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元勇者の帰還、術式失敗で(♀)になっていた。レベル1から現代のパンデミック迷宮都市を生き抜く  作者: 藤咲玲


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9話:後半

 ボス部屋の分厚い黒鉄の扉を押し開き、響と唯は第10階層の奥底から地上へと向けて歩き始めた。


 すでに道中のモンスターは行きがけに殲滅し尽くしているため、障害は一切ない。2人は足早に階段を駆け上がり、第5階層、第3階層、そして地上へと通じる最初の地下道へと戻ってくる。


 地上へ通じる出入口の階段、そのすぐ手前で響は足を止めた。


「唯、ここで荷物を下ろすぞ。……地上に出る前に、ブツを引っ張り出す」


「は、はいぃっ!」


 響はアイテムボックスの虚空を開き、内部に保管していた巨大なキメラの死骸を物質世界へと引き戻す。

 ズシンッ! と湿った石畳が激しく揺れ、血抜きと解体を済ませた獅子の巨躯が姿を現した。切り落としたコウモリの皮膜翼、そして切断した大蛇の尾も、床へと無造作に転がり出る。


「おい、唯。お前はこの羽と尻尾をまとめて抱えて運べ」


「ひゃいっ!? こ、このヘビの尻尾、まだ生々しくてヌルヌルしてますぅぅ……! でも、頑張って抱えますぅ!」


 唯は悲鳴を上げながらも、怪力とミスリルガントレットを総動員して、巨大なコウモリの翼2枚と長大な大蛇の尾を両腕にしっかりと抱え込んだ。


 一方の響は、体長8メートル、数トンはある獅子の本体の前に回り込み、胴体の下に両腕を潜り込ませる。

 [身体強化Lv.1]を発動させ、全身の筋肉へ魔力を一気に巡らせた。


「……フンッ!!」


 短く息を吐き出すと同時に、巨大な山のような獅子の死骸を、軽々と背中と両肩の上へと担ぎ上げていく。

 女の華奢な体躯からは信じられない怪力。漆黒のロングコートの下で筋肉を躍動させ、血溜まりを散らしながら、響は悠然と地上へ続く階段を上がり始めた。


 階段を抜け、池袋東口の地上出口へと足を踏み出した、その瞬間のことである。


 昼下がりの眩しい陽光の先に広がっていたのは、物々しい重警戒態勢だった。

 土嚢と鉄条網で何重にも固められたバリケードの向こうには、迷彩服を着た陸上自衛隊の小銃小隊が幾重にも整列し、背後には装甲車や通信車両がずらりと並ぶ。


 さらに、防弾チョッキを羽織った政府の内閣府危機管理担当のスーツ姿の役人たちや、第1師団の幹部将校たちが、双眼鏡を片手に緊迫した面持ちで地下道の出口を凝視していた。突入したはずの「特例独立協力者」2名の安否と、地下の観測データを確認するため、固唾を呑んで様子を窺っていたのだ。


 そこへ現れたのが――。


 体長8メートルを超える漆黒の猛獅子の死骸を、背中に丸ごと担いで平然と歩いてくる黒衣の女。

 そしてその背後で、切り落とされた巨大なコウモリの翼と毒蛇の尾を、荷物のように両腕いっぱいに抱えて小走りでついてくる少女の姿であった。


 ドシン、ドシン、とアスファルトを踏み締める重厚な足音とともに、まだ温もりを残す魔獣の血がボタボタと地面に滴り落ちていく。


「…………っ!?」


 息を呑む音が、現場のあちこちから漏れた。

 次の瞬間、静寂は一瞬にして吹き飛ぶ。


「な……な、何だありゃあぁぁぁッ!?」

「ば、化け物……!? いや、人間が担いで出てきたぞ!?」

「嘘だろ、あんな規格外の巨体を女ひとりで担いでるのか!?」

「待て、あの死体……消えてないぞ! なんで魔物の死骸がそこに残ってるんだ!?」


 自衛隊員たち、幹部将校たち、そして政府関係者たちの絶叫が入り混じり、池袋東口の防衛線一帯は、蜂の巣をつついたような大パニックへと叩き落とされた。


 ◇


 場面は、池袋サンシャインシティの地下に設置された陸上自衛隊・第1師団の前線作戦本部へと移る。


 無骨なパーテーションで仕切られた大会議室には、現場の混乱冷めやらぬまま強制招集された響と唯、そして急遽入間基地から駆けつけた真鍋のほか、防衛省の技術研究幹部やスーツ姿の政府高官たちが重苦しい表情で車座になっていた。


