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元勇者の帰還、術式失敗で(♀)になっていた。レベル1から現代のパンデミック迷宮都市を生き抜く  作者: 藤咲玲


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12話:特務契約と十億の対価

 響はフォークをスキレットに置き、大判の肉を胃袋へ収め終えたところで、満足そうに腹のあたりを叩いた。


 足元に横たわる15トンのベヒモスは、部位ごとに切り分けられた肉塊と大骨を残すのみとなり、粗方の可食部位はすでに響の拡張されたアイテムボックスへと整然と収納されていた。


「さて、腹も膨れたし渋谷のボスも片付いちまった。この後の活動方針だがよ……どうする、唯? 入間基地まで歩いて帰るか?」


 響が何気ない調子で問いかけると、最後の一口を飲み込んだばかりの唯は、ギョッとしたように目を丸くして跳び退いた。


「歩いて帰る!? 渋谷から入間まで40km以上ありますよ!? 池袋、新宿、渋谷ってダンジョン3連戦して、その帰りにフルマラソンなんて絶対に嫌ですぅ!!」


「フルマラソンっつっても、今の俺たちの脚力なら身体強化使えば1時間もかからねえだろ。時速50km巡航でバイパス突っ切ればすぐだ」


「そういう問題じゃありません! 道路は放置車両と瓦礫だらけですし、夜間の国道を時速50kmで爆走する女2人組なんて完全に不審者です! 自衛隊の検問で対物ライフル撃ち込まれますって!」


 唯は両手をブンブンと振り回し、顔を青くして全力で首を横に振った。防弾ベストを押し上げる豊かな胸が、その必死な拒絶の勢いで激しく揺れる。


「じゃあどうすんだよ。都心部にホテルでも取って一泊するか? 停電と断水でシャワーも出ねえだろうが」


 響が腕を組んで眉をひそめると、唯はハッとしたように人差し指を立て、すがりつくような眼差しを向けた。


「あのですね、真鍋3佐のホットラインがあるじゃないですか! 池袋の作戦本部であれだけ暴れて、渋谷のボスまで討伐したんですから、自衛隊の高機動車かヘリを呼んで回収させましょうよ! 『渋谷ダンジョン完全制圧、至急回収求む』って連絡入れれば、真鍋3佐なら泣いて喜んで迎えを寄越してくれます!」


「なるほどな。功績をエサにタダで足を引っ張ってこさせるわけか。悪くねえ」


 響は口角を吊り上げ、不可視のアイテムボックスから通信端末を引き抜いた。


「よし、地上へ出て電話一本入れてやる。迎えが来るまでの間に、さっきの換金所で小粒の魔石を何個か叩き売って、コンビニの残飯以外のまともな酒とツマミでも調達しとくか」


「あ、賛成です! 私、冷たい炭酸飲料が飲みたいですぅ!」


 唯がようやく安堵の笑みを浮かべたのを見届け、響は黒鞘を腰に収め直し、地下10階層の留置線跡を後にして地上出口へと歩き出した。


 ◇


 地下10階層の留置線跡から薄暗い階段を駆け上がり、響と唯はスクランブル交差点の地上へと戻ってきた。


 相変わらず広場は魔石の換金業者と新規登録待ちの覚醒者たちでごった返していたが、2人は脇目も振らず、物々しいバリケードの奥に構えられた警備本部の大型プレハブへと向かった。


 受付窓口のドアをノックし、唯は胸ポケットからラミネート加工された自衛隊員身分証明書を取り出してガラス越しに提示した。


「失礼します。航空自衛隊入間基地・即応特殊対策班の鷹野2等空曹です。公用回線を1本お借りしたいのですが」


 血塗れの迷彩服に身を包んだ小柄な女性自衛官の身分証を前に、詰所にいた民間警備の責任者は目を剥いた。ただならぬ気配を察し、慌てて奥の有線電話の受話器を差し出してくる。


「ど、どうぞ! こちらの外線から防衛省直通の優先ラインへ回せます!」


「ありがとうございます」


 唯は受話器を耳に当て、入間基地の防衛対策室、真鍋の直通ダイヤルを淀みなくプッシュした。数回の呼び出し音の後、聞き慣れた野太い声が受話器の向こうから飛び込んでくる。


