騎乗⑵
縄張りに入った瞬間、空気が変わった。
風が強くなる。雲が低い。草原の草が一斉に同じ方向へなびいている。遠くで何かが羽ばたく音がした。重い、低い音だ。
「来るぞ」
試験官が言った。陽は空を見渡した。
どこだ。どこから——
真上。影があった。
気づいた瞬間、ストームウィングが急降下してきた。翼を畳んで、一直線に落ちてくる。その巨体が視界を埋める。鋭い嘴、岩のような爪、広げると十メートルを超えるであろう翼。
「セラ、右!」
セラが急旋回した。ストームウィングが通り過ぎる。風圧だけで体が大きく揺れた。
「っ——!」
陽はセラの首にしがみついた。心臓が跳ね上がる。ストームウィングが旋回する。地上と違い、空中での方向転換は読みにくい。どこから来るかわからない。
次の瞬間、その翼が一度大きく広がった。空気が爆ぜた。突風が壁のように押し寄せる。
セラの体が大きく押し戻された。陽の体ごと引っ張られる。落ちる——と思った瞬間、セラが翼の角度を素早く変えた。体勢を立て直す。だが完全には戻りきれず、高度がかなり落ちた。
「……っぶない」
陽の額に汗が浮かぶ。手が痛いほどセラの首を掴んでいた。
「陽、落ち着け!」
ヒロの声が更に上空から聞こえた。レオンが攻撃の準備をしながら、ストームウィングを睨んでいる。
「セラの動きを信じろ! お前が焦ったらセラも動きにくくなる!」
陽は歯を食いしばった。
そうだ。セラを信じろ。深呼吸する。手の力を少しだけ緩める。セラの心臓の鼓動が伝わってくる。とくとく、と。落ち着いている。陽より、ずっと落ち着いている。
「……ごめん、セラ。落ち着く」
セラが短く鳴いた。
陽は視界の端でセラのSPゲージを確認した。280あったはずが、すでに190を切っていた。
「……SP、もう100近く減ってる」
「長引かせるな。早めに決めるぞ!」
残り190。飛行しながら回避を繰り返せば、あっという間に尽きる。SPがゼロになればセラは飛べなくなる。試験は終了だ。
時間がない。
ストームウィングが再び向きを変えた。今度は正面からだ。巨大な嘴が光る。翼を広げると、セラの三倍以上の大きさがある。正面から見るとその圧は凄まじかった。ただの突進だけで、当たれば致命傷になる。
「でかすぎる……」
だが——セラは動じなかった。金色の瞳が、まっすぐストームウィングを見据えている。体の震えひとつない。
「……セラ」
陽はセラの首から手を離した。代わりに、鞍をしっかりと掴む。
セラが加速した。
真正面へ。逃げるんじゃない——向かっていく。
「嘘だろ……!」
陽は思わず叫んだ。ストームウィングが突っ込んでくる。セラも突っ込んでいく。このままでは正面衝突する——そう思った瞬間、セラが急降下した。
ストームウィングの嘴が、頭上ぎりぎりを通り過ぎた。
そのままセラが急上昇。ストームウィングの腹の下を一瞬で通り抜け、背後へ回り込む。風を切る音が耳元で轟く。
「よし! フェイタルリード!!」
フェイタルリードが発動した。金色の瞳が急所を捉える——首の付け根。
だがストームウィングが気づいた。巨大な翼がセラを薙ぎ払おうとする。
「セラ——!」
セラは止まらなかった。翼の一撃を紙一重で潜り抜け、そのまま首の付け根へ——爪が、深く突き刺さった。
ストームウィングの絶叫が空に響く。
巨体が大きく傾いた。バランスを崩してよろめく。そこへ——
――ズドンッ!!
上空から、レオンが滑空した。ストームウィングの側頭部へ渾身の体当たりを叩き込む。
バランスを完全に失ったストームウィングが、落ちていく。翼をばたつかせながら、それでも止まらない。
――ズゥンッ!!
地面に倒れる。土煙が上がり、草が薙ぎ倒される。
静寂。
――《討伐成功》
――《嵐羽獲得》
陽はセラの背の上で、大きく息を吐いた。全身の力が抜けていく。手が震えていた。足も震えていた。セラの首に額を預ける。鱗が温かかった。
「……怖かった」
正直に呟いた。セラが小さく鳴く。
陽はセラをゆっくりと地上へ向けた。着地した瞬間、膝が笑っていた。地面の固さが、やけにありがたく感じた。
「陽、無事か?」
ヒロが近づいてきた。
「……なんとか。セラが全部やってくれた感じだけど」
「そんなことねーよ。最後、ちゃんと指示出してたじゃねーか。モンスターもそこまで強くなくて良かったな」
ヒロが真っすぐ陽を見て言った。陽は思わず苦笑いした。
試験官が二人の前に立った。腕を組んで、しばらく黙っていた。それからゆっくりと口を開く。
「審査結果を伝える」
試験官は真剣な顔で、それぞれを見た。
「雨宮陽——空中での判断力、竜との連携、共に合格水準を超えている。初騎乗でストームウィングの突風を二度凌いだのは評価に値する。そして——竜に委ねる判断ができた。それが何より大きい」
陽は思わずセラを見た。セラが目を細める。
「橘ヒロ——騎乗までの時間は申し分ない。安定感と上空から隙を狙った援護判断は高く評価できる。レオンの体当たりのタイミング、完璧だった。合格だ」
ヒロは短く頷いた。レオンが低く鼻を鳴らす。
「二人とも——合格だ。これより、騎乗資格を付与する」
視界に通知が浮かんだ。
――《騎乗資格を取得しました》
――《称号:竜騎士見習いを獲得しました》
「竜騎士見習い……」
陽は通知を見つめた。たった二文字の称号なのに、やけに重く感じた。
「中級プレイヤーの入口だ」とヒロが言った。
「ここからが本番だ」
陽はセラの首を撫でた。白い鱗が夕陽を受けて、淡く光っている。
セラは静かに目を細めた。
グランヴェルの空に、夕陽が広がっていた。




