第29話 幸せ
お兄様に励ましてもらって〈客間〉を出た私は、真っ直ぐ家に帰るのではなく、中庭に足を運んでいた。
落ち込んだときや落ち着きたいとき、私はよく中庭でぼーっとするのが好きだった。
中庭の真ん中で、胸いっぱいに、花の香りを吸い込む。
「うーん、落ち着くなぁ……」
軽くのびをして、息を吐く。
ルイ様に、会いたいなぁ……。
ルイ様のことを考えると、会いたくなって、微笑みが恋しくて、でもまだやっぱり悲しくなって、胸が苦しい。
私は花壇の裏に歩いて行って、いつものように結界を張った。
こうすれば、外から私の存在を気取ることはできない。
私は結界のなかで、花壇の縁に腰掛け膝を抱える。
お兄様に話を聞いてもらえて、もう気持ちを整理することができたと思っていたのに、自然と頬を涙が伝っていって、止める気力も湧かなかった。
何もできなくて、ただただ膝を抱えて、花々を眺める。
どのくらいの時間が立っただろう。
結界のなかは、結界を張った本人にとって最も心地よい環境に保たれる。
それなのに、今は。
……寒い……。
「ソフィア様……」
その瞬間、不意に、会いたいと焦がれたその人のつぶやくような声が、小さくてもはっきりと聞こえた。
ビクッと肩が跳ねて、魔力に揺れが生じる。
や、やばい……!
そう思ったときには、ルイ様に気取られてしまったようで。
結界の境界の、そのすぐ外側に、ルイ様が立ったのが分かった。
「……ソフィア様」
上がった息で、ルイ様が走ってきた事が分かる。
そんなに急いでどうしたんだろう。
いくらルイ様でも、結界を解かれることは無いだろうと思っていたからこそ、私はのんびりとそんなことを考えていた。
「結界を、解いていただけませんか」
懇願するような声音に、すぐにでも飛び出したくなってしまうけれど、今はとてもルイ様に会えるような状態ではなかった。
「る、ルイ様。私は今お目にかけられるような顔ではありません」
そっとしておいてほしくて、何とか理由をつけて、今日のところはお引き取り願おうと抵抗してみる。
「大丈夫です。どんな貴女も美しい」
「……!」
間髪入れずにとんでもないことを言われて、動揺で結界に揺れが生じた。
ルイ様は、その瞬間を逃してはくれなかった。
ルイ様の魔力で形作った剣で、結界があっけなく破壊される。
「……ルイ、様……」
驚いて顔を上げれば、魔法の剣を右手に、ルイ様が私に近づいてくる。
ぽかんと見上げている間に、手を伸ばせば触れられそうなまでに距離を縮められていた。
「ソフィア様」
再び名前を呼ばれて、ハッと我に返る。
「ご、ごめんなさい、今は――」
きっと、大泣きした私の目は赤く腫れ、頬には涙の跡がくっきりと残っているだろう。
こんなぐちゃぐちゃの顔を見られたくなくて、とっさに顔を逸らす。
「私の話を、聞いていただけませんか」
ルイ様のいつになく真剣な声音に、そろりとルイ様のほうを見てしまった。
真っ直ぐに見つめてくる金色の瞳に、目が離せない。
ただただ黙って見つめ返せば、ルイ様はためらいがちに、でもはっきりと、言葉を紡ぎ出した。
「私、は……」
ルイ様の赤くなった頬と、潤んだ瞳に、どうしようもなく胸が締め付けられる。
ああ、この人は、どうしてこんな顔をするんだろう。
「ルイ様……?」
そっと名前を呼べば、彼はぐっと何かを堪えるようにうつむいて、そして、勢いよく顔を上げた。
「私は、貴女が好きです」
「……え」
す……き……?
「初めて会ったときから、ずっと、ずっと……好きなんです」
ずっと……?
何を言われているのか飲み込めなくて、ただただ驚いている私を見て、ルイ様は言葉を重ねる。
「俺は、あまり……、話すのが得意ではなくて……」
そう、だっけ……?
ルイ様は、いつも優しく微笑んで、こちらを気遣う言葉をかけてくれていた。
「言葉が足りなくて、誤解されることも、多いです」
ルイ様が、間違わずに伝わるように、言葉ひとつひとつに心を込めてくれているのがわかる。
「でも、これだけは、伝えたくて……」
伏し目がちにそう言ったルイ様は、再びしっかりと私を見据えて、真っ直ぐに視線を合わせる。
「上手くできているか、分かりませんが……。私にできるかぎり、言葉を尽くして、伝えます」
彼の震える唇から、はっきりと、言葉が紡がれる。
「私は貴女が好きです」
ルイ様の心がこもった真剣な言葉が、真っ直ぐに私の胸に届いて、優しく、温かく広がっていく。
「ソフィア様」
まるで、愛しい人を呼ぶような声音に、その優しい表情に、心臓が高鳴る。
「私の、恋人に……、婚約者に、なっていただけませんか」
「…………」
気づけば、ぽろぽろとあふれ出した涙が、頬を伝っていた。
「私、に……?」
呆然としながら、何とか言葉を絞り出すと、ルイ様はしっかりと頷いた。
「はい、ソフィア様が、好きです。どうか私を、ずっと貴女の隣にいさせていただけませんか」
もう、涙が溢れてとまらない。
胸に満ちる温かな気持ちが、私の中の何かを優しく溶かしていく。
「る、ルイ、様……」
「はい」
愛しい人を呼べば、優しく微笑んで答えてくれる彼の、甘すぎる視線と声色に、頬が真っ赤に染まる。
「わ、私、は……」
心の底から、衝動が湧き上がる。
真摯に本当の気持ちを伝えてくれたルイ様に、私も、私の心からの気持ちを伝えたいと、自然とそう思えた。
「私も、好きです。……ルイ様が好きです」
目尻に涙を浮かべたまま、私の気持ちがしっかりと伝わるように、心からの笑みをルイ様に向ける。
驚きで目を見開いたルイ様の頬が、さらに赤く染まっていく。
「本当、に……?」
信じられないといった顔で、片手で口を押さえる彼が、どうしようもないほど愛おしくて。
「はい」
目を細めた拍子に、また、涙が流れ落ちていく。
「うれ、しいです……幸せ、です……」
嗚咽を堪えながら、溢れる気持ちをそのまま素直に言葉にする。
本当に、幸せ……。
これ以上の幸せなんてないと言えるくらい、満たされた気持ちで胸がいっぱいだった。
「……貴女に、触れても?」
遠慮がちに、でもはっきりと熱を帯びた瞳に、絡め取られる。
「抱きしめても、いいですか……?」
震える声と瞳の熱が、私にまで移ってしまったようだ。
「はい」
私の返事を聞くや否や、私はルイ様にきつく抱きしめられていた。
「ソフィア様、好きです。大好きです……」
耳元で囁かれる大好きな人の声が、心地よくて、幸せで。
「はい、私も……大好きです、ルイ様……」
素直に答えれば、さらにぎゅうっと抱きしめられて、幸せで押しつぶされそうなくらいだった。