『はい、入間基地対策本部、真鍋だ』


「あ、もしもし真鍋3佐ですか? 鷹野2曹です」


『鷹野!? お前、響殿と一緒に行方を眩ませて今までどこをほっつき歩いて……!』


 怒鳴り散らしそうになる真鍋の声を遮るように、唯は電話口で平然と言い放った。


「報告です。池袋、新宿、そして渋谷の3大ダンジョン、最下層のボスモンスターをすべて討伐完了しました。ダンジョンは3つとも完全沈静化しています」


『……は? お前、今なん……』


 受話器の向こうで派手に書類をぶちまける音が響き、完全な沈黙が落ちた。国家の防衛計画を根底から覆すような大戦果を、わずか数時間で、しかも2人だけで片付けたという報告に、エリート参謀の思考回路が完全にショートしたらしい。


 沈黙を破るように、唯は淡々と現実的な要求を突きつけた。


「そういうわけですので、歩いて帰る体力が残っていません。高速道路は完全に潰れてますし、下道も放置車両と瓦礫だらけで、入間から車を飛ばしても3時間以上かかりますよね? ですから、ヘリを回してください。目の前にある渋谷スクランブルスクエアの屋上ヘリポートで待ってます――お父さん」


『ぶふっ!? お、お父……っ!? おい待て鷹野! 屋上ヘリポートなんぞに飛ばす手続きがどれだけ――』


「20分で来てくださいね! じゃあ切ります!」


 受話器の向こうで泡を食って絶叫する真鍋の声を置き去りにし、唯は迷いなくガチャリとフックを落とした。


「ぷはっ……! よし、これで回収要請は完了です!」


「お前、あいつのこと『お父さん』とか呼んでんのかよ」


 横で腕を組み、呆れ果てた顔で見守っていた響が眉をひそめると、唯は悪戯っぽく小さく舌を出した。


「普段から小言がうるさい口うるさい親父代わりみたいな人ですから。こう言っておけば、冷や汗かいて大急ぎで航空隊に怒号飛ばしてヘリを上げてくれますよ」


「ヘリなら20分か。車を待つよりは余程マシだな。よし、約束の20分が経つ前に、さっきの換金所で小粒の魔石を何個か叩き売って、コンビニの残飯以外の美味い酒とツマミでも調達しとくか」


「あ、大賛成です! 私、冷たい炭酸飲料とポテトチップスが食べたいですぅ!」


 2人は警備本部のプレハブを後にすると、頭上にそびえ立つ超高層ビルの威容を見上げつつ、雑踏の広がるスクランブル交差点の換金所へと足早に向かった。


 ◇


 約束の20分をわずかに過ぎた頃、夜の闇に沈む渋谷の上空を裂いて、重苦しいローターの旋回音が響き渡ってきた。


 地上230m、渋谷スクランブルスクエアの屋上展望デッキ「SHIBUYA SKY」。風が吹き荒れるヘリポートの中央へ、陸上自衛隊の多用途ヘリコプターUH-2が強烈なダウンウォッシュを巻き起こしながら降着した。


 キャビンのスライドドアが勢いよく開け放たれる。

 中から身を乗り出してきたのは、防弾チョッキに身を包み、鬼のような形相で眉間を歪めた真鍋3佐だった。


「乗れ! 2人ともさっさと乗らんか!!」


 怒号のような怒声がプロペラの轟音に負けじと響く。

 響は手にしたコンビニ袋――冷えた缶ビールとサラミの入った袋をカサカサと鳴らしながら、億劫そうにキャビンへ飛び乗った。その後ろから、買い込んだ炭酸飲料とスナック菓子の袋を両腕に抱えた唯が、身を縮こまらせて滑り込んでくる。


 2人が座席に腰を下ろしてドアが閉まるや否や、真鍋はヘルメット越しに唯の頭をわしづかみにせんばかりの勢いで詰め寄った。


「『お父さん』だと!? 誰が貴様の父親だ鷹野2曹! 基地の通信回線でわけの分からん呼び方をするな! その上、池袋、新宿、渋谷を数時間で単独制圧だと!? ふざけるのも大概にしろ!」


