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元勇者の帰還、術式失敗で(♀)になっていた。レベル1から現代のパンデミック迷宮都市を生き抜く  作者: 藤咲玲


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14話:前半「極東の切り札と寄り道の代償」

 十条のスタンピードと都内各所で頻発する侵食孔の拡大を受け、日本政府および防衛省、警察庁、厚生労働省の4省庁は合同緊急記者会見を開き、国家管理機関『覚醒者ギルド(正式名称:国家覚醒者管理機構)』の即時発足を発表した。


 会見場に登壇した防衛省統合幕僚副長は、無秩序な民間探索者の乱入による被害の急増と、現場防衛線への混乱を名目に、ダンジョン侵食区域に対する管理体制の全面刷新を宣言した。


「これより、国内に存在するすべてのダンジョン侵食孔を災害対策基本法に基づく立入制限区域に指定する。無登録の民間人および能力未測定者の侵入は、本日付をもって全面禁止とする」


 新たな法整備により、全国の覚醒者に対する「生体・能力基準測定」の受検が事実上義務付けられた。

 警察や指定医療機関が把握している覚醒反応者、および住民基本台帳から抽出された該当者へ対し、電磁シールドが施された特定記録郵便にて「受検指定通知書」が順次発送される。書面には個別の識別QRコードと、厳格に割り振られた指定測定日時、および駐屯地などの指定会場が明記され、受検を拒否した者はダンジョン進入ライセンスが発行されず、ゲート前の軍事検問により物理的に排除される仕組みだ。


 指定会場となった陸上自衛隊朝霞駐屯地の第1体育館。

 内部は分厚い防護壁と対魔シールド材で覆われ、太い高圧ケーブルと無機質な機器が立ち並ぶ巨大な測定プラットフォームへと改修されていた。白衣を着た防衛装備庁の研究員と、小銃を構えた警備自衛官が目を光らせる中、招集された覚醒者たちが導電性スーツを着用して整列させられていく。


 実施される測定は、現代科学とセンシング技術を結集した4つのプロトコルである。


 第1フェーズは『全身複合型共鳴スキャナー』。

 被験者は円筒形のガラス製カプセル内へ入り、30秒間の静止を求められる。超伝導量子干渉素子(SQUID)センサーアレイが体表から微弱に漏れ出る固有魔力場(マナ・フィールド)の波形を非接触で捕捉し、同時に360度から照射されるテラヘルツ波スキャナーが、魔力定着によって変異した筋繊維の束幅や骨梁密度を3次元的にマッピングする。これにより、平常時の基底魔力量と肉体耐久度が割り出される。


 第2フェーズは『経頭蓋磁気刺激・高速筋電図測定』。

 ヘッドギアを装着した被験者の運動野へ単発磁気パルス(TMS)を照射し、四肢の筋肉へ電気信号が到達するまでの伝達速度をミリ秒単位で計測する。魔力の伝導によって常人の域を超えた神経反射速度を捕捉し、敏捷性の指標とする。


 第3フェーズは『対魔力高負荷ロードセル試験』。

 油圧制御された頑丈な受圧プレートに対し、全力の打撃や踏み込みを行わせる。超音波エラストグラフィが細胞へ流れ込む魔力の瞬間励起率を捉え、最大牽引力と打撃応力(kN)を科学的に算出、物理破壊力を数値化する。


 最終工程となる第4フェーズは『減圧型魔力フラックス・チャンバー』。

 特殊合金と魔石粉末で密閉された隔離室内で被験者に全開の魔力放出を行わせ、壁面の受感結晶プレートの励起電圧から魔力放射密度(Flux)と単位時間あたりの最大出力を割り出す。


 収集されたデータは防衛装備庁の専用メインフレームへと即時転送され、自動アルゴリズムにより「F」から「S」までの公認ランクが判定される。


 会場の出口では、判定結果と顔写真、生体磁気暗号が記録された「覚醒者IDライセンスカード」がその場で交付されていた。ゲートの外では、手に入れたカードのランクに一喜一憂する者、基準の厳しさに青ざめる者が入り乱れ、国による絶対的な管理体制の幕開けを実感させられていた。