 部屋の中央、防水シートの上には、先ほどまで地上を大パニックに陥れた体長8メートルのキメラの巨躯が、解体された翼や蛇尾とともに横たえられ、異様な威圧感を放ち続けている。


 腕を組んだ真鍋が、眉間に深い皺を刻みながら、パイプ椅子に浅く腰掛ける響へと鋭い視線を向けた。


「……響。この状況について、説明してもらえるか」


 部屋中の視線が一斉に突き刺さる中、響は退屈そうに肩をすくめ、渋々といった調子で口を開く。


「説明も何も、見たまんまだよ。たまたま最奥……そうだな、第10階層の奥にあるボス部屋で戦闘があって、そいつが本当、たまたま消えなかったんだよ。一応、研究の資料としてこいつを持ってきてみようかなと思ってな」


 何食わぬ顔で放たれた「たまたま」という極めて雑な言い訳に、真鍋の目が見開かれた。


「た、たまたまだと……? おい、魔物が光の粒子になって消滅しないなどという報告は、世界中を探しても前例が一度たりともないんだぞ! それを……『たまたま消えなかったから持ってきた』で済ませる気か!?」


 真鍋は机を叩いて身を乗り出し、防水シートの上に鎮座する漆黒の巨大な肉塊を指差して声を荒らげる。


「だいたい、お前……こいつ、体長8メートルもあるんだぞ!? 重量にして数トンはある化け物の巨体を、地下の最深部からどうやって地上まで担ぎ上げてきたんだ! よく持ってこれたな……!」


 響はパイプ椅子の背もたれに体重を預け、防水シートの上に横たわる漆黒の巨躯を顎でしゃくった。


「火事場の馬鹿力ってやつだ。それに、たまたまというのは本当だよ。ほら、そこに消えないであるだろ。せっかくの上等な検体なんだから、ありがたく受け取っとけよ」


 あまりにも投げやりで、それでいて目の前の現実を突きつける響の言葉に、作戦本部の空気は一瞬で凍りつく。


「き、貴様……っ!」


 真鍋はこめかみに太い青筋を浮かべ、拳を握りしめて机を激しく叩いた。

 だが、どれほど詰問しようと、目の前に体長8メートルの質量を持ったキメラの死骸が厳然として転がっている事実は覆しようがない。


 周囲に控えていた防衛省の技術研究官たちが、防護服の上から恐る恐る近寄り、携帯型の測定器を死骸にかざしながら困惑と混乱の声を上げる。


「し、心肺機能は完全に停止しています……! しかし、なぜ細胞の崩壊が起きないんだ!?」

「未知の変異種なのか……!? こんな報告は世界中のどのダンジョンでも一度もないぞ!」

「あり得ん……なぜ光の粒子に還元されず、肉塊のままそこに存在し続けているんだ……!?」


 研究官たちの困惑と動揺を余所に、真鍋は深い、深いため息を吐き出して両手で顔を覆った。


「……頭が痛い。貴様らが関わると、常識の枠組みがすべて狂う」


「狂っちゃいねえよ。現実がこれなんだから受け止めろ」


 響はふんと鼻を鳴らし、隣で気まずそうに目を泳がせている唯を横目に、退屈そうに指を組む。


「で、どうすんだマナベっち。こいつが前代未聞の特級素材なのは間違いないだろ? 皮や骨を調べりゃ、自衛隊の防弾装備や対魔物兵器の開発にいくらでも使えるはずだ。約束の特別手当と次の補給さえしっかり回してくれるなら、解剖しようが素材として切り刻もうが、好きに使って構わねえぜ」


