめた顔で頷くと、特別室の隅に設置された暗号化専用通信機へと駆け寄り、受話器を引っこ抜いた。国家の最高司令官たる大統領に、現役の陸軍参謀次長をこの防衛任務の指揮系統から即座に排除させる手続きを取るためだ。
円卓の上座に残されたスティーブンス大将は、屈辱と怒りで顔を真っ赤に染め上げ、握りしめた拳を小刻みに震わせている。しかし、周囲の将官たちもライアン少将も、誰1人として大将を庇おうとはしなかった。
通信機に向かって小声で、しかし必死の形相で大統領へ直訴を続ける補佐官の早口な英語だけが、凍りついた特別室に虚しく響き渡っていた。
大統領首席補佐官が暗号通信機の受話器を置き、重い足取りで振り返ったのを見るや、響は腕を組んだまま冷ややかに声をかけた。
「電話が終わったと見るや、結果をお伺いしてもよろしいかな」
静まり返った室内で、補佐官は額の脂汗を手の甲で拭い、意を決したようにスティーブンス大将の前へと歩み寄った。その手には、大統領直署の緊急執行命令を記したメモが握られている。
「……スティーブンス大将。大統領閣下からの直接命令です。現時刻をもって、貴官を東海岸防衛統合タスクフォースの副司令官職、および本特別対策会議の構成員から解任します。直ちに退室し、後任への引き継ぎが完了するまでペンタゴン内の自室にて待機してください」
「なっ……! 補佐官、本気か! たかが異国の民間人の言いなりになって、この私を退任させるというのか!」
激昂したスティーブンス大将が机を激しく叩いて立ち上がったが、補佐官の目はすでに冷え切っていた。
「これは合衆国最高司令官たる大統領の命令です。従えないのであれば、軍刑法に基づく抗命罪として憲兵を呼びます。……引き下がってください、大将」
将官たちからも一切の擁護が得られないことを悟ったスティーブンス大将は、屈辱と怒りで全身を震わせ、響を殺さんばかりの形相で睨みつけた。しかし、響は眉ひとつ動かさず、ただ冷淡な視線でその男を見下ろしている。
やがてスティーブンス大将は荒々しく軍帽を掴み取ると、特別室の重い扉を殴るように押し開け、足音を荒立てて去っていった。扉が重厚な音を立てて閉まり、室内の張り詰めた空気がわずかに緩む。
補佐官は深々と息を吐き出し、響に向き直ると、深々と頭を下げた。
「……お待たせいたしました、響殿。大統領閣下は貴女の要求を全面的に受け入れ、覚醒者対策に関する全権をライアン少将に委譲することを承認されました。どうか、着席していただけないでしょうか」
響は頭を下げる補佐官へ歩み寄ることなく、扉の前に立ったまま冷然と問いただした。
「彼は一般人になったのですか? さりげに私に失礼なことを喚き散らして、それで責任が取れたと思っているのなら大間違いです」
容赦のない追撃に、補佐官の顔から再び血の気が引いた。役職を解任して部屋から追い出せば済むと考えていた甘さを、一瞬で叩き潰されたのだ。
「任務を外して自室で待機など、ただの謹慎か休暇でしょう。私を侮辱したことの清算も、国家を危機に陥れた責任も何ひとつ取っていない。軍籍を剥奪し、ただの民間人に叩き落とすのが筋というものではありませんか」
響の静かな声が、特別室の空気を再び凍りつかせる。
「失礼な態度を喚き散らして去っていった男をそのまま軍の要職に残し、後でうやむやにするつもりなら、私は今すぐここを出ていきます。彼の階級を完全に剥奪し、不名誉除隊とする手続きを今この場で進めなさい。それができないなら、話はこれで終わりです」
響は冷酷な眼差しを補佐官へ向け、決定打となる言葉を突きつけた。
「それができなければ、あなた方が進めようとしている組織は簡単にはできないですよ」
響は腕を組んだまま、超大国の欺瞞を切り捨てるように淡々と続けた。