「ひぃぃっ! ご、ごめんなさい真鍋3佐ぁっ! でも本当に全部片付けたんですよぉっ!」


 唯がシートの上で完全に縮み上がり、泣きそうな声で耳を塞ぐ。

 その横で、響はプシュリと景気よくビールのプルタブを引き抜いた。


「おい真鍋、怒鳴るなら着いてからにしてくれ。耳が痛えよ。……で、入間基地まではどれくらいで着くんだ?」


 一口喉を鳴らした響が淡々と尋ねると、真鍋は血走った目を向け、苦々しげに吐き捨てた。


「入間だと? 誰が入間に帰ると言った。行先は池袋だ」


「は? なんで池袋なんだよ。拠点は入間だろ」


「当たり前だ! 都内3大ダンジョンが突如沈静化し、前線の全部隊が蜂の巣をつついたような大騒ぎになっているのだぞ! 防衛省本省からも都庁からも問い合わせの嵐だ! そんな状況で、張本人の貴様らをのんびり基地の宿舎へ帰せるわけがないだろうが!」


 ヘリは機首を北へと向け、夜間飛行の高度を取る。眼下に広がる廃墟と化した東京の街並みを飛び越え、機体はわずか数分で豊島区上空へと到達した。


 降下していった先は、サンシャインシティのすぐ東側に位置する「としまみどりの防災公園(イケ・サンパーク)」。

 かつて造幣局の東京支局があった広大な敷地は、今や迷彩色のテントと大型発電機、通信車両が敷き詰められ、自衛隊と警察の重装備部隊が集結する物々しい臨時航空拠点へと変貌していた。


 スキッドが芝生を捉えるや否や、完全武装の警衛隊員たちがヘリを取り囲む。


「連れて行け! サンシャイン60の地下第1会議室、作戦本部長の直前までだ!」


 真鍋の容赦ない号令のもと、響と唯はヘリから引きずり出されるようにして、警備兵たちの物々しい護衛――という名の完全な連行態勢で、夜の闇にそびえ立つ巨大なサンシャイン60の要塞へと足早に連行されていった。


 ◇


 サンシャイン60の地下第1会議室に設営された作戦本部。壁一面の大型モニターには都内各所の被害状況や部隊配置図がリアルタイムで投影され、階級章を付けた幕僚や通信兵たちが絶え間なく飛び交う怒号の中で忙しなく動き回っていた。


 その中央、長机の最奥に鎮座していたのは、今回の首都防衛作戦の最高司令官である伊達陸将だった。


 真鍋3佐に背中を押されるようにして部屋へ足を踏み入れた響と唯の前で、伊達陸将が厳めしい視線を向けて仁王立ちになる。


「……よく戻った、響殿、そして鷹野2曹。池袋ダンジョンの最下層討伐および沈静化については、すでに貴殿らからの報告と前線の観測班によって確認が取れている。だが――その後の新宿、そして渋谷の一件だ。事態が急転しすぎて本省も現場も大混乱に陥っている。貴殿らの口から直接説明願おう」


 部屋中の視線が一斉に2人へと突き刺さる。唯が緊張のあまり直立不動で息を呑む中、響は手にした空き缶を真鍋のデスクへ無造作に置き、平然と口を開いた。


「池袋のボスを片付けた後、そのまま新宿へ直行した。あそこのダンジョンは地下10階層まであってな。最下層に陣取ってたボスモンスターを完全に討伐した」


 ざわり、と周囲の幕僚たちがざわめく。


「続けて渋谷だ。新宿を処理した足でそのまま明治通りを突っ走って渋谷ダンジョンへ潜った。あそこも同じく最下層のボスモンスターを討伐完了。これで池袋、新宿、渋谷の3大ダンジョンはすべて根元から機能を停止させた」


