白き竜の目覚
頭の奥に、直接響くような声。
聞いたことがない声のはずなのに。
なぜか——知っている気がした。
『ヨウ! ウエ、ヨケル!』
反射だった。
その声に従い、考えるより先に、体が動いた。陽は地面を蹴って、上へ飛んだ。近くの木の枝に手をかけ、体を引き上げる。
直後。黒いブレスが、さっきまで陽が立っていた場所を通り過ぎた。
地面が、えぐれた。直径三メートルほどの穴が、一瞬で出来ていた。煙が上がり、焦げた土の匂いがする。
「……っ」
陽は枝にしがみついたまま、その穴を見つめた。手が震えていた。あそこに立っていたら、一撃で。
深呼吸する。落ち着け。
声。今の声は何だ。
頭の奥に響いた声。男でも女でもない、不思議な声。でも、確かに聞こえた。
――ヨウ! ウエ、ヨケル!
もう一度、頭の中で声を辿った。
ヨウ。それは、自分の名前だ。
誰が呼んだ。誰が、自分の名前を知っている。この場に、ヒロはいない。達也もいない。
陽は顔を上げた。
そのとき、白い影が木々の間から現れた。
セラだった。
翼に傷を受けていたが、駆け寄ってきた。陽の目の前で止まり、金色の瞳でじっと見つめてくる。
陽は黒い竜から目を離さないまま、小声でセラに囁いた。
「まさか……セラ……?」
セラは動かなかった。
陽はセラを見た。金色の瞳が、陽をまっすぐ見返している。
「今の声、お前なのか……!?」
今度は、声に出して問いかけた。
沈黙。
一秒。
二秒。
そして——
「ウン」
その場に声が響いた。
間違いない。さっきと同じ声だ。不思議な声。だが心地が良い。今度はハッキリと聞こえた。
「……セラが、喋った」
声が、掠れていた。
セラは陽をじっと見ていた。金色の瞳が、静かに揺れている。
陽は膝をついて、セラと目線を合わせた。手が震えていた。でも、目は逸らさなかった。
「本当に……セラなのか?」
「セラハ、セラ」
今度は、もう少し長かった。ゆっくりと、一語一語を確かめるように。
「キミガクレタ、ナマエ」
陽の目が、潤んだ。
セラは――自分の名前を、陽がくれたと言った。
「……ああ」
陽は頷いた。返事をする声がうまく出なかった。
「俺がつけた。セラって名前、俺がつけた」
「ハジメテ、シャベレタ。……デモ、マダ、ウマクシャベレナイ」
セラが、ゆっくりと頭を陽の胸に押し当ててきた。温かい。白い鱗が、夕暮れの光を受けて淡く輝いている。
何が起きてるのかわからない。
何故セラが言葉を――。状況を整理するには頭が追い付かない。とにかく今は。
陽は顔を上げた。
黒い竜が、依然としてこちらを覗く。
深紅の瞳が、陽とセラを見ている。さっきとは、少し違う気がした。攻撃する気配はない。ただ、何かを確かめるように、じっと見ている。
怖い。まだ怖い。でも、今はセラがいる。
「……お前は、何だ」
問いかけた。だが、黒い竜は答えない。
深紅の瞳が、陽を映している。それからセラを映した。
長い時間、セラを見ていた。
まるで、何かを確かめているような目だった。知っているような、知らないような。懐かしむような、それでいて測るような。
陽はセラを見て、話し掛ける。
「セラ、あの竜のこと……わかるか?」
「……ワカラナイ」
セラが静かに答えた。
「デモ」
少し間があった。
「……ナニカ、カンジル」
陽は黒い竜を見た。深紅の瞳が、まだこちらを見ている。
そのとき。黒い竜が、再び動いた。今度は攻撃ではなかった。ゆっくりと、翼を広げる。羽ばたきが風を生む。木々が揺れる。その風が陽とセラを包んだ。
次の瞬間、黒い竜の首が低くなった。地面に爪を立て、体を沈める。
それは、まるで構えだった。
「来る……!」
陽は立ち上がった。セラが前に出る。
黒い竜が地面を蹴った。速い。さっきと同じ、信じられない速度だ。でも今度は、翼を使った薙ぎ払いではなかった。口が開く。喉の奥が、また黒く輝き始める。
「また、あのブレス——!」
陽はセラの背に飛び乗った。
セラが翼を広げた。飛び上がる。でも、距離が近すぎる。回避しきれない。
陽は歯を食いしばった。
間に合わない。わかっていた。それでも——。
セラの体が、光った。
「ヨウ、マモル!!」
今度は、今までと違う光だった。柔らかいリジェネレイト・コアの光でもない。もっと鋭い、刃のような光。装備している全ての武具が、同時に輝き始める。シャープネイル・クロー。テンペストウィング。煌竜ノ鱗衣。全部が、一斉に。
――《アーセナルオーバードライブ発動:残り時間:60秒》
「……!」
陽は息を呑んだ。
通知が、視界に浮かんだ。
――《セラがスキルを習得しました》
――《アーセナルオーバードライブ》
――《クラス:未鑑定》
――《60秒間武具性能大幅上昇。再使用時間2時間》
「セラ……またスキルを覚えたのか——!?」
答える間もなかった。
セラが急降下した。ブレスが放たれる寸前、真横へ鋭く旋回する。強化されたテンペストウィングが風を読む。ブレスの軌道が見えた——いや、セラには見えていたのかもしれない。
紙一重で回避した。
黒いブレスが、空を走った。木々を薙ぎ倒しながら、遠くで消えた。
「……避けた」
陽は信じられない気持ちで呟いた。
セラが旋回して、黒い竜と向き合った。アーセナルオーバードライブの光が全身を包んでいる。武具が輝き、セラの体が一回り大きく見える。
黒い竜が、動きを止めた。
深紅の瞳が、セラを見ていた。さっきまでとは違う目だった。品定めするような目でも、様子を見る目でも、ない。
まるで——驚いているような。
それだけで、何かが伝わってくる気がした。
「……セラ、行けるか」
「ウン」
セラが答えた。迷いのない声だった。
陽はセラの首をしっかりと掴んだ。
「行こう」
セラが加速した。
黒い竜へ向かう。翼の付け根——鱗の薄い部分。フェイタルリードが発動する。金色の瞳が急所を捉えた。
強化された爪が、深く突き刺さった。
黒い竜が、初めて声を上げた。
唸り声だった。痛みの声とも、怒りの声とも違う。どこか——困惑したような声。
「ダメージが入った……!」
アーセナルオーバードライブ残り時間——30秒。もう一撃。陽が指示を出そうとした瞬間。
黒い竜が翼を大きく広げた。
その動きが生んだ風圧で、セラが大きく押し戻された。陽は体にしがみつく。
黒い竜は、攻撃しなかった。
ただ、翼を広げたまま、陽とセラを見ていた。
アーセナルオーバードライブの光が、少しずつ弱まっていく。
残り10秒。
黒い竜は動かない。
5秒。
まだ動かない。
0。
アーセナルオーバードライブが、切れた。
セラの体から光が消える。
黒い竜は、それを見ていた。
それから翼をゆっくりと畳んだ。首を低くする。
そして。
黒い竜が、陽とセラから目を離した。
音もなく、地面を蹴る。空へ舞い上がり、木々の上を越えていく。深紅の瞳が最後にもう一度だけ、二人を見た。
それから薄明の空に、溶け込んでいった。
残ったのは、えぐれた地面と、倒れた木々と、夕暮れの静寂だけだった。