 自衛隊と政府によるダンジョン管理の包囲網は、こうして完全に敷かれたのである。


 ◇


 国家覚醒者管理機構――通称『覚醒者ギルド』が施行した、FからSに至る厳格なランク制度。

 それは単なる能力の可視化にとどまらず、ダンジョンをめぐる力学そのものを不可逆的に変質させた。


 下位ランクの単独進入が法律で固く禁じられ、高難度エリアの攻略には一定ランク以上の頭数と組織力が不可欠となったことで、野良覚醒者たちの生き残り策は「徒党を組むこと」へと急速に集約されていく。

 資本、武力、生存本能。それらが渦巻く中で無数のグループが乱立し、東京を中心とする覚醒者社会は急速に階層化していった。


 その頂点に君臨するのが、圧倒的な動員力と資金力を持つ「3大メガクラン」である。


 筆頭は、元自衛官や元警察特殊部隊(SAT/SIT)の覚醒者たちを基幹として結成された民間軍事会社型メガクラン、『PMC・アイギス』。

 大手警備会社や重工系防衛産業の資本を後ろ盾に持ち、所属する構成員の大半がCランク以上、中核戦力にはBランクやAランクの精鋭が並ぶ。近代火器と覚醒能力の連携による統率された戦術機動を売りとし、防衛省やギルド本部から危険な侵食孔の防衛警備や先行調査を優先的に請け負う、いわば「軍の外注部隊」として確固たる地位を築いていた。


 対する2つ目の巨頭が、財界の巨大資本が魔石利権の寡占を目論んで立ち上げた企業連合型メガクラン、『黎明コンソーシアム』。

 メガバンク、総合商社、外資系ファンドの莫大な資金力を武器に、全国の有力覚醒者を億単位の年俸で囲い込んでいる。独自に最新鋭の測定機器や解析ラボを整備し、徹底した損益計算と安全管理のもと、ダンジョンを「資源採掘プラント」としてシステマチックに運用していた。


 そして3つ目が、国家や企業の管理体制に反発する者たちが寄り集まって膨れ上がった、国内最大の独立系連合クラン、『アヴァロン』。

 動画配信者、半グレ、裏社会のアウトロー、そして組織の規律を嫌う実力派の野良覚醒者たちで構成され、徹底した実力至上主義を掲げる。統制こそ緩やかだが、危険な未踏破領域への強行突入を恐れない突破力と闇換金ルートを武器に、前線では自衛隊やアイギスと度々火花を散らしていた。


 だが、覚醒者の世界を形作っているのは、これら3大メガクランだけではない。


 その巨大な影の下には、100人から数百人規模で特定のダンジョンや浅層エリアの利権を固める「中規模クラン」が十数団体ひしめき合っている。特定大学の運動部出身者だけで固めた探索チームや、建設会社が瓦礫撤去と素材回収を目的に組織した実働部隊、医療系覚醒者を中心とした後方支援特化のギルドなどが、メガクランの隙間を縫うようにして独自のシマを形成していた。


 さらにその底辺には、数人から十数人規模でその日暮らしの探索を続ける無数の「小規模クラン(セル)」が無数に蠢いている。

 FランクやEランクの初心者、どの組織の採用基準にも引っかからなかった者、メガクランの過酷なノルマに耐えかねてドロップアウトした者たちが、日銭とポーション代を稼ぐために寄せ集まり、浅層の泥水をすするようにして生き延びていた。


 軍の規律を模した『アイギス』。

 資本で支配する『黎明』。

 野心と暴力で突き進む『アヴァロン』。


 その3大巨頭を頂点とし、中堅の実力派と無数の底辺弱小グループが複雑怪奇に絡み合うピラミッド。

 新設された覚醒者ギルドのロビーでは、身分証をぶら下げたあらゆる階層の覚醒者たちが日夜睨み合いを続け、ダンジョンの利権と生存を賭けた、国家公認の新たな弱肉強食が幕を開けようとしていた。