「ば、馬鹿な……!」

「数時間で新宿と渋谷の最深部を単独踏破だと!?」


 幕僚たちから信じがたいといった動揺の声が次々と上がる。常識的に考えれば、中隊規模の精鋭部隊が重火器を持ち込んでも数週間から数か月を要する超難関作戦だ。それをわずか数時間で、たった2人で成し遂げたなど到底信じられるはずがない。


 冷徹な目を細めた伊達陸将が、静かに問い質した。


「……報告の内容は極めて重大だ。我が軍としても、各ダンジョンからモンスターの反応が急激に減衰しているデータは掴んでいる。だが、単独討伐を立証する明確な確証がなければ、正式な作戦完了とは認められん。何か証拠はあるのか?」


「証拠なら、ここにある」


 響は片眉を吊り上げると、アイテムボックスの空間を展開した。


 ドォンッ! ドォンッ!


 重苦しい地響きとともに、作戦本部の頑丈な長机の上に叩きつけられたのは、深層階層主からえぐり取った2つの超巨大魔石だった。


 1つは、新宿ダンジョン最下層で暴虐を誇った暴竜カルノタウルスの核――3億8,000万円相当の価値を秘め、禍々しい紅蓮の魔力光を脈動させる巨塊。

 もう1つは、渋谷ダンジョン第10階層の主、15トンの重地獣ベヒモスの心臓直裏から生きたまま引き抜いた、赤黒く凝縮された高密度の深層魔石。


 露天商がノギスで測る1cm足らずの「特大魔石」など問題にならない。部屋中の蛍光灯の明かりを吸い込み、空間の空気を歪めるほどの圧倒的な質量と魔力密度に、周囲の幕僚たちが椅子ごと後退り、息を呑んで硬直した。


 言葉を失って固まる伊達陸将と、冷や汗を流す真鍋を見据え、響は腕を組んで不敵に言い放った。


「池袋のキメラはさっき現物を渡したろ。これが新宿と渋谷のボスの魔石だ。――おい、勘違いすんなよ。これは提出じゃねえ。買い取り頼む」


 ◇


 机の上にドカリと置かれた2基の巨大魔石から放たれる濃密なオゾン臭が、地下会議室の空気を重苦しく圧迫していた。


 呆然と立ち尽くす伊達陸将と、額に脂汗を浮かべる真鍋参謀を見据え、響は腕を組んだまま冷徹に告げた。


「池袋のキメラ本体、そしてこの魔石だ。新宿のやつはカルノタウルス……恐竜の大型種だな。こっちの核魔石は3億8,000万円と俺は見立てている」


 受話器を置いた伊達陸将と真鍋3佐に向け、響は冷徹な視線を据えて言葉を継いだ。


「言っておくがな、3箇所のダンジョンは今、機能は減衰している。だがこれは一時的なもので、ボスは一定期間を置いてリポップするはずだ。そこら辺の対策を考えておいた方がいいぞ」


「リポップ……だと!?」


 真鍋が顔色を変え、机に両手を叩きつけた。


「一度沈静化したダンジョンが再び活性化し、最深部のボスが蘇るというのか!? それは確実な情報なのか!?」


「ダンジョンってのはそういうシステムだ。根絶やしにしたつもりで油断してると、数日から数週間後にまた同じ化け物、あるいはそれ以上の厄介なのが湧き出して地獄を見る羽目になる」


 響は鼻を鳴らし、机の上の巨大魔石を顎でしゃくった。


「今回みたいに俺たちが都合よく掃除して回る保証はどこにもねえ。各ダンジョンの入り口に監視哨を置いて魔力濃度の変動を常時モニタリングするか、リポップした瞬間に重火器で即座に叩き潰せるだけの迎撃陣地を組んでおくことだな」


「……貴重な進言、感謝する」


 伊達陸将は険しい表情のまま深く頷き、隣の真鍋へ即座に視線を鋭く走らせた。


「聞いたな、真鍋3佐。池袋、新宿、渋谷の各ダンジョン境界線に第1特科連隊および施設科を直ちに派遣、定点観測レーダーと遠隔地雷原の敷設プロトコルを策定させろ。『完全制圧』などという甘い言葉で部隊を弛緩させるな。次代の迎撃態勢を今夜中に構築するぞ」


