14話:後半「極東の切り札と寄り道の代償」
暗号化された政府専用機の重いハッチが開き、熱気を帯びたニューヨーク郊外の滑走路へと降り立った響と唯の視界に飛び込んできたのは、平時であれば世界の中心として機能していたはずの巨大都市の異様な姿だった。
水平線の彼方、マンハッタンの高層ビル群の合間からは黒煙が幾筋も立ち上り、軍用ヘリのローター音が絶え間なく不気味な重低音を響かせている。
滑走路の端に横付けされた装甲車輌の傍らで、ピリついた緊張感を纏った米軍兵士たちに囲まれながら待っていた一人の男が、毅然とした足取りで歩み寄ってきた。
米国防総省統合参謀本部・特別作戦担当次官補代行を務める、トーマス・ライアン陸軍少将だ。
ライアン少将は鋭い眼光の奥に疲労の色を隠せぬまま、目の前に立った小柄な少女と、無愛想にガムを噛む異邦の覚醒者を見据えた。
「よくぞ来てくれた、HIBIKI、YUI。我が国を代表して心から歓迎する。私は今回の特別対策タスクフォースを指揮するライアン陸軍少将だ」
ライアンは差し出された響の手をしっかりと握り締めた。その掌には、世界最大のスーパーパワーを率いる者の焦燥と、冷や汗のような湿気がわずかに滲んでいた。
通訳を介した英語と日本語が交錯する中、ライアンは手短に挨拶を済ませると、防弾仕様のヘビー・サバーバンへと二人を促した。
「詳しい状況や要請の詳細は、移動中の車内で話そう。時間が惜しい」
重厚な防弾ドアが閉ざされ、車輌が滑走路を滑り出すように走り出した瞬間、ライアンはタブレット端末を取り出し、ニューヨーク市内のリアルタイム監視映像を投影した。
「見てのとおりだ。マンハッタンおよびブルックリンの主要大都市圏は、もはや通常の治安維持組織や州兵の力ではコントロールしきれていない。感染爆発の速度が我々の防衛ラインの構築速度を完全に上回っている」
ライアンは歯を噛み締め、苦渋に満ちた表情で言葉を継いだ。
「我が国の軍事力をもってしても、ゾンビの群れやダンジョンから湧き出る異形の怪異を前に、押し戻すどころかじりじりと陣地を削られている。治安の鎮静化を図ろうとあらゆる戦術を試したが、決定的な手立てが見つからない」
ライアンは顔を上げ、助手席の通訳を介して、響をまっすぐに見据えた。
「日本が短期間で首都圏のダンジョン侵食を抑え込み、異常事態をコントロール下に置いているその『対ダンジョン戦闘ノウハウ』――それを我が国に包み隠さず教授してほしい。これが、合衆国政府からの最大の要請だ」
響と唯は頑丈なトランクケースを携え、防弾仕様のヘビー・サバーバンの後部座席へと乗り込んだ。ライアン少将が助手席に収まり、車輌が滑走路を離れて高速道路へと滑り出す。
車内での説明が始まったその矢先、車窓の景色は一変した。
ニュージャージー州の街並みに入った途端、アスファルトの上は放置された車両と血の海、そして数え切れないほどのゾンビの群れで埋め尽くされていた。平時の賑わいは完全に消え失せ、肉を貪り、生者を求めてさまよう異形の群れが車列を取り囲むように群がってくる。
「――で、話は何ですか」
轟音を立てる車内で、響はこともなげに言い放ち、カチリと音を立てて後部座席のパワーウィンドウを全開まで下げた。
途端に、外の生暖かい悪臭と凄まじい走行風が車内に吹き荒れる。
響はジャラリとパチンコ玉を握りしめ、開け放った窓から右手を突き出した。
パシュ、パシュ、パシュッ……!