 ◇


 特別来賓用宿舎の広いリビング。

 響は革張りソファに深く身体を沈め、テーブルの上に放り出された真新しい漆黒のSランクライセンスカードを一瞥していた。


 キッチンからマグカップを2つ運んできた唯が、湯気の立つコーヒーをテーブルに置くと、向かいのソファへ腰を下ろして身を乗り出した。


「響さん、あなたはクランとか立ち上げないの? それとも、どっか入るとこを決めた感じ?」


 唯の純粋な疑問に、響は手元のカップを手に取り、ふっと冷淡に鼻を鳴らした。


「入るわけねえだろ。どこの馬の骨かも分からん連中と足並み揃えて、何が悲しくて利益を頭割りしなきゃならねえんだ」


 響は一口コーヒーをすすり、視線を唯へ戻した。


「PMC・アイギスだかアヴァロンだか知らねえが、あいつらが群れてるのは単独で深層の怪物を叩き潰す力配分がねえからだ。烏合の衆を集めて組織図作ったところで、ボスの前じゃ頭数が多いだけの肉壁にしかならねえよ」


「うぅ……身も蓋もない言い草ですぅ。でも、立ち上げる気もないんですか? 響さんが頭を張るって言ったら、それこそ自衛隊の退役組も民間のトップランカーも我先にと群がってきますよ? 3大メガクランどころか、一晩で天下取れちゃいますけど」


「面倒くせえ。ガキの学級崩壊の面倒を見る趣味はねえよ」


 響は即座に吐き捨て、背もたれに体重を預けた。


「部下を抱えりゃ、そいつらの装備の手配から死んだ時の遺族への手当、ギルドへの活動報告書作りにまで追われることになる。そんな事務作業で時間をドブに捨てるくらいなら、俺とお前でさっさと美味いボスの首を狩りに行って、肉を食ってステータス盛ってるほうが遥かに合理的だ」


「あ、アタシは頭数に入ってるんですね……!」


 唯がホッとしたように胸を撫で下ろすと、響は鋭い三白眼で唯をじろりと睨み据えた。


「当たり前だ。お前は俺の荷物持ち兼バディだろ。……俺たちに必要なのは組織ごっこじゃねえ。邪魔が入らねえ自由と、確実に食える獲物だけだ」


【白亜の会議場と、極東の切り札】

 スイス・ジュネーブ、パレ・デ・ナシオン大会議場。


 世界50カ国を超える政府代表団、WHOの公衆衛生高官、そして感染症学や分子生物学の権威たちが集結した巨大な円形ホールは、開会宣言と同時に各国の母国語が飛び交う騒然たる熱気に包まれていた。


 突如として全世界を襲った『未踏災害』。

 各地の地下に口を開けたダンジョン侵食孔から漏出する未知の病原体は、接触や咬傷、体液感染を媒介にして爆発的な感染爆発(パンデミック)を引き起こし、主要都市の治安を瞬く間に麻痺させた。


 演壇に立った国際合同調査団の首席医務官が、背後のスクリーンに巨大な分析データを投影する。


「諸君、結論から述べる。現在世界各地で蔓延している感染症は、人為的な生物兵器などではない。すべてはダンジョン内部から溢れ出た未知の病原体――ダンジョン起因による急性生体変異ウイルスだ」


 議場のあちこちで息を呑む音が響いた。


「朗報は、感染源の物理的特定が完了した点にある。ダンジョンの最深部に座す階層主(ボス)を討伐し、迷宮の活動を休眠・停止させれば、地下からの新たな病原体の湧出は完全に途絶する。すでに地上へ溢れ出た感染体(ゾンビ)を各国の軍事力で掃討し尽くせば、このパンデミックは理論上、終息へと導くことが可能だ」


「だが!」と首席医務官は声を張り上げ、スライドを切り替えた。


「問題は、すでに感染した無数の市民を救う手立てだ。従来の抗ウイルス薬、抗菌薬、抗体製剤は一切の効果を示さない。しかし、唯一の突破口が確認された。ダンジョン内部のモンスターが落とす特異ドロップ品――【治癒薬(ポーション)】の成分解析だ」