「はっ! 直ちに下令します!」


 真鍋が慌ただしく通信兵へ指示を飛ばし始めたその時、会議室の防音扉が再び開き、台車を押した完全武装の警衛隊員たちが姿を現した。


 頑丈なジュラルミンケースと、造幣局の刻印が打たれた厳重な金属コンテナ。

 響が要求した「現金5億円」と「純金インゴット5億円分」の代価が、重々しい金属音を立てて室内に運び込まれてきた。


 運び込まれた現金と金塊のコンテナを一瞥した響は、慌ただしく指示を飛ばす伊達陸将と真鍋に向けて、さらに踏み込んだ提言を突きつけた。


「そして、これはさらなるアドバイスだ。この機を生かして覚醒者たちの組織化を図った方がいい」


 伊達陸将が受話器を置き、鋭い視線を響の双眸へと据え直す。


「覚醒者の組織化……ギルドのような統括組織を作れ、ということか」


「そうだ。今、街に野良で転がってる覚醒者の中にはピンからキリまでいる。そいつらのランク付け、そして組織化によるメリットは、選び抜かれた者たちで難易度を選んで攻略させるということだ。そうすれば無謀な突入による無駄死には激減するし、戦力としての覚醒者の維持も可能なはずだよ。これはぜひとも急いでほしい」


 響は腕を組んだまま、冷徹な現実を淡々と並べ立てた。


「今みたいに素人が徒党を組んで中層や深層に突っ込んじゃ全滅し、魔石も回収できずにモンスターの餌になってりゃ、いつまで経っても自衛隊の尻拭いは終わらねえ。各ダンジョンの脅威度に見合った実力者をライセンス制で選別して潜らせる。下位の連中には浅い階層で物資や小粒魔石の回収をやらせて兵站を回させる。そうやってピラミッド型の管理体制を組まねえと、次にボスがリポップした時、首都圏は間違いなく内部から崩壊するぞ」


 その言葉の重みに、真鍋が息を呑んで伊達陸将の横顔を見つめた。


「……一理、どころではないな」


 伊達陸将は深く、重々しく頷いた。


「我が軍でも、無秩序にダンジョンへ侵入して行方不明になる民間覚醒者の捜索や後始末に、膨大な人員とリソースを割かれていたのが実情だ。覚醒者の能力測定、ライセンスの発行、そして討伐難易度に応じた階層立ち入り制限……。国家主導による『覚醒者統括機構』の創設は、急務の防衛課題と一致する」


 伊達陸将はすぐさま手元のメモにペンを走らせ、真鍋へ鋭い眼光を向けた。


「真鍋3佐、本省の内閣官房参与へ直通回線を回せ。法曹班と人事計画幕僚を招集し、覚醒者登録・管理特別法の草案作成を命じる。――響殿、貴殿の提言はすべて作戦計画に反映させてもらう」


「軍が本気で枠組みを作るなら、こっちとしてもやりやすくなる。……じゃあ、能書きはここまでだ。現物を引き取らせてもらうぜ」


 響は警衛隊員が運んできたジュラルミンケースと金塊コンテナの前に立つと、迷いなく手をかざした。


 響が手をかざすと、机の前に積み上げられていたジュラルミンケースと金塊のコンテナが、輪郭を歪ませるようにして一瞬で虚空へと吸い込まれ、完全に掻き消えた。


 総重量100kgを超える巨額の資産を跡形もなく収納し終えた響は、軽く肩を回し、用事はすべて終わったとばかりに踵を返した。


 そして、額に青筋を浮かべて書類の束を抱え込んでいた真鍋の肩へ、ぽんと気安く手を置いた。


「じゃあ、お父さん。帰ろうか」


「ぶっ……! 貴様、誰がお父さんだ! 基地の通信回線に続いてここでもその呼び方をするな!」


 真鍋が顔を真っ赤にして怒声を張り上げると、背後で控えていた唯が吹き出しそうになる口元を必死に両手で押さえ、周囲の警衛隊員や幕僚たちも表情をピキピキと強張らせて視線を泳がせた。