時速100キロ近い疾走状態のまま、親指と人差し指の超人的な弾き飛ばしだけで放たれた鋼鉄の弾丸が次々と飛翔する。迫り来るゾンビたちの額が正確無比に撃ち抜かれ、次々と路上へと崩れ落ちていく。
凄まじい風圧と殺戮の光景がバックミラーに映し出される中、響は風に髪を揺らしながら、あくまでおしとやかな女性の口調を崩さずに問いかけた。
「で、お話の続きというのは……その、この国での私たちの扱いについて、何か問題でもあるのかしら?」
助手席のライアン少将は、すさまじい風圧の吹く車内で、振り返ることなく苦い顔を押し隠して答えた。
「……私の話に対する答えだな。ニューヨーク市内の感染爆発を鎮静化するための『戦闘ノウハウの教授』、それこそが我々が君たちに求めている協力だ。そして……君の問いについての答えだが、率直に言おう。我が国における覚醒者の扱いは、日本とは全く異なる。――いや、遅れていると言ったほうが正しいかもしれない」
ライアンは強烈な風切り音に負けぬよう声を張り上げ、説明を続けた。
「パンデミック初期、我が国では突如として現れた覚醒者たちを『国家の安全を脅かす異分子』あるいは『制御不能な超人兵器』とみなした。一部の州では強制収容や、軍の管理下に置いた過酷な生体・戦闘実験の対象として扱ったのだ。彼らの人権を無視し、軍事利用することに固執した結果……多くの覚醒者が政府に絶望して姿を消すか、反乱を起こして地下組織へと潜ってしまった」
ライアンの表情には、超大国としての傲慢さが招いた致命的な失策への後悔の色がにじんでいた。
「日本のようにお前たちを国家の防衛中枢に組み込み、社会的な地位や権利の改革を進めるような柔軟なモデルなど、この国には存在しなかった。だからこそ、今になって現場の戦力が決定的に不足し、都市の防衛網が瓦解しているのだ」
防弾仕様のヘビー・サバーバンが凄まじいエンジン音を響かせ、ニュージャージー州の荒廃したアスファルトを疾走する。車窓の外では、響が放つ無数のパチンコ玉が次々とゾンビたちの額を撃ち抜き、虚空へと散っていった。
窓から吹き込む強烈な風圧を受けながら、響は落ち着いたトーンの敬語で言葉を紡ぐ。
「であればなおさらです。早急に覚醒者の組織的な結束を強めるべきですね」
響は手元のパチンコ玉をジャラリと鳴らし、冷静な視線を前方の闇へと向けた。
「まずはギルドの創設、そして覚醒者のランク付け。さらに、それら覚醒者たちの集まりであるクランを設立することによって、個々の生存確率は飛躍的に伸びるはずです。あのような力を持つ者たちをただの道具として使い捨てるなど愚の骨頂です。そんなことを続けていれば、この国そのものが崩壊へ向かうのは当然でしょう」
助手席のライアン少将は、バックミラー越しに映る少女の恐るべき戦闘力と、そのあまりに的確すぎる指摘に息を呑んだ。ライアンは冷や汗を拭い、苦い表情を押し隠しながら、絞り出すように答える。
「……お説ごもっともだ。我が国は目先の恐怖と力への執着に目が眩み、最も信頼すべきパートナーの作り方を誤った。……だが、もし我が国が今からでもそのギルドやクランといった制度を取り入れ、組織を再編するとすれば、君の母国である日本はどのような手順を踏んだ?」
防弾仕様のヘビー・サバーバンの後部座席で、響は窓から吹き付ける風を一身に受けながら右手を外へ突き出し続けた。
「唯、弾をもっと頂戴」
横に控えていた唯から差し出された重い革袋から、響は流れるような手つきで新たなパチンコ玉の束を掴み取る。
パシュ、パシュ、パシュ、パシュッ……!
走行速度を一切落とさぬまま、親指と人差し指の超人的な弾き飛ばしだけで放たれた鋼鉄の弾丸が、次々と迫り来るゾンビたちの額を正確無比に穿っていく。周囲を取り囲む異形の群れが、まるで刈り取られる稲穂のように次々とアスファルトへ崩れ落ちていく。
銃撃の手を完全に止めぬまま、響は静かな敬語でライアン少将への助言を続けた。
「まず、ランクの審査ですが、このランクの測定については日本に問い合わせてください。すでに測定機器類やノウハウなどは提供できるはずですよ」
響は一瞬だけ視線を車内に戻し、冷徹に言い放つ。
「そして、ダンジョンで入手できるドロップアイテムや魔石などの価値を公に広めることですね。そうすれば覚醒者たちはこぞってダンジョンへ潜るでしょう。あなたがたが意図せずとも解決の糸口が開けてくるわけです」
さらにパチンコ玉を連射しつつ、響は核心を突く。
「ただ、ここでその覚醒者たちを消耗品扱いすると崩壊するので、そのための組織作りだと思ってください」
