邪痕
ツヴェーデンの首都シュヴェーデで、奇妙な病気が流行り出した。
それは黒いあざができる病気で、かかると倒れて発熱する。
ただし、不可思議なことに、「気息」耐性がある人にはかからないという特性があった。
テンペルのブルーダーやシュヴェスターでもこの病気にかかる人が出始めた。
この病気は「邪痕」と名付けられた。
この病気は接触感染はしないことから、空気中に、邪悪な粒子が散布されているのではないかと疑われていた。
一流の高名な魔道士たちが研究しているが、今だ確かなことはわかっていない。
アリオンの母ダリアはこの病気にかかってしまった。
そこでダリアは学校を休んでいた。
セリオンとディオドラは病にかかったダリアの見舞いにやって来た。
ダリアとアリオンはテンペルの家族寮に住んでいる。
寮の部屋にはアリオンがいた。
「こんにちは、アリオン君」
「やあ、アリオン」
セリオンとディオドラがあいさつする。
「ディオドラさん、それにセリオン……」
アリオンは不安そうな面持ちだった。
どうしていいかわからないような感じだった。
「ディオドラ? セリオン君?」
奥からダリアの声がした。
ダリアは上半身を起こした。
アリオンはすぐさまダリアに近づいて。
「母さん、ちゃんと寝ていた方が……」
「いいのよ。お客様が来ているのにもてなしをしないわけにはいかないでしょう?」
セリオンとディオドラは部屋の中に入った。
ダリアは顔が蒼く、明らかに調子が悪そうだった。
ダリアはベッドで上半身を起こしていた。
そのそばにアリオンが控える。
ディオドラはアリオンの存在を気にかけた。
「アリオン君、あなた、学校はどうしたの?」
「今は休んでいるんだ。母さんの世話をするために」
「じゃあ、急いで学校に行きなさい。子供の仕事は学校に行くことよ。ダリアちゃんの世話は私たちがするから、あなたは学校に行ってらっしゃい」
「でも……」
アリオンは渋った。
アリオンはダリアを見た。
どうやらアリオンはダリアが心配らしい。
「アリオン、立派な大人になりたかったら、学校に通うんだ。学校に通えるのは幸せなことなんだぞ? 俺が育った時はシベリア学校なんてなかったんだ。俺もエスカローネも学校には行っていない。アンシャルの個人レッスンを受けたんだ。もっともそれもある意味では幸せだったんだが……」
「セリオン……」
アリオンは決意を込めた瞳でうなずいた。
「わかった。母さんの世話は二人に任せるよ。俺は学校に行ってくる」
そうしてアリオンは用意を済ませると、学校に行った。
「ダリアちゃん……調子はどう?」
「ええ、発熱があるくらいよ。私の場合はね。人によっては頭痛が起きるとか……」
「食欲はあるの?」
「ものの見事にないわね。まあ、アリオンがおかゆとスープを作ってくれたから、無理して食べたんだけど……」
「台所が片づけられていないな。俺が洗おうか?」
セリオンが台所見て言った。
台所には食べ終えた食器があった。
「ありがとう、セリオン君。お願いできるかしら?」
セリオンはそうして流しに向かい、食器を洗って行った。
「ダリアちゃん、何か困っていることはない? 私たちが力になるわよ?」
ディオドラがダリアの背をさすった。
ディオドラは本気でダリアの心配をしているのだ。
「そうねえ……。日用品が不足しているの。買い物に行ってほしいんだけど」
「だったら、俺が行ってこよう。母さんはここでダリアの面倒を見ていてくれ」
「ありがとう、セリオン君」
ダリアが力なくほほえんだ。
無理をしているわけではないようだが、顔が蒼い。
それがセリオンには痛々しかった。
セリオンは買ってくるものをメモ用紙に書き込み、買い物に出かけて言った。
セリオンは部屋の扉をゆっくりと静かに閉めた。
「ダリアちゃんも邪痕にかかったの?」
「ええ、そうよ。これを見て」
ダリアは右腕をまくった。
ダリアの腕には黒いあざがついていた。
「この黒いあざ、確かに邪痕だわ」
「ディオドラは何ともないの?」
「ええ、私は大丈夫よ、今のところはね」
「ディオドラはセリオン君の母親だから、主から恩寵を賜っているのかもしれないわね。ふう……。少し疲れたわ。横になってもいい?」
「ええ、無理しないで」
その日ディオドラはアリオンが帰ってくるまでダリアの看病を続けた。
ツヴェーデンは憲法を持っている。