「いいからさっさとヘリ出せよ。こっちは3大ダンジョンをハシゴしてヘトヘトなんだ。入間基地の宿舎で美味い酒飲んで寝かせろ」


「ええい、図々しい奴め……! 陸将、本件の決済手続きおよび報告書の基礎データは通信室に回してあります。これより張本人どもを入間基地へ護送……いえ、送り届けます!」


 伊達陸将は呆れたように口元をわずかに緩め、小さく片手を振った。


「うむ、ご苦労だった。真鍋3佐、2人を安全に入間まで送り届けてやれ。響殿、鷹野2曹、首都を救った貴殿らの規格外の戦果に、改めて軍を代表して礼を言う」


 伊達陸将の重厚な敬礼に見送られながら、響はひらひらと片手を振り返し、喚き散らす真鍋の背中を押してサンシャイン60の地下会議室を後にした。


「いいからさっさとヘリ出せよ。こっちは3大ダンジョンをハシゴしてヘトヘトなんだ。入間基地の宿舎で美味い酒飲んで寝かせろ」


 響はそう言い放ちながら、胸ポケットから無造作にプラスチック製のカードを1枚引き抜くと、真鍋の胸元へパチンと指で弾いて押し当てた。


「あ、これ覚醒者登録証ね。自宅は入間基地にしといたからよろしく」


「は……? 覚醒者登録証……自宅が入間基地だとぉぉぉっ!?」


 真鍋は反射的に受け取ったカードの現住所欄を凝視し、絶叫とともに目玉を飛び出させた。そこに印字されていたのは、間違いなく『埼玉県狭山市 航空自衛隊入間基地』の所在地だった。


「き、貴様ッ! 自衛隊基地を勝手に私人の住所地に設定するな! 退去しろと言ったはずだろうが! 官舎や隊舎は隊員の福利厚生施設であって、民間の居候を受け入れるシェルターではないのだぞ!」


「細かいこと気にするなよ、お父さん。さっき組織化の旗振り役になれってアドバイスしただろ? 俺が入間に陣取ってやりゃ、基地の防衛力も跳ね上がるし、司令部直属の相談役としても都合がいいはずだ。家賃の代わりにたまにダンジョン潜ってやるから、部屋と美味い飯を用意しとけ」


「誰がお父さんだ! 勝手に話を進めるな!!」


 真っ赤な顔で怒り狂う真鍋を完全に聞き流し、響はひらひらと片手を振って廊下へと歩き出した。


「ほら唯、行くぞ。ヘリの席が埋まらねえうちに乗り込むぞ」


「は、はいっ! 真鍋3佐、お父さんって呼ばれるの実はちょっと嬉しそうですよね! 早く行きましょう!」


「嬉しそうなわけがあるかぁぁっ! 待て、廊下を走るな鷹野2曹!!」


 怒号と足音を作戦本部の地下通路に響かせながら、3人はイケ・サンパークのヘリポートへと向かって足早に引き揚げていった。




 響は無造作に顎をしゃくり、続けて赤黒く輝くもう1つの巨大魔石を指し示した。


「そして、渋谷のダンジョンで討伐したこいつ。話くらいは聞いたことがあるだろ、ベヒモスという怪物だ。推定総重量およそ15トンの超ヘビー級だ。当然、核の魔力密度も規模も跳ね上がる。2つ合わせておよそ10億といったところだ。――おい、言っとくが池袋のキメラ本体はこれに含まれてねえからな。あれの分はさらに追加だ」


「じ、10億……!?」


 真鍋3佐が喉を詰まらせ、泡を食って絶句した。


「ば、馬鹿を言うな! 作戦本部にそんな巨額のキャッシュが転がっているわけがないだろうが! 10億円なんぞ、札束にしたら100kgを超えるんだぞ!?」


「知るかよ。露天商のケチな買い取り屋じゃあるまいし、日本国自衛隊が買い叩きなんて恥ずかしい真似すんのか? 正規部隊を突っ込ませて壊滅する損害に比べりゃ、タダ同然の安さだろ」