「軍の階級にしがみつき、覚醒者を使い捨ての道具と見下すような人間が組織の上に居座り続ける限り、民間から覚醒者を募るギルドなど絶対に機能しません。集まるのは反乱分子か、あなた方に不信感を抱く者だけです。古い体制の象徴である彼を完全に切り捨てる覚悟すら示せない国に、命を預ける覚醒者が現れるとお思いですか?」
その痛烈な指摘に、補佐官だけでなく、円卓に残された将官たちも完全に言葉を失った。
覚醒者ギルドという新たな組織を立ち上げ、民間の強力な戦力を国に協力させるための大前提――それは、これまでの高圧的な軍事統制方針と完全に決別したという明確な「証」を社会に示すことだった。スティーブンス大将の軍籍剥奪は、単なる響への謝罪にとどまらず、合衆国が新たな秩序へと舵を切るための絶対不可欠な踏み絵だったのだ。
補佐官は額に冷や汗を滲ませ、震える手で再び暗号通信機の受話器を掴み取った。
「……大統領へ再度繋ぎます。スティーブンス大将の軍籍剥奪、不名誉除隊の手続きを直ちに要請します」
◇
響の口元に、氷のように冷たくも、確固たる契約を告げる薄い笑みが浮かんだ。
「良いでしょう。あなた方の誠意を見せていただいたので、私からもその誠意を受け取った証として、いくつかのダンジョン拠点を潰して回ってあげますよ」
その一言が落ちた瞬間、特別室を満たしていた息の詰まるような重圧が、一転して安堵と畏怖の混ざり合ったどよめきへと変わった。大統領首席補佐官は膝の力が抜けたように執務卓へ手をつき、ライアン少将は胸の前で固く握りしめていた拳をようやく解いた。
「……あ、ありがとうございます、響殿……!」
補佐官の声は擦れ、合衆国の威信など跡形もなく消え去っていた。
「直ちに大統領閣下に最終裁可を仰ぎ、スティーブンスの軍籍剥奪手続きを進めさせます。同時に、ライアン少将を長とする新たな覚醒者統括機構の立ち上げを宣言し、日本政府へ正式に測定機器と制度運用の技術供与を打診します」
「結構です。約束を違えればどうなるかは、身に染みてご理解いただけたはずですから」
響は踵を返すと、テーブルの自席へと悠然たる足取りで戻り、椅子の背もたれに指を滑らせた。
「では、時間を無駄にするのはやめましょう。まずはこの足元、首都ワシントンD.C.周辺で最も危険視されている拠点――それから、東海岸の物流と軍の防衛線を寸断している上位の侵食孔の位置を出しなさい。手始めに片付けて差し上げます」
ライアン少将が即座にモニター管制卓へ鋭い視線を送ると、壁面一面の巨大スクリーンに、赤黒く脈動する特異侵食孔のマーカーが次々と点灯した。
モニターに映し出された広大な東海岸の地図と、赤黒く点滅する無数の危険拠点を前に、響は何気ない口調で小さくつぶやいた。
「さて、目指す攻略速度は、つまり移動時間の問題と考えるべきでしょうか」
その言葉が落ちた瞬間、管制卓のオペレーターの手がピタリと止まり、室内の全員が息を呑んで響を凝視した。
「……い、移動時間……だと?」
補佐官が掠れた声で呟き、目を見開く。
アメリカ軍が誇る最新鋭の重火器や爆撃機、さらには覚醒者を編制した精鋭部隊をいくら投入しても、1つの拠点を封鎖・維持することすらできずに数週間から数ヶ月単位で膠着し、甚大な犠牲を払い続けている最悪の災害地帯である。
それを前にして、彼女の口から出た懸念事項は、ボスの強さでも、敵の物量でも、自らの損耗でもなく――ただ「現地への移動にかかる時間」だけだった。
「ひ、響殿、本気で言っているのか……? ここに表示されている拠点は、いずれも第4階層、第5階層に匹敵する超高難度領域だ。我が軍が包囲陣を敷くことすらままならず、全滅を繰り返している魔の巣窟なんだぞ」
ライアン少将すらも動揺を隠せず、喉を鳴らしながら問いかける。
そんな周囲の驚天動地ぶりをよそに、唯だけは「また響さんが当たり前の顔をして無茶を言っている」とばかりに、慣れた様子で小さく肩をすくめていた。
愕然とする将官たちを前に、唯は不思議そうに小首をかしげ、事も無げに答えた。
「だって浅いんでしょ」
室内の空気が再び完全に凍りついた。