バックミラー越しにその圧倒的な戦闘力と冷徹なまでの慧眼を目の当たりにしたライアン少将は、冷や汗を拭いながら強くうなずいた。
響は車窓の外へパチンコ玉を放ち続けながら、何事もないかのように尋ねた。
「行き先はペンタゴンなのかしら。一度そこでお話ししてもいいのだけれども、今一番深刻な場所はどこですか。まずそこをサクッと片付けるという手もありますが」
助手席のライアン少将は息を呑み、即座に手元の軍用タブレットを操作して画面を後部座席へと向けた。
「……当初の計画ではペンタゴンへ直行する予定だった。だが、もし君が今すぐ手を下してくれるというなら、状況は一変する。今まさにこの先で防衛線が完全に瓦解しかけている最前線がある」
ライアンは険しい表情で地図上の一点を指し示した。
「ここから南へ15キロ、ニュージャージー最大の物流拠点であるニューアーク貨物ターミナルおよび空港周辺だ。地下鉄網と高速道路が交差するこの地点に、巨大なダンジョン侵食孔が出現し、数万単位の感染者と強力な変異種が押し寄せている。州兵の第2防衛ラインはすでに突破され、ここが落ちれば東海岸の幹線物流網は完全に断絶する」
ライアンはバックミラー越しに響の横顔を真剣な眼差しで見据えた。
「本来ならペンタゴンでの会議を経てから作戦を立てる段取りだった。だが、現場の兵士たちにそんな猶予はない。……本当に、今すぐそこを片付けてくれるのか?」
響はパチンコ玉を弾く手を止めることなく、淡々とした口調で問いかけた。
「階層の深さは把握していますか? そして、あなた方の避難先は確定しているのであればお手伝いしますが」
ライアン少将はタブレットのデータを瞬時に切り替え、緊張感の走る声で即答した。
「深さの推定はできている。地下鉄構内から連なる侵食孔は、探査ドローンによる音響探知と魔力反応から見て地下第5階層まで達している。現在地表へ溢れ出しているのは第2、第3階層の雑魚と感染者の群れだが、最深部の第5階層に巨大な魔力反応――ボスクラスの存在が確認されている」
ライアンは後部座席を振り返り、明確な退避計画を告げた。
「我々非戦闘員および指揮班の避難先もすでに確定している。空港西側にある強化コンクリート製の地下貨物管理センターだ。気密構造と独自の非常用電源が生きており、現地の防衛大隊が最終防衛線を敷いて確保してある。君たちが突入する間、我々はそのシェルターへ退避し、作戦支援と後方警戒に専念できる」
響の条件提示に対し、米軍側の準備に抜かりがないことを示すと、ライアンはすがるように視線を向けた。
「条件は揃っている。ニューアークの第5階層、根源となっているボスの討伐を引き受けてもらえるか」
響はパチンコ玉を弾く手をすっと引っ込め、開け放っていた窓をカチリと閉めた。車内に満ちていた凄まじい風圧と悪臭が遮断され、静けさが戻る。
「それであれば問題ないでしょう。サクッとボスのみ討伐して、雑魚はそちらにお任せするということでいいですね」
事も無げに告げられたその言葉に、ライアン少将はごくりと唾を飲み込み、力強く頷いた。
「ああ、願ってもない条件だ。最深部のボスさえ消滅すれば、ダンジョンから溢れ出る異常な魔力濃度とモンスターの無尽蔵の湧き出しは止まる。地表に散った残敵の掃討なら、我が軍の重火器と残存部隊で十分に完封できる」
ライアンは車内の無線機を掴み取り、怒号のような勢いで各部隊へ通信を叩き込んだ。
「全軍へ緊急通達! これより作戦車両はニューアーク・リバティー国際空港西側、貨物管理センター地下シェルターへ突入する! 現地防衛隊はシェルター周辺の防衛線を死守せよ! 侵食孔への突入部隊は……日本からの特務派遣員2名だ! 他部隊は一切の同行を禁止、突入ルート上の火力支援とシェルター防衛に全力を注げ!」
無線から返ってくる現場指揮官たちの驚愕の声を意に介さず、ライアンは運転手に鋭く告げた。
「全開で飛ばせ! 空港の地下侵食孔前まで直行だ!」
装甲サバーバンは急旋回を描き、黒煙と爆煙が渦巻くニューアークの地下侵食孔へと猛スピードで突き進んでいった。
車が激しいブレーキ音とともに地下侵食孔の直前で急停車した。タイヤがアスファルトを焦がす白煙を上げる中、響は素早くドアを開けて外へと降り立った。
呆気にとられるライアン少将に一瞥をくれ、響は淡々と言い放つ。
「報酬はわかってますね」
ライアンが返事をする猶予すら与えず、響と唯の2名は漆黒の魔気が渦巻く巨大な地下侵食孔へと一切の躊躇なく飛び込んでいった。
