テスカトリポカ社
テスカトリポカ(Tezcatripoca)社にて。
テスカトリポカ社はシュヴェーデに本部がある、ウイルスを研究する企業である。
その企業本部ビルにサングラスをかけ、白衣に赤いシャツ、黒いスラックスを着用した男がいた。
その男は「東条」博士だった。
「クックック、どうやらラハブ・ウイルス=RVがこの国を席巻しておるわ。さすがはラハブ・ウイルスだ。まさか、これほどまでに成果を上げるとは……。そうは思わないかね、宮子君?」
「……」
そこに黒い髪を無造作に束ねただけの女性がいた。
彼女は黒いスーツの上に白衣を着ていた。
「どうかしたかね? 何か言いたいことがあるなら行ってみたまえ」
「いえ……。よく会社はこんなウイルスの研究と実験に許可を出したと思いましてね」
宮子が嫌悪感をむき出しにした。
宮子からすればこんなウイルスの成果に喜ぶ神経が理解できなかった。
東条はいかにも嬉しそうに嬉々としてウイルスのことを語る。
「ククク、それはそうだろう。こんなビジネスチャンスはめったにあるものではない。会社の経営者側では、このウイルスの実行力と売り上げにしか関心はあるまい。まあ、余計なことに口を出されたくないので、こうして経営者には現場のことには無知であってほしいものだよ」
宮子がけわしい目を東条に向けた。
「それが罪もない子供まで犠牲にしてもですか?」
東条は腹の底からおかしいとでも言うように、笑い始めた。
「ククク、クヒャーハッハッハッハ!」
「!? 何がおかしいのですか!」
「いや、急にヒューマニズムにでも目覚めたのかと思ってね。しかし、宮子君、君は罪を持たない人間がいると本気で思っているのかね?」
「無垢な子供たちがそうだと思いますが?」
宮子はこの男には絶対に反論しなければと思っていた。
理由がどうあれこの男の考えは宮子には認められない。
生理的に嫌悪しているのだ。
「ククク、幻想だよ、宮子君。子供自身は罪をほかの人物に転換しているだけだよ。たとえば、子供が鶏肉を食べたとする。それならばその子は別の誰かに鶏を殺させたことになる。別の誰かがスーパーマーケットで鶏肉を売り出し、食べているというわけだ。これは罪を別人になすりつけているだけではないか? 豚、牛、シカ、鶏、どの肉でも同じことだ。これらの肉は人が罪を殺害という罪を犯して初めて食べられるのだよ。つまり、結局のところ、罪のない人間などいないというわけだ」
「ですが、動植物は神が人間のための糧として、与えたものです。とはいえ、被造物は無尽蔵に湧き出てくるわけではありません。自然も被造物ですが、自然はこれらの動植物を養うでしょう」
「君のその理想には致命的な欠陥があるね」
「? 何がですか?」
宮子は吐き捨てるように言った。
宮子は目を細めた。
「会社が追求するのは『利益』であってヒューマニズムではない。すべては『利益』のためにあるのだ。そのために我々の研究は『手段』であって『目的』ではない。君も少しは大人になりたまえ。いつまでも現実を拒絶するのではなく、それを受け入れることだ。そんなことをしても孤立化するだけだよ。会社とは何か? 企業とは何か? それを学んだほうがいいね」
東条は肩をすくめた。
いや、すくめてみせた。
明らかにわざとだ。
アラゴンの娘、ダキが邪痕に感染した。
アラゴンは娘の看病に躍起になった。
そのため、アラゴンはスルトに休みを申請して、家庭での看病に専念した。
テンペルでも感染者は信徒によって看病された。
こういう時はその組織が持つ、美徳が現れる。
テンペルの兄弟姉妹はスルトから指示されなくても、互いに助け合った。
この邪痕は誰がなってもおかしくないのだから、自分を責めるなとも。
事態は突然、動いた。
アンシャルは研究室にセリオン、エスカローネ、スルトの三人を招いた。
「こんないそがしい中集まってくれたのはほかでもない。邪痕について決定的なことが分かったからだ」
アンシャルが口火を切った。
「何かつかめたのか、アンシャル?」