国家の存亡を揺るがし、正規軍の師団を幾度も飲み込んできた悪夢のような侵食孔の数々を、この2人にとってはただの「浅瀬」に過ぎないと言い放ったのだ。
「あ、浅い……? ニューアークの第5階層ボスですら、我が軍が数百名単位の犠牲を出して足止めすらできなかった代物なんだぞ……!?」
大統領首席補佐官が戦慄と困惑の入り混じった声を絞り出す。
唯は悪気のない無邪気な顔のまま、当然の事実を口にするようにあっけらかんと言い添えた。
「だって、ニューアークも第5階層だったし、5分で終わっちゃいましたもん。日本の深いダンジョンに比べたら全然です。だから、移動する時間のほうがよっぽど長いくらいだよね、響さん」
響は手元の水のグラスを傾け、唯の言葉に静かに頷いた。
「そういうことです。敵の排除自体に割く時間など、数分からせいぜい10分程度。作戦完了までの所要時間を左右するのは、純粋にこの広いアメリカ大陸を私たちがどうやって移動するか、それだけです」
超大国の首脳陣は、言葉を完全に失った。彼女たちにとってこの東海岸の危機は、死闘の連続などではなく、ただの「移動が面倒な作業」の領域でしかなかった。
「移動方法は後々考えるとして、まずとりあえず移動しちゃいますか」
響が立ち上がりながら何気なくそう口にすると、ライアン少将は弾かれたように我に返り、即座に無線機を手に取った。
「す、すぐに大統領専用ヘリのマリーンワン、あるいは最速の垂直離着陸機をペンタゴンの屋上ヘリパッドに回させる! 基地の全管制を最優先に切り替えろ!」
ライアンの怒号じみた指示が飛び交う中、響と唯はコートを羽織り、何の気負いもなく部屋の出口へと歩みを進める。死地へと赴く悲壮感など微塵もなく、まるで午後の散歩にでも出かけるかのような軽やかさだった。
「唯、忘れ物はありませんね」
「ばっちりです! 美味しいカニも食べられたし、エネルギー満タンですよ!」
呆気にとられたまま立ち尽くす統合参謀本部の将官たちと大統領首席補佐官を背に、2人は案内役の兵士を従えてエレベーターへと乗り込んだ。
屋上へと上がると、湿った夜風とともに、激しいローター音を響かせて漆黒の軍用機がすでに滑走路上で待機していた。東海岸の夜空は、侵食孔から立ち上る不気味な赤黒い燐光に覆われ、遠くの地平線では軍の迎撃砲火の閃光が絶え間なく明滅している。
「さて、まずは一番近い拠点から順に片付けていきましょうか」
響は髪を風になびかせながら機内へ足を踏み入れ、東海岸を覆う災厄の空へと飛び立った。
地下特別室から屋上ヘリパッドへと続く、重厚な警戒通路。
先導する将校の足音だけが響く廊下の壁面に、米軍の歴代兵器を顕彰するガラスケースが埋め込まれていた。その中程に鎮座していた黒光りする金属塊――A-10攻撃機に搭載される30mmガトリング砲用、およびM1エイブラムス戦車が使用する120mm砲用の劣化ウラン徹甲弾(APFSDS)の不活性演習弾頭の前で、響の足がふと止まった。
「……あら、これ」
響はケースの強化ガラスをものともせず、素手で枠を外すと、細長い矢のような形状をした高密度の金属芯を指先でつまみ上げた。鉄の2倍以上、鉛をも凌駕する圧倒的な比重。
「響殿!? そ、それは展示用の……!」
案内役の将校が息を呑んだが、響は気にも留めず、掌の上で弾頭を軽く弄んだ。
「これ、少し拝借しますね。いい素材が手に入りました」
そのままエレベーターに乗り込み、屋上のヘリパッドへ。待機していた漆黒の特殊作戦用ヘリに乗り込むと、プロペラが爆音を立てて夜空へと浮上した。機体は首都直下、最初の攻略目標であるバージニア州近郊の大規模侵食孔へと猛スピードで直進する。
ガタガタと小刻みに揺れる機内。ライアン少将が血相を変えて無線機で前線部隊へ緊急退避命令を飛ばしている横で、響は私服の裾を直しながら、自らの空間ストレージへと手を差し入れた。