 会場の空気が一気に張り詰める。


「ダンジョンから回収された希少なドロップ製剤には、未知の生体修復酵素が含まれており、感染初期のウイルス増殖を劇的に抑制・中和する効果が実験で立証された。さらに、モンスターの中枢から摘出される【魔核(魔石)】の高密度エネルギーを用いた電磁照射リアクターにより、特効薬の人工合成、あるいは既存薬の劇的なブーストが可能であるという試算が出ている」


 その瞬間、議場の様相は一変した。

「パンデミックの終息策」を模索するための国際協力という建前は、特効薬の原材料となるダンジョン資源の争奪戦へと変貌を遂げたのだ。


「ダンジョン資源の国際共同管理を提案する! 各国は国内で産出した魔核およびドロップ薬品を直ちに国連プールへ供出すべきだ!」

「我が国の領土内で命がけで回収した戦略物資だ、無条件の供出など到底受け入れられない!」

「感染爆発の規模に応じた優先配分を行うのが先決だ!」


 大国同士の利権とエゴが衝突し、マイク越しの罵声が飛び交う。

 だが、その混乱の渦中、壇上の分析官が淡々と読み上げた一節が、日本政府代表団の周囲を一瞬にして凍りつかせた。


「……なお、極東地域において特筆すべき事例が1件報告されている。日本国・東京の池袋侵食孔において、通常は討伐と同時に光の粒子となって消滅するはずの階層主(キメラ)の『完全な生体組織』が、地上へ原型をとどめたまま搬出され、防衛省に保管されているという情報だ」


 ざわり、と会場の視線が一斉に日本代表団の席へと突き刺さった。


「消滅しないボスの肉体組織……! それだけの質量があれば、数万人分の特効薬を抽出できる生体触媒になるぞ」

「日本はなぜその標本を秘匿しているのか!」

「即座に国際カンファレンスの管理下へ引き渡せ!」


 米英仏中、各国の代表団から集中砲火のような輸出・供出圧力が叩きつけられる。

 ジュネーブからの緊急暗号電文は、リアルタイムで東京・市ヶ谷の防衛省統合幕僚監部、そして池袋の第1師団前線作戦本部へと飛び火した。


 ◇


 池袋サンシャイン60、地下作戦本部。


 伊達陸将は、手元のタブレットに届いたジュネーブからの緊急要請書を一瞥し、忌々しそうにデスクへ放り出した。


「国連のハイエナ共めが。聞き耳を立てて嗅ぎ回るのだけは一人前だな」


 傍らに立つ真鍋3佐が、胃のあたりを押さえながら苦渋に満ちた声を漏らす。


「外務省と官邸からも猛烈な催促が入っています。『キメラの肉体組織を一部でもいいから国際カンファレンスへ供出せよ、さもなくば外交的孤立を招く』と……」


「馬鹿を言え。あのキメラの死骸は、響殿と取り交わした『私有財産の不可侵』と『完全独立』を担保する最高機密の戦略標本だ。勝手に切り売りなどしてみろ、あの女狐が今度こそ国を敵に回して暴れ出すぞ」


 伊達陸将は冷徹に言い放ち、立ち上がって壁面の都内侵食マップを睨み据えた。


「だが、この国際的な圧力は、裏を返せば我が国にとって最大の防衛カードにもなる。世界中が喉から手が出るほど欲しがっている特効薬の鍵――単独でボスを狩り、消滅させずに生身の肉と高純度魔核を地上へ引きずり出せる唯一の存在が、我が国の入間基地にいるという事実だ」


 伊達は真鍋を鋭く見据えた。


「真鍋3佐」


「はっ!」


「響殿の機嫌を絶対に損ねるな。あの規格外の力を他国に奪われることも、組織の枠に押し込めて逃げられることも許されん。彼女の自由と美味い肉への執着を、我が国の生存戦略の防波堤にする。……胃に穴が空こうと、お前がその手綱を握り続けろ」