 響が鼻で笑って言い放つと、沈黙を守っていた最高司令官・伊達陸将が、額に青筋を浮かべながら重々しく口を開いた。


「……真鍋3佐、狼狽えるな」


「はっ、しかし司令官……!」


「響殿の言う通りだ。第1師団を新宿と渋谷に突入させていれば、戦死者の補償や失われた重火器、弾薬の消費だけで数百億円の予算が吹き飛んでいた。それに比べれば、10億など国家の緊急予備費からすれば微々たる端金に過ぎん」


 伊達陸将は鋭い眼光を魔石へと落とし、デスクの上の内線電話の受話器を迷いなく掴み取った。


「技術研究部の測定班を至急呼べ。それと本省の会計監査官へホットラインを繋げ。内閣官房特務費、事態対処緊急枠の即時執行だ。……響殿、キャッシュの即金払いとはいかんが、貴殿の口座へ電信送金、あるいは指定の物資や燃料との現物相殺なら今夜中に手続きを完了させてみせる。それで手を打ってもらおう」


「話が早くて助かるぜ」


 響は満足そうに口角を吊り上げ、提示された条件をあっさりと受け入れた。


 ◇


 伊達陸将の招集命令からわずか10分後、重厚な会議室の防音扉が開き、白衣の上に防弾ベストを羽織った防衛装備庁技術研究班の技官3名が、精密機材を載せたラックマウント式の台車を押して滑り込んできた。


 班長とおぼしき白髪交じりの1等陸佐が直立不動で敬礼を捧げる。


「技術研究部第3開発室、測定班到着しました!」


「うむ。挨拶はいい、机の上の物体を直ちにスキャンしろ。新宿と渋谷の最深部で回収されたボスクラスの核魔石だ」


 伊達陸将が短く顎をしゃくると、技官たちは机上に鎮座する2つの巨大な結晶塊を目にした瞬間、息を呑んで立ちすくんだ。しかし即座に職業意識を取り戻し、機材のセッティングへと取りかかる。


 ラックから引き出されたのは、超音波探傷プローブ、高周波ミリ波送信アンテナ、そして電磁感受性を捉えるスペクトラムアナライザーが組み合わされた最新鋭の可搬型複合非破壊検査ユニットだった。


 技官の1人が、ゴム手袋越しにセンサーヘッドをカルノタウルスの魔石表面に押し当てながら、伊達陸将と真鍋に向けて早口に測定プロトコルを説明し始めた。


「非破壊による魔石の価値算定は、3系統の物理スキャンによる複合解析で行います。まず、高周波超音波パルスを内部に透過させ、結晶格子の歪み、内部クラック、不純物の混入による音波反射の減衰率を測定。これで『物理的完全性』を割り出します。次に、ミリ波帯電磁波の透過散乱計測により、結晶内部の比誘電率と質量密度を特定。そして最後に、EMSプローブによる固有電磁放射――魔力波の自然放出スペクトルと、外部パルスに対する感受性共鳴をスキャンします」


 技官の手元にある軍用堅牢ノートPCのモニターに、複雑な3次元波形と散布図が瞬時に描かれていく。


「……信じられん。超音波の反射波形にノイズが一切存在しない。内部欠陥ゼロ、完全単結晶です。ミリ波による密度解析を掛けます。重量と容積の比率から、標準的な下級小粒魔石に対する質量換算比率は……カルノタウルス核が約4,200倍、ベヒモス核に至っては約7,800倍に達しています」


 カタカタとキーボードを叩く技官の指が微かに震え始めた。


「魔石の市場評価は、単純な質量の掛け算ではありません。通常流通する小粒魔石数千個分の質量を単一の結晶で保持している場合、エネルギーの容積効率、高出力励起における臨界マージンが指数関数的に跳ね上がります。そのため、質量換算値にサイズ係数と、ボス級固有の希少価値乗数を乗算して標準評価額を算出する規定になっています」