アンシャルは三人を前にして、知りえた事実を語った。
アンシャルの顔に緊張があった。
「ああ。この邪痕は魔力を持ったウイルスだ」
「ウイルス? それも魔力を持つ?」
セリオンが理解できなさそうに答えた。
「魔力性のウイルスということですか?」
「いいところを突いている、エスカローネ」
「つまり、それこそが気息耐性の強みにつながっているのだな?」
アンシャルはうなずく。
「ああ、そうだ。魔力を持っているということは気息が耐性になるということだからな」
「ゆえに気息耐性がある人間にはこの邪痕はかかりづらいというわけか」
「つまり、気息の修業をした者にはこの邪痕は効きにくい。そして、このウイルスの拡散はシュヴェーデを中心にしているようなんだ」
スルトがけわしい表情をした。
それはつまり……。
「何だと? それはシュヴェーデのどこからかこのウイルスが発信されているということか?」
「その可能性が高い。何者かがこのウイルスを拡散させている。それがどこの誰でどういう目的でかはわからないが……」
アンシャルが顔を曇らせた。
シベリウス教の孤児院、カリタス(Caritas)孤児院でも孤児たちが邪痕にかかった。
テンペルはブルーダーとシュヴェスターを孤児院に派遣した。
セリオンとエスカローネもそれに加わった。
「ウルリーケ(Ulrike)院長先生、お久しぶりです」
「ああ、よく来てくれました、セリオン君」
ウルリーケが安堵したような表情をした。
「ところで、隣りの方は?」
「初めまして、私はエスカローネ。セリオンの恋人です」
「そうですか、ようこそ、当孤児院へ。ではさっそく仕事を頼みたいのですが」
「わかりました」
シュヴェスターたちはテキパキと働いた。
彼女たちは孤児たちの着替えや、たまっていた洗濯物や食事作り、食べさせるのに大忙しだった。
一通り仕事が落ち着くとセリオンとエスカローネはお茶に呼ばれた。
「ありがとうございます。施設に人間だけではとても間に合いませんでした。これもテンペルのおかげですね。ああ、主なる神に感謝を!」
「孤児たちはまだ感染をまぬがれているようですね」
「そうですね……。今のところは……。セリオン殿、我々はこの病とどう戦えばよいのでしょう?」
「今わかっていることは気息耐性のある人にはこの邪痕は効きにくいということ。そしてできる限り、外出を避けることです。今、子供たちにできることはこれくらいしかないでしょう。苦しい戦いですが、少しずつ希望が見えてきました。あきらめずに闘志を持ってください」
セリオンたちはカリタス孤児院を後にした。
その日の夕方――
セリオンとエスカローネは久しぶりにある人物と出会った。
「久しぶりだね、セリオン、そしてエスカローネ」
「スラオシャ!」
「スラオシャ様!」
二人は同時に声を発した。
大天使スラオシャ――シベリウス教七大天使の一人、天聖のスラオシャ。
スラオシャは元人間の天使で、死後に天使になった人物である。
彼はセリオンに神剣サンダルフォンを与えた人物でもある。
そのスラオシャが木の枝に立っていた。
「どうしたんだ、スラオシャ? 何かあったのか?」
「今この国を陥れている事件について、ね。俺はそれについて教えに来た」
「? いったいどういうことなんだ?」
「この邪痕の発信源はある企業だよ」
「企業?」
スラオシャはよどみのない発音で伝えた。
そのメガネの色が光った。
「テスカトリポカ社――ウイルスを研究し、ワクチンを作る企業だ」
「つまり、その企業について調べろということか?」
「話が早いね、セリオン。つまりはそういうことさ。企業とウイルス、そしてワクチン……。事件は一本の線で結ばれている。それを忘れないことだよ。それじゃあ、君たちの健康を祈っている」
そう語るとスラオシャは光のゲートに消えていった。
「テスカトリポカ社か……そこがウイルスのもとだという……」
「どうするの、セリオン?」
「そうだな、これからその企業に行ってみるか」
セリオンの瞳に狼のごとき闘志が宿った。