正式名称は「ツヴェーデン連邦共和国憲法」である。
この憲法では行政府の長は大統領が代表し、立法府の長は議会首相が代表し、司法府の長は最高裁判所長官が代表する形になっている。
いわゆる、三権分立である。
ツヴェーデンの大統領は議会の立法に対して拒否権を持ち、条約を議会の同意なく制定できるなど、強力な権限が与えられている。
ツヴェーデンは伝統的に一人の個人の強力なリーダーシップを好む。
そもそも、「ツヴェーデン」という地名は東ツヴェーデン(Ostzweden)と西ツヴェーデン(Westzweden)があり、東側の領土が縮小したことで、西側のみをツヴェーデンと呼ぶようになった。
ツヴェーデンはリーダーシップ無くしては存在しえない国家である。
そのためツヴェーデン大統領、つまり行政府に強力な権限がある。
ツヴェーデン大統領は「ツヴェーデン王」とか、「家父長」とか言われて皮肉られることがある。
もっとも、そんなことを言うのはツヴェーデンの大統領の権限の強さにあこがれている人が多いのであるが……。
ツヴェーデン人にとってリーダーシップとは生き方なのであって、民族の魂と呼べるのだ。
そのツヴェーデン大統領は今はリヒャルト・ベートホーフェン(Richard Beethoven)が務めている。
ツヴェーデン大統領は一任期4年、二期8年まで務められる。
ツヴェーデン人はシベリア人と比べると一回りは体が大きい。
頑強な肉体に、甲冑を着たスルトより、ベートホーフェン大統領は体が大きかった。
現在スルトと大統領は会談していた。
スルトはテンペルの代表であるため、いろいろな人と会談を持つことが多い。
彼は友達作りがうまい人ではなかったが、自然と受け手が権威を認めるようなことがあった。
政治組織のトップには共感力よりも、権威と敬意が求められる。
つまり、求心力だ。
求心力の無いトップには誰もついてこない。
スルトには歴戦の戦士としてのすごみがあった。
それが敬意を払わせるのである。
この会談にはセリオンも同席していた。
スルトとベートホーフェン大統領はソファーで対面していた。
「ツヴェーデン全体の状況はどうですかな?」
スルトが斬りこむように率直に尋ねる。
ベートホーフェン大統領は苦々しい表情を浮かべながら口を開く。
「各州政府から上がってくる報告は悲鳴のようです。州政府も懸命な対策に追われています。いまのところ、この『邪痕』で病院が確保できています。ただ、いまのところ対策は後手後手に回っているのが現状ですな。病床は確保できておりますが、肝心の治療法が見つかっていないので……。最近シュヴェーデでも死者が出ました。ベルフィン州は非常事態宣言と『邪痕』への宣戦布告を出したくらいです。我々はこの『邪痕』と全面戦争を行っているのです」
大統領の悲観的な言葉にスルトは顔色を変えなかった。
「一つわかっていることがあります」
「? それは何でしょうか?」
「この『邪痕』は気息の修業をした者には効果が非常に薄いようです。私も、セリオンもそのうちの一人ですが。テンペルでは聖職者でも軍事訓練と霊性修行をしますが、そのせいか、聖職者も戦士たちもぴんぴんしています。彼らの中でこの病にかかった者はおりません」
スルトの報告にベートホーフェン大統領は身を乗り出した。
「それでは『邪痕』は魔力的性質を持っているのかもしれませんな」
「我々の民族共同体(Volksgemeinschaft)では一般信徒で倒れているものがいますが、それでもまだ一名も死者が出ておりません。我々はこの『邪痕』との戦い、対邪痕戦争を行っているのです」
「テンペルではどのくらいの人々がこの病気にかかっておりますか?」
「ざっと、千人ほどですな。騎士の中にもかかった者がおりますが、比較的軽い症状で済んでいます。ツヴェーデン全土ではどうですか?」
今度はスルトが質問した。
スルトにも情報網はあり、ツヴェーデンのことも調べてはいるが、まず、シベリア人の現状を知ることを優先させているため、ツヴェーデン全土のことはまだ把握できていなかった。
「ざっと見積もって五百万人ですな。ツヴェーデン全人口は約八千万にんですが……」
「そうですか。我々は今後とも情報共有を続けていきましょう。それでは」
スルトはセリオンを伴って、大統領府から去っていった。