周囲で土嚢に身を潜めていた米軍兵士たちが「おい、何だあいつらは!?」「死にに行く気か!」と叫び声を上げる中、ライアンは呆然と暗黒の穴を見つめるしかなかった。
――それから、5分も経たないうちに。
地下から響いていた地鳴りのような怪異の咆哮が不意に途絶えたかと思うと、侵食孔の闇の奥から、足音も立てずに響と唯が何食わぬ顔で歩み出てきた。衣服の乱れも、返り血の一滴すらない。
静まり返る現場の中、響は呆気にとられたまま固まっているライアンの眼前まで歩み寄ると、涼しい顔で告げた。
「ライアンさん、終わりましたよ」
響は隣に立つ唯に向かって、あっけらかんと問いかけた。
「報酬、何が食べたい?」
唯はふうと息を吐き、肩をすくめながら返事をする。
「ステーキはもう飽きたかも」
何万人もの軍隊を苦しめ、東海岸の防衛線を崩壊寸前に追い込んでいた第5階層のボスをわずか5分で屠った直後、交わされるあまりに日常的な会話。
目の前でそのやり取りを聞かされたライアン少将は、硬直した顔のまま間の抜けた声を漏らした。
「……は?」
東海岸の命運を賭けた軍事行動の代償として、巨額の資金援助や高度技術の開示、あるいは軍事的な見返りを要求されるものと身構えていたライアンは、完全に思考が停止していた。
そんなライアンの困惑をよそに、響は平然とした顔で言い放った。
「報酬は食事っていうことですよ」
響はくすくすと上品に笑いながら、呆気にとられたままのライアン少将に向けて手をひらひらと振った。
「同盟国のピンチを助けるのに報酬など要求しないですよ、ははは」
数万人規模の軍隊を壊滅寸前に追い込んでいたダンジョン第5階層のボスを、たった5分で一人も欠けることなく片付けてきた異国の少女が放った、あまりにも軽やかな冗談。
ライアン少将は口を半開きにしたまま完全にフリーズしていたが、やがて事態の途方もなさを噛み締めるように、深く長い息を吐き出した。東海岸の崩壊を食い止めた代償が「ただの食事」であり、しかもそれすらも同盟国への純粋な好意による冗談めかした対応だという現実は、百戦錬磨の米軍将官の常識を根底から打ち砕いていた。
「……信じられん。君たちは一体何者なんだ……」
ライアンは額の冷や汗を拭い、苦笑いとも畏怖ともつかない表情を浮かべながら、喉を鳴らして答えた。
「分かった。ステーキ以外で、このニュージャージーとワシントン周辺で手に入る最高級の食事を、私の全権で今すぐ手配させよう。……まずは車へ戻ってくれ。ペンタゴンの連中に、この信じがたい吉報を叩き込んでやらねばならん」
周囲で銃を構えていた米軍兵士たちが、地下からの魔力反応が完全に消滅した計器を見てどよめく中、響と唯は何事もなかったかのように装甲サバーバンの後部座席へと再び乗り込んだ。
車輌は再び力強い駆動音を響かせ、高速道路へと戻ってペンタゴンを目指して南下を再開した。
車内へ吹き込んでくる風に乗って、遠巻きに逃げ遅れたゾンビの群れが路上を彷徨っているのが見える。
響は再び後部座席のパワーウィンドウをカチリと押し下げ、外の生暖かい風を浴びながら手元を探った。
「唯、玉もっと頂戴ね。唯もやってみる?」
「ちょっとやってみようかな」
唯は差し出した革袋から銀色の玉を一粒つまみ上げ、響の真似をして親指と人差し指で強く挟み込んだ。腕を車外へと伸ばし、疾走する視界の先、道路脇を蠢くゾンビの頭部へと狙いを定めて指を弾く。
カチッ……カラン
放たれた玉は力なく弧を描き、時速100キロ近い強烈な走行風に押し戻されて、アスファルトの上を虚しく転がっていった。標的の額を撃ち抜くどころか、掠りもしない。
「ああ、うまくできないです……」
指先を押さえながら情けない声を上げ、唯は半泣きになって肩を落とした。超人的な膂力と魔力制御がなければ、吹き荒れる暴風の中でパチンコ玉を銃弾以上の速度で直進させることなど到底不可能だった。
「まあ、最初はそんなもんかな」
響は手元に戻された革袋から無造作に玉をつかむと、間髪を入れずに指を弾いた。
パシュ、パシュ、パシュッ……!
乾いた音とともに放たれた鋼鉄の弾丸は、暴風を真っ向から切り裂き、唯が外したゾンビも含めた3匹の頭部を瞬く間に粉砕して路上へ沈めていく。
まるで放課後のゲームセンターで遊んでいるかのような呑気な日常会話の裏で、繰り広げられている光景はあまりにも冷徹でえげつない。バックミラー越しにその一部始終を見ていた運転席の兵士とライアンは、青ざめた顔で言葉を失っていた。




