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ROAR OF DRAGONS  作者: 紫鷹丸
12/31

夏の始まり

 七月の終わり、終業式の日にヒロからメッセージが来た。


*「明日から全力でいくぞ」*


 陽は布団の中でそれを読んで、思わず笑った。


*「了解」*


 返信して、目を閉じた。夏休みが始まる。



 夏休みに入ると、二人の生活は一変した。

 起きたらログイン。昼食のためにログアウトして、食べたらまたログイン。夕食前にログアウトして、風呂に入って、寝る前にもう一度ログイン。気づけば一日のほとんどをミシェルラウドで過ごしていた。


 現実の時間が、やけに短く感じた。

 朝の草原から始まり、クエストをこなし、装備を強化し、夜のグランヴェルに戻ってくる。それだけで充実した一日になる。現実の夏休みは、その合間にある休憩時間みたいだった。


 学校がある頃は、放課後の数時間しかログインできなかった。それが今は朝から晩まで使える。積み上げてきたものが、一気に加速していく感覚があった。セラの動きはさらに洗練され、ヒロとの連携も言葉なしに通じるようになっていた。


 悪いことだとは思わなかった。


「陽、ちょっといい?」


 ある朝、ログインしようとしていた陽を母が呼んだ。


 リビングに行くと、母がテレビの前に座っていた。ニュースが流れている。夏の朝らしく、カーテンから白い光が差し込んでいた。


「座って」


 陽は母の隣に腰を下ろした。


 画面には、スーツ姿の男性が街頭インタビューに答えている映像が映っていた。


*「Aegisの経済効果は想定以上です。関連市場の規模は発売から一ヶ月で既に数兆円規模に達しており、世界各国で普及が加速しています。VR-NFT市場は今後さらなる成長が——」*


「すごい反響だね」と陽が言うと、母は「そうね」と頷いた。「でも次を見て」


 画面が切り替わった。今度は白衣の専門家らしき人物が映っている。


*「一部のユーザーに、VR酔いに似た症状が報告されています。現実とゲーム内の感覚のズレによるもので、めまいや軽度の離人感を訴えるケースが確認されています。特に長時間プレイ後のログアウト直後に——」*


「離人感って何?」と陽が聞くと、母が答えた。「現実感がなくなる感じ、みたい。ゲームの世界があまりにリアルすぎて、現実に戻ってきたときに違和感を覚える人が出てきているって」


「俺は大丈夫だよ」

「本当に?」


 母が陽をじっと見た。心配しているのが伝わってくる。


 陽は少し考えた。正直に言えば——ログアウトした直後、一瞬だけ天井が遠く感じることはある。セラの温もりが指に残っている気がすることもある。でもそれは、すぐに消える。

 

「本当に大丈夫。ちゃんと現実とゲームの区別はついてる」

「夏休みに入って、一日何時間やってるの?」

「……十二時間くらい」


 母が眉をひそめた。


「夏休みだから」と陽は続けた。


「学校始まったら減る。約束する」

「約束ね。それと——朝ご飯食べてからにしなさい」


 テーブルには、いつの間にかトーストと目玉焼きが置いてあった。スクランブルエッグでも目玉焼きでもなく、半熟の目玉焼き。陽の好みを覚えている。


「……ありがとう」


 陽はトーストを齧りながら、もう一度ニュースを見た。


*「ただし、これは極めて一部のユーザーに限られており、Artefact社は安全性に問題はないとコメントしています。専門家も、適切な休憩を取ることで症状は出ないとしており、過度な心配は不要との見解です」*


 極めて一部。適切な休憩。

 陽は残りのトーストを口に押し込み、立ち上がった。


「ごちそうさま。ヒロんちに行ってくる」 

「たまには、外の空気も吸いなさいよ」


 陽は「わかった」と答えて、玄関を出た。

 夏の朝の空気が、むっとするほど熱かった。



 隣の家のインターホンを押すと、すぐに扉が開いた。


「遅い」


 ヒロが開口一番に言った。すでにAegisを手に持っている。


「朝ご飯食べてたんだよ」

「俺はメシ食べながら待ってた」

「じゃあ準備は万端だね」


 陽はヒロの部屋に上がった。机の上には空になったシリアルのボウルが置いてある。窓から夏の日差しが差し込んでいたが、カーテンが半分閉まっていた。


「ニュース見た?」と陽が聞く。


「VR酔いの話か」

「うん。さっき、母さんに心配された」


「俺の親は何も言わなかったな」とヒロは言った。


 それからAegisを手の中で回しながら続ける。


「ただ、VR酔いのメカニズムは気になった」

「気になった?」

「Aegisは脳をスキャンして五感を再現する。それだけリアルなら、現実との乖離が生まれても不思議じゃない。俺たちが平気なのは、たぶん若くて適応力があるからだ」

「じゃあ大丈夫だよね?」


「大丈夫だろ。仮にも世界的に普及してる機器だし、だけど——」ヒロは少し間を置いた。「長く続けるほど、現実とゲームの境界線が薄くなる可能性はあると思う」


 陽はその言葉を、しばらく頭の中で転がした。

 境界線が薄くなる。ログアウトした直後の、あの一瞬の感覚を思い出した。天井が遠く感じる、あの感覚。


「……気をつけよう」


「ああ」とヒロが頷く。


「今日から首都を目指す」


 陽は思わず笑った。


「切り替え早いね」

 

 二人は並んでAegisを装着した。

 脳がスキャンされる、あの一瞬の感覚。視界が暗くなって——

 光が満ちた。

 

 ミシェルラウドの空が、広がった。

 セラが陽の隣に並ぶ。白い鱗が、夏の陽光を受けて輝いている。


「ただいま、セラ」


 セラが短く鳴いた。

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