「りょ、了解であります……っ!」


 国際社会が特効薬の利権を巡って血眼になり、極東の島国へ外交圧力を強める中、その台風の目となっている張本人は、そんな地上の思惑など知る由もなく、入間基地の宿舎で次なる美味い獲物の匂いを嗅ぎ分けようとしていた。


 ◇


 入間基地の隊員食堂。

 昼時の慌ただしい配食の波が一段落した広大なフロアの片隅で、響、唯、真鍋の3人は対面のテーブルを囲んでいた。


 響の目の前には、白米の大盛り丼が3杯、空自名物の「空上げ」が山盛りに盛られた大皿、豚汁の大きな椀が所狭しと並べられている。


「本当に何でも食っていいのか?」


 響が割り箸をパチンと割りながら、確認するように真鍋を見据えた。

 真鍋は腕を組み、苦笑いを浮かべて頷く。


「構わん。特別待遇の補給枠だ、好きなだけ勝手に選んで腹に詰め込め。……もっとも、そんな並のメシでお前の腹が満たせるならの話だがな」


「タダ飯なら文句は言わねえよ。味付けがしっかりしてるのは評価してやる」


 響が山盛りの唐揚げを無造作に放り込み、咀嚼して米をかきこむ横で、唯も小鉢の煮物を幸せそうに頬張っていた。

 真鍋はその豪快な食べっぷりを見届けた後、ふと声を潜め、テーブル越しに身を乗り出した。


「ところで響殿。単刀直入に聞くが……モンスターの血肉っていうのは、ゾンビウイルスの特効薬になるのか?」


 唐揚げを口に運ぼうとしていた響の箸が、ピタリと止まる。


「あ?」


 響は眉をひそめ、心底怪訝そうな顔で真鍋を睨み返した。


「そんな話、聞いたこともねえな。どこのどいつがそんな寝言を垂れ流してやがる?」


「……スイスのジュネーブで開かれている国際カンファレンスだ。世界中でパンデミックの治療薬開発が難航していてな。池袋でお前が持ち帰ったキメラの肉体標本が、ワクチンや特効薬の生体触媒になるんじゃないかと、各国の連中が色めき立ってる」


 真鍋の言葉に、響は呆れ返ったように鼻を鳴らした。


「ハッ、無知ってのは恐ろしいね。モンスターの生肉なんざ、魔力に耐性のねえ一般人が口にすりゃ、細胞が拒絶反応を起こして即座にショック死するか、内臓が焼け爛れるのがオチだ。あんなもんをすり潰して人間に投与してみろ、ウイルスで死ぬ前に肉の毒性でポックリ逝くぞ」


「やはりそうか……」


 真鍋が安堵と落胆の混ざった息を吐き出すと、響はドンと豚汁の椀を置き、淡々と現実的な回答を突きつけた。


「特効薬になるとすれば、モンスターの肉そのものじゃねえ。奴らを倒した時に稀にドロップする『解毒薬(アンチドート)』や『治癒薬(ポーション)』の類だろ」


 響は指先を1本立ててみせた。


「ダンジョンの法則で作られた解毒薬は、魔力性の毒素や状態異常を無理やり中和・分解する規格外の代物だ。十条でお前らの部下に飲ませた解毒ポーションを覚えてるだろ。あれの成分をテメエらの科学力とやらで解析して希釈・複製できるなら、ウイルスを殺す薬くらい作れるんじゃねえのか」