 そこで響は言葉を切り、鋭く目を細めた。


「……おい、話はまだ終わりじゃねえぞ。もう1つの要求だ。――俺たちの自由は、きっちり保証してもらおうか」


 響の放つ威圧的な声音に、部屋の空気が再びピリつく。


「十条駐屯地での事があるからな。今のままだと、お前らのことなんざこれっぽっちも信用できねえんだよ。俺たちは自衛隊の中でも自由な行動を認めてもらうのと、政府関係者の中でも行動の自由を完全に認めてもらうぞ。後から規則だの命令だので手足を縛ろうとしたら、即座に手を引くからな」


 十条で正規の指揮系統に組み込もうと囲い込みを図り、監視と拘束同然の扱いを試みた自衛隊側の前科。その不信感を容赦なく突きつけられ、政府の審議官が息を呑んだその時、背後に控えていた唯が青ざめて響のコートの裾を必死に引っ張った。


「ひ、響さんっ! 言葉遣い……! 言葉遣いですぅ……!!」


 自衛隊の将官や政府高官が並ぶ前で、あまりにも凶悪な凄みを利かせる相棒に耐えかねた唯の必死の指摘。

 だが、響は何を勘違いしたのか、ハッとわざとらしく目を見開くと、両手を胸の前で上品に重ねて小首を傾げる。


「――あら、いけませんわ。オホホ、わたくしとしたことが、少々お下品なお言葉遣いになってしまいましたわね? 皆様、お許しあそばせ?」


 鈴を転がすような淑やかな美声で、優雅にお嬢様ムーブを繕ってみせる響。

 だが、その漆黒の瞳の奥には冷徹な凄みが居座り、要求の内容そのものは1ミリも引っ込めていない。


 その凄まじい茶番を目の当たりにした真鍋が、耐えきれずに頭を抱え、盛大なツッコミを叩きつけた。


「お前……そっちじゃねえだろうがッ!!」


 作戦本部の会議室に真鍋の呆れ果てた絶叫が木霊する。

 取り繕うべきは「お嬢様口調」ではなく、国家や軍の最高幹部に対する不敬極まりない「要求の内容」そのもののはずだった。


 真鍋のツッコミを軽く受け流すと、響の目からふざけた色が完全に消え失せた。


 パイプ椅子に深く腰掛け直し、足を組む。両肘を膝に置き、指を組んで上座を射抜くように見据えた。その瞳に宿るのは、国家権力を前にしても一切揺らがない冷徹な敵意そのものである。


「十条駐屯地での件を、俺が忘れたとでも思ってんのか?」


 低くドスの利いた響の声に、会議室の空気が一瞬で氷点下まで張り詰めた。


「あん時の神崎とかいう連中は、俺たちを『最重要確保対象』に指定して、力尽くで拘束しようとした。それだけじゃねえ。俺の所有物……未知の薬品だの規格外の装備だのを、『国家の非常事態』を盾に強制収用――要するに、根こそぎ強制没収しようと企みやがったよな」


「っ……!」


 内閣府の審議官が、痛いところを突かれたように息を呑み、額に脂汗を滲ませる。


「あの時、上層部が『特例独立協力者』なんて看板に切り替えて、強制収用や身体検査を無期限凍結にしたのは知ってるぜ。だがな、そんなのはお前らの都合でいつでもひっくり返せる内規の紙切れ一枚だ。このキメラの標本をタダでくれてやるつもりはねえ。――要求は2つだ」


 響は2本の指を立て、上座の中央に鎮座する最高指揮官の喉元へ突きつけるように言葉を叩きつけた。


「第1に、自衛隊および政府機関による、俺たちの所持品、装備、薬品に対するあらゆる強制収用・提出命令・身体検査の完全破棄。所有物はすべて俺個人の私有財産であり、国家権力による不可侵領域だと、ここで最高責任者の口から言質を取る」