「もったいぶるな。結論の数値を言え」


 真鍋が焦れたように促すと、技官長が唾を飲み込み、画面に弾き出された最終積算ログを読み上げた。


「……第1検体、新宿ダンジョン最深部出土、カルノタウルス核魔石。純度99.4%、質量換算および大型単結晶プレミアムを加味した評価額――3億7,800万円」


 室内の幕僚たちが息を呑む。響が見立てた3億8,000万円と、誤差わずか200万円という驚異的な一致だった。


 技官長はさらに息を整え、赤黒い光を放つベヒモスの巨塊のディスプレイへ視線を移した。


「第2検体、渋谷ダンジョン最深部出土、推定ベヒモス核魔石。……EMS測定値が規定の計測レンジ上限を振り切っています。純度99.9%、極大容積による戦略物資乗数は最高ランクの『S』を適用。……算定評価額、6億1,500万円」


「2つ合わせて……9億9,300万円……!」


 真鍋が掠れた声を漏らした。響が告げた「2つ合わせておよそ10億」という数字は、単なるハッタリや当てずっぽうなどではなく、防衛省の最新測定機材が弾き出した厳密な物理評価とほぼ完全に合致していた。


 机の向こうで腕を組む響は、眉ひとつ動かさずに伊達陸将を見据えた。


「ほらな。自衛隊のハイテク機材も俺の鑑定と同じ数字を出したろ。合計約10億円。端数は切り捨てて10億ポッキリで手を打ってやる。どうする、陸将?」


 技官が告げた9億9,300万円という積算結果の余韻が残る中、伊達陸将は腕を組み、冷徹な視線を響へと向けた。


「提示された約10億円の支払い、我が軍として正式に受諾する。だが――問題はその決済手段だ」


 伊達陸将はデスクのモニターに映る金融ネットワークの障害ログを指先で叩いた。


「見舞われている通り、都内のメガバンクや中央銀行の電算システムはダンジョン出現に伴う通信寸断と引き出しパニックにより、正しい機能をほぼ停止している。全銀ネットの復旧には数日から数週間を要する見込みだ。仮に貴殿の口座へ電信送金したところで、ただちにATMや窓口で引き出せる保証はどこにもない」


 真鍋3佐が苦々しい顔で言葉を継ぐ。


「池袋の地下金庫と、隣接する造幣局跡地保管庫から1万円札の現生をかき集めれば、10億円分の紙幣を用意すること自体は可能だ。だが、10億円の現金となれば、1万枚束が100個。重量にして100kg、ジュラルミンケースなら特大サイズで10個前後の大荷物になる。……どうする、響殿。いつ動くか分からん口座への振り込みか? それとも、この100kgもの現生を担いで所有していくのか?」


「まあ、そのくらいの重量なら今の俺のアイテムボックスに無理やり押し込める限度内だ。……ちょうど空きがあるからな」


 響は肩をすくめ、何でもないことのように言い捨てた。


「なっ……アイテムボックスだと!? やはり空間収納系の固有スキルを保持していたのか……!」


 真鍋3佐が息を呑み、血走った目で響を凝視した。

 覚醒者の中でも極めて希少とされる空間干渉型のスキル。軍が兵站の要として喉から手が出るほど欲しがる能力だが、「無理やり押し込める限度内」という響の言葉に、伊達陸将は鋭い観察眼を向けた。


「……なるほど。無制限の四次元ポケットというわけではなく、積載可能な容積と重量に明確なリミットがある、ということだな」


「当たり前だろ。無限に何でも入るなら、新宿や渋谷の瓦礫ごと全部片付けてやってるよ。さっきのデカい魔石を出して、ようやく100kgやそこらの荷物が入るスペースが空いたところだ」


 響は平然とした顔で嘘を吐き、自らの底知れない容量を大幅に過小申告してみせた。


 これ以上の兵站利用や輸送任務の強制徴募をあらかじめ封じつつ、目の前の巨額資産を独力で回収するための計算された言い訳だった。


 伊達陸将は深く頷き、迷いなく机の上の内線受話器を押し込んだ。


「納得した。それだけの積載限界があるなら、部隊を護衛につけて運ばせる手間もリスクも省けるというものだ。……おい、地下金庫と第3備蓄区画へ繋げ。作戦本部長命令だ。1万円札で5億円分、および造幣局規格の純金インゴット(1kgバー)を現行レート換算で5億円分、直ちに本会議室へ搬送させろ。至急だ」

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