取り出したのは、討伐後吸収しないでいた魔石の塊であった。
「響さん、またそれ食べてる……固くないんですか?」
隣でシートベルトを締めた唯が顔をしかめる。響は何食わぬ顔でそれを指先でつまみ、ポテトチップスでも齧るかのように口へ放り込むと、ボリボリと小気味よい咀嚼音を立てて噛み砕いた。念のための経験値の取得であるが、スナック菓子程度の感覚に過ぎなかった。
「刺激があってちょうどいいのですよ。……さて、着いたようですね」
機長から「目標上空、高度300メートルに到達!」と叫び声が上がった。
窓の下には、かつてハイウェイだった巨大なジャンクションを呑み込み、赤黒い瘴気を夜空へ吹き上げる巨大な陥没孔が広がっていた。米軍の装甲車や戦車が何十台も周囲を包囲しているが、穴の縁から這い出てくる異形の群れに押し込まれ、壊滅寸前の砲火が散発的に光っている。
響はシートベルトを外すと、ヘリのカーゴドアを自ら蹴り開けた。猛烈な夜風と土煙が機内に吹き荒れる。
「【鑑定】」
視界の中に半透明のウィンドウが展開され、文字列が急速に展開する。
【鑑定結果】
対象: アビス・ハイヴ・クイーン(第5階層・階層主)
深度: 地下85m(主空洞・中央広間)
全長: 12m
弱点: 胸部中枢の魔石核(座標:深度85.4m・直下わずかに東偏2m)
開放されたスキルの権能が発動し、視界の先、遮蔽物の奥にある情報が読み取られる。地表の土砂や何重ものコンクリート層を通り越し、地下深部に潜む異形の存在情報――その名称、ステータス、そして核となる位置情報が【鑑定】の対象として完全に補足された。
「地下85メートル、ボスの位置を捉えました」
響は手にした劣化ウラン弾頭を握り直すと、[身体強化]をその腕と全身に限界まで注ぎ込んだ。
その細い腕に、常軌を逸した「力」が凝縮される。空間が軋み、弾頭の周囲の大気が青白いプラズマ光を帯びて圧縮されていく。
刹那――彼女の「俊敏」が解放された。
「逃がしません」
引き絞られた腕から、マッハの勢いで劣化ウラン弾頭が真下へと投下された。
振り下ろされた右腕は音速の壁を一瞬で置き去りにし、衝撃波がヘリの機体を激しく揺さぶる。手元を離れた劣化ウラン弾は、マッハ10を優に超える極超音速の槍と化してバンカーバスターの如く、直下へ撃ち落とされた。
大気摩擦による白熱の閃光が夜空を垂直に引き裂く。
地表に接触した瞬間、アスファルトも、幾重のコンクリート層も、頑強な花崗岩の岩盤も、その超高密度と運動エネルギーの前には障子紙ほどの抵抗にもならなかった。
――ズドドドドドォォォォォンッ!!
地鳴りとともに地表に穿たれたのは、わずか直径数十センチの完全な垂直孔。しかし、地下85メートルの階層主の頭頂部へ突入した劣化ウラン弾は、響の魔力衝撃波を伴ってボス部屋の空間全体で大爆縮を引き起こす。
数秒後、地表の亀裂から吹き上がったのは、ボスの断末魔の咆哮と、莫大な経験値粒子、そして粉塵と化したモンスターの残滓だけだった。
「……チェックメイト。次へ行きましょう」
響は手元の粉を払い、ドアを閉めるようパイロットへ軽く顎をしゃくった。ヘリの機内は、信じがたい光景を前に完全に凍りついていた。
ヘリのキャビン内に満ちていた耳を劈く轟音と衝撃波の余波が引いても、同乗する米軍連絡将校は開いた口を塞げずにいた。
高度300メートルからの素手による投擲。音速の壁を軽々と引き裂いた金属芯は、地表を障子紙のように貫通し、地下85メートルの侵食孔深部で階層主を文字通り圧殺、蒸発させた。
割れるような雑音混じりの無線から、現場包囲部隊の錯乱した絶叫が漏れ聞こえてくる。
『――目標の完全消滅を確認! 地下からの魔力反応、完全に消失しました!』
『嘘だろ、何が起きた……空軍の極超音速弾頭でも直撃したのか!?』
大騒ぎする通信を気にも留めず、響はカーゴドアを自らの手で引き戻して閉めると、手袋についた微かな埃を払った。