「第2に、自衛隊の指揮系統からの完全な独立と行動の自由だ。お前らに命令される筋合いはねえし、首輪をつける気なら今ここで交渉を決裂させて、この死体も持って引き上げる。……どうする、伊達陸将? 国が滅びかけてる時に、前線で最も結果を出してる戦力を敵に回すか、それともこの不可侵条約を呑むか」


 唯も息を呑んで見守る中、密室の会議室で、響は体長8メートルの怪物の死骸を盾に、国家のトップたちへ最後通牒を突きつけた。


 防水シートに横たわる巨躯を前に、真鍋や研究官たちが狼狽する中、上座の中央に鎮座していた初老の男が、重々しく腕を組んだまま低く息を吐く。


 陸上自衛隊第1師団長――伊達陸将。

 池袋・都心奪還作戦における現地最高指揮官である。


 その横には、官邸からの直接指示を背負った内閣府の審議官が、冷や汗を拭いながら押し黙っていた。これまで現場の混乱と響の態度を無言で見据えていた最高責任者が、鋭い眼光を響へと真っ直ぐに向け、静かに口を開く。


「真鍋3佐、そこまでだ」


 低く芯の通った一喝に、真鍋が即座に直立不動の姿勢を取った。


 伊達陸将はゆっくりとパイプ椅子から立ち上がると、歩み寄ってキメラの死骸を見下ろした。軍靴の底が、床に落ちた血糊を踏む。


「……第10階層のボス、合成魔獣の単独撃破。それだけでも我が師団の2個中隊全滅に匹敵する戦果だ。その上、これほどの質量を持った未知の標本を持ち帰った功績は疑いようもない」


 伊達は響を冷徹に見据え、一切の私情を交えずに告げる。


「貴様らが『たまたま』と押し通すつもりなら、現時点ではそれで結構だ。軍として必要なのは、この標本がもたらす現実的な利益――外殻の装甲値、骨の強度、そして対魔物装備への応用データだ」


 一瞬の沈黙を挟み、伊達陸将は重い吐息を漏らした。


 伊達は組んでいた腕を解き、眉間に刻まれた深い皺を指先でなぞると、隣で青ざめている内閣府審議官を一瞥する。審議官は唇を噛み締め、小さく首を縦に振った。国家の法規範よりも、目前に横たわる8メートルの脅威と、それを一人で仕留めて持ち帰った規格外の戦力を優先せざるを得ない――官邸側の敗北宣言だった。


 伊達は響を真っ直ぐに見据え、軍人らしい明瞭な口調で告げる。


「……呑もう。安藤響、鷹野唯。両名が所持する一切の私有財産に対し、自衛隊および日本国政府は強制収用、提出命令、身体検査を永久に行わない。加えて、行動の自由と指揮系統からの独立を保障する。この決定は、統合幕僚監部および内閣官房の総意として私が責任を持つ」


「言質は取ったぞ。反故にしたら、その瞬間に敵対関係だからな」


 響が冷たく言い放つと、真鍋がこめかみを押さえながら書類の束を机に置いた。


「話がまとまったなら、次は実務だ。おい、このキメラの搬送と調査の手続きに入る。……それと響、約束の特別手当と補給物資のリストだ。確認しろ」


 真鍋が差し出したバインダーを受け取り、響はパラパラとページをめくる。提示された金額と提供可能な装備・弾薬のリストを鋭く検分し、口元をわずかに吊り上げた。


「悪くない。……唯、行くぞ。ここに長居する理由はもうねえ」


「えっ、あ、もう行っちゃうんですか!? し、失礼しましたぁっ!!」


 唯は伊達と真鍋に向かって慌ただしく頭を下げると、すでに作戦本部の重い扉へ向かって歩き出していた響の背中を小走りで追いかけた。

ここまでお読みいただき、ありがとうございます!


現在、先の展開までしっかりと原稿のストックを書き進めておりますが、伏線の整合性や文章の推敲・校正を丁寧に行い、一番面白い形でお届けできるよう順次公開しております。

今後も安定したペースで更新していきますので、楽しみにお待ちいただけますと幸いです。


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