 響の明快な指摘に、真鍋は険しい表情のまま深く頷き、手帳に何かを書き留めるのだった。


 入間基地の隊員食堂で得られた響の生々しい証言は、真鍋3佐の手によって最重要暗号回線を経由し、直ちに池袋サンシャイン60地下の第1師団前線作戦本部へと打電された。


 作戦室の大型モニターには、ジュネーブの国際カンファレンスから届いた標本供出の催促文書と、防衛装備庁が作成したポーション分析データが並んで映し出されていた。


 報告書に目を通した最高指揮官・伊達陸将は、短く刈り込んだ白髪交じりの頭をわずかに傾け、深く息を吐き出した。


「……なるほどな。『肉そのものは一般人にはただの猛毒、狙うべきはドロップ品の解毒薬』か」


 背後に控えていた幕僚が、怪訝そうに眉を寄せる。


「ジュネーブの医学者連中は、キメラの肉塊から未知の免疫抗体を抽出しようと躍起になっていますが……」


「机上の空論だ。現場で実際に魔獣を解体し、自らの手で屠ってきた当事者の言葉のほうが何倍も信用が置ける。あの女が『毒だ』と断じた以上、下手にキメラの肉を切り分けて国際機関へ引き渡せば、特効薬どころか世界規模の医療過誤を引き起こしかねん」


 伊達陸将は机上の通信端末を手に取り、画面越しに入間基地の真鍋へ直接指示を飛ばした。


「真鍋3佐、聞こえるか」


『はっ、真鍋です』


「響殿の知見をそのまま防衛装備庁の医官チームへ共有しろ。キメラの肉体組織の引き渡し要求は『変質防止の特殊保存プロトコルが未確立』を理由に外務省経由で突っぱねる。その代わり、十条で回収されたドロップ薬莢、および今後回収される解毒ポーションの解析に全リソースを投入させる」


 伊達陸将は鋭い眼光を崩さぬまま、モニターに映るジュネーブの会議場を一瞥した。


「外圧に流されて手元の切り札を安売りする気は毛頭ない。特効薬の主導権は、我が国が握る」


 ◇


 スイス・ジュネーブ、パレ・デ・ナシオン。世界各国が利権と恐怖に身を歪ませる国際カンファレンスの場で、アメリカ合衆国政府代表団はついに背水の陣を切った。


 連日テレビ画面に映し出されるニューヨークやロサンゼルスの惨状は悪化の一途を辿り、軍・州兵ですら防衛線を維持できず崩壊しつつあった。もはや面子や隠蔽に拘泥している余裕などない。


 アメリカ代表団の首席特使は、緊急動議という形で全権会堂の演壇に立ち、同盟国である日本代表団の席へと直接視線を突き刺した。


「我が国は現在、未曾有のバイオハザードにより大都市圏の治安維持能力が限界に達している。そこで公式に要請する。日米安全保障の枠組みおよびこれまでの信頼に基づき、日本国に対し緊急の国家支援を求める」


 議場が一瞬で静まり返る。アメリカが他国に公けの場で救援を乞うという前代未聞の事態に、各国代表のどよめきが走った。


「要請の事項は2点だ。第一に、世界で唯一、ダンジョンの侵食孔と感染拡大を局地制圧しつつある日本の『対ダンジョン戦闘ノウハウおよび実戦データの全面共有』。第二に、主要大都市の牙城と化した巨大感染源の鎮静化および、事態を打開するための実働部隊の派遣である」


 それは、世界最大のスーパーパワーが、かつて自国の庇護下にあった日本へ実戦部隊の応援を縋るという歴史的転換点であった。


 日本の外務・防衛官僚が青ざめる中、防衛省代表として出席していた高官は、即座に手元の端末から東京・市ヶ谷の伊達陸将へ、そして入間基地の真鍋へと緊急暗号電文を叩き込んだ。


「……来たか」


 池袋の地下司令室で電文に目を通した伊達陸将は、不敵な笑みを浮かべ、すぐさま返信を命じた。


「アメリカを救うのではない。我が国の生命線である食料(穀物)の輸出枠を死守するための『貸し』を作る絶好の機会だ。だが、自衛隊の本隊を海外へ派兵する余裕など国内に一片たりともない」


 伊達の視線は、入間基地で呑気にメシを食っている最強の異端児へと向けられた。


「要請に応じる。ただし、派遣できる実働戦力は2名のみだ。――我が国が誇る最強の覚醒者、『HIBIKI』と『YUI』をそちらへ送り込む